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最悪な未来が確定した俺の足は非常に重いが、幻想界散策を参加拒否はできないので行かなくてはならない。注意事項を聞いて、先生方の後について行く。
本来ならば整列して向かうべきところをサンダース先輩経由のアルテミス先輩の説得によって、今回も学年混合である。気まで重い…
「今年の散策はドラゴン族も全面的に協力してくれるらしいよ。おかげで午後の上空散歩は彼等の背に乗って行うから楽だね」
楽しみだねと言われるが、俺は全然楽しくない。去年までの方法で全然良かったではないかと思わずには居れない。
いい加減、ストレスで胃に巨大クレーターが出来てしまいそう。俺が見る限り、この学年混合散策の恩恵を受けている人間の方が僅かのようだが…
さっと辺りを見渡した限り、この自由すぎる団体行動に溜め息が漏れる。だって、ほとんど同学年で行動してるんだよ。この人等ぐらいなんだよ俺達と歩いてるの。
「お疲れのようだね。昨日は寝付けなかったのかな?」
「別に、そんなことはありま」
「だろうね」
途中で遮り、断定的な肯定で微笑むアルテミス先輩。分かってるなら聞くなと言いたい。
反論したいが反論できないのは、アルテミス先輩の策略に嵌ったとはいえ、皇凛の言動を規制し監視するという役目を担ってくれと言ったも同然となってしまったからだ。
アルテミス先輩の言いなりになるしかない未来がいずれ来る、という恐怖を抱えながら、黙って浮かれ気分なアルテミス先輩の相手をする。
「僕はなかなか寝付けなくて困ったんだけど…大介はすぐ寝ちゃって、つまらなかったよ」
「いつまで起きてたんですか」
「君が寝付いて二時間ぐらいは起きてたかな」
そんなにまたなんで、とか聞いた方がいいのだろうが、いや聞きたくない。聞いちゃいけない気がする。単純に、枕が合わないと寝れないとかいう回答ではない気がするから。
「僕も男だからね。好きな子と同じ部屋でぐっすり寝れるほど、図太くはないんだ」
好きな子という件は聞き流そう、うん。この人の恋愛観がどこまで本気なのか分からないし。どことなく、からかわれている気がしないでもないから。
聞き流していればこの話は終わるだろうと踏んでいたのだが、先輩は饒舌だった。
「夜まで一緒に過ごせるチャンスって中々ないし、いい機会だと思ったんだよね。それで好きな子に惚れてもらえれば万々歳だし。むしろ絶対に惚れさせてみせるし」
最強の微笑と共に、なんか怖い宣言をされた。俺が聞き流した好きな子という部分もしっかり主張して、その目はターゲットを捉えているようだ。
中学生にして既にハンターなのかよこの人、と怖くなる。てか、こういうことを屈託なく言えてしまう末恐ろしさに引ける。日本人の奥ゆかしさとか謙虚さとかそういうものが、無性に恋しくなる出来事だった。
幻想界散策の最初の目的地は、幻想界一の賑わいを見せる商店街を抜けた先の聖獣の森だった。ここは幻想界でも聖地として崇められているところで、邪悪な者は入ることが出来ない。
故に、魔族であるヴァンパイアのラクター先生やアルスター先生は入れず、森の入り口で両名とは別れることとなった。
あの二人が仲良く待てるとは思えず一抹の不安を抱いたが、その時になって始めてヴァルサザーやベネゼフが人型になって引率について来ていたことを知りほっとした。少なくとも、険悪な彼等二人きりという状況は免れたからだ。
聖獣の森には、ユニコーンやフェニックスやグリフォンやペガサスやケンタウルスなど、比較的人に好意的な聖獣達が住んでいるが、ほとんどが人前には出て来ない。それ故、ここでの散策は専ら聖獣の森にしか生息しない野草などの観賞がメインである。
その間俺は、皇凛が勝手に野草を取って持って帰らないように、文字通り首根っこを捕まえていた。非常に歩きにくそうに恨めしげに見られたが知ったことではない。
散策ももう終わりというところで、蒼実は森の奥に視線を向けて動きを止める。
「蒼実? どうかしたのか?」
「うん。あそこに、ユニコーンがいるなぁって思って…」
「え!? ユニコーンだって!?」
蒼実の呟きに、嬉々とした表情で身を乗り出す皇凛。首が絞まるのも構わず急激に動くものだから、首根っこを捕まえていた手は外れてしまう。
やばいと一瞬慌てたものの、居場所が分からなかったのかその場から離れる様子はない。ただし…
「ねぇ蒼実、どこ!? どこどこどこどこぉ!?」
「うるさい」
「痛ぁ!!」
あまりにも煩く喚くものだから、ついついバチーンと小気味いい音が響くほど力を込めて叩いてしまった。思わず手が出てしまったことに、李先輩の手前まずいと思ったのだが、どうやら皇凛の反応にオロオロするばかりで俺へのお咎めはないようだ。
しかしながら暴力はよくない。実際俺の掌は痛いし、当たり所が悪かったのか骨に響いているし。
掌をじっと見つめる俺の行動に、皇凛は文句を垂れた。
「もう! 後悔するなら叩かないでよ!」
「叩いたことは悪かったが、叩かれるようなことをしたのも事実だろ」
静かにしろと先生に言われていただろうがと強く反論すると、皇凛は李先輩に甘えて拗ねた。李先輩はそのことに喜びつつ、抱きついてくる皇凛にどうすればいいのか分からずあわあわしながら慰めている。
お熱いようで何よりですねぇと早々に視界から外すと、お隣から大きなボソリが。
「好きな人に一度はされてみたい甘え方だよね」
そんな恐ろしいことを世にも恐ろしい人に出来る人がいたら、その時は是非とも紹介して下さい。俺はその人を全力で褒め称えさせて頂く。
とにもかくにも事の発端である蒼実の見つめる先を目を凝らして見てみる。すると、遠慮がちに小さな白馬が近付いてきた。
警戒心の強いはずのユニコーンが、一歩一歩何かを確かめるように近付いてきて、それを周りの生徒も息を潜めて静観する。
ユニコーンに会った時の対処法として、決して近付いたり逃げたりしてはいけないと教科書には書いてあった。
理由としては、自分達は無害ですよというアピールをすることが礼儀だからとされている。しかしそれを怠れば、時として聖獣なれど襲い掛かってくることがあるのだそうだ。
姿形は馬なのだから、そのおみ足で蹴り飛ばされれば一たまりもないことは明白である。
近付いてきたユニコーンは、真っ直ぐに蒼実に近付いて行き、匂いを嗅いだり服を食んでみたりと、蒼実を確かめる素振りを見せる。その姿はまるで、二人だけの世界…
言ってみれば、俺達は漫画などで背景に同化する顔のないただのモブである。
にしても、ユニコーンは乙女にしか触れない聖獣だと聞いたのだが、何故…
チラリと蒼実の横顔を見て、妙に納得した。性別上では男だが、確かに乙女だったなと思い出す。
怪しげなとある薬によって、彼は今、男でありながら乙女なのだ。触れて当然だったかと感慨深くなっていると、横で二人は戯れ始める。
ロイドの逆鱗に触れやしないかとヒヤヒヤと見守りつつ、いつまでこの動けない状況のままでいればいいんだと思い始めた時、ユニコーンの視線が俺に向く。
思わず、何ですかと通じるかもわからないのに聞きたくなったのだが、何処からともなく凛とした声が響き渡ったことでこの戯れの時間は終了する。
「ブランシェ、何をしている」
声に逸早く反応を示したのは、今の今まで蒼実と戯れていたユニコーンだった。ピクリと耳を動かし、声のした方に首を傾ける。
その視線の先には、目の前のユニコーンの倍はあろうかというほど大きなユニコーンがいて、漆黒の青毛のブルーアイで見据えていた。
一言で言い表せば、いい筋肉である。サラブレットの平均が400kg前後だとすると、このユニコーンは500kgを有に越えているように思う。それをあんな人の足よりも細い4本足で支えているのだとすれば、あの筋肉の盛り上がり具合も納得がいく。
野性でしかもこんな足場も悪く高低差の激しい場所で生活しているのだから、鍛え上げられていて当然だ。
そんな微妙な感想を抱いている間に、白馬のユニコーンは躊躇いがちに黒馬の方へと足を向けていた。
「ごめんなさい、父さん…」
…ん? 今、誰がしゃべった?
父さんと呼ばれる人を探して目だけで辺りを見渡したが、一向にそれらしき人物は発見できない。そんな俺の動揺を感じ取ったのか、アルテミス先輩が声を潜めて教えてくれた。
「ユニコーンも、魔力が高いとしゃべれるんだよ」
マジですか。そりゃあドラゴン族だって、魔力が高けりゃ人型になれるけども……って、そういうことか。
聖獣の中にも、言葉を話せるものがいたって不思議ではない。なんたってここは、魔法の世界だ。魔力と実力さえあれば、どんなことだって出来る世界なのだから。
じゃあ、と目の前のユニコーン達を見てみる。白馬のユニコーンに厳しいお叱りを加えたのはお父さんで、白馬の方はブランシェという名前なのか。
しかし、相当魔力が高くなければあんなに小さな子馬がしゃべるものだろうか?
そう言えば、昨今は全体的に出生率が低下しているため何処の子供も魔力が上がっているのだと聞いた。彼等もその一例なのかもしれない。
かく言う俺も、その経由で魔力が高くなって生まれてきたのではと言われたことがあるし…
嫌なことを思い出したなぁと思っていたら、違う方面から声が響く。
「そう責めるでないよ、ウルヴォロス」
俺達よりも一歩前へ出てそう口にしたのは、校長先生だった。微笑を絶やさず礼儀として胸に手を当て一礼して見せると、向こうも一歩前へ踏み出し頭を垂れて挨拶する。
これが正式な挨拶のやり方で、己よりも位の高いものに対しては更に、昔の英国式並みに忠誠を誓う臣下の如く片膝を地に付けて頭を垂れるのだ。
勿論ユニコーンも、己より身分が高い相手に対しては最上級のお辞儀をしてみせるという。しかし今のは、対等な相手に対する挨拶だったようだ。
ウルヴォロスと呼ばれたユニコーンは、厳しい口調のままに校長先生に言い放つ。
「人と我々では違う。口を挟まないでくれ」
「しかし、厳しくするだけが教育ではないよ」
「人の危険性を教えるのも、大人としての我々の仕事だ」
一歩も引く気のないウルヴォロスの主張に、校長先生もやれやれと困った笑みを浮かべる。
一瞬、ウルヴォロスは人間嫌いなのだろうかと思ったが、それにしては俺達に対する険悪な雰囲気は一切見せない。
しかし、一定の距離を保ってそれ以上近付いては来ないことから、嫌ってはいないが隙は見せない、ということらしいと推測する。
そこへもう一人、シュレンセ先生が歩み出てお辞儀をした。
「お久しぶりです、ウルヴォロス。元気そうで何より」
「シュレンセ殿、貴方もお変わりないようで」
シュレンセ先生のお辞儀は校長先生のしたものと同じものだったが、ウルヴォロスの方は最上級のお辞儀である片足と共に上体を後ろに引いて頭を垂れるお辞儀をした。これが、目上に対する最上級のお辞儀である。
やはり、長年生きているシュレンセ先生に対しては誰もが敬愛の意を示すんだなと改めて気付かされた。
シュレンセ先生は、彼の教育方針を否定しないものの、諭すように言う。
「貴方方の教育方針には口を挟む気はありません。それが貴方方が生きて来た間に培った伝統なればこそ、それを否定はしません。けれど、何がいけないことなのか、身を持って気付くこともまた経験です。その身に降りかかってからでは遅いのも分かってはいますが、もう少し彼等の言い分も聞いて上げて下さいね」
「寛大なるお言葉、胸に止めて置きます」
そう言ってもう一度お辞儀をした後、彼等は森の奥へと消えて行った。
その刹那、ブランシェはこちらをもう一度何か言いたげに振り返っていたが、すぐにウルヴォロスの後を追って去って行った。
父親への敬愛とそれを越えるほどの好奇心の間で、彼もまた揺れ動いているのだろう。多くを知れば知るほど、広い世界に憧れるのは当然。
彼のもの言いたげな瞳の奥の本心に、思いがけず触れてしまったようで感慨深くなった。




