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聖獣の森を出て魔族ご一行様と合流した後、商店街に戻ってこの日のために親から貰ったお小遣いで思い思いの品を買っては嬉々として皆見せ合っていた。
家族や友人に送るための品だったり、ここまで遠出することもないからと自分へのお土産だったり、さながら修学旅行や社会化見学と言った様子だ。
そんな彼等の浮かれはしゃぐ姿を離れたところから見ていれば、隣から何かもの言いたげなニコニコ顔な人物が期待を込めて見つめてくる。
そんな穴が開くほどに見つめられても、生憎と俺は彼等みたいに大はしゃぎしたりしないんですが。
それを知ってか知らずか、アルテミス先輩は笑顔を引っ込め至極哀れだと言わんばかりの視線を寄越す。
「君の楽しみって、何なんだろうね」
君の将来が心配だと、心の底から哀れむような顔をしていることが物凄く腹立たしい。
そりゃあ、今のままだと本当につまらない人生を送りそうだなとは思っていたけど、あえてそれを指摘するにしても同情されるのは心外だ。
子供は子供らしくはしゃいだって構わないのだということは分かっているが、どうにも俺の性には合わないのだからしょうがない。
むしろ、ああいう子供らしさを目の当たりにすると冷静になってしまう性質なのか、いつもこういう場面では傍観者に徹することが多い。平たく言えば、興味がないということなのだろう。
勿論、このままでいいかと聞かれればノーではあるが…
「学生の間に楽しみ方を探すといいよ」
心の中を見透かし、彼は笑顔で言った。
こんな風にピンポイントな言葉を掛ける先輩に、人生経験の差がたった一年だとは思えない薄ら寒さを感じるのはいつものこと。しかしその言葉にいつも救われているというのが、なんとも気恥ずかしくももどかしい事実である。
商店街を出て町を見渡せる小高い丘の原っぱで昼食をとることになった。一応町にも学生達が座って食べれる場所はあるのだが、今日みたいに景色のいい日にはここでお昼を食べることもあるのだそうだ。
ただ、今日に限ってはそれだけではない気がした。何気ない様子でいくつかのグループで輪になってお昼を食べる生徒達の間を先生達は行き来するが、俺の目にはそれが見回りのような気がしてならなかったのだ。
警戒を怠らずにいるということは、これまでの一連の事件事故を楽観視しているわけではないのだということなのだろう。
今思えば、昨夜のヴァルサザーやベネゼフとの遭遇だって普通に考えれば有り得ない。確かに魔族は夜闇の中でこそ最も強い力を発揮し、闇こそが彼等の活動時間とも言えるが、それにしたって学園から程近いあんな場所にいるなんて明らかに変である。
それから導き出せる答えは一つだけ。彼等は今回の、特に『魔神の后土』事件に関して強い警戒心を示しているということだ。
魔族でありながら人間と共に共存していく道を選んだ彼等からしてみれば、あの事件での出来事は恐怖であったに違いない。
契約の魔物だけでなく魔王まで覚醒するなどという言葉は、迷信深い彼等ならば恐々としてもおかしくはないし、俺ですら鳩尾の辺りがもぞもぞほどだ。
魔王の復活なんて信じているわけではないけど、本能的な部分から発せられる警報を止められない。
何かが起ころうとしている。それだけは間違いない。
確信めいた考えを抱いていたら、背中を下から撫でる様な身の毛のよだつ悪寒を感じて身を硬くすることとなった。まるで何かに見つめられているような、何処からともなく向けられる視線に全身に鳥肌が立つ。
正直な気持ち、この視線の正体なんて知りたくもないけど、このまま何事もなかったかのようにやり過ごすには少々気味が悪い。
意を決して左側に視線を流して確認するが、誰も俺を見ている様子はなく安心する。次は右側…と流した視線も、俺より少し高い位置からのにっこり視線に気付いて気が抜けた。
まさかとは思うが、あなたの視線だったのか…
脱力し溜め息を吐く姿をどう思ったのか、アルテミス先輩は相変わらずな真意の読めない笑顔を向ける。
「期待を裏切ってしまったようで悪いね」
俺の中で殺意が揺らいだ。どうやって報復してやろうかと、普段なら決して思わないような考えが頭を過ぎったが、まるでそれを見計らったかのようにタイミングよく比較的近くから疑問の声が発せられ、その考えはすぐに終了する。
「あれ? 皇凛くんは?」
蒼実の疑問系に、始めて自分の周りが物静かだったことに気が付いた。普段なら皇凛の騒がしい声が聞こえてくるはずなのに、それがしばらく聞こえなかったことにはっとする。
こういう場合、大抵は問題行動をしている可能性が高いのだが…
「あいつはまた、どうして…」
怒りを通り越してうな垂れていると、心底哀れむようなアルテミス先輩の慰めの言葉が降って来る。
「本当に、心痛が耐えないようだね大介」
まったくだ。俺の平穏を脅かしているのは他でもない、俺の周りの人達で、そのブラックリスト上位は間違いなく皇凛とアルテミス先輩と宮田先輩である。
そこにあえて順位をつけるならば、皇凛は堂々一位を飾るだろう。頼むから大人しくしていてはもらえないだろうか…
ガックリと肩を落として頭を抱える。胃だけじゃない、頭も痛くなってきた。
絶望する俺に、アルテミス先輩は背中をトンと叩いて一言。
「ご愁傷様」
本日二度目の殺意再燃である。
放って置くわけにも行かず、先生方に皇凛の奇行を報告すると迅速に対応してくれた。使い魔の力を借りて辺りを探し、皇凛と李先輩の行方を捜してくれる。
そこではたと、あることを思い出す。それは今朝方の会話の中に出て来たもので、思ったら即実行な皇凛ならやっていそうな行動で…
同じことを考えていたらしいアルテミス先輩と目が合い、本当にどうしようもない子だと言いたげな表情で眉尻を下げた。俺達の推測が正しければ、皇凛は崖に向かっているのではないだろうか。
推測に確証はないながらも、一応先生方に断りを入れて崖の方へと向かう。
人手が足りないこともあって捜索することに一応許可は頂いたが、その際危ないからと、シュレンセ先生の使い魔を渡された。それで許可が下りるほど、マオは実力のある使い魔なのだ。
愛らしいお姿ながらも決してリスらしい仕草をしない落ち着き払ったマオを肩に乗せたまま、俺達は崖に到着した。
そう言えばこの崖は、昨日の皇凛達捜索の真上じゃないかと気付く。よく見れば、あの湖からもほど近い。とはいえ、500メートルは離れているけど。
「ここって、フランティは自生してるんですか?」
「たまにね」
「でもここにはドラゴンはいないですよね? 採取したとして、効力的にはどうなんですか?」
「まぁ、五分五分ってところかな」
それでなくとも貴重で、ましてや咲いているかどうかも分からないのに五分五分とは、それでも皇凛なら来てしまうだろう。思慮するよりまず行動、な行動力には脱帽である。
別に褒めているわけではない。
二手に別れた方が早いと思いアルテミス先輩と別れて探し回るが、足元に気をつけないと突如木々の間から崖登場、なんてシャレにならない。
そういう不測の事態を考慮しての監視や保護の意味を持つ、シュレンセ先生の使い魔・マオ。とは言え、不測の事態なんて俺自身が最も遠慮したいものである。
足場を確認しつつ木々を掻き分け進んでいくと、不意に体を伏せていたマオが身を乗り出した。その変化に気付いて視線の先を凝視すれば、崖から下を覗く見覚えのある背中を発見。
恐々としながらも下を覗き込むその姿は、見間違えようもない人物の背中であった。
すぐにでも意識をこちらに向けて引き摺り寄せたいが、この状況で声をかけるのは非常に危険だ。
何せ奴は、四つんばいのまま下を覗き込んでいる状態。声を掛けた途端に手を滑らせて落下…なんて情景は、出来れば見たくない。
驚かせないようにするにはどうすればいいか。一番いい方法は気付かれないようにそっと近付き、羽交い絞めにして引き寄せるという作戦だろうか。
しかしこれも、相当に危険を伴いそうなのだが…
結局は羽交い絞めではなく、皇凛の片手を掴んで引き寄せる作戦へと変えることにした。ただ、全力で引き寄せないといけないだろうけど。
抜き足差し足忍び足…一体何処の泥棒だと内心溜め息を吐きながら、皇凛の背後へと回る。皇凛の左手を両手で掴み、倒れるようにして後ろへと引いた。
こけるのも構わず引いたせいで、脳天を駆け抜けた痛みに言葉が詰まる。一瞬遅れで、お尻が痛くなったのは言うまでもない。
そんな苦労を伴った俺に対して皇凛は…
「びっくりしたぁ~」
己を犠牲にして助けた結果がこれかよと、怒りとも呆れとも取れない感情が湧いて来る。お前一体どういうつもりだという恨みがましい視線を受けて、皇凛はシュンとした。やはり、怒られることは分かっていての行動だったようだ。
分かっていたなら自重してくれよと言いたかったのだが、突発的に発生した竜巻のような突風に煽られ、崖から1m以上は離れていたはずの体が崖へと飛ばされた。
まるで衝撃波のようなそれが去った頃、俺の体は信じられない速度で落下していく。
叫びに誓い誰かの声が聞こえた気がしたが、確認する暇はなかった。
あまりにも現実味のない事態に全てがスローモーションのようで、視界に捉えたマオが、まるで見えない壁に阻まれたように青白い静電気に押し返され上へと弾かれて消えるのが見えた。
使い魔は、肉体の年齢を有することのない精神体。主の年齢に伴い魔力も実力も増大することを思えば、そんなマオが俺から離れてしまうだなんてどういうことだと、妙に冷静になる。
不思議と、落下しているという事実を客観視して受け止めている自分がいた。それでも体に叩きつけてくる冷たい風の存在には否応にも気付かされ、頭を下にしたまま体は回転して崖と空と森とを何度も繰り返す。
それしか映らなかった視界に、一瞬だけがくをピンク色に染めた花が見える。
ゆらゆらと、俺とは隔絶された時間の中で優雅に咲き誇る花を捉えたのを最後に、視界は真っ黒に塗りつぶされた。




