「光の洞穴亭」の文化
「イイ湯加減だろ? ふふ、アタシも浸かりたくなっちまうねぇ」
「ふへぇ!? だ、だだだだダメだよ、フィーリは女の子でしょ! 後でちゃんとお風呂行かなきゃ!!」
「なんだい、いいじゃないか。夕飯の用意は粗方終わったし、ムコカの下拵えする前に少し休ませとくれよ」
調理は明日するとはいえ、数が数。今日のうちに洗って乾かすだけでも、幼い体には重労働だ。
まったく……早く成長しないもんかねぇ。せめて中学生くらいのサイズになりゃ、できることが増えるんだが。
慌てるルフを後目に木靴を脱ぐと、膝丈のスカートをたくしあげた。
「よっこらせ、っと」
静かに盥に足を入れ、ワイン作りのブドウ踏みのようにチャプチャプとお湯を楽しむ。ルフの尻尾だけは踏まないように注意しないと。
じんわりと染み込む熱が、立ちっぱなしだった足に心地良い。イスを持って来て足湯にしようかとも思ったが、座ったら動くのが嫌になってしまいそうだ。
「あ…………入るって……そういう……?」
「アンタ、何してるんだい?」
水滴だらけの前足で目元を覆ったルフが、爪の隙間からチラチラとこっちを見ては困惑したように小さく唸る。なんだか知らんが、器用なヤツだよ。
「あー……いや、別に…………」
洗濯用の大きな盥もルフと一緒だと少し狭い。庭にビニールプールを出して息子達を遊ばせた時みたいな感覚だ。妙に懐かしい感覚にクスリと笑い、アタシはその白銀の背にお湯をかけてやった。
「ふはぁぁぁ」
ふせのような格好で浸かるルフが、気の抜けた声を出す。洗ってもらうのが気持ち良いのだろう。そのまま手櫛で毛を梳くと、猫のように喉を鳴らした。
まったく、ルフもあんちゃんもさ、すっかり風呂好きになっちゃってまぁ。お湯に浸かる習慣のなかったヤツらだとは思えないよ。
「無防備極まりない」という理由で入浴文化がなかった魔王領。どうしても岩窟温泉に入りたかったアタシは地道にお風呂を推奨し続け、「光の洞穴亭」に限ってはなんとか入浴文化を根付かせることに成功した。
だって地下に温泉湧いてんだよ? 入らない理由がない。まだ3歳だったあの日。初めてミョルニーと一緒に温泉に浸かったあの記念すべき日は、忘れられない。
「そういえば、ルフってなんで服着ないんだい?」
ふと思い出して訊いてみる。
アタシは飼い犬にカッパを着せて散歩する飼い主を不思議に思っていた方だから、ルフの格好を不自然だとは思わない。今朝出発してったノーム族のおんちゃんが首を傾げて眉根を寄せるのを、むしろアタシも首を傾げて見ていたものだ。
「……変、かな……。でも、オレ、人化できないし……母さんは服なんて着てなかったから……」
どうやら、人狼の村にはいろいろなヒトがいるらしい。
常に人型でいるヒトは衣服に思い入れが強く、逆に人化できない子犬達は衣服を着せても嫌がって咬みちぎってしまう。ルフの家は村落の外れ、山の裾にあって、母親は狩りから滅多に帰って来ず、野生に近い生活をしていたそうだ。
「……着た方、イイ?」
上目遣いにアタシを見るルフが、「きゅーん」と無自覚に喉を鳴らす。レトリバーより大きな図体なのに、甘えたがりの子犬のようだ。
アタシは思わず、ふふふと笑った。
「いいんじゃないかい? ドードさんが言ってたから訊いただけで、アタシは別に気にしちゃいないよ。アンタには立派な毛皮があるからね。アタシなんかよりよっぽどオシャレだ。最高の人狼だよ」
風呂に入るもヒトそれぞれ。服を着るも人狼それぞれってね。
……ま、服やら靴やら纏ってくれりゃ、着替えるだけで厨房にも入れられるから楽だけどさ。こうして盥風呂を汚すのもまた、楽しいもんさ。
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