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やっと幻想界に戻って来たのだが、『潤しの源泉』を出て学園へと向かう道すがら、違和感。
ふらっと、したのは分かる。誰かの支えと、叫び。それしか認識できない…
誰かの声が響く。俺を引きとめようと、優しく懐かしい声色が…
これは誰だろう? 聞き覚えがあるのに、思い出せない。
声の向こう側は、やはり恐ろしさを感じない温かな闇。闇の中なのに怖くないのは、声に悪意がないから。
貴方は…誰?
『呼べ…名を……いつでも…に…』
はっきりしない声を虚ろな頭で聞きながら、声にならない声を出す。
何かを喋ろうとして…でも……
だるい。ぼうっとする頭で、疲労感が体を包んでいることに気付く。ただ、鈍った頭では何故こんなにも疲れているのかは分からない。
状況を把握しようと重い頭を左右に動かしてみたら…
「やぁ、大介。おはよう」
物凄く見覚えのある人が視界に映った。頭が鈍っているせいでしばし固まってしまい、数十秒ほど見つめ合ってしまった後気付く。
何故こんなにも近い?
これが異常な距離なんだと認識するまでかなりかかってしまったが、明らかにこれは可笑しい。至近距離にもほどがある。
よくよく見れば、アルテミス先輩はベッドの淵に手を付いて俺を眺めているようだ。何故?
「何をしているんですか」
「看病? 大介の部屋って小さいんだね」
今、何と? 俺の部屋…だって?
意味を理解して勢いよく起き上がろうとした瞬間、思った以上に腕に力が入らずまたベッドに逆戻り。
それを見てアルテミス先輩は、安静にしないと駄目じゃないかと言ってきたが起き上がろうとした原因はあんたの発言だろうに。抗議しようにも体力を使うと疲れると思い知ったため、早々に抗議するのをやめて辺りを見渡した。
そうしたら、本当に俺の部屋だった。
「まぁ、聞きたいことは山ほどあるだろうけど、今はとにかく休んで」
本当に気遣ってそう言ってくれているんだろうが、その前に言うべきことがある。
「離れてくれませんか」
「嫌」
嫌、じゃないんですけど。むしろ俺の方がこの状況嫌なんですけど。
「休めと言うのならば、部屋から出てっていってくれませんか」
「えぇ~」
えぇ~、じゃない。本当に嫌そうな顔をしているが、明らかに俺の方のが本気だ。
根負けしてくれたのか、本当に俺を気遣ってなのか、アルテミス先輩は仕方がないとばかりにベッドから離れ、部屋から出て行ってくれた。
余計な一言を残して…
「じゃあ、僕はご両親と談笑してくるね」
両親と談笑とか、何が何でも阻止してやりたかったがもう本当に起き上がることが出来ない。
一体両親とどんな話をするつもりなんだと心配しながらも、時計で時間を確認したのを最後に眠気に意識を持っていかれた。
夢も見ずに深い眠りについていてからだいぶ経って、午後9時頃に目が覚める。
月明かりが差し込む部屋は案外明るいと思いながら引き摺るようにベッドから出ると、机の上に飲み物と濡れタオルが置いてあった。
きっと気遣い屋な父がやってくれたんだろうと感謝しながら水を飲み、濡れタオルで顔を拭いて部屋を出る。
時々ふらついて、バランスを崩して倒れそうになりながら階段を下りると、何故かお茶の間から複数の人間の談笑が聞こえてきた。
きっとアルテミス先輩だろう、と思うにはちょっと不審なほど複数人の騒ぐ声。しかも、明らかにアルテミス先輩よりも渋くて陽気な声と、それをしかりつける人の声が聞こえ…って、まさか!?
「なんでいるんですか!?」
「おや、大介くん。おはよう」
「おはようござ…じゃ、ありません!」
つられて、おはようごさいますって言いかけてしまったがなんとか持ち直す。なんで彼等がいるんだ? ヴァルサザーとベネゼフが!!
自分の格好がパジャマ姿だとか、寝癖が付いてて正に寝起き然としているだとか、そんなことを気にすることも出来ず驚いた。しかも、当然の如くアルテミス先輩もちゃっかり居座っているし。
「大介、そんなところに突っ立ってないでこっちにおいで。疲れただろう? ご飯にするかい?」
「父さん。なんでこの人達」
「説明は後でね。とにかくご飯にしなさい。お腹すいただろう?」
確かにお腹はすいたけど…と思いながら、父が導くままに何故か右隣にアルテミス先輩。左隣にヴァルサザーの位置に座らされた。何故!?
因みにベネゼフはというと、ヴァルサザーの左隣だがテーブルの短いところを1人で独占し、その隣に母、慎介、父、である。
ベネゼフの位置可笑しくない? 普通は一家の主の位置なんですけど。いや、俺の座り位置も可笑しいけどな。
父が夕飯を持ってきてくれて、それがまた俺の大好物だっただけに文句は仕舞いこむことにする。ご飯に罪はないし、早く食べてあげないとな。
すでにテーブルの上には酒やらつまみやらが乗っていて、どう見てもベネゼフ一人でそれを消費しているようだ。だからこんなに陽気なのかと妙に納得しながら、無遠慮なベネゼフに呆れ返っているヴァルサザーはもう、ベネゼフを叱るのを放棄してしまっていた。
気持ちは分かるが、どうかこの人を止めてくれ。そんな思いの詰まった視線も、ヴァルサザーのすまないと言いたげなアイコンタクトから疲労感を感じ取ってやめた。
仕方がないとばかりに目の端に映るベネゼフの奇行を俺も無視し、黙々と目の前の食べ物を消費していくその隣では…
「はい、大介。あーんし」
「却下」
「最後まで言い終わってもないのに即答…」
そう言って、残念そうにご飯を引き戻すアルテミス先輩。いつもアルテミス先輩の要求は俺の嫌がることばかり。本気でやめて欲しいのだが…
そういえば、何かお願い事があるとかいうやつはどうなったんだろう。そのことを思い出してちょっと憂鬱になったが、以外にもあっけらかんとしたアルテミス先輩が質問に答えてくれた。
「あぁ、それならもう叶ったよ?」
「どういうことです?」
「僕のお願い事は、大介の家に行ってみたいっていうものだったから」
やはりというか何というか、予想通りに激しく傍迷惑なお願い事だったんだな。てか、不可抗力ながらも叶えてしまったということか。
それにしても、何がどうなって只今のような現状に? 倒れたってことは思い出せるんだが…
その疑問にヴァルサザーが答えてくれた。
「『潤しの源泉』を出た直後に倒れた君を我々がここまで運んできたからだ。始めは私とシュレンセ殿とで来るはずだったんだが…すまない」
その謝罪の中に含まれた原因の人物を思わず見た。
「ん? どうしたんだい?」
「いえ…」
なんとなく、俺はベネゼフから視線を逸らした。じゃあなんでアルテミス先輩まで来る必要があるんだよと視線を送ると。
「心配だったからって言っただろう?」
お願いの内容を聞いた後に聞くとなんとも嘘くさい。どう考えてもこれ幸いと俺の家に来る格好のチャンスに飛びついて、無理やり先生方を説得してついて来たに違いないと思うのだが…
なんという狡猾さだろう。まぁ、本位ではないとは言えこれでお願いは成就されたわけだから、もう恐れることないということだけが幸いか。
いや、しかしながらやっぱり目覚めてすぐにアルテミス先輩と近距離で見つめ合ったという事実だけは非常に嫌過ぎる。
しかも三回目…死ぬほど嫌過ぎる。
それはさて置き、もう一つの問題。
「それで、どうしてまだいらっしゃるんですか?」
このお三方はもう用件は済んだはずだろうに、という意志を見せると、ヴァルサザーは申し訳なさそうに謝罪し、アルテミス先輩は意味が分からないと言いたげに頭を傾けとぼけた。
因みにベネゼフは、上戸な母と談笑しながらお酒を酌み交わしていたので聞いていない。
申し訳ない気持ちでこの場にいるのはヴァルサザーだけだということがよぉ~く分かる三者三様な態度だ。
てか、あんたらホント自由だな。こっちの迷惑とか、どう考えてんだよまったく…
溜め息混じりに頭を抱えると、右隣からもの言いたげな視線を感じた。急いで考えることをやめたのは言うもでもない。
お酒を飲んでどんどん陽気になっていくベネゼフと、そんな彼を止めることに疲れてしまったヴァルサザーと、一体いつまでいる気だと思うくらい居座る気満々のアルテミス先輩に囲まれ歓迎祭3日目は終了。
結局彼等がここにいる理由はベネゼフとアルテミス先輩だということでなんとなく意味を理解し、彼等がさっさと帰ってくれることを願った…が、無理だった。
10時頃、何故倒れたのかと問い質されることになったからだ。
どうやら俺の一日は、まだ終わらない。




