第2話 女神様は愚かな人間を裁く
それから数時間後のことであった。
道の脇で、アルティシーナ神は座り込んでいた。
そして小さく溜息を吐く。
「失敗した……」
アルティシーナ神が座りこんでいる理由は単純明快。
空腹である。
不老不死の女神、アルティシーナ神には本来食事は要らない。
しかし神としての権能を抑え込み、人間に化けているアルティシーナ神には最低限の飲食が必要になる。
アルティシーナ神はそのことを失念していたのだ。
「お腹空いた、喉乾いた……はぁ……」
封印を解けば、女神に戻れる。
そうすれば空腹や喉の渇きは無くなるだろう。
しかしそれはすると、アルティシーナ神の父兼祖父であるディシウスの嘲り声が聞こえるような気がする。
それ見たことか、お前みたいなアホには無理だ、と。
(普通の女の子はこういう時、どうするんだろうか)
まず普通の女の子は道の真ん中で行き倒れかけたりすることはないが、アルティシーナ神がそれに気付くことは無かった。
アルティシーナ神が悩んでいると……
「お嬢さん、どうしましたか?」
声を掛けられた。
顔を上げると、優しそうな顔をした男性がいた。
近くには大きな馬車。
商人のようだ。
「実はカクカクシカジカ……」
アルティシーナ神が事情を説明すると、男性は笑った。
「パンと葡萄酒程度なら、御馳走できますよ」
「本当ですか!?」
アルティシーナ神は顔を輝かせた。
それだけお腹が空いていたのだ。
「ええ……困った時はお互い様ですから」
「ありがとうございます! あとで、何かちゃんとしたお礼をさせてください!」
「はは! そうだな、じゃあ……食べ終えてから一つ、役に立って貰うよ」
男性は笑った。
世の中には親切な人がいるものだと、アルティシーナ神は感動を覚えた。
最近(三千年くらい前から)は神々の間では「最近の人間は信仰心が足りていない。そして不親切で強欲、傲慢でならん。昔の人間はもっと……」という人間への愚痴が流行していており、アルティシーナ神もたびたび口にしていたのだが、まだまだ人間は捨てたもんじゃないなと思い直した。
すぐに男性はパンと葡萄酒をアルティシーナ神に差し出してくれた。
パンを千切り、口に運ぶ。
「美味しい……」
アルティシーナ神が読んだ人間の本に、「空腹は最高の調味料」という言葉があったが、なるほど、確かにそうだなと思った。
最後に葡萄酒を飲み、喉の渇きを癒す。
満腹とは言い難いが、空腹の渇きは癒えた。
改めて礼を言うためにアルティシーナ神は立ち上がろうとして……
「あ、あれ?」
足が動かない。
気が付くと、地面に倒れていた。
空と大地がグルグルと回転する。
意識が朦朧とし……アルティシーナ神の視界が暗転した。
「う、うん?」
アルティシーナ神は目を覚ました。
そして周囲を見渡す。
見慣れない景色だが……どうやら檻の中に入れられているようで、目の前に鉄格子が見える。
最後に途切れた記憶を辿り、葡萄酒を飲んだ途端に倒れたことを思い出した。
アルティシーナ神は立ち上がろうとするが……
「むむ!」
立ち上がれない。
足には鋼鉄の枷が付けられており、それは石の床に括りつけていた。
よくよく見ると、手枷と首枷も付けられている。
「これは一体?」
「ほう……気が付いたか。お嬢さん」
アルティシーナ神は顔を上げた。
するとそこにはアルティシーナ神にパンと葡萄酒を恵んでくれた男性がいた。
「あの、何故か閉じ込められているみたいなんです。助けて下さい」
「助けるわけないだろう、バカが。そこにお前を入れたのは、俺なんだからな」
「……どういうことですか?」
アルティシーナ神は首を傾げようとしたが、首に枷が食い込み、痛みに顔を顰めた。
「騙されたんだよ、お前は」
ニヤリと、男性は笑った。
「騙された? 私が?」
「そうだ……実は商売に失敗してな。どうしようか、悩んでいたところでお前に会ったんだ。俺にはお前が救いの女神様のように見えたぜ。くくく、まだまだ熟れてはいないが、見てくれは悪く無いし、幼いながらも良い体つきをしている。良い値で売れそうだ」
男性にそう言われて、ようやくアルティシーナ神は自分が奴隷にされかけていることに気が付いた。
何しろ、女神として今まで生きてきたのだ。
人間に捕まる、ましてや奴隷にされるなど考えたこともない。
「……奴隷狩りは禁止されているのでは?」
「表向きは、な。だから足が付かないように売らせてもらう。まあ、精々優しいご主人様に巡り合えるように頑張るんだなぁ。もっとも、非合法の奴隷の行きつく先なんて、決まっているけどな」
ゲラゲラと笑う男性。
アルティシーナ神は溜息を吐いた。
「はぁ……これだから最近の人間は……」
そう呟き、アルティシーナ神は強引に手枷を引きちぎった。
鉄の破片が床に落ちる。
「へ?」
男性が呆気に取られているうちに、アルティシーナ神は足枷と首枷をも外す。
そして檻を両手で掴み……
「とりゃあ!」
強引に捻じ曲げた。
そして笑みを浮かべる。
「覚悟は良いですか、人間」
次の瞬間、アルティシーナ神の体を黄金の光が包み込んだ。
髪と双眸が黄金に染まり、手足が伸び、胸が膨らんだ。
一気に二十代ほどの年齢の女性、女神へと変貌する。
一方、男性の顔は見る見るうちに青く染まった。
「お、お、お、お前は、いったい、な、何者だ!!」
男性は懐からナイフを抜き放ち、アルティシーナ神に切りかかった。
アルティシーナ神はそれを指で掴み、叩き折る。
そしてアルティシーナ神は男性を視た。
「一つ、神である私に刃を向けた」
アルティシーナ神の右目が、黄金から青色へと変化する。
深い深い、海の底のような青だ。
その青色の瞳が、真っ直ぐ男性を見つめる。
「二つ、神である私に名を名乗るように命じた」
青き瞳。
全てを見通す、青い目が男を捉えて離さない。
「三つ、神である私を謀った」
男性はあまりの恐怖に腰が抜けてしまったのか、床にへたり込んだ。
アルティシーナ神はそれでも男から目を逸らさない。
「さて……チャンスを上げましょう。人間……罪を告白しなさい」
「つ、罪? な、なんのことを……」
男性の言葉に、アルティシーナ神は残念そうに溜息を吐いた。
「四つ、神である私の問いに答えず、誤魔化そうとした」
そしてアルティシーナ神は言う。
「五つ、故郷の両親から金を盗み、親不孝を働いた」
「な、なぜそれを……」
「六つ、あなたは今まで二十三人の女性を騙し、十五人の同業者に詐欺を働いた」
「何故知っている!! お、お前は何者だ!!」
〝知恵の女神〟アルティシーナ神は男性の問いには答えない。
ただただ、男性を見つめる。
その青き瞳、神羅万象、過去と未来、そして並行世界の全ての可能性をも見通す叡智の瞳、知恵の女神とアルティシーナ神が言われる所以、『梟の瞳』で男性を見つめる。
「七つ、神である私に敬語を使わず、不遜な態度を取った。八つ、咎められたのにも関わらず私に対して再び名を名乗るように命じた」
それは美しく、そして冷たい声だった。
「九つ、あなたは今まで五人の人の命を奪った」
男性は悲鳴を上げた。
涙を浮かべ、その場から逃げ出そうとする。
しかし体が動かない。
気付くと、男性の体には巨大な蛇が巻き付いていた。
蛇がキリキリと男性の体を締め上げる。
「十、神の判決を前に逃げ出そうとした」
アルティシーナ神は男性の顔を除きこむ。
「以上が、あなたの罪です。何か、申し開きがありますか?」
「ゆ、ゆ、ゆ、許して、ください……」
ぽた、ぽた、ぽた……
男性のズボンに染みが広がり、水滴が床に落ちる。
アルティシーナ神は冷たい瞳で、判決を言い渡す。
「あなたの罪は重い。死をもって、償いなさい」
「嫌だ!!!!!」
男性は叫んだ。
必死に逃れようと、暴れる。
しかし大蛇は男性を逃さず、さらに締め上げる。
アルティシーナ神はそんな人間を見て、くすくすと笑った。
そして笑顔を浮かべる。
「と、言いたいところですが……私はあなたにパンと葡萄酒を恵んで貰いました。邪な理由があったとはいえ、その時救われたのは事実です。それにあなたに褒美を与えるとも、言いました。神に二言はありません。ですから、褒美を与えましょう」
いつの間にか、大蛇は消え失せていた。
アルティシーナ神の髪と瞳も、栗色に戻っており、体も縮んでいた。
人間の姿に戻ったアルティシーナ神は笑って言った。
「チャンスを上げるね。しっかり更生すること。執行猶予だよ。……故郷に帰り、親孝行をしなさい。そしてこれからは困っている人を、本当の意味で助けなさい」
「あ、ありがとうございます!! 更生します!!!」
男性は号泣し、アルティシーナ神に何度も礼を言ってから、逃げるように立ち去った。
アルティシーナ神は男性の背中を見送りながら、呟いた。
「視ているからね」
カシコシーナモードです