複合学校計画
「つまり簡単に言えばさ」
職員研修を通してなぜ学校という発想になったのか説明したあと、アタシは一度言葉を切った。一口だけお茶を含んで喉を湿らす。
ハァ、緊張する。
「ウチで学校というガワを作る。建物はもちろん、箔付けって社会的な面でもウチの商会が責任を持つ」
ニヤニヤとこちらを見るチャニ先生の心情はまったく推し量れない。それが一層アタシの緊張を高めていた。
「それで肝心の中身はさ、チャニ先生や、他の救民地の先生達に来てもらいたい」
「ほおう?」
「チャニ先生達の土俵を荒らしたいわけじゃないんだ。バカにしてるわけでもない」
ニヤニヤ、ニヤニヤ。
「アタシはさ、救民達が成り上がるには、知識が武器になると思ってるんだよ。だからチャニ先生達が必要とされてる。違うかい?」
「まぁ、そうさの」
ニヤニヤ、ニヤリ。
「でも、地方から出てきたばっかりの救民達は、そもそもどんな知識が必要なのかもわからないんじゃないかい? なんで知識が必要なのか、とかもさ」
「その通りじゃのぉ?」
ニタリニタリ。
「それを明確に示すために、ガワ……しっかりとした『学校』って形にしたらどうかと思ったんだよね」
「ワシらじゃ不足か?」
ニタリ、ニヤニヤ。ニンマリ。
「……その顔。そういう意味じゃないってわかって訊いてるだろ。意地悪だねぇ」
「ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
「ったく、もう。これはさ、ウチの商会に限った話じゃないんだよ。例えばその学校で学んだヤツが何人か王都で成功して街中に家を構えたとする。そしたら最終的には、『そこで学べば成功できるかもしれない』って道筋が見えるようになるだろ? 何で学ぶ必要があるのか、ってことと、何を学べばイイのか、ってことが誰の目にも明白になる」
「考えを言葉にさせるのはもはやワシらの癖じゃ、そう怒るな。おまえさんの言うことにも一理あるしの」
ようやくニヤニヤ笑いをやめたチャニ先生が、頭の蛇達を撫でて言う。
「魔王やら大公やら、お偉い方とのツテがあるからこそ作れる『ガワ』、か。じゃが、ワシらには荷が重い。成功するための知識なんぞ教えたことがないからの」
そもそも、何をもって成功とするのか。うつらうつらする蛇達の長閑さとは打って変わって、チャニ先生の質問は鋭く深くなっていく。
けど、アタシは禅問答をする気はない。それこそ専門外だ。
「成功したかどうかなんて感覚的なもんは本人が決めることだろ。そこまで責任は取れないよ。赤ん坊じゃないんだ、自分で考えてもらうさ。だいたい、環境さえありゃ、野心のあるヤツは勝手に学ぼうとするもんだからね。
アタシがチャニ先生に頼みたいのはそういうことじゃなくてね、例えば、先生達の先生なんだ」
「意味がわからん」
「ははっ、そりゃそうか。うーんとね、先生役はやりたいヒトにやらせる。職人でも物売りでも、他人に何かを教えたいってヒトを募集する」
もちろん、門外不出の技術を教えろってことじゃなく。
アタシが考えてるのは、大学の皮を被ったカルチャーセンター。枠組みはかなりユルい。
チャニ先生達教育経験のあるヒトには運営側の立場、つまり大学でいう学部長とか理事とかにあたる仕事をしてもらう。でもって、多くの生徒を実際に指導するのはカルチャーセンターに登録した講師の先生よろしく、現役の専門家を採用するつもりだ。
「例えば、裁縫。デザインに難があって仕立屋としては人気が出ないものの、縫製技術自体は素晴らしいヒトっているじゃないか。そういうヒトなら、縫製技術だけを教えてくれりゃイイ」
仕立屋としては低収入でも、そういったヒトなら講師としては安定した収入が得られるだろう。
「ただ、縫製技術はプロでも、教えることには慣れてない。そこでチャニ先生達の登場だ。教え方を、教えてやって欲しいんだよ。チャニ先生の授業を見せるでもイイし、教え方を教える授業をしてもイイ。先生としてやってけるように育てて欲しい」
「ふぅむ」
問題は学校の運営資金だが、とりあえずはアタシの手出しと受講料で賄えるはず。
この国に「学校」と呼べるほど立派な学校はない。雇用の創出って面でも勝算はあると思う。
ただ、まぁ、
「……って勝手なことをいろいろ言ったが、断ってくれてもイイよ。アタシが考えつくことなんか皆考えるレベルだし。なのにやってないってことは、何かアタシの知らない問題があるんだろ? だから、まだ案なんだよ」
そう。まだ学校がないってことは理由があるはず。日本人じゃなきゃ考えつかないなんてことは有り得ない。
むむむ、と唸って考え込むチャニ先生に、アタシは新しいお茶を煎れて差し出した。
今度のお茶請けはラスクが二種類。
一つ目は、いかにもな輪切りのラスクだ。ベワズーなんかの甘めの酵母を使って、フランスパンみたいに細長いラスク専用パンを作る。それを薄切りにして、砂糖とナッツをのせ、カリっと焼き上げればその名も「べっこうラスク」のできあがり。溶けた砂糖たっぷりだから、鼈甲飴から名前を貰った。
もう一つはしょっぱいラスクで、名前はまんま「チーズラスク」。こっちは余ったパンならなんでも作れる。一口大の賽の目に切ったパンをオーブンでザクザクに焼いた後、すりおろしたタウロチーズをまぶしていく。マシリで教えてもらったイェの蕾の微塵切りと塩を振りかけて、溶けたチーズを自然冷却で固めれば完成だ。
年寄りにラスクは硬いかとも思ったが、チャニ先生なら平気だろう。老人扱いのせいで美味しいモノを食べ損ねたと知ったらむしろ、へそを曲げる。
「おまえさん、何者だい?」
しばらくの沈黙の後、おもむろに開かれた口から出たのは学校の話ではなかった。真剣な目がこちらを見ている。
「人間、てのは理由にならん。あんたのこの知識や発想の拠り所は、生まれ種族によるもんじゃぁないじゃろう? 異質過ぎる」
ドキリ、とした。
ミョルニーだってきっと、アタシを育てる中で違和感を持ったことは多々あるだろう。でも、こうして面と向かって秘密を探ろうとはしなかった。手づから育てた子どもが、まさか秘密を抱えているとは思わなかったのかもしれないが。
「………………話せるようになったら話すよ」
人間も魔喫も理由に使えないこの状況でアタシに言えることはない。正直に言っても信じてもらえるかわからないし、もし前世のことを話すなら、まずは今世の家族に話したい。
誰にも言ったことのない日本の記憶のことは、軽々しく話せる内容ではない気がする。「異質」と言われてしまった以上、尚更だ。
「ふぅむ」
細められた目は、髪の毛代わりに伸びる無数の蛇達の目によく似ていた。背筋がゾワリとしたけど、負けずにその目を見つめ続ける。簡単にいくなんて思ってない。腹を括っておいて良かった。
「……ま、物好きってのは必ずいるもんじゃからの」
先に目を伏せたのはチャニ先生。瞬きの後アタシを見つめ直した時には、いつもの温度ある瞳に戻っていた。
「それって……じゃあ!?」
「話せるようになる日ってのが、ワシの生きてるうちに来るとイイがの」
「まぁたすぐそういうコト言う。チャニ先生ならあと三百年はいけるだろ? アタシはあと八十年てトコさ」
「ふぉっふぉっふぉっ! おまえさんがワシより歳取ってくところをそばで見れたら面白いのぉ」
腹の探り合いの続きなのか? と思ったが、年寄りだから回りくどいだけかもしれない。示唆と含蓄に富み過ぎていて、アタシにはちょっと難しいよ……。
超ベテランのチャニ先生は、もちろんアタシのそんな様子に気付いている。
「ドェド、イーブル、ビィンシーあたりかの」
「?」
人名っぽいモノを呟いて、おもむろにラスクに手を伸ばす。アタシの疑問はもちろん放置。
「おぉ、これはウマい。ワシゃこの甘いのが好きじゃ。じゃが、大きさはこっちの四角いヤツが食べやすい。この甘いの、このっくらい小さくならんかの?」
「一口サイズにしたら、そりゃもはや飴じゃないか。えーっと……あぁ、コレコレ」
砂糖にほんの少しの水を入れて沸騰させ、黄金色になったら即完成。昭和……いや、平成の小学生もご用達の本物の鼈甲飴だ。小学校のクラブ活動で作ったなぁ、なんて思い出す。
それを机の引き出しからコロンと取り出し、チャニ先生の前に置いた。
「噛まずに舐めて楽しんどくれ」
「またおもしろいモンを。……ふむ。こりゃイイわ」
「んで?」
「ふぉっふぉっ! 急かすでない」
学校を作るのは、アタシのエゴだ。商会の業務がスムーズになるように……救民達が成り上がれるように……なんて気取っちゃいるが、本音はシンプル。若者は学校に行くべきなんだよ。
好きなことを思いっきりできる時間が若いうちにあるのとないのじゃ大違い。勉強だろうが趣味だろうが、バカ騒ぎだろうが。打ち込む経験がその後の人生を支えていく。
もちろん、今のままでも職人は育つし、そのヒト達が人生をかけて学んでることも知っている。けど、学校があれば、職業選択の自由とか、適性の発見とか、まだ自分の道に迷いのあるヒト達を掬い上げることが可能になるんじゃないかと思っている。
生まれ育った村落からわざわざ救民地まで来たヒト達だ。進む未来が決められないから、彼らはこうして集まるって来る。
「ま、様子見、というところじゃの。何人かアテになりそうな物好きの反応を見るくらいは構わんじゃろ。美味しいおやつに免じて、のぉ」
「そりゃありがたい!」
お互いに、完璧に腹を割って……とはいかないから。
チャニ先生の保険をかけた態度は、救民地で辛酸を舐めた経験のある大人なら当然だろう。だから、
「また新しいおやつをたくさん用意しとくよ」
「ふぉっふぉっふぉっ」
茶飲み外交……とでも名付けよう。
次は芋ケンピとか作ってみるかね。チャニ先生、好きそうだよね。
アタシの複合学校計画は始まったばかりだ。




