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急激な寒気に鳥肌が立つが、深い深呼吸をして心を落ち着かせる。そして、あの闇の中でのことを思い出しながら話した。
「気付くと、気味の悪い淀んだ声が反響する真っ暗闇にいました。まるで水面の向こう側で聞こえているように何かに遮られていて不鮮明で、何を言っていたのかは分かりませんでしたけど。俺の体も、水中を浮遊しているように不安定に漂っていました。それが急に光に包まれたかと思うと、俺はもうランヴォアール湖の湖畔にいたんです」
そこであの人に出会った。以前と同じように表情の乏しい顔で、まるで人とは思えないほど綺麗な容姿と透き通るような声の…スヴェン、と名乗った人。
あの人は一体、何者だったのだろうか。
そのことに気を取られて、先生方の驚愕した表情やざわめく空気に一瞬気付かなかった。はっとして見渡すと、皆が一様に険しい表情でその事実を重く受け止めていることに気付く。
何故だろうかと疑問を抱いていると、校長先生がまっすぐ俺を見据えながら硬い口調で話してくれた。
「かつて、500年ほど前。ランヴォアールの畔周辺で、度々魔法使いの失踪事件が多発していたんだ」
重苦しい口調のまま告げられた事実に絶句。あの畔周辺での失踪事件、そんな過去があったのか…
だから皆表情を変えたんだなと妙に納得。
例え500年前のこととは言え、そんな事件があった場所で再びそれに近い事件が起こったのだ。そりゃあ驚くことだろう。
じゃあもしかして、危く俺も失踪者名簿に載ることになったのだろうか? そう思った途端、一瞬にして肝が冷えた。
見抜いたようなその瞳で、校長先生は再びホットミルクを飲むよう勧めてくれた。喉元を通過していく温かさに、ほんの少し救われる。
「君が無事で、本当に良かった」
そんな風に保護者の表情と口調で言われると、不覚にも目元が潤んでしまう。勿論泣いたりなんかしないけど。
生徒を思いやる先生の言葉には、日の光のような優しい温もりがあった。気が落ち着いた頃を見計らって、校長先生は更に当時のことを教えてくれた。
「ランヴォアールでの事件ではね、大体の子が未熟な魔法使い…それも子供が狙われたんだ。始めは魔物の仕業と決め付けていたから、魔法使いのほとんどが魔族や魔物への報復を考えて大戦争が起きた。それが進むうち、副産物…というのは語弊があるだろうが…倒すことで得られる栄誉や、血・肉・骨を転売するなどで得られる戦利品を目的として、ドラゴン族との対決が激化した」
目を見開いて脳内で反芻した後、無意識のうちにヴァルサザーやベネゼフを見てしまう。それが返って失礼なことだと気付いて目を逸らす直前で、ベネゼフが苦笑しているのが見えた。
ヴァルサザーは溜め息を吐いて、過去のことだと呟いたけど、その瞳は何処か寂しげだった。
きっとその大戦争で、ヴァルサザーの友人や知人などが多く殺されたのだろう。ヴァルサザーの地位は分からないけど、ベネゼフと対等に話せる立場ということからも当時から相当の地位にいたはず。
きっとたくさん部下を失ったに違いない。そう思うと、益々不謹慎な行動を取ってしまったのだと落ち込んだ。
そんな俺に気付いたかのように、ベネゼフはあえて明るく振舞った。
「やだなぁ、君が気に病むことはないよ。私達もあの戦いで、たくさんの人間を殺したのだから」
痛み分けさと終始笑顔で言ってくれるけど、どうしても同じ人間としての罪悪感が拭えない。
人とは、即物的な生き物だ。それまではただの恐怖対象であったものであっても、それを手に入れることで自らの利益になることを知れば手に入れずにはいられない。
ドラゴンにとっては、殺さなければこちらがやられるという意味での戦争でも、人間にとっては殺した後の付加価値の方が有益だと判断して意味もなく殺せる。
当初の目的を失って、それにのみ目を向けてしまう。残念ながら人間は、そういう生き物なのだ。
他の動物とは違う。必要な分を必要な分だけ搾取するのではなく、必要のない分は売り飛ばしてでも自らの利益にする。
いやむしろ、売り飛ばすために狩ると言っても過言ではない。その残虐性を前に、どうして人はか弱い生き物なのだと己を言うのか。どこからどう見ても、史上中最も残虐な生き物ではないか。
ぐるぐると自己嫌悪と同属嫌悪に苛まれていると、ベネゼフがヴァルサザーを小突いていた。
「ほら、君がそんな顔をするから思いっきり気にしてしまったじゃないか」
「うっ…すまない。とにかく、本当にもう昔のことだ。今は和解も成立しているのだから、過去のことを蒸し返しても何もならないだろう」
「いや俺は、人間ってなんて愚かなんだろうって思ってただけで…」
「おや、そんなことを考えていたのかい? 人間が愚かなのは今に始まったことではないよ。それにしても、君もヴァルサザーみたいに1を10にして悩む子だねぇ」
気苦労が耐えないかわいそうな性格だねと、ベネゼフは俺とヴァルサザーを交互に見て呆れ顔だ。
確かに、何か自分に精通するものをヴァルサザーに感じてはいたけど、さすがに1を10にってことはないと思うんだけどなぁ。
どうやらヴァルサザーもそう思っていたらしい。ベネゼフに一瞥をくれた後目が合って、その時に何かが通じ合ってしまい互いに苦笑を漏らす。
先程までの緊迫した空気がそれによって和んだ後、校長先生が笑顔で尋ねた。
「続けても?」
「あ、はい。どうぞ…」
話はまだ途中だったんだと、緊張していた分だけ先程のことで気が緩んでしまった自分に恥ずかしくなった。
「長きに亘った戦いも、徐々に終結の兆しが見え始めた。まず、200年前にドラゴン族との和解が成立した。お互いに過去を水に流すことを条件に、互いに不利益な状況において相手に疑念が生じる場合、互いに情報を交換して誠意を尽くして対応するという条文を掲げた。その際、他の魔族からの反発を懸念して、他の魔族との間の仲違いは仲裁しないというのも含まれていた」
「どちらかの一族に危害を加えた者がいたら、その者がもう一方の一族の者である場合の身柄引き渡しをする、ということですか?」
「まぁ、そういうことだね。だたし、それが通じるのは我々魔法族とドラゴン族側での間だけだけど」
つまり、ヴァンパイア族とウェアウルフ族は含まれない、ということか。人の血を半分は受け継いでいる彼等との戦いは、ドラゴン族の時よりも粘着質だったに違いない。
生きるための本能で動物的な感情が優先されるドラゴン族とは違って、ヴァンパイア族もウェアウルフ族も人に近いから残酷さを持ち合わせていたはずだ。
その戦いを終結させるきっかけになったのが光属性の少年。現在のヴァンパイア族王家第二王子、アシュリー・マイシェン・ボローディア殿下。
ウェアウルフ族もそれを堺に魔法族との和解を行なったが、それはきっと最後の砦である仲間が和解を進めることに分の悪さを感じたからだろう。
自分達だけが魔法族との戦いを続けていても、何かあった時に助けを求めても和解協定を盾に援護してもらえなくなるから。
実に人間的な発想だと思う。いや、決して皮肉っているわけじゃないが。
しかし、その協定が結ばれるまでは戦争は続いた。
確か、100年前まで戦争していたんだっけと思っていると。
「140年前までだよ」
何故か隣からの訂正が入った。何故分かったんだ俺の考えていることが。
補足するように、再び校長が話し始めたので追及はしないでおく。
「そう、まだ140年前のことだ。200年~140年前までの間に私はここの校長に就任してね。ドラゴン族とは和解したけど、学園内においても常に危険な状態だったから、一線を退いて決して世間に身を置かないと分かっていても、どうしてもとお願いをしてシュレンセ先生に来て頂いたんだ。子供達を守る手助けをしてほしい、とね」
当時を懐かしむような校長先生に、シュレンセ先生も同じく懐かしそうに微笑みながら同意した。
「そうでしたね。あまりにも必死に頼まれたので、断ることも出来なくなってしまいましたよ」
そしてそのまま今までこの学園で教鞭を振っていた、ということなのだろう。更に校長先生は、そういう意図を持ってエンシェントを門番にと願い出たらしい。
ヴァルサザーやベネゼフの補足も加わると、どうやらエンシェントの年齢ならドラゴン族の長をやっていてもおかしくはないのだという。
一瞬、ドラゴン族の長って世襲制じゃないのかと不思議に思ったら、どうやらドラゴン族は、魔力の高い者・人生経験が豊富な者・全体を見渡しそれらを贔屓なく統制できる者、であることが条件なのだそうだ。
よって、世襲制ではなく王としての気質のある者が王となる、ということらしい。王と付いていても、実際には王族ではないのだという。
総合的に見ても、エンシェントは魔力・人生経験・統制力すべてを兼ね備えており、現在の王よりも古くから生きているという事実を加えれば、本来は彼が王になるべきはずなのだ。
しかしエンシェントは首を盾には振らず、一戦から離脱した。
年齢的な問題から戦うことができなくても、指揮官レベル以上にいてもおかしくはないほどの才知を持ちながら戦闘に加担することを放棄し、一人隠居生活を営んでいたそうだ。
頑なに王への誘いを断る頑固な彼を校長先生は口説き落として一介の門番に…それを知ったドラゴン族は、勿論ながら不満を漏らした。
王になるべき器の人を門番だなんて、そりゃあ不満も当然である。しかしそれも、エンシェントの一言で納まった。自らで決めたことを誰に反対されても覆すことはない、と。
本来ならば王になるべき人のその一言に、揺らがぬ意志を通すことこそ我が誇りだ、と言われているようで、誰もが口をつぐんだそうだ。
いつも孫を見守るように俺達を見守ってくれている気の優しいエンシェントしか知らないから驚くけど、それが彼の信念なのだろう。
「学園の強化を図ってあらゆる手を尽くしたが、その甲斐なく150年前まで魔法使い達が失踪し続けた…」
苦渋に満ちた表情で重く語る校長先生。生徒を大切に思うからこその苦しみに、言葉を失ってしまう。
室内の空気も一気に重苦しくなって、しかし校長先生は話すことを止めなかった。
「150年前の最後の犠牲者の名は、ブライアン・ブラスト。君は知らないかもしれないが、ヴァンパイア族王家第二王子アシュリー殿下の臣下、ジョナサン・ブラストの弟なんだ」
アシュリー殿下の臣下…の弟ということは…
「奴はアシュリーが助け、その後ヴァンパイアになった」
「助けた?」
疑問を補足するヴァルサザーの言葉に更に疑問を口にすると、今度はベネゼフが解説してくれた。
「弟を探すために、魔族の領域であるヴェルーガ地区への出入りを許可された魔法使いの一人だったんだよ。でもね、まだまだ魔法使いとの蟠りが残っていた時期でもあったから、どうやら魔物に襲われたらしくて…ね」
苦笑を漏らしているところを見ると、どうやらドラゴン族側の襲撃だったのだろう。戦後50年前後じゃあ、長寿な魔族からしたらまだまだ古傷を忘れ去るには無理があったのかもしれない。
人の残虐性を前にしてきただろう彼等からしたら、その行動はまさに不可抗力の怒りだったのだろう。己の行動を諌めるには、あまりにも憎悪と恐怖が強すぎたのだ。
魔族の土地ということもあって気が大きくなっていたのだろうそのドラゴンに、ジョナサンという人は深手を負わされたということか。
「そんな時にアシュリーが現れたらしい。その頃のあの子はまだ色々と不安定だったから、外出なんて出来る状態じゃなかったんだが…ジョナサンを助けて以降、徐々に安定したようだ」
何故、という密かな疑問が湧いたが、なんとなく聞いてはいけないことのような気がして聞くのを止めた。
己の産まれた意味を捨ててまでも選んだ魔族としての生。しかしそれは、光属性であった彼にとっては計り知れないほどの葛藤を生み出すものだったに違いない。
人生をリセットした代わりに支払う代償は、決して安くはなかったはずだ。




