フィーリとわだかまり
「おやフィーリ、お帰りなさい。女将さんの采配でようやくキト酒が出たところですよ」
食堂に戻ると酔っ払いの輪の中、あんちゃんがアタシにいち早く気付き、グラスを掲げて見せてくれた。
ほのかに琥珀色したキト酒は、かなり度数が高い酒だ。なのに、あんちゃんの顔はいつもとまったく変わらない。さすがウワバミ。
「良かったね。今日はもう間に合わないかと思ったよ」
「……どうしたんですか、フィーリ?」
「え?」
「浮かない顔、してますよ?」
まったく……あんちゃんにはかなわないね……。取り繕っても、必ずアタシの心の中を見透かしちまう。
「心を読む力でも持ってるのかい?」
なんとも言えない気分で苦い笑みを浮かべれば、
「まさか。フィーリへの愛がなせるワザですよ」
なんとも気の抜ける返事。
「あははっ! あんちゃんはアタシの気持ちを楽にするのがホント上手いねぇ。冗談でも嬉しいよ、ありがとね」
「冗談じゃないんですけど……」
「ははっ、そうかい? ありがとうよ。ところで、つまみの追加は要りそうかい?」
まさかこんな美丈夫がロリコンのわけがない。ガヴのあんちゃんはいつだってそうやってアタシにさり気ない優しさを分けてくれる。
涙が出ちゃうじゃないか……。
「……大丈夫そうですよ。みんな川蟹のカラスミをチビチビつまんではキト酒を舐めてる状態ですからね」
にこりと柔らかく笑うあんちゃんにつられて辺りを見回せば、確かに、食堂にはまったりとした空気が流れていた。
「んじゃ、アタシは朝食の仕込みを済ませちゃうかね」
あんちゃんに軽く手を振り、アタシは厨房から貯蔵庫へと入る。ひんやりとした貯蔵庫は、ドアを開けると中の照明が点く仕組みだ。
「光の洞穴亭」では基本的に、朝晩二食を付けている。もちろん、食事を希望しない客との兼ね合いを考えて、朝は角銅貨5枚、夜は丸銅貨1枚もらっている。お代わりはなんであれ一杯角銅貨3枚だ。
宿泊が丸銅貨4枚というだけで「安い!」と驚かれるのに、食事はさらに激安。とはいえ、森の恵みは仕入れ値タダだし、こちらの懐は痛まない。入湯料も角銅貨4枚貰ってるしね。
「ビータの実の粉末があるからタウロ乳で伸ばしてポタージュにして……」
オルニの卵は念願の玉子焼き……にするのはこの人数じゃ大変だから止めといて、やっぱりシンプルに目玉焼きかね。ビト肉の燻製があるから、それでベーコンエッグにしてやろう。
野菜はサラダで。生の葉野菜と茹でた根菜、ドレッシングはヤンヤ果汁とマヨネーズを混ぜたもの。
ホントはデザートにヨーグルトが欲しいけど……まだ量が作れないから明日は出せない。代わりに、お手製シリアルにカスタードクリームをたっぷりかけて出すとしよう。シリアルは刻んだ木の実やドライフルーツに、麦粉とミルクをまぶして焼いたものだ。オルニ卵とタウロ乳で作っておいたカスタードクリームは何かと便利で、シリアルにかけるとちょっと高級な雰囲気になる。
アタシは元々、お菓子作りが好きだった。ご飯よりお菓子を作る方が好き。……まぁ、結婚してからはお菓子じゃ栄養偏るから、頑張ってご飯作ってたんだよ、毎日さ。で、主婦生活続けるうちにレパートリーが充実した、と。今となっちゃ、料理の腕磨いといて良かったと心底思う。
「うん。あとは明日で大丈夫だね。皿は今夜もミョルニーが洗ってくれるし……」
「あ、あの……」
厨房をぐるりと見回した時、カウンターの向こうから声がした。随分と急いでお風呂から上がってきてしまったらしい。
「おかえり。さっぱりしたかい?」
「………………はい」
再びフードを深く被ったバールさんを、こちら側に招き入れる。ヒトが多いところじゃ気が休まらないだろう。彼女はアタシと違って、魔族に慣れていないようだ。
「ところで部屋割りはどうなったんだい? ご飯、部屋に運ぶよ。落ち着かないだろ?」
「あ……わたし、女将さんの隣の空き部屋をお借りすることになりました」
「あぁ、あそこか。大丈夫かね、しばらく使ってなかったが……」
ミョルニーの親族が来た時に泊める部屋。確かにあそこなら一応、寝具も揃っている。
「お掃除してくださるそうです」
まぁ、お嬢様もいろいろ覚悟で旅してるんだろうし、粗末な部屋でも野宿よりはマシ。大丈夫だろ。
「ご飯はじゃあそっちに運ぶよ。で、話ってのは? ご飯の後で、って言いたいとこだけど、アタシ、たぶんそこまで起きてらんないんだよ。ほら、お子ちゃまだからさ」
「あ、では……フィーリさんのお部屋にお邪魔して、食べながらお話させていただけませんか? 途中で眠くなったら寝ていただいて構いませんので……」
「……ま、それが妥当か。悪いねぇ、明日の朝も早くてさ」
アタシ…………嫌なヤツだ。これじゃまるで、話したくないって言ってるようなもんだ……。
別にバールさんを嫌ってるつもりはないのにね……。
…………アタシ、自分で思ってるよりもずっと、人間にわだかまりを持ってるのかもしれない。
生後すぐ捨てられた。たまたまその時から自我があった。自分が今し方転生したとわかってしまった。なのに、寒くて、痛くて、ひもじくて……命の危機を身近に感じた。それは、唐突に死を迎えた前世よりも明確で。だから……この世界の人間を理解できない。本能的に怖いと感じる。
「ところでバールさん。食べれないモノはあるかい?」
けど、それはアタシの問題。バールさんには関係ない。ここはミョルニーの理想のお宿だから。まずはアタシはアタシの仕事をまっとうしよう。
ようやく、「キリのイイところ」という感覚がわかってきました




