ローテンションクロさん
人間てここまで激しい落差を生めるものなのか。
……いや、むしろ、正反対だからこそ可能なのかもしれない。ボソボソと聞こえないくらいの音量で、陰気に答えるクロさんに、アタシは唖然とさせられていた。
「…………。………………ぃ……」
「……うん、アタシが悪かった。クロさんの事情も考えずに『胡散臭い』とか言って悪かったよ」
一言も聞き取れない。これならさっきまでのウザキャラのが、まだ会話できた。
「ホント、ごめん。クロさんが楽な方で……って今更だけどさ、頼むから、筆談にするか、さっきまでの熱血キャラに戻るかしてくれないかい」
まさかこんなことになるなんて……ハァ、アタシが考え無しだったのが全部悪い。まさかあの雄叫びキャラが、究極の陰キャを隠すためのものだったとはね……。
彼としても事情なりなんなり、何かしら訴えたいことがあるらしく、さっきから頑張って喋ってみてくれてはいる。ただ、聞こえない。喋ってるっぽい気配しかわからない。
「フィーリ。やっぱり諦めませんか?」
アタシより遥かに耳のイイあんちゃんがサジを投げるレベル。マジでムリ。
もはや虫の息……じゃなかった、虫の知らせ? でもないな……とにかく、読心術でも使えない限り、理解できないんじゃないかと思う。あ、ちなみに読唇術じゃダメ。口元ロクに見えないもん。
「…………」
しばらく悩んだ雰囲気だったクロさんが、おもむろに、用意された紙とペンを手に取った。そして、
「…………ちょ……っ待った! 待って……待って待って待ってってば!!」
何かを猛烈な勢いで書き始める。それはもう、思わずストップをかけるくらいの異常な速さだ。この一瞬で、すでに紙3枚が裏表真っ黒になっていた。びっしりみっしり細かい字で……。
うん、怖い。ドン引く。
アタシの、それなりに短くない前世……そしてミョルニーに拾ってもらって以来接客業に勤しんで来た今生。かなり多くのヒトと会って来たけど、ここまで扱い方のわからないヒトは初めてだった。
クセが強いなんてもんじゃない。もはや新種。「クロさん」って生物だと思った方がイイかもしれない。魔法のある世界だもん。新種の人類くらい発生するよね……うん、きっと。
カリカリ、カリカリ。
「……あぁ、ありがと」
そっと差し出された3枚に、溜息を噛み殺して目を通す。……眼球が若くて健康でホント、良かった。こんな細かい字、前世に何かの説明書で見たっきりだ。
「…………ってコレさぁ……」
すぅぅぅはぁぁぁ。
予想外もイイとこだけど……怒らない怒鳴らない。深呼吸して落ち着いて。
だってアタシには今から、多分、大仕事が待っている。いや、まず間違いなく。
「なんですかコレ。フィーリとボクの貴重な時間を無駄遣いしようとはイイ度胸ですね。今すぐ身柄の拘束と引渡しの連絡を……」
「あんちゃん、ドウドウ! アタシは平気だからさ。そんな怖い顔しないどくれ」
ほら! 予想通り堪忍袋の緒がもろくなったあんちゃんを止める、っていう大仕事が……
「平気じゃないです! フィーリの忙しさはボクとの結婚式を未だ迎えられないレベルなんですよ!?」
ん!? そこ!? って、え???
いや……相変わらずどこまで本気かわからない発言だが…………うん、まぁイイか。今更感が拭えない。
「こんな下らないことに費やす時間なんてありません。……あの腹黒メガネどこ行きやがった……!」
あんちゃんの口からあんちゃんらしからぬ言葉が飛び出した。気のせいだろうか……。うーん……ま、長い龍人生、いろいろあるよね。あんちゃんにだって思春期はあったろうし。ずっと穏やかだったとは限んないもん。
「ねぇあんちゃん? ……ほらっ、元々アタシがマシリの情報欲しさに押しかけたのが始まりだしさ。今日はホント、アタシ、仕事の方も大丈夫なんだよ」
落ち着けー、落ち着けー、と念じながら、すぐ隣にある大きな手の甲を撫でる。残念ながら背中はどっかり座った体勢のせいで届かないし、幾ら撫でやすい位置だからって、太腿やらお腹やらを撫でるのは自主規制。さすがに成人男子は、ねぇ。訴えられたら困る。
口調は努めてのんびりゆっくり落ち着いて。相手に呑まれてこっちまでテンションを迷走させると、落ち着くものも落ち着かない。ベテランママの知恵袋、だ。
「フィーリ……」
念が届いたのかテンションが急降下したのか、あんちゃんがふつりと大人しくなった。なぜか流れるように手を繋ぐハメになってるけど、まぁ、大人しくしてくれるのなら、それくらい問題ない。
コレ幸いと、アタシはクロさんに向き直る。
「これ、さ。うん……ウリの可愛さとか気の毒な境遇とかは、よくわかったよ」
そう。計6ページに渡りびっしりと書き込まれていたのは、ウリの売り込み文だった。
まさかまさか。これはアタシも予想外。
まさか「ウリの嫁に」発言が本気だったとは思わなかったし、さっきその発言を訂正してた気がしたのにまさかの売り込み再挑戦だし、そもそもピリピリしたあんちゃんの空気に気付いてないのもまさかまさか、有り得ない。
基本的に温厚なあんちゃんだけど、合わないヒトとはとことん合わない。それはたぶん、アタシへの庇護欲を無自覚にこじらせちゃった結果かな? とか思うから、責任を持ってフォロー役に徹するけど……魔族間では高名な龍人も、人間のクロさんには知られていないのだろう。あちらはあちらで無自覚に煽って来るから、アタシは間に挟まれてハラハラドキドキしっぱなしだ。
「クロさんがみびちゃんだけじゃなくウリも我が子として可愛がって来た、ってのもわかった。けどさ、だったら尚更、なんでに……魔王様に会いたくないんだい? 庇護者としちゃ、最強だよ?」
ウリを両親の仇でもあるディミヌエ一派の目から隠すには、兄さん以上の適任者はいないと思う。
マシリに隠れ住んでいれば兄さんの為人なんかわからないだろうから、ディミヌエ派との関係性を警戒していた可能性はある。しかし、そんな誤解はミスターがとっくに解いたはずだ。
「…………」
ウロウロとさまよった手がペンを掴み、
「短く! 簡単に頼むよ!!」
なんとか、書き出す前に注文をつけることに成功した。何か訊く度に百科事典のような文字群を延々読むハメになるのは勘弁だ。
「なになに?」
差し出された紙をあんちゃんと一緒に覗き込む。今回はパッと見、びっちり黒いのは半ページほど。
「……うーん……何から説明すればイイか難しいね」
半ページで「お、ちゃんと短い!」と感じるあたり、アタシの感覚は既におかしくなっているかもしれない。ハァ。
「ねぇ、兄さんてクロさんを人間に引渡したいわけじゃないんだよね? 知りたいだけ?」
まずは情報整理。アタシはあんちゃんを覗き込んで確認する。
少し考えたあと頷いたあんちゃんに御礼を言い、再びクロさんと向かい合った。
「ウリやみびちゃんと引き離される心配は今のところしなくてイイ。あんたを帝国に引き渡す利点が魔王領側にはないからね。もちろんさっきのあんちゃんのだって、冗談だ」
「…………」
クロさんは、自分が帝国から指名手配されていると知っていた。魔王に会いたくないのは、つまり、クロさんの保身のせい。それが紙面に飾られた言葉で書かれていた。
「てかさ、グジグジしてるんじゃないよ。あんた、この6ページ分の愛情は嘘なのかい? ミスターに説明されても尚、権力者がどうこうってウジウジしてさぁ、結局自分のことばっかじゃないか」
種族を超えた家族愛。ウリとみびちゃんを拾ったクロさん。それだけ聞けば美談の一種だ。
けど、はっきり言ってイライラした。だって、ミョルニーに拾われたアタシ……ミョルニーとルフとアタシは、家族構成が彼らと似ている。
ミョルニーはああいうヒトだから、クロさんと違って無駄に親愛を謳ったりしない。でもアタシは彼女の愛情を肌で感じて来たし、不言実行で守られて来た。ミョルニーは無条件でアタシの家族だ。もちろん、ルフも。
2人はアタシにとって、居て当然。そして、2人も、アタシが居ることを当然だと思ってくれている。理屈じゃない。
「別に子ども守るために自分を犠牲にしろなんて言いやしないよ。たださぁ、犠牲って考える時点であんたらは対等じゃないんだ」
家族だって個の集まり。ケンカもすれば、気に食わないことだって不都合なことだってたくさん起こる。
でも、一人で鬱々と被害者面するのは違うと思う。どんなに親しくたって言わなきゃわからないし、伝えようと努力しなきゃ伝わらない。挑戦もしないで「わかってくれるわけがない」なんてのは怠慢かつ傲慢だ。
アタシだって産後ウツを経験した。アタシばっかり……とか、アタシだけが……とか、悲劇のヒロイン症候群とでも言うべき心情になって、考えれば考えるだけドツボにハマった。救ってくれたのは旦那。そして、あの時諸悪の根源のように見えていた長男。
突然泣き出して、堰を切ったように脈絡ない文句を並べ立てるアタシを、旦那は責めなかった。「話してくれてありがとう」って言ってくれた。抱きしめてくれた温もりにひどく安心したのを覚えてる。
生気ない目で授乳しながら見下ろした長男のふくふくとした頬。無心に、ただ生きようとしている姿。すべすべとした肌にできたオムツかぶれは、母親としての未熟さを指摘するようでもあったけど、同時に、この小さな暴君もまた、我慢して、頑張って生きているのだと教えてくれた。
「アタシは別に、あんたが魔王と会おうが会うまいがどっちでもイイ。あんたの人生だ好きにしなよ。でも押し付けがましいのはいただけないね」
拾ってやった、って意識があるんじゃないかと思う。
可哀想な孤児。自分を慕ってくれる可愛い子ども──。
なのにそれが、実はイイとこのお坊ちゃんで、自分を故国に送還するカギになりかねない。
「可愛いと思ってるんだろ? しっかり者で優しくて、って。なら、ウリに話してやりゃイイじゃないか。でもって、あんたがどうしたいか伝えてみなよ。ウリはあんたの想像の中の生き物じゃない。あんたが思う通りには動かないはずだよ」
だんだん自分が何に腹を立てているのかわからなくなってきた。なんだか、人間に関わるとアタシは興奮しやすくなるらしい。
「……決めつけないどくれよ」
同じ、ヒトの親として。
同じ、拾われた子どもとして。
アタシが一番、気に食わないこと──。
無意識に拳に力がこもる。
「決めつけられるのは、キツイよ……」
子どものせいで不幸になると、自分の未来を決めつけるのも。
おまえはこうするべきだ、と言われるのも。
空気のようにお互いがある、そんな自然な家族になるのは難しい。けど、ミョルニーを見ているとわかる。放任と信頼は違う。束縛と愛情も、依存と尊重も違う。
「ウリと話してみなよ」
親が1人の個人であるなら、また子どもだって意思ある個人なのだから。
「ね?」
誰だって悲劇の主役になり得て……同時に、それは外から見れば喜劇なのかもしれないのだから。
負けずに握り返してくれるあんちゃんの大きな手。その温もりに感謝しながら、アタシは1つ、深く重い息を吐いた。




