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彼等に付いて走るという、日本人の規格の足では土台無理な状況下で辿り着いたのは、何の変哲もない壁だった。
ここだ、とサンダース先輩が息も上がらず言ったその横で、俺は壁に手を付き肩で息をする。心臓が死ぬ寸前だ。
「おい大介、大丈夫か?」
「まぁ…なんとか」
「体力がないんだね。困ったなぁ」
あなたが何で困る必要があるんですかとか、わざわざ突っ込みませんからご安心を。
それよりも、皇凛達のことを優先させなければいけない。しかしながらそこには、壁しかない。
「ここが抜け道? ただの壁じゃないですか」
ただ一つ不思議な所があるとすれば、まるで何らかの絵が置いてあったかのようにそこだけ日焼けしていないということぐらいだ。それ以外に不審な点は見当たらないのだがと思っていると、まぁ見ててとアルテミス先輩は壁に手を付いた。
ぱぁと壁が発光し、色褪せていなかった部分が人一人通れるくらいの穴へと変化する。アメリカドラマとかでよく見る、通気口みたいな大きさだ。
「こんな仕掛けがあったなんて…」
「驚いただろう? 僕もね、先輩に教えてもらうまでは知らなかったんだ」
「でも、手を置いたくらいで通路が出たんじゃ、誰にでも出現させられちゃうんじゃありませんか?」
そう問うと、アルテミス先輩はふっと笑って問い返してきた。
「本当にそう思う?」
問い掛けに問い掛けられても困るのですが。何とも言えない顔になっていたのか、アルテミス先輩は愉快そうに笑い答えは教えてくれなかった。
教えてくれないのかよ。別にいいけど。
サンダース先輩を先頭に、アルテミス先輩、俺とその中を這っていくと、少しずつ末広がりに通路が大きくなると同時に月明かりが差す。
スパイ映画さながらのほふく前進がだいぶ楽になったところで、サンダース先輩が振り返り、段差があるから気を付けろよと言って通路から外へ出る。
それに倣うようにアルテミス先輩も降りると、アルテミス先輩は気を使ってか抱えるようにして外に出してくれた。
しかしこの体制、子供を抱え上げるような形である。…俺は平均的身長ですから!
そんなことよりもですね…
「いつまで、抱えたままなんですか?」
「ごめんね。軽かったものだから、つい」
ついで抱きかかえられていたくはないですよ。しかも悠々と抱えられていたわけで…男としてのプライドがボロボロである。
そんな俺達を見て、部屋着のままでローブを着ていないうえに湯冷めで寒そうに腕を擦っていたサンダース先輩は世にも恐ろしいことを言ってくれた。
「お前等が必要以上に仲が宜しいのは、よぉ~く分かったから。寒ぃし、さっさと脱走犯を探すぞ」
「…突っ込みどころはたくさんありますが、前者は撤回して下さい」
アルテミス先輩に地面に降ろして貰いながら指摘すると、アルテミス先輩は本当ににっこりと月をバックに微笑んだ。
「どうして後者じゃないのかな?」
その笑顔が怖かったから、見てない聞いてないを貫こうとそっと視線を逸らす。圧力が凄い…
俺達のそんな問答など聞いていないサンダース先輩は、辺りを見回してここが何処かを確認していた。
「ここ、西の森の崖下か」
「そうだよ」
「そうなんですか? 俺には、ただの崖下に見えますけど」
「まぁ、幻想界じゃあこんな場所いくらでもあるけどな」
「僕達は昔、ここで遊んでいたことがあるからね。だから分かるんだ」
そうなんだと思っていると、急になんだか分からない既視感に襲われ辺りを見渡した。それは本当に一瞬だけ過ぎった感覚で、俺自身もなんだったのかは分からないけど、こういう違和感が気味の悪いものであることは間違いない。
俺の異変に目敏く気付いたアルテミス先輩が、不思議そうな顔で聞いてきたけど、なんでもないですと言うしかなかった。とにかく早く、皇凛達を探さなくてはと、二人を急かした。
なんとなくだが、ここには何かある気がする。幻想界に来る前の俺なら、間違いなく見ていただろうアレの前触れである既視感を感じるから。その前触れとは…予知夢。
ここに来る前からなくなってたけど、まさかぶり返したのだろうか。いや、だからと言って必ずしもそうとは言えない。
だってこういうものは、大抵の人が味わう感覚で、別段得意な現象でもなんでもないのだ。だから気にすることじゃないと自分自身に言い聞かせ、先輩達の後を付いて行った。
それからどのくらい経った頃か、俺達は遠くに気配を感じた。その気配が何か分からないまでも、ここが既に夜間禁止区域に指定されているところであることは間違いない。
特に『魔神の后土』の事件以来、ここら一帯の一般人の立ち入りは禁止されているはず、なら何がと嫌な予感で肝が冷えていると、森の中の開けた場所から声が聞こえて来た。
しかも、それをしゃべっているのが赤い鱗のファイヤードラゴンと黄金の鱗のキングドラゴンだったことにも驚かされる。二頭は、俺達に背中を向けるようにして話していたが、そのうち何かに気付いたように俺達のいる茂みの方を見て、ゆっくりとした歩調で近づいて来た。
「おや、坊ちゃん達。こんなところにいるなんて、魔物に襲われても知らないよぉ?」
茂みを覗き込むようにして上から俺達を捉えたキングドラゴンは、獰猛な瞳で微妙に口を開いたまま蠱惑的な猫なで声で人語を話した。
鼻息が掛かるほど近くに近付けた口の奥からは、小さくゴロゴロと喉が鳴っているような響く唸り声が聞こえてきて、まるで品定めするように鋭利な瞳で見つめたり匂いを嗅いだりしながら、脅すつもりか時々顔の直前まで牙を剥いて噛み付くパフォーマンスまでする。
先輩達はさすがにそれに動じず目も逸らさなかったが、俺はそうはいかなかった。驚いて一瞬身を引いて見せた瞬間、キングドラゴンはそれを目を細めて眺めた後、そのまま俺の方へと顔を近付けその大きな口を開けて迫って来る。
このまま喰われてしまうのだろうかと、とても目を開けたまま見ていられなくて瞑ると、怯えた俺の耳に、くくっと笑うキングドラゴンの声が…
なんだろう、と思って恐る恐る目を開けると、首を引っ込めたキングドラゴンは、先程よりも目元を和らげ優しげな口調で謝罪した。
「驚かせて悪かったねぇ。だが、禁止区域に入る方が悪い。我々でなかったら、あのまま喰われていかもしれないぞ?」
「だからって、何も脅すことないだろ? ベネゼフ」
「そうですよ。大介なんてほら、こんなにも怯えて…」
とか言いつつ許可なく抱きしめてきたアルテミス先輩。それを振り払うことも出来ず、疑問に思ったことを口にした。
「…お知り合いですか?」
「「そうだ(よ)」」
だからあの脅しに動じなかったのかと、なんだかちょっと尊敬した自分を恥じた。というか、そうだったなら…
「知り合いなら知り合いと、最初から言ってくれればよかったじゃないですか」
そうすれば無駄に怯えることもなかったのに、と不満を持っていると、キングドラゴンはそのことを思い出したかのように心底おかしいと言わんばかりに笑い転げた。
いや、実際には転んではいなかったが、首をしならせ仰け反ったりして、人間なら腹を抱えていただろう笑い声を出したのだ。
そんな、気高い一族でもあるドラゴン族の、とても気高くない姿に驚いていると、キングドラゴンの笑い声によって引き寄せられるように、左目の辺りを切り付けられた古傷を持つファイアードラゴンがやって来て一言。
「この、笑い上戸が…」
笑い上戸なキングドラゴン? まさか…だってキングドラゴンは、一番気位の高い一族だって…ドラゴン族の中でもとても高い地位にいて、すべてのドラゴン達の模範だって…
「気高い一族が…」
「頼むから俺をアレと一緒にするな」
俺の放心した呟きに、ファイアードラゴンは溜め息と共に言った。あなたの方が、ドラゴンらしいですね。
ファイアードラゴンなのに…
気性が荒く、プライドが高いファイアードラゴン。故に、気に食わないことがあればどんな非道なことも無慈悲に行なえてしまえる、残虐非道な一族だと聞いていたのに…
「皆さん、とても個性的なんですね」
内心ちょっと、引き攣りながら言った言葉。もう、この言葉で集約することにした。
ファイアードラゴンも、どこか遠い目をしているように見えるし、実はとっても不本意なんだろう。多分、一族としての生まれにちょっと自分でも嫌気が差しているんじゃないだろうか。
ファイアードラゴンに似つかわしくないその性格から、同じファイアードラゴンの悪行にほとほと困り果てているように見える。彼をひっそりと、心の中で応援してあげようと思った。
同情的な気持ちからそう思っていると、このことで忘れていた当初の目的を果たさねばということを思い出す。
「それより、皇凛達を探さないと」
「あぁ、そうだったな」
「そろそろ、本気出して探さないとね」
あなたまさか、今まで本気出して探す気なかったんですかと疑問に思ったが、時間の無駄なので心の中で思うだけにした。
とっても友好的なようなドラゴン二頭の前でそんな会話をしていると、やっと笑いが治まったらしいキングドラゴンが不思議そうに聞いて来る。
「なんだ。誰かを探しているのかい?」
「あぁ、そうなんだ。うちの好奇心旺盛研究大好き脱走犯と、それを溺愛している押しに弱い脱走犯をな」
やれやれといった表情で言うサンダース先輩に、キングドラゴンは至極愉快そうに言った。
「厄介な者を身内に抱え込んでいるんだねぇ、君」
「ホント、苦労が絶えねぇよ」
「ご愁傷様」
「心中、お察しする」
サンダース先輩の困り切った顔と掌を上にして両肩を上げるジェスチャーを見て、キングドラゴンはやはり楽しそうに、ファイアードラゴンは心から思っているようだった。相反する反応である。
そういえばと思い出し、今の話題には関係ないことだが一応目の前にいるからと、昨日拾ったファイアードラゴンの卵のことを言おうとファイアードラゴンに話し掛けようとした。
しかし、彼の名前が分からない。すると彼は、俺が何かを言いたげにしていることに気付いたらしく、名乗ってくれた。
「私の名はヴァルサザー・ミシュッフェル。こっちは…」
「ベネゼフ・デゼリフルだ。宜しくね、ちっさい坊や」
「…高崎大介です。宜しく」
ベネゼフさんの大きな手で頭を撫でられながら、コンプレックスである華奢さを指摘されたことに一瞬名乗るのを躊躇った。とはいえ、名乗らない方が失礼なので名乗っといたけど。
まぁそれはさて置き、昨日のことを報告しなければ。
「実は昨日、帰宅途中にファイアードラゴンの卵を発見しまして、今はシュレンセ先生が管理なさっているようです」
「あぁ、そのことなら聞いている。全くもって許しがたい事実だが、我々の一族は育児に意欲的ではないんだ。だからたまに、火山火口付近に置き忘れて他の捕食者に卵が連れ去られることもしばしば起こる。今回も、そういった類のものなのかもしれないが、何分彼等は卵が無くなっていても探しもしないから困っている。誰の卵かも、特定することは出来ないだろうな」
「そんな…じゃあ、あの卵はどうなるんですか?」
「もう少し、シュレンセ殿の元に置いて貰えたらとお願いしたところだ。私のように話の通じる相手なら、端っから苦労はしないんだが…」
言った後の彼の溜め息は深い。相当苦労しているようだ。なんとなく、共感出来るものがあると感じた。同じ苦労性として…
心の中でヴァルサザーに共感していると、その隣りでベネゼフは明るい口調で言った。
「君は、深く考え過ぎなんだよねぇ。もっとこう私のように、お気楽な人生を歩んでいれば」
「間違いなく一族の笑い者だ。それだけは遠慮する」
続く言葉を遮って、ヴァルサザーは断固拒否した。しかしそんなことは慣れっこなのか、ベネゼフは全く懲りてはいない。
「堅物過ぎて一族に犬猿されているのもどうかと思うがね」
「性質はどうあれ、性格は選べないからな。仕方がないだろう」
「じゃあ、私も性格ということで」
「貴様は竜騎団の団長だろう! そんな性格でどうする!」
竜騎団とは確か、人間で言うところの騎士団……え? その団長がこの人?
「何かの間違いでは」
ついポロリと本音を滑らせてしまうと、言われた本人であるベネゼフは一瞬俺を見て、豪快に笑い出した。また、ツボにでも入ったんだろうか。
そんな俺の視線の先で笑い続けるベネゼフに、ヴァルサザーは呆れた視線を寄越した。
「竜騎団も、お前の代で終わりだな…」
ドラゴン族が滅びない限りそんなことはないと思うが、ヴァルサザーの心配も最もだと思った。




