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窓から差し込む眩しい光明に照らされ、重たい瞼を押し上げる。
まだ眠いけど起きなきゃなぁと体を起こそうと手に力を込めた瞬間、ベッドの隣に立つ人物に気付いた。人の寝顔を見るのが趣味なのかこの人。
「おはよう、大介」
「…おはよう御座います」
なんだろうな。その雰囲気からして、たった今起きましたって顔じゃない。となると、いつからそこに居たんだって話になるが…いや、決して聞いたりはしない。
欠伸を噛み殺しながら起きると、終始真意の見えない笑顔を向け続けるアルテミス先輩を無視して顔を洗いに行く。その後ろを付いて来るのは何故だ。
「大介、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんですか。代表の話でしたらお断りですよ」
「そのことじゃないんだけどなぁ…」
先手を打って拒否したら、アルテミス先輩は苦笑した。先輩にしては珍しく、本題に触れるのを躊躇っているのか歯切れが悪い。それはつまり、とても言い辛いことだということを意味しており…デメリット以外の何物でもないだろう。
聞きたくない。聞いちゃいけない。
思わず、嫌だなぁという顔をしてしまったのが悪かった。先程までの雰囲気は一変し、いつもの胡散臭い笑顔になる。
「あれ? 確か僕、君のお願いを聞いてあげたよね? それなのにどうして僕は駄目なの? それって不公平じゃない? そういう心の狭いことするんだ、大介。へぇ~」
畳み掛けるような言葉数々を浴びせられ、初めから拒否権がなかったのだと思い知る。皇凛のことさえなければ…いや、どの道拒否できる気がしない。
「どちらにしても、僕の言うことを聞かなかった人なんていないけどね」
ですよねぇ~。抗った人達は一体、どんな悪夢を見せられて先輩の言うことを聞いていたのだろうか。
お願いの内容に関しては今日の放課後の解散時に話すということだそうなので、お言葉に甘えて今は聞かないでおく。出来れば今だけはそんな事に悩まされずにいたい。
制服に身を包み、先輩達と一緒に食堂に向かった。嫌々ながらアルテミス先輩とご飯を食べ、嫌々ながらアルテミス先輩と行動を共にする。
上機嫌なアルテミス先輩は、俺の渋々といった空気を知っていただろうに何も言わない。見て見ぬふりをしてくれているのならばそれでいいが、後になってつまらなさそうな顔をしていたことを突っ込まれても困る。
そうならないことを願うばかりだ。
食事も終え、講堂にて校長先生から夢現界散策についての注意を受けた。
しかし幻想界育ちの生徒は皆目がキラキラ輝いていて、とても校長先生の話を聞いているようには見えない。特に俺のお隣さんが…
「うわぁ~! もう半年ぶりだよぉ~! 興奮するぅ~!!」
「うん! 楽しみだよね!」
「にしても、なんでもっといっぱい夢現界に行っちゃいけないの? もっと遊びたいのにぃ~」
それはお前が、普通の人と同じ振る舞いが出来ないからだろ、と心の中で皇凛の言葉に反論。彼等のような生粋の幻想界育ちは、夢現界での普通や常識が備わっていない。だからご褒美の日以外はあまり立ち入らない様、行動が制限されている。
俺達のような存在が普通の人達にバレないようにと常に気を遣っているから、未熟な魔法使いには行動規制が厳しい。まぁそれは、当然な判断だと思う。
このご時勢では魔女狩りなんてないけど、知られたら知られたで結構大問題な部分が大きいから。
使い方を間違えば、俺達の力は凶器になる。それはもう、核兵器なんて目じゃないほどの…
夢現界散策においての注意点も終え、三年生は一年生に一人ずつ付いてパーティーを組み行動することになった…のだが。
「アルテミス先輩、何故に隣にいるのですか」
「え? だって僕が君から離れるなんて、有り得ないじゃないか」
出来れば有り得てほしかった。というか、三年生は一年生に付くのが恒例だろうに。
「今年の一年生は三年生より少ないんだよ。だから仕方なく僕はこっちに…」
「いや、それは可笑しいでしょう。代表代理だってやってるんだから、先輩こそ率先して加わるべき」
「え、何? ごめん聞こえなかったよ」
嘘付け! 思いっきり聞こえたただろ今! てか、この距離で聞こえてなかったら聴覚に難有りだ。
「さぁ、迷子にならないように手を繋いでてあげる」
「丁重にお断りします」
死んでもごめんだ。
エンシェントが護る校門を抜け、『潤しの源泉』へと向かう。
そう言えば一昨日、ここでドラゴンの卵を拾ったなと思い出して視線を送った。何であんなとこにあったんだろうっていう疑問は尽きないが、それはともかくあの卵の様子を今度シュレンセ先生に聞いてみよう。
『潤しの源泉』がもう間もなくというところで、最前列が騒ぎ出す。と言っても、俺のいるところが最前列なんだけど…
皇凛が隣でうわぁ~と、感嘆の声を漏らす。一体なんだと視線を向けたら、そこには透き通るような白い肌の一団が優雅に歩いて来ていた。
ヴァンパイア族の特徴を呈した三人の人物が、最年少のように窺える少年に付き従い歩いてる。
蠱惑的な眼差しと微笑みでマントを翻す少年。外人の発育の速さを考えれば、彼は俺達と同じくらいの年でヴァンパイアになったのかもしれない。
艶やかな表情を崩さないまま、その人は一定の距離を保って歩みを止めた。
「おや、ダリアスじゃないか」
「久しぶりだねアシュリー。ジョナサンも」
「お久しぶりです先生」
先生という言葉から、ジョナサンという人が卒業生であると知る。しかし、ジョナサンという名前は確か…アシュリー殿下の従者だったような?
記憶を掘り起こしていたら、親しげな彼等の会話にアルスター先生が数歩前に歩み出す。ただし彼は、アシュリー殿下に敬意を表して膝を付いて頭を垂れているが…
「殿下、斯様な辺鄙かつ穢れた路上とはいえ、こうしてお目にかかれます事、光栄の極みに御座います」
「確か君は…ヴァン、だったね」
「はっ…そのお心に止めて頂けました事、至上の誉れに御座います」
なんとも見たこともないほどの低姿勢。これが王族と貴族の身分の差なのか、頭を垂れて決して顔を上げない。それを許されるまでは、顔すらもその瞳に映すことはできないのだろう。
なんだか今更ながらここが現代とは違う時間軸で存在していることを思い知らされる。
足元すらも見てはいないのではというアルスター先生から視線を外したアシュリー殿下は、前列の事態を知って近付いてきたシュレンセ先生に視線を流した。
「はじめまして、アシュリー殿下。私もこうしてお目にかかれましたことを光栄に思います」
「貴方は…まさか…」
「はい。私はウィリアス・シュレンセと申します。錬金術師をさせて頂いております」
「そう…」
この人がそうなのか、といった表情をしたアシュリー殿下は、シュレンセ先生の傍らに佇むラクター先生の存在にも気付いた。
同じヴァンパイアだって、きっと気付いているはず。
「それで、君は?」
「私はクラヴィス・ラクターと申します」
そう言って軽く頭を下げるだけのラクター先生。こうまでアルスター先生との腰の低さに違いがあると、なんだか違和感を感じてしまう。
それに対して気分を害することなく逆に面白そうに微笑むアシュリー殿下の真意は読めない。しかし、そんなラクター先生の態度に憤慨したのはアルスター先生だった。
「君はっ…我が君の御前で失礼ではないか!! ヴァンパイアたる者、王族に跪くのは当然! 何たる無作法な!!」
そこまで言って、アシュリー殿下の前で激昂したことに気付いて慌てて再び頭を垂れる。そしてどこまでも低姿勢なまま、アシュリー殿下に詫びた。
「申し訳ありません殿下。殿下の前で醜い姿を曝してしまいました。どうかお許し下さいませ。この者の不敬な態度に付きましても、今回ばかりはどうかご容赦を」
そう言って更に頭を下げるアルスター先生に、アシュリー殿下はアルスター先生に向けていた視線を再びラクター先生に戻して不敵に笑った。
まるで自分に対して突っかかってくるラクター先生に興味を引かれた、といった表情だ。
「君は、僕が嫌いなの?」
「いえ」
「じゃあ、ヴァンパイアが嫌いなんだ」
「…はい」
「正直者だね。でも…」
アシュリー殿下から表情は消え、瞳は真っ赤に染まり瞳孔が開いた。その直後、ぐっと声を漏らしたかと思うと、ラクター先生の体がまるで重力に逆らえなかったかのように地面に膝を付いて息を切らす。
必死に重力と戦うように地面に手を付き突っ張っているが、ピクリとも動かずに息だけが上がっていく。一瞬にして張り詰めた空気となった後、声を発することも出来ずに体も硬直する。
その中でただ一人、視線を鋭くさせてアシュリー殿下はラクター先生を冷たい眼差しで見下ろす。
「王の御前でそのような態度をとることは、絶対に許さない」
その声は、まるで感情を表さないさざ波のような静かな響きだった。ラクター先生の脇を通り過ぎ、アシュリー殿下は歩き出す。
その直後、何故か俺と視線が合って、ドクリと大きく鼓動が脈打った。薄く微笑んだ彼は、すぐさま視線を外し去って行く。
目が合った瞬間から、鼓動が早鐘のように煩く打ち鳴らされ未だ止まない。それはまるで、スヴェンさんがその名を口にした時と類似した胸が押し潰されるような感覚。
しかし悲しさは湧いて来ず、苦しさだけが込み上げてきた。俺はどこかで、これとよく似た感覚に陥ったことがある。でも一体何処でだったか思い出せない。
何処でと疑問を抱いていると、アルテミス先輩の心配げな声がかけられる。
一瞬なんだか分からなかったけど、もう既に皆が夢現界散策に向けて歩き出していることに気付いて歩き出す。
落ち着いてから思い出したのは、予知夢を見ていた頃のあの胸騒ぎと同じだったということ。これから何か、とてつもない何かが起こってしまう。
そんな予感から不安に駆られ、しばらくの間胸のざわめきが治まらなかった。




