その後のマシリ①
「おや久しぶりだね」
その日、出勤したアタシが見つけたのは、所在なげに佇む男の姿だった。
「お久しぶりです、会長。あの……突然すみません」
「なぁに遠慮してるんだい。アンタはここの一員なんだから堂々としてなよ」
ヒョロリと頼りないコボルトの若者は、耳としっぽをしょんぼりと下げ、困ったように頭をかいた。
二足歩行の痩せた大型犬……ではなく、イムラ支部担当のクロウだ。実際にイムラの救民住宅で暮らした経験を持つ現地スタッフで、救民達からの信頼は厚い。近隣であったマシリへの支援話を持ち込んだのも彼だった。
アロがポーンと研修の後すぐに支部長として放り出すくらいに優秀な人材だが、クロウはいかんせん、気が弱過ぎる。慣れ親しんだイムラならまだしも、王都に来るといつも萎縮して、オドオドと挙動不審になってしまう。
救民は二極化している。
夢を追い求め都会に出た者と、村にいられなくなって街に出た者。クロウはどちらかと言えば後者だ。彼の自信のなさは生まれ育ちに起因していた。
「アタシに用事かい? それとも?」
二階の事務所の鍵を開けながら、オドオドとついてくるクロウを振り向く。
正直、各支部との連絡もアロがまとめてくれちゃってたから、クロウや他の支部の職員達と話す機会はあんまりなかった。「会長が話すと雰囲気と序列がめちゃくちゃになります。黙ってらっしゃい」とは某優秀秘書の談だ。ひどいよね、言いたいことはわからないでもないけどさ。
「あ、会長に……」
「ふぅん? あ、そこ座っといて」
「あ、自分がやります……っ」
「イイから。アタシがやりたいのさ」
さて、定番のハーブティーを煎れようか、それとも今日は……。
アタシはよくお茶を飲む。これは前世から。朝起きてまずお茶煎れて、日中や夜も、口寂しくなればお茶を煎れる。茶葉のこともティーパックのこともあったが、基本的に急須は必ず使う癖がついていた。
そういや、遊びに来たママ友に「あったかいお茶とか久しぶりに飲んだ」と言われて驚いたこともあったね。
そんなアタシのせいで、ホラアナ亭グループは全支部にお茶を常備してもらっている。茶葉をティーパックに詰めて魔力が抜けるまで放置してから、トングと急須を使って煎れるように指導した。
ま、アタシの場合は関係ないけど。
「ほい、アタシ特製炒り立ての焙じ茶だよ。あんた、そういや朝ご飯は食べたのかい?」
「あ、すみません。朝はカロメーロチャートを……」
「お、もう開いてる店あったのか。早いねぇ。んじゃお茶請けは軽くてイイよね」
あちっ、と騒ぎつつお茶を啜るクロウの前に、玉子ボーロの乗った皿をコトリと置いた。
でんぷんに砂糖を加え、卵でまとめて小さく丸める。それをカリッと焼けば、玉子ボーロの完成だ。丸めるのがちょっと手間だけど、ウィリのでんぷんだけでなく、いろんな穀物から取ったカラフルなボーロは食感も多様でとっても楽しい。
日本じゃ幼児のおやつ、ってイメージが強いものの、アタシ、たまに無性に食べたくなるんだよね、コレ。
「……ふはぁ…………美味しいです」
お茶を啜ったクロウがようやく深い息を吐いた。やっぱり茶飲み外交は有効だね。
「んで、用件は?」
「あっ、すみません、お忙しいのに……」
「いや、そりゃ別にイイんだけどさ。わざわざ来たからには急ぎなんだろ?」
普段は書簡のやりとりが主だ。何かあったと思うのが当然だろう。
向かいに座って促すと、クロウは弱々しい笑みを浮かべた。
「マシリのことなんですが……」
「ん? アロがまた無理難題でも言い出したかい?」
「あ、いえ、そうではなく……っ、あの、アロさんは頑張ってらっしゃるので、えっと……」
……うん。こりゃかなりコキ使われてるね。尻に敷かれるとかいうレベルじゃなく。
ハァ。まったくあの女王様は。あくまでクロウの担当地はイムラなのにさ。
「実はあの、今回はパショモナッテ様の登城に同行して来まして」
「あ? ミスター、もう来たのかい。早いね」
「なんというか……『次の段階に進むためにも見通しを持って行動なさいませ』と……」
ぷ……っ!
すごっ! まさかクロウに物真似の才能があったなんて! 裏声にしてもまだ低いけど、何より言い方! めちゃくちゃアロに似てるんだけど!
笑い転げるアタシを気まずそうに見ながら、クロウはボーロを一つ口に入れた。そんな不安そうな顔しなくてもバラしたりしないから大丈夫だよ。今後リクエストはするかもしれないがね。あはははははっ!
「……これ、美味しいです」
そりゃ良かった! あはははははっ!
「ちょ……悪いね……ま、待っ……」
……ふふ……ふは……あはははははっ!
ダメだ、ツボに入った。
なんとか手振りで「ちょっと待って」と伝えて笑いを治めようと頑張るものの、頑張れば頑張るほどぶり返してしまってなかなかキツい。箸が転がっても可笑しいお年頃、ってのに心当たりはあるが、こんなに笑ったのは久しぶりだ。
「……」
どうしたものか、という目のクロウは、ゆっくりひたすら卵ボーロを食べて時間を潰すことにしたらしい。一粒一粒大事に食べているから、予想外に時間がかかる。
あはは、まさかの用途だけど、お茶請けをボーロにして大正解。あはははっ! あー、お腹痛いし息苦しいっ!
「……ふふ……ハァ…………いや、んで?」
軽く目をそらしたまま、なんとか会話に復帰する。直視するのはまだ無理かも。
「今日はアロにお遣い頼まれたのかい?」
ペタンと困ったように倒れた犬耳がちょっと可愛い。
いずれ人化するだろうルフとは違って、クロウ達コボルトの外見はまんま直立二足歩行する犬だ。もちろん服は着ているが、なんというか……「服を着せられた短毛 種のわんちゃんが、散歩中に飼い主からリードを強く引かれて後ろ足で立ってしまって自分でも困惑している図」みたいな印象がある。
ペットにするにはデカいけどさ。アタシよりずっと身長あるし。
「お遣い……といえばお遣いですかね……? あの、たぶん近々、会長も王城に呼ばれるんじゃないかとアロさんが予想されまして……なんと言うか……前もって事情説明? に来た感じです」
「なんだそりゃ?」
「あー……ですよねぇ。えっと、どこから話そうかな……」
「できればアタシが帰ったあたりから聞かせとくれよ」
ミスターが、マウライン坊ちゃん……つまりウリを連れて王都に来ることは前々から決まっていた。
本来の開拓主導者であるダジオ家の正当性を認めてもらうためだ。
ウリは子どもだから仕事させることはできない。その点ではお飾りにもならないこと、全員がわかっている。
けれど、ミスターはウリを擁立することをきっかけに、ディミヌエ家をはじめとする過激派の悪事を明るみに出そうと計画している。その証拠集めに全力を尽くして来たと聞いている。
「それでは、まずはパショモナッテ様サイドのことから……」
ミスターの思惑とアロの計算。どこでどう絡んで、さらにアタシにどう関係してくるのか。じっくり聞いておかなきゃならない。
アタシは温かな湯呑みを両手で包み、心の中で気合いを入れた。




