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俺の人生設計が狂ったのは、実に1年4か月前のこと。急に体がだるくなり、熱もないのに頭が痛い等、風邪かと思い病院で薬を貰っても治らない上にぼうっとし過ぎて登校中車に轢かれそうになったことがあり、念のためにとお祓いにでも行こうかと家族で話し合っていた時のことだった。一通の不審な手紙が届き、そこには俺が魔法使いである可能性があると書かれていたのだ。
あまりに不気味だったのですぐに捨てたのだが、その手紙は意思を持って浮遊し、喋りはじめた。何を言っているんだと言われるかもしれないが、見たままを説明するとそうなる。
魔法使いとして魔力の上達は必須であり、それ以外に長生きできる方法はないという、脅しの様な一文だけが印象に残っているが、父曰く、魔法を習得することは実利に適うというようなことも言っていたらしい。まぁ、だからなんだという気持ちではあったのと、目の前で起きた現象を受け止めきれず忘れることにしたのだが、段々と、長生きできないという言葉を神妙に受け止め始めるようになる。
ある日突然、席に着きながら欠伸をしただけで窓ガラスが割れた。その時はグラウンドで野球の練習中だったから、ボールが飛んできたのかと皆思ったわけだがそうではなく、怖いね何だろうなクラスメイト達と同じ様に、何なんだ一体と思って気にしなかった。それから数日後の雨の日の理科室での授業中、落雷もなく理科室だけがショートしたように停電になり、またまた数日後には教室へと戻った途端つむじ風が発生するなど、もはや疑いようがないほどおかしなことが起きてしまった。
元々小さい時から自然災害や事故の予兆を感じることがあったり、テストのヤマが当たったり…後半のはどうでもいいとして、とにかく不思議な予知能力のようなものはあったが、こんな、自分の身に降りかかるような怪現象は初めてだった。どうしたらいいんだろうかと途方に暮れていたころ、魔術学園からの要請で来ました、と不審者が訪ねて来る。
無論疑いはしたものの、人のいい父がその人を居間に上げてしまい…自分は魔法使いです、なんて言ってのけたのでぽかんとしたのは言うまでもない。
その人は論より証拠と、上向きにかざした掌の中に、まるで空気中から集めたかのように水を生み出し、その水を渦を巻くように居間の中で回転させたかと思うとピタッと止め、無重力状態で浮遊する滴を見せてくれた。夢でも見ているのかと思ったが、そうではなかった。
イリュージョン的な何かだと言うにはあまりにも非科学的で、夢だと思うにはつねった頬が痛かった。紛れもない現実であることを受け止めざるを得なかったのは、前出の現象を踏まえた上でも致し方なく、周りで起きている現象をとにかく早く止めてほしいという、縋るような気持ちからだった。
まずは魔法使いとしての素質があるかどうかを査定する技能テストを受けることになったのだが、テストの結果、君には高位の魔法使いのとしての素質があると熱く語られた。そんなことを言われても、魔法使いというのがそもそもついて行けないのに、その上高位とはなんだ、な顔しかできない。
なんかとにかく位が高いってことなんだろうなぁぐらいの認識でいいんだろうかと聞き流し、入学などの手続きに関してや教材やら制服やらは後々連絡致しますということでその日は終わった。俺からしたら、平凡な日々の終わりの始まりだったのだが。
俺の魔力は強すぎるみたいで、このままだと周りも危険だからと一時的に魔力の流出を抑えるための処置を施してもらったのはそれから一週間後のことだった。ただ、あくまでも一時しのぎなので、魔術学園で魔法を勉強して力をコントロールする方法を身に着けるようにと言われた。魔力は内なる力なので、外から押さえても意味はないのだとか。
そういった経緯で今に至るわけだが、未だに俺はこの現実に足掻いている。無駄だと分かっていながら、認めたくないと思ってしまう。仏様はまだしも、神様の存在すら信じていいか分からないのに、魔法使いだなんて誰が信じられようか。そういう話が大好きだった古き友人にして転校してしまったあいつだったなら喜びそうな話題だけど、残念ながら俺は喜べない。
普通の生活が一番なんだよ俺は、と溜め息が出たところで、内容的にも潜めるしかないひそひそ話を続けた。
「それで、今日来る先生はどんな先生なんだ?」
「なんでもね、学園初のヴァンパイア貴族なんだって」
ヴァンパイア…しかも貴族、か。これはまた、偉く厄介な人物が来てしまったようである。
確か以前、担任のアイガン先生の授業で、ヴァンパイア貴族は上流階級思想と気位が高く侮辱すると非常に厄介だと聞いた。気位が高いのなら、尚更、何故一階の中学校教師になどなろうとするのか?
なんだか、とてつもなくろくでもないことのように思えてならない。お貴族様がわざわざ教師に志願するなど、何かしらの打算がなければ有り得ないだろう。
教師は志願制。より高い熱意と知識と魔力を買われた者しか採用されない。しかも教職は需要が高いのだ。その高い倍率の中でヴァンパイア貴族が採用されたのであれば、それ相応の強い熱意に溢れていたということなんだろう。
それって一体、どんな熱意? 嫌だな、面倒だな、回れ右して帰ってもいいかな。ホント、先が思いやられる。
絶対に面倒なことになると推測しつつ、差し迫った登校時間に気付いて三人を急かして校舎に向かう。何事もなく今日一日が終われば、それ以上は望むまい。
どうせ望んでも、俺の願いは叶わないしな。
で、今更なんだが…
「あの…何故付いて来るんですか?」
「え? だって大ちゃん、さっき早く教室に行きましょうって言ったじゃん?」
「言いましたけど、俺達は俺達の教室に行きますので、宮田先輩も三年の教室に行って下さい」
「えぇ~ケチィ~」
ケチもなにもあったもんじゃないだろう。実はさっきから、あの校舎に入って行けば特進クラスだろう、ってことろを思いっきりスルーしていたことが不思議だったんだが…後もう少しで、本校舎中庭から出てしまいますよ?
大体にして、俺達は特別クラスで、宮田先輩は特進クラス。魔法使いである俺達は普通の人である宮田先輩に正体を明かすわけにはいかないわけで、教室まで付いて来られると大変迷惑だ。
とはいえ、どうせ先輩は教室までは付いて来れないが。
本校舎から大分離れた所にある完全隔離された洋館。そこが特別クラスの校舎だ。
警備だけではなく、魔法結界でも護られているため部外者は否応なしに弾かれ入れないから、宮田先輩がどう足掻いても入れない。
そもそもその洋館もまた、魔術学園への入口になっているというだけで、魔術学園本校舎ではないんだけど。
じゃあどうやって本校舎に行くのか、というと…まぁ、その説明はまた後にすることにしよう。
それよりも…
「大ちゃんと俺の仲でしょ? 隠し事はなしにしようよ」
俺と貴方の仲って、一体いつ何時そんな親しい仲になった事実が存在するのだろうか。いくら記憶を辿っても、そんな事実がまったく存在しないのだが。
「お言葉を返すようですが、そんな事実は一切見当たらな」
「今まで先輩として、こぉ~んなにも後輩を可愛がってきたのに、俺の報われない片思いだったなんて」
えぇホント、永久的に片思いだと思います。そんな本音を内心呟いて、随分と嘆きの演技が上手いなぁなんて感想もまた人事のように呟いてみる。
さすがプロも認めた演技だなと、多少舞台用だからか演技がオーバーでくどいが、まるで宝塚を見ているようだなと思うことで宮田先輩のウザさを受け流した。
去年の文化祭の時、俺は始めて宮田先輩の演技を見た。シンデレラ役の彼を…
勿論、始めはなぜ男が女役なんだとパンフレットを見ながら思ったけど、それも演技力を見て納得。正直、中学生にしてもう既にプロなんじゃないかと思ってしまうくらいだった。
演技だけでもそうなのに、宮田先輩の女装は非常に様になっていて一見して女性そのもの。聞くところによれば、中学生の頃は素で美少女だったらしい。
今は男寄りだが、蒼実が庇護欲をそそられる癒し系ならば、宮田先輩は艶かしい色気を醸し出す妖艶系だったとか。正直、どうでもいいことだから何それって感じだけど。
そのせいか、本気で男に告られたという経験は星の数ほどらしい。もし万が一俺が美形に生まれたとしても、そんな経験絶対嫌だなと思う。
そんな人が何を血迷ったか平凡すぎて顔すら覚えられなさそうな俺を構い倒し、迷惑の限りを尽くし騒いでいるのだ。妬みの最大理由を増大させる嫉みオーラの集中砲火が降りかかるのも頷ける。
今思えば、あの時の初対面がなければ今頃はもっと平穏な…いや、平穏とまでは行かないにしても、あの衝撃的な出会いが俺の新たなる悲劇の幕開けとなったわけで、それさえなければと思ってしまうのは当然のこと。
別に思い出す意味もない過去だから、あえて振り返りもしないけど…
素晴らしい演技力を持ってオーバーなリアクションで嘆いてみせる先輩に、もう何度思ったか知れない面倒臭い人だなぁという言葉をぼやく。
この人をこんなにも天真爛漫、唯我独尊にさせてしまったのは、今まで彼を甘やかしてきた周りの人達。その筆頭が宮田先輩のファンだと公言して金魚のフンなお取り巻きだ。
宮田先輩が俺といる時は付いてくるなと言っているらしく今はいないが…というか、そのせいで彼等に憎悪の視線で睨まれることになっているのだが。その理不尽な視線に宮田先輩は何も言ってくれないから、俺はそれをも甘受けしなければならないという事態に…実際、本当に甘受け出来ればいいのだが、無理だ。
それはさて置き、そろそろこんな茶番劇につき合わされるのは限界なので…
「宮田先輩。俺達は校舎が離れていますので……お先に失礼しますね」
放って置こう。未だウザいくらいに嘆いている宮田先輩を置き去りに、校舎へと足早に向かう。
その後の宮田先輩がどうなったかは知らないが、多分今頃、嘆き続ける宮田先輩の肩を通りすがりの先生が揺すって正気に戻し、教室へ行けと言っているに違いない。それを確認する術がないのが非常に残念だが、これだけは言える。自らの演技に陶酔したのが敗因ですよ、先輩。
トラブルメーカー宮田の奇行の数々にこれからも煩わしい思いをさせられるのだろうと、その近しい未来を思って溜め息を吐いて校舎へと急いだ。