第3話 女神様は愚かな人間に罰を与える
それから三日後のことであった。
何とかアルティシーナ神から逃げおおせた男性は、酒に酔っ払いながら裏路地を歩いていた。
というのも、何とか借金返済の当てができたからである。
上機嫌で男性は道を歩く。
「す、すみません……」
声を掛けられた。
男性が声のする方を見ると、そこには小汚い恰好をした老人がいた。
「どうか、お恵みを」
老人は小さな箱を男性に差し出した。
そこには数枚の銅貨が入っていた。
男性は笑みを浮かべ、ポケットに手を入れた。
そして……
「ふざけんじゃねえ!!」
老人を蹴り飛ばした。
箱が地面に転がり、銅貨が零れる。
「こっちはまだ借金を返し終えてねえんだよ! 恵んで欲しいのはこっちだぜ……全く……あーあ、どこかに金貨の詰まった袋でも落ちてねえかなぁ……」
男性が溜息を吐いた。
すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ」
それは底冷えするような、恐ろしい声だった。
男性は周囲を見渡す。
声の主は一羽の梟だった。
黄金の羽毛を持った、美しい青い瞳の梟だ。
「視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ」
「は、はぁ? な、何を見てたって言うんだよ!」
男性は怒鳴る、
梟はそれに答えず、ただ鳴き続ける。
「「視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ」」
声がもう一つ、聞こえた。
後ろを振り向くと、もう一羽梟がいた。
「「「視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ」」」
気付くと、三羽の梟がいた。
そして……
「「「「視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ」」」」
男性は数十もの梟に囲まれていた。
全て、青い瞳……いつぞやの女神と同じ色の瞳をしていた。
男性の顔が真っ青に染まる。
「う、うるせえ!! 黙れ、黙れ、黙れ!!!」
男性は耳を塞ぎ、駆け出した。
周囲の音は聞こえなくなる。
だが声だけは聞こえ続ける。
「「「「視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ、視てたぞ」」」」
「やめろ、やめろ、やめろ!!!!!」
男は涙を流しながら叫んだ。
もう、その目は現実を映していなかった……
「やめろ、やめろ、やめろ!!!!!」
「落ち着け、大丈夫か!」
「やめろ、近づくな! 俺は悪くねぇ、違う、嫌だ、死にたくない!!」
「ダメだ、聞こえてない!」
「取り押さえろ!!」
道の真ん中で正気を失い、唐突に暴れ出した男性を通行人たちが強引に取り押さえる。
すぐに騎士がやってきて、男性を連行するだろう。
そして精神病院に入れられるか、地下牢に入れられるか……
「まあ、治ることはないんだけどね」
アルティシーナ神は喧噪を見ながら呟いた。
そして空を見上げる。
そこには一羽の梟、自分の眷属が飛んでいた。
「せっかく、機会を上げたのにねぇ。どうして、人間はこうも愚かなのか……」
「よく言うな、アルティシーナ。結果は分かっていただろうに。だからワシに、頼んだのだろう? あの男が罪を犯したら、生きながら煉獄に落とせと」
アルティシーナ神と共に喧噪を見ていた、男が言った。
この男の名を、ハウリス。
神々の一柱、冥界・冥府の支配者ハウリスである。
ディシウス神の兄にあたる神だ。
「まさか! 私は期待してたんだよ? 彼の善性をね。まあ、結果はああだけど」
「嘘をつけ。お主の『梟の瞳』ならば、見通せたはずであろう? 過去も未来も、全ての可能性をも見通すその瞳であれば」
ハウリス神の言葉に、アルティシーナ神は肩を竦めた。
「彼にチャンスを与えた、その時、私は目を閉じてた」
「ふん……相変わらずか、知恵の女神。愚者のフリが得意と見える」
「愚者のフリ?」
きょとん、とアルティシーナ神は首を傾げた。
そんなアルティシーナ神に対して、ハウリス神はコップを突き出した。
「珈琲のお代わりを頼む」
「はーい、お客様」
アルティシーナ神はお盆にコップを乗せて、とたとたと走り出す。
ハウリス神はウェイトレス衣装に身を包んだ、己の姪、そして又姪でもある少女を見送る。
そうアルティシーナ神は現在、喫茶店でアルバイトをしているのだ。
働かないと食べていけない。
アルティシーナ神はそれを学んだのである。
ちなみにウェイトレスを選んだのは、服が可愛かったからだ。
「どうぞ、お客様。ブラックコーヒーです」
「うむ」
ハウリス神はアルティシーナ神からコーヒーを受け取り、それを一気に流しこんだ。
そしてテーブルの上に銀貨を置く。
「支払いだ。お釣りはチップとして、受け取れ」
「もう少しゆっくりしていけば?」
「ワシは貴様らと違い、忙しいのだ……人が死なぬ日はないのでな」
冥界の王に休みという概念は無いのだ。
「そう? ならどうして来てくれたの?」
「……貴様が下手に人を殺し、死者を増やすようなことをしていないか見に来たのだ」
「つまり、心配して来てくれたの? ありがとう、おじさま!」
アルティシーナ神はハウリス神に抱き付いた。
ハウリスは痩せ衰えた、青白い顔をアルティシーナ神に近づける。
「良いか、努々人をむやみやたらと殺すなよ。……あのバカな弟共のようにな。やれ神罰だの、何だの知らんが、ワシの仕事を増やしてくれるな」
「やだなぁ、今の私は普通の女の子だよ?」
「……まあ、頑張れよ」
無理だと思うが。
ハウリス神は小さくそう、呟いてからその場から消えるように去った。
「ティシアちゃん、お疲れ。今日のお給料ね」
「ありがとうございます」
アルティシーナ神は給料を貰った。
給料はそこまで多くはないが、貰ったチップなども含めると暮らしていくことはできる金額だ。
アルティシーナ神を守護神とするアルティシーナ王国で、私は『アルティシーナ』ですと名乗るのはさすがに不味いと考えたアルティシーナ神は、人間としての偽名『ティシア』を名乗っていた。
現在のティシアの、唯一普通の女の子の部分と言っても良いだろう。
さて、ティシアは貰った給料をカバンに詰めて、泊まっている安宿に帰った。
普通の女の子が泊まるには防犯の面から心配になるような場所で、実際ティシアは幾度も危ない目に遭っているが、その度にその腕っぷしで暴漢を撃退していた。
……もはや普通でも何でもないのだが、ティシアは特に気にしてなかった。
ベッドに横たわり、大きく伸びをしてからティシアは考える。
「さて、生活基盤は整った……問題はどうやって学校に通うか」
ティシアの読んだ本によると、普通の女の子は学校に通うものだ。
そこで恋をしたり、友情を育んだりする。
となれば、ティシアも学校に通わねばならない。
だが問題はどうやって学校に通うかであった。
しかし考えても思い浮かばない。
情報が足りないのだ。
幸いなことに、明日は仕事が休みの日だ。
明日、聞きこみ調査でもしようとティシアは考えて目を閉じた。
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