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満開の桜が咲き誇り、新学期に胸躍らせる学生達を祝福する。春風で舞い散る花びらは、実に風流である。
「ねぇ、見てよあの人。特別クラスの制服着てるよ」
「うっそ…何の取り得もなさそうなのに」
とか現実逃避しても、この視線の痛さと悪口が聞こえなくなることはない。本当に溜め息が出てしまうような現実ではあるが、これもいつもの風物詩だと受け止めるしかないのだ。
それもこれも全て、こんな御大層な学園に庶民兼取り柄なしの俺がいることがイレギュラーな訳だから。
彼等のスルースキルを期待したって無駄だってことはこの一年で分かり切っているし、仕方がないから俺の方がスルーするしかない。そうやって聞えぬふりして毎日登下校している俺って、実に偉いと思うよ。って、自分で言うものなんだが…
こういう嫌味を言ってくる奴等とクラスメイトってわけでもないし、多少は気にかかるが、特に気にする必要もない。特別クラスの連中は、ここの奴等みたいに差別しないし、普通に俺のこと受け入れてくれている。
むしろ、そうじゃなかったら間違いなくこんなところに通ってない。
因みに彼等の言う特別クラスとは、ちょっとばかりだけ過大評価されているだけの極々平凡な普通のクラスだ。
ただ、そこに通っていたOB、OGの世界的功績が広まりすぎて、世界の優秀な人材の巣窟だと思われているだけであって…ホント、迷惑極まりない話である。
正直、俺がこんな目に合うのもそういった付加価値に釣り合うほどの美貌の持ち主ではないのに何故っていう、彼等の狂信的な理想像の暴走によるものなのだ。
ていうか美貌って…学校に通うだけなのに不釣り合いな単語だけどな。
まぁ確かに、特別クラスに通っている人間は、誰もが見目麗しいということは否定しない。けど、別にそれは特別クラスだけの特殊な例ってわけでもないし…と考え事をしていたら、いきなりハイテンションな人に進路妨害された。
「だぁ~いちゃん! おっはよ~う」
…うん、俺とのテンションの差は天と地ほどもある。
この、朝から俺を憂鬱にさせるほどテンションの高い人の名前は、宮田基春先輩。ドゥルーシア学園の特進クラスに籍を置く、三年生だ。
何この人って感じのこの先輩は、空気の読めないテンションの高さと、ここの学園の生徒たちが大好きな美しい美貌の持ち主にして、優秀な才能を持つ人物だったりする。演技力に置いては右に出る者がおらず、一目その演技を見た者を虜にすると言われているらしい。
確かに彼の演技力は素晴らしいけれども、演技力で右に出る者なら世の中探せばいくらでもいるはずであるし、上を行く人だっているだろう。そもそも演技力は他人と比べるものじゃないような気がするんだが…まぁ、周りが勝手に言っていることだから別にいいか。
実際、どこぞの世界的有名な舞台監督さんに褒め称えられたことは事実らしいし。
そんな先輩に、通せんぼされているわけだが、名指しで呼び止められているんじゃ無視できない。
「おはようございます。宮田先輩」
「ふむふむっ」
何様…と思わせる相づちだったが、反応するだけ無駄な気がして流すことにした。理解不能な言動に一々反応を示していたらこっちの精神がすり減るだけだから。
挨拶も済んだしと、足早に学園へと歩いて行くのだが、当然のように宮田先輩はついて来てしまう。
「テンション低いよボーイ」
「俺、日本人ですから」
「無関心過ぎるよボク」
「これが俺の性格なので」
隙を作らないために間髪入れず返せば、取り付く島もないと溜め息交じりに言われた。申し訳ないとも思うし、先輩相手に大変失礼だというのは百も承知なのだが、ここまで拒否の姿勢を見せているのだからいい加減気付いてほしい。
俺とは根本的に性格が違い過ぎるというか、相手していると疲れてしまうというか…
まぁ、理由はそれだけではない。この人も所謂イケメンなので、この学園の生徒にとっては羨望の眼差しを向ける対象なわけだ。かくして俺はその逆の存在なわけで…自ずと、突き刺さる視線は悪意に満ちたものになる。
そんなこととは露知らずの宮田先輩は、つんけんした態度を誤解する。
「大ちゃん、お冠?」
反応を返さない俺を覗き込んでくる先輩。可哀相だとは思うが、彼の崇拝者達の視線の方が何倍もの破壊力があるわけで…無視決定。
なのに、どこまでも空気の読めない先輩は、いつまでも話し続けるのだった。
校門前まで、先輩の一方的な会話、いや語りは止まらなかった。そう言っている今現在も止まってないけど。
いやそんなことより、見間違えじゃなければ、校門のところにいるのは俺の友人達である。
猫っ毛な細い亜麻色の髪と、清楚で儚げな乙女のオーラを纏う、今時珍しい無垢で可憐な美少女…が、振り向きざまに、その美貌に見合う美しい笑顔を向けてくれる。
と、ここで一つ訂正。美少女ではなく、美少年である。いや、本当に美少女みたいな容姿をしてるんだよ彼は。
煌びやかな微笑みと共に手を振る件の美少年と、そのお隣でナイトの如く付き従う番犬…というか、狂犬。もはや、頼もしい人を超える殺人鬼の眼力で、乙女少年に鼻の下を伸ばす同級生達を牽制していた。
なんてことだ…出来ることなら、教室で会いたかった…
見目麗しい二人がここにいる、という状況は、正に妬み嫉みの理由を増やすだけである。容姿端麗な彼等に囲まれる平凡の末路を、皆ちょっと軽視しすぎだと思う。俺への悪意を更に強めるだけだというのに…お前等、俺を死刑台へ送る気なのか。
しかし、殺人鬼のような目つきの外人に睨まれた哀れな彼等が、その余力で俺への憎しみにすり替えることは無理だろう。戦意喪失した彼等を見ていると、とても素直には喜べないけどな。
暢気におはよう、なんて言ってくる美少年、蓮見蒼実と、そのボディーガードの狂犬、ロイド・ディスカンス。ロイドの完全無視は今に始まったことではないが、蒼実とは完全に目が合ってしまっているので目的は俺、なんだろう…
観念して彼等の近くへと向かう。
「おはよう蒼実、ロイド」
俺の挨拶に、蒼実は再びの挨拶で返してくれるが、ロイドは牽制に忙しくて返さない。そもそも俺のことなどどうでもいいはずだからな。
今まで挨拶を返されたという記憶もないので別に気にしていなかったが、蒼実からしてみればそうではなかったらしく、ロイドを小突いた。正直、余計なことはするなと言いたいところだが、今日は思ったほど機嫌は悪くなかったのか、気だるげな低音でHelloと返してくる。
いや、前言撤回させてくれ。この人、たった今不機嫌になった。ただし原因は俺ではなく、お隣にいる宮田先輩に気付いて、だ。
挨拶を返した時点からして俺と視線が合ってなかったけど、俺のお隣さんが誰なのかを確認した途端、睨み殺さんばかりの目力に…いや、うん…君達、やるなら他所でやってね。
そもそも、なんでロイドが宮田先輩に対してこんなに険悪なのかというと、前に、蒼実以外の人間は皆敵だと言わんばかりにロイドは睨みを利かせていたわけだが、今まで誰にもそんな態度を取られたことがなかったであろう宮田先輩にまでそんなことをしたばかりに、興味を引く対象となってしまったのだ。
どんな態度に出るのだろう、というちょっとしたからかいのつもりで蒼実にちょっかいを出して構っていたため、それ以来ロイドの中で宮田先輩は敵と見なされた、というわけ。本当に馬鹿らしいこととは思うが、ロイドの方はどうあっても変えられないだろうから、宮田先輩の方が大人な対応でロイドをからかわなければこの場は丸く収まる。
俺としては嘆かわしい事実だが、そもそも宮田先輩の興味の対象は俺だった気がするので大丈夫だとは思うけど。認めたくない事実だけど…
爽やか笑顔で受け流す宮田先輩と、猛獣の如く睨み続けるロイドという異色な睨み合いが、俺達の頭上で起きていた。先輩、大人の対応をお願いします!
どうやらまだ、からかい甲斐のある人間としての興味からは外れていないようだ。気が重い。
神経をすり減らしてばかりの俺の耳に、殺伐としたこの状況下にあっても、容姿端麗な彼等という図式ですべて水に流しまえるギャラリー達の歓喜の声が聞えてくる。キャーだか、うぉーだか、歓声が飛んで実に煩い。それ以前に、俺の頭上で争うのを止めろよ。決して、決して君達より身長が低いことを気にしているわけではないんだけどな。平均身長だから気にしてはいないんだけどな。
平均より高いか、海外平均な人達の間に立たされると無様だから嫌なだけだから、と言い訳してみる。凹みかけたところで、彼等の愚かな戦いの張本人である蒼実の弾むような声がする。
「大介くん。今日は、とっても楽しみだね」
本当に楽しみだよと顔に書いてありそうな蒼実の笑顔に、一体何の話だと顔を顰めてしまう。いや、俺はこの状況を楽しめないよ? とか、蒼実の性格からしたら、そもそも彼等の戦いの意味にすら気付いていないであろうと思われるのに思ってしまう。じゃあ、一体何が楽しみだというのだろうか。
明日からって言うのならば意味は分かるけど…と、今日は特別何かがあるとは聞いてないけどなぁと思っていると、それを察したのか、蒼実は驚いた。
「え、今日が何の日か忘れちゃった? 僕、今日が楽しみで大介くんをここまで迎えに来ちゃったのに」
「へぇ…」
そうなんだ…と続けながら、やはり思い出せないなぁと思わず左斜め上に視線を向ける。どこの脳内検索にもヒットしないわけだが、本当になんでしたっけと首を捻る。終業式の時、半分ぐらい寝てたからなぁということぐらいしか思い出せなかった。
やっぱり記憶にありませんな俺に、蒼実は頬を膨らませながら言う。
「もうっ、本当に先生の話聞いてなかったんだね」
「先生、何か言ってたっけ?」
「うん!」
ロイド含め、世の男性陣を虜にする無邪気な笑顔。その笑顔で囁いた秘め事は…
「今日はやっと……使い魔召喚が出来るんだよ」
使い魔、ですって? ちょっと君、いくらメルヘン好きだからってそれはちょっと……とか、言えたらよかったんだが。
そう、特別クラスに入れる人物とは、生まれながらに特殊な能力に恵まれた……魔法使いや錬金術師だけ。どこが普通のクラスだよって話だが、そこは俺の願望と現実逃避を込めていたわけで…
「それにね。今日から薬学に新しい先生が来るんだって! 本当に楽しみだね」
あぁ…非化学的な非現実が、俺の脳を侵食する。夢なら今すぐ、醒めてくれぇ…