第6話 女神様は普通の女の子に一歩近づく(なれたとは言ってない)
「あなたは……どうなの?」
「うん? まあ、いろいろあったよ」
曖昧にティシアは濁した。
ティシア自身は不幸な目にはあっていない。
ただ……祖母は食べられてしまったし、母親はティシア――アルティシーナ神――が差し向けた英雄によって首を刎ねられ、アルティシーナ神自身の手で奈落の底に沈めたが。
神は食べられたり、首を刎ねられた程度では死なないので、今頃ディシウス神の腹の中や奈落の底で元気(?)にやっているのだろうというのがティシアの予想である。
「そうなの……大変だったのね」
何らかの呪いを受けたと思い込んだアレクサンドラはティシアの頭を撫でた。
「母親は違えど、俺たちは家族だ! 頑張ろう!!」
レオニダスも言った。
まあこうなったのは全て、共通の父親の所為なのだが……それを言うと自分たちは生まれなかったことになるので敢えて無視する。
「ティシアちゃんはどこで暮らしているの?」
「喫茶店でウェイトレスをやってるよ」
最近、接客業が板についてきたティシア。
もうすでに立派な看板娘である。
まあたまにクレーマーをぶっ殺したくなる時もあるのだが……
その時は、堪えている。
その時は。
後で何もしていないとは言っていない。
「……その、母親は?」
レオニダスは聞きにくそうに言った。
ティシアも「私が殺しました」と答えるのはいろんな意味で答え辛かったので、ちょっと悲しそうな顔をして俯いておく。
するとレオニダスもアレクサンドラも上手く勘違いしたらしく、「そうか……悪かった」「ごめんね」などと謝ってきた。
……嘘は言ってない。
「お兄様とお姉様は?」
「俺たちは……アルティシーナ宮殿に住んでいる」
「一応、王族なのよ。……一応ね」
「へぇー、凄い!」
これはびっくり。
まさか自分の子供の子孫だとは思わなかった。
何を隠そう、アルティシーナ王国の初代国王はアルティシーナ神の子供である。まあ国名になっているくらいなのだから、隠すも何もないのだが。
処女神に子供?
と思うかもしれないが、処女でも子供はできる。
ティシア――アルティシーナ神――的には不可抗力であったが。
「……王族、としては扱われているけどね。お義父様とは血は繋がってないのよ。だからね、正直複雑なの。まあお義父様は入り婿だから、アルティシーナ王家の血を私たちが引いているのは本当だけどね」
「王位は継げないだろうな」
「ふーん……でも養子と言っても自分の子供であることは変わりないでしょ?」
母方の血でアルティシーナ王家に連なっているのであれば、なんの問題もないはずだ。
父親も、どこの馬の骨かわからない人間よりも、ディシウス神の方が数段良いじゃないか。
と、ティシアは思った。
「それはそうだが……やっぱり、父親ってのは自分の、その、血の繋がってない子供は嫌だろう」
「ふーん、そういうものかな?」
女神的価値観では、彼の神王から種子を頂いたのだから泣いて喜ぶべきだと思ってしまうが、人間の男というのは複雑な生き物のようだ。
「でもお父様は望んでいるかもよ? アルティシーナ王家の王位継承をさ」
「その時は……その時だろう」
レオニダスは顔を顰めて答えた。
この場合の父、とは本当の父親であるディシウスのことである。
女を抱いて、種を蒔いた後は基本放置で知らんぷりなダメ親父のディシウス神ではあるが、別に子供が嫌いなわけではない。
余計なお節介として、アルティシーナ王国の王位をプレゼントしようと考えるかもしれない。
まあ今まで子育てに全く参加しなかったくせに、いざ将来の進路を決めようとなった時には母親以上に口を出してくる父親……
というのがディシウス神である。
悲しきかな、この世界ではそういう男が多いのだ。
故に男の代表ともいえるディシウス神はそういう性格にされてしまっているのである。
(うーん、もし仮に神意に逆らったとしたら、二人の義父の上に雷の百や二百、降ってきそうだけど……今度、釘を刺しておこうかな?)
子供が嫌がっていると知れば、そんなことはしないだろうとティシアは考えた。
「ねぇ、その、ティシアちゃんも王宮で暮らさない? お姫様としては……無理かもしれないけど、私の侍女として暮らせるよ。今よりずっと良い暮らしができると思う」
「うーん、気持ちは嬉しいけど……」
生憎、喫茶店の店主に借金をしているのだ。
それを返さないわけにはいかない。
二人に頼めば立て替えてもらえるかもしれないが、弟妹兼自分の子孫兼人間に金を立て替えてもらえるのは神としてのプライドが許さない。
……喫茶店の店主から金を借りて、それを返すために働いていることに関しては突っ込んではいけない。
まあティシア自身も、そこそこ楽しんでいるのでウェイトレスをやめる気はなかった。
その意思を伝えると「偉いねぇー」と頭を撫でられる。
大変、複雑な気持ちになるティシア。
「そう言えば二人に敬語は使わなくても良い感じ?」
割と今更なことをティシアは聞く。
神格を隠したことが原因か、イマイチ敬語が使い難い。
が、使おうと思えば使えないこともない。
二人が立場上してくれというのであればするが……
「俺たちは家族だろう。その必要はない」
「そもそもティシアだって、お姫様でしょう?」
「確かに」
神々の王の娘なのだから、立派な王女だ。
まあティシア――アルティシーナ神――はそんなことを考えたことはないけれど。
三人がそんな風に仲良く話していると……
「よおレオニダス、アレクサンドラ!」
小太りの少年が取り巻きを引き連れてやってきた。
その少年を見た途端、レオニダスとアレクサンドラの顔が歪む。
ティシアはこの少年と、二人が大変仲の悪い関係であること、及び一応王族であるレオニダスのことを呼び捨てにできる程度の身分であることを悟った。
「合格できたか? レオニダス、アレクサンドラ。まあ僕の場合は試験なんて受けずとも、入学できるが、君はそういうわけにもいかないだろう?」
「ご心配どうも、アルキポス。おかげ様で三位だ」
「私は二位よ」
思った以上に好成績だったのか、アルキポスと呼ばれた少年の表情が歪んだ。
しかしすぐに二人を見下すような表情を浮かべる。
「一位を取るんじゃなかったのか? うん? 誰に負けたんだ」
するとレオニダスとアレクサンドラは揃ってティシアを見た。
アルキポスは怪訝そうな表情でティシアを見て……
「お前は誰だ?」
と尋ねた。
人に名前を尋ねる前に名を名乗れ、と言おうかとティシアは思ったが、もうすでに名前は分かっている上に偉い人っぽそうなのでそれはやめて、素直に名乗ることにする。
「ティシアです……一応、一位に入学したの……しました」
どうにも口調が幼くなってしまう。
これはどうにかならないのかと、ティシアは悩みながら自己紹介をする。
「い、一位!? お、お前みたいなちんちくりんが?」
「うん……あのさ」
「うわぁ!」
ティシアはアルキポスとの距離を詰める。
急に顔を近づけられたアルキポスは思わず声を上げた。
「あなたのことを、教えて欲しいな?」
「ぼ、僕のこと?」
アルキポスは顔を赤くしてたじろいだ。
アルキポス少年の心臓がバクバクと鳴り響く。
いくら神格を押さえているとはいえ……ティシア――アルティシーナ神――は神である。
その神に顔を近づけられれば……さすがにその神的なオーラの影響を受ける。
高濃度の神性を浴びたアルキポスは一瞬、陶酔状態に陥った。
殆どの神々は人間よりも遥かに美しい。
その美しさは決して容姿だけでなく、その纏う神性に由来する。
それはある種の魅了の呪いに近い。
童貞のアルキポスがティシアにドキドキしてしまうのは、仕方がないと言えば仕方がない。
「ねぇ、聞いてる?」
「へ!? ぼ、僕の……え、えっと……」(く、くっそ……な、何で僕が、アルティシーナ王国の王子がこんな芋娘にど、ドキドキしなきゃいけないんだ!!)
アルキポスはがむしゃらにティシアを強く、両手で押した。
その瞬間、ティシアは知恵の女神としての、その無駄な知性を発揮させる。
(押された? この程度、どうということはないけど……普通の女の子は力の強い男の子に体を押されれば、突き飛ばされるよね? よーし!)
ティシアは飛んだ。
軽く百メートルくらい、吹き飛んで見せた。
武芸の神としての能力をフルに使った、渾身の演技を見せる。
「いたたたた……」
ついでに頭から血を流す演技もしてみせた。
そして内心でガッツポーズをとる。
(よし、今のは割と完璧に普通の女の子だったはず)
ティシアは嬉しそうな表情を浮かべ、百メートル先のレオニダスたちを見た。
レオニダスとアレクサンドラは顔を真っ青にさせ、アルキポスは茫然とした表情を浮かべた。
「な、な!? ……ぼ、僕はこれで失礼する!!」
状況が呑み込めず混乱したアルキポスは、取り敢えずその場から逃亡を図ることにした。
一方レオニダスとアレクサンドラは慌ててティシアに駆け寄る。
「お、おい大丈夫か? 物凄い、吹き飛んだぞ!!」
「あ、頭から血が出ているじゃない! だ、大丈夫?」
「え、ああ、うん……大丈夫、だけど?」
その後、ティシアはレオニダスとアレクサンドラによって病院へと連行された。(ちなみに血は病院に着く前に止まった)
ティシアは、いくら非力な普通の女の子とはいえ、普通の男の子に少し体を押された程度では百メートルも吹き飛ばないということと……
百メートルも吹き飛んで頭を強く打てば、普通の女の子は死ぬという一般常識を学んだ。
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