再会 ― Reunion ―
今月末日、宣言どおりオウジャは第一鉄騎兵隊を脱退した。
まずは親元に戻り許可をもらってから、郊外に料理店を構えるとオウジャは笑いながら言っていた。
「……寂しくなったな」
次の日の朝、オウジャのいない食堂で私が力なく呟くと、アヤメに頭をこづかれた。
「二度と会えねえわけでもねえのにどこに寂しがる理由があんだよ。すぐにこの辺に戻って来るって言ってんだろ」
私も普段ならそう言っていただろうが、今回は込み入った事情があってな。
オウジャが退役を決意したのは私が理由ではないかと思うと、やはり気分が沈むよ。
「もともと料理作るしか能がなかったんだからコックやるのは大正解だろうがよ。オウジャは賢明な選択をしたってわけだ」
「それじゃあ今日から料理は誰が作るんだ?」
「もともと交代制だったんだよ。みんなで作りゃいいだろ」
「朝飯は? 今日はおまえの当番と皆で決めただろう」
アヤメが眼を泳がし始めたので頭をこづき返してやる。
交代制なんていうのはとっくの昔に形骸化していて、食事はすべてオウジャがひとりで作っていたからなあ。今思えば私たちは彼に甘えすぎていたのかもな。
「ま……確かに寂しがっている余裕はないか。オウジャが料理店を開けるように、私たちはこの市の平和を守らなくてはならないからな」
私は読んでいた新聞をアヤメのほうに放り投げる。
新聞には近日中にグラント騎士団がアッシャームのアラン市長と会談を行うと書かれていた。
「パス。お硬い文章を読むと眠くなる」
アヤメは渡した新聞を一瞥すらせずに、ちょうど食堂にやって来たばかりのアコに投げ渡す。この未開人め。
「で、愛しの団長様が来られるのになんで憂鬱そうな顔をしてんだよ」
「だから新聞を読め。会談に来るのは第三騎士団だ」
第七騎士団は位が低いから当然といえば当然か。グラントは私の予想以上にシーリアを重要視しているようだな。良いことではあるのだが……少しガッカリだな。
「大勢のタロスで大挙して押し掛けてくるのかな」
「まさか、会談なら生身で来るだろう。代わりに何か不祥事でもあれば全面戦争確実だから私たちの責任は重大だぞ」
すでに軍本部からは任務の通達が来ている。都市内の要人警護はアッシャーム軍本部の仕事だが、郊外の警備は私たち騎士の仕事だ。グラントを激しく敵視しているハマト辺りの都市が襲撃してきてもおかしくないから、気を引き締めてかからなければな。
「……やっぱ戦争になるのかな」
最近のアヤメはこればっかりだ。
実戦経験がほとんどないのだから不安になるのはわかるのだが、いくらなんでも度が過ぎる。騎士が戦うことを恐れてどうする、ギャングに喧嘩を売っていた頃を思い出せ。
「向こうから会談を持ちかけてくるのだから友好的なのは間違いないさ。案外あっさりと和平条約が結ばれたりしてな」
私は気休めに適当な楽観論を述べると飯を作りにキッチンに入った。
アストリアの一件でメディアにバッシングされて慎重になっているとはいえ、あまり及び腰でも困る。
――来いよグラント。この私が相手してやるよ。
アランたちを乗せた数台の高級魔動車を、私のゴールドソードを含めた三機のタロスが移動用のホバークラフトに乗って護衛する。
グラントからの使者をアッシャームに迎えるために市長直々キリシヤまでご出勤だ。私たちの他にもラオディケイア、パルミラからも増援が来ており山岳地帯で厳戒態勢をとっている。前回の誘拐未遂もあってかさすがに今回の警備は厚い。クレア殿も表向きは公私混合はしないようだ。
その甲斐あってかキリシヤの門までは特に何事もなく到着することができた。私としてはハプニングの一つや二つあったほうが楽しかったのだがな。
アラン市長は車から降りるとすぐに、グラント第三騎士団団長であるディアナ殿と固い握手を交わした。
ちなみにディアナ殿は女性唯一の王位継承権持ちの烈女だ。御歳四十歳だがまだまだその美貌は衰えてはおらず、私とはヴァルキリーコンテストで争った仲でもある。
その後、トップ同士で個人的なおしゃべりがしたいというディアナ殿の意向から、二人は護衛を連れて再び宿へと戻っていった。宿前の護衛を任されていた私はすぐに周囲に眼を走らせる。
「なにキョロキョロしてるんだよ」
「見てのとおり哨戒任務だ」
「ウソつけ、そんな血眼になってやる必要がどこにあんだよ」
ちっ、バレたか。
「……団長を探しているんだよ。会議には参加しないようだが見送りには来るかもしれないだろう?」
正直、淡い期待だった。アストリアの情勢もまだ安定しきったとはいえないし、団長はウルスクで留守を任されている可能性のほうが高い。
ところが、探し人は思いがけずあっさりと見つかった。最初は蜃気楼かと思い何度も目を擦ったが、拡大して何度確認しても間違いない。
ラングフォード団長は笑いながらキリシヤの門前で私に向かって手を振っていた。
私はいてもたってもいられず、己の任務すら忘れてタロスから飛び降りた。
「よう、ひさしぶりだなマリィ」
「……はい。おひさしぶりです……団長!」
嬉しくて嬉しくて、つい泣き出してしまいそうなところを、私は唇を噛んでぐっとこらえた。
団長は相変わらず、まるでもやしのような身体つきをした醜男だった。その虚弱体質で激務を懸命にこなしているかと思うと、今は尊敬の念しか湧いてこない。顔のほうも昔は嫌悪したものだが、今は悪い虫がつかなそうでむしろラッキーだと思っている。団長の魅力はわかる女性だけがわかればいいのだ。
「再び団長に会える日を、一日千秋の思いで待っておりました」
「たかが数ヶ月程度で大げさな奴だな。それよりくれてやったゴールドソードの乗り心地はどうだ?」
「団長から賜った新たな剣。大切に乗らせていただいています。しかし、本当によろしかったのでしょうか。あれはグラントの重要な軍事機密なのでは?」
「あんなもの、ただの高級シルバーソードだよ。既存の技術の集合体にすぎん。グラントの重要機密はもっと別のところにある。親父に相談したら、使わないのならおまえの隊長就任祝いにくれてやれと笑って言ってたよ」
やれやれ、ジュピター帝も大概だな。さすがは狂人の異名を持つだけのことはある。そういう大らかさは嫌いではないがな。
「今回はお見送りだけですか?」
「いちおう会議には参加させてもらうつもりだ。無関係では済まないだろうしな」
「不祥マリィ、全身全霊を以て団長の護衛に当たらせてもらいます!」
「おまえが護衛するのはディアナさんだよ。それと俺はもう団長じゃない。王位継承権も剥奪されているからそんなに畏まらなくていい」
――え?
団長の王位継承権が……剥奪? そんな馬鹿な、あの一件は私の不始末ということで落着したはずではなかったのか!?
「どうして……!」
「アレスと取引したんだよ。ピトナハ五世の生命を救うことと引き替えにな。あいつは自らの地位を脅かしかねないと常々俺を疎んじていたからな。過大評価だと思うがね」
過大評価などではない。最強の第七騎士団を束ねる最強の騎士である太陽の子、ラングフォード団長こそが次代の王に相応しいという声は私も耳にした記憶がある。口にこそ出したことはないが私だって気持ちは同じだ。
そんなことより、問題は団長のほうだ。お優しい方だとは常々思っていたが、まさか敵将の願いを叶えるために王位継承権の破棄までするとは……もとより叶わぬ夢ではあっただろうが、あのひとが王になる姿が見たかった。アレスめ、もしも戦場で会ったならば真っ先に殺してやる!
「そう悲しそうな顔をするな。罪をかぶってくれたおまえにはもうしわけないが、俺としては肩の荷が降りた思いだよ。つうわけでさ、今の団長はこいつなんだわ」
団長の隣に立つ長身の優男。弟のアポロを指さして言う。
「ああ、いたのかアポロくん。団長代理は君だったのか」
「馴れ馴れしく話しかけるな。立場も年齢も俺のほうが上だ」
なんだか刺々しいな。こいつ、こんなに不遜な性格だったかなあ。昔はもう少しかわいげがあったように思うのだが……まあいいか。
「第一鉄騎兵隊隊長のマーガレットです。本日はあなたがたの護衛任務に当たらせてもらいます」
「結構だ。護衛には兄貴に就いてもらう予定だからな」
「えっ、団長が直々に護衛任務に就かれるのですか!?」
「シーリアから特別に許可をもらった。それと今は俺が団長だ。代理などではない」
弟くんが第七騎士団の団長か……失礼だが、なんだかちょっと頼りなさげだな。
「まったく、ディアナ殿はいつまでアランと話しているんだ。どのみち侵略するのだから、くだらない馴れ合いなど無意味だろうに」
「本日は和平に向けた会談だとお聞きしていますが?」
「そんなものただのポーズに決まっているだろう。周辺諸国にグラントの穏和な姿勢だけは見せておかないとな」
身も蓋もないことを言うなあ。果たして部外者同然の私にそのような話をぶっちゃけてしまっていいものなのだろうか。
と思っていたら案の定、団長に余計なことを話すなと小声で叱られる。馬鹿な弟を持つと団長も気苦労が絶えないな。
「ではグラントとは戦うことになりそうですね。私も剣客とはいえ国籍はシーリア人、かつての仲間と剣を交えなければならぬのは誠に残念です」
私は素知らぬ顔で心にもないことを口にした。
特に煽ったわけでもないのだが、これがどうもアポロの癪に障ったらしい。
「なんだその口ぶりは。まさか勝てるとでも思っているのか?」
「そのようなことは決して……ただ、勝負は時の運とも申します」
「ではいいことを教えてやろう。シーリア侵略の尖兵は我らが第七騎士団だ」
それは予想できた。なんだかんだでアストリアでの我らの働きは評価されているだろうからな。
「太陽の子が率いる世界最強の騎士団だ。シーリアの雑魚どもがどれだけ群れようと勝ち目はない。おまえも尻尾を巻いてさっさと逃げることだな」
「現在の騎士団を率いているのは貴殿とお聞きしましたが? 偉大な兄上におんぶに抱っこのようでは、まだまだおしめが取れたとは言えませんね」
「貴様ごとき兄貴の手を煩わせるまでもない! 今ここで俺が始末してやる!」
私の挑発に顔を真っ赤にして怒るアポロ。腰の剣に手がかかったところで横から団長に蹴り飛ばされた。ざまあみろ。
「愚弟の無礼を謝罪する。こいつは好きな娘にいじわるしたがる悪癖を持っていてな」
「兄貴! 余計な事を言うな!」
子供かおまえは。そんな体たらくだからスペックは高くとも、いつまで経っても団長のおまけ扱いなんだよ。
「とはいえ、互いに敵になるかもしれん立場だ。あまり馴れ合いすぎるのも良くない。おまえもそろそろ持ち場に戻ったほうがいい。少しは隊長の自覚を持て」
……おっしゃるとおりです。
名残惜しいが団長の言葉には従うしかない。私は最後にもう一度アポロを挑発してからゴールドソードに戻った。
これでアポロが私情を優先して、戦の際に指揮が乱れたら儲けものなのだがな。
「ほぉ~、あれが噂のラングフォード団長か」
タロスに戻るとすぐにアヤメが、好奇心を丸出しにして話しかけてきた。
「すっげー美形だな。マリィ隊長が惚れるのもわかるわ」
「あれは弟のアポロくんだよ。どうやらお兄様の代わりに団長に就任したようだが、昔と変わらずただの未熟者さ」
「ならそのお兄様ってのはどこに居たんだ?」
「隣に居ただろう。眼が見えていないのか?」
アヤメが驚きの声をあげる。予想していたとおりのリアクションだが、なんだかちょっとムカつくな。
「あんなガリガリのブサイク、どうして好きになったんだよ!」
「失礼な。男は顔ではないぞ」
「物には限度っつーものがあるだろ。あれは人間として認識できるギリギリのレベルだぞ。てっきりアストリア戦争で住処を失った難民かと思ったわ」
こいつ、昔の私と同じような感想を……これでは怒ることもできないではないか。ああ見えて、身なりさえきちんと整えれば多少は見れるようになるんだぞ。多少はな。
「我らの隊長が、まさかこんなゲテモノ趣味だとはなあ。他人の嗜虐に口を挟むのもどうかと思うけど、これはちょっと幻滅ですわ」
「なんとでも言え。それよりアラン市長たちの会話は録音できたのか?」
「試してみたけど、やっぱこの距離からじゃ無理だわ。どうせたわいもない雑談だろうし別にいいだろ。そんなことよりマリィ隊長の高尚なご趣味について触れ回るほうがはるかに重要だわ。手始めに隊長にこっ酷く振られたオウジャの実家にタロスのカメラで捉えた映像を現像して送っとくぜ」
「おいやめろ馬鹿! 趣味が悪いぞ!」
「趣味が悪いのはそっちのほうだろ。なんで弟のほうにしておかないかなあ」
「……」
アポロは確かに文武両道で容姿端麗な好人物だったが、彼に惹かれるようなことは一度たりともなかった。
多少レベルが高くとも凡俗の域は出ていないと、心のどこかで気づいていたから。
団長の魅力はわかる者だけがわかればいい。私が憧れ追い続けるのは、人智を越えた魔性を孕むタロスモンスターなのだから。
「おしゃべりはここまでにしよう。さあ仕事の時間だ」
雑談を終えた市長たちが魔動車に乗り込む。私はホバーに乗ってアヤメとアコに指示を飛ばした。
「さてと、俺も一仕事するとすっかな」
後方から聞く者すべてを魅了するような美声。振り向くと右肩に一輪の花の描かれた旧型のブロンズボゥの艶姿があった。
花には団長の直筆でこう添えられている――『この花をダフネに捧げる』と。
ラングフォード団長の愛機ダフネ。最初期に製造されたタロスにして今なおグラントの最強の象徴だ。
私はアコに一時指揮を任せて団長の許へと馳せ参ずる。
「マリィ、よろしく頼むぞ」
「こちらこそ。また団長と一緒に仕事ができて光栄です」
「だからもう団長じゃないっつうの」
「しかし他に適切な呼び方が思い浮かびません」
「テミスでいい。俺はもう一般市民とさして変わらん」
ぶんぶんと首を横に振る。団長を呼び捨てにするなんて畏れ多すぎる。
たとえ権力の一切を失ったとしても、私にとって団長は団長なんだ。
「……もう団長でええわ。俺は後方でアポロを守るからおまえは先行してくれ」
「了解しました!」
もう少し一緒に居たかったがしかたない。私は再び先行するアヤメたちと合流した。
「あれがマリィ隊長のおっしゃられていた、ラングフォードとブロンズボゥ・ダフネですか。やはり見たことも聞いたこともない機体名ですね」
合流したアコがすぐにそのようなことを呟いた。
当然だ。私のようなアイドルとは違い『本物』はそう簡単には有名にならない。なぜなら近づかれる前にすべての生命を瞬く間に刈り取ってしまうから。死人に口なし、故に風の噂にすらならぬ。前線にも出ないから傭兵ネットワークマニアのアコが知る由もない。味方にとっては太陽だが、敵にとってはまさに死神だよ、あのひとはな。
王位継承権と団長の立場を失った以上、あのひとの影は今後ますます薄くなることだろう。それを悲しく思う一方、喜んでいる自分もいる。
誰にも知られなければ、私があのひとを独り占めできると思っているんだろうな。
……そんなわけないのにな。我ながら歪んでいるな。
幸いなことに山間や他市で賊に襲撃されるようなことはなかった。
アランたちを乗せた車は予定通りアッシャームに到着し、私たちの要人護衛の任務はひとまず終了した。私は団長と共に郊外の基地へと向かう。
「本当に良いのですか。団長の大切な機体を私どもがお預かりして」
「そちらこそ基地の場所を明かしてしまっていいのか? いちおう機密事項だろう」
団長は会談にも出席されるため、タロスに乗ったままというわけにはいかないのだ。私としては複雑な思いだが、今は一緒にいられる時間が何よりも嬉しい。
「機密といっても肝心のタロスが五機しかありませんから。しかもすべてグラントからのお下がりですので隠せるものがありません。広すぎてスペースが有り余っていますのでどうかご遠慮なく」
「では俺もおまえたちを信用してタロスを預けるとするか」
ご安心ください。私は戦場以外であなたのタロスに手を触れるつもりはありません。
戦場以外、では……。
おっといけない、余計な雑念が入ってしまった。将来のことはそのとき考える。今は無心で働くのみだ。集中集中。
団長のタロスを基地に預けると、軍用車にて団長をアッシャームまで送り届ける。
そして私は、なんと団長直々のご指名で護衛を任されたのだ。
「……」
といっても、市街警護に戻るついでなのだけどな。
それでも私のタロス一機で充分だと言ってくれたんだ。光栄な話じゃないか。
ああ……団長にいいところを見せたいなあ。こんなことを考えるのは不謹慎だが、敵襲でもあればいいんだがなあ。
だが私の願いもむなしく、団長を乗せた車はつつがなくアッシャームに到着した。
それはそうだろう、王族とはいえ団長は今やヒラの騎士なのだから。襲う理由なんて何もない。ああ、もちろん結構なことだよ。団長が無名でいたがる理由の一つだしな。ただ、ちょっと残念なだけだ。ちょっとだけな。
「騎士マーガレット、ここまで護衛していただき感謝する」
「剣客として、シーリアとグラントの会談が平穏に済むことを願っております」
私に向かって一度敬礼してから、団長は車に乗り直した。私は団長を乗せて都心へと向かう車をタロスの中から見送る。
団長の乗る車が見えなくなると、全身から力がどっと抜けた。
どうやら自分が思っていた以上に緊張していたらしい。夢にまで見た再会だ。緊張しないほうがおかしいか。
「なに名残惜しそうに街を見てるんだよ」
後ろからいきなり声をかけられてビクリとする。
なんという不覚。アヤメごときに後ろを取られるなどとは騎士失格だ。これは気を引き締め直さないといけないな。
「そんなに団長さんのことが気になるわけ?」
「当然だろう。私の想いを知らないとは言わせないぞ」
「だったら今から会いに行ってこいよ。そろそろ飯時だろ?」
なるほど、昼休憩を利用して団長に会いにいくのか。その発想はなかった。意外と策士だな。
「私が行って向こうの迷惑にならないだろうか。それに、昼間に敵襲がないとも限らない。正規の休憩時間とはいえ、果たして休んでしまっていいものか……」
「会談は午後からだろ? 隊長の代わりはあたいが務めてやるから、ひさしぶりに同じ釜の飯でも食ってこいよ」
アヤメ……おまえはなんていい奴なんだ。この借りはいつか必ず返すからな。
浮かれ気味にタロスから降りようとしたところを、アヤメにまた呼び止められる。
「そのまま行ったんじゃ面白くないだろ。こいつを着ていけ」
「おまえ、それはこの前私が買った服じゃないか。なんでおまえが持っているんだ」
「細かいことは気にすんな。こいつで団長を悩殺してやれ」
「いや、しかし……これを着て歩くのはちょっと恥ずかしいような……」
「恥ずかしがっている場合か! せっかく買った服を団長に見せられるのは、これが最後の機会になるかもしれないんだぞ。気合い入れていけ!」
むむむ、アヤメの言うことには確かに一理ある。これは私にとって極めて重要な一戦になるかもしれないのだ。ならば万全を尽くすのが礼儀ではないだろうか。しかしこの服、私が買った服の中で一番派手な奴なんだよなあ……よりにもよってなんでこの服を選んで持ってくるかなあ。
さんざん迷いに迷った結果、結局私はアヤメが選んで持ってきた私服に着替えることに決めた。
思い返してみれば、このときの私は正気を失っていたとしか思えなかった。
市長から教えてもらった住所を頼りにタクシーを走らせ、私は団長たちが泊まる高級ホテルへと向かった。
現在、団長を含む第七騎士団の面子はロビーにて待機中との情報を得ている。そこで合流して思いきって団長を昼食に誘おうと考えたのだ。
ホテルのロビーに足を踏み入れた途端、どっと大きな笑い声があがった。
「マリィ、なんだその格好は!」
眼に大粒の涙を浮かべて笑うのはロレント。禿頭が特徴的な第七騎士団の若き突撃隊長だ。
しまった……団長たちの直衛としてこいつらも同行していたんだ。なんで失念していたんだ私は。少し浮かれすぎだ。
「激しく似合わねえ。鮮血のマリィ様ともあろう御方が女らしくおめかしとはなあ」
「……ここはシーリアの高級ホテルだからな。周囲を見てみろ、むしろ私の格好のほうが普通だぞ」
「だからっつってわざわざ『それ』に着替えて来るかねぇ」
ロレントに指さされ、私は自分の服装を改める。
ワインレッドのワンピースと日除けの婦人用ハット。むしろ鮮血のマリィに相応しい格好だと思って購入したのだが、スカートという時点でもう駄目なのだろうか。
「タロスの中で半裸になってそれを着てきたんだろ? これ以上俺を笑わせんなよ」
言われてみればものすごく滑稽だ。一緒に食事をとるためだけに、なんでわざわざここまでしてきたのか。だんだんよくわからなくなってきた。
やはり私にお洒落など似合わない。激しく後悔するも後の祭り。私は赤面しながら周囲の笑い物になることを甘んじて受け入れるしかなかった。
「ふん、馬子にも衣装とはまさにこのことだな」
嘲笑渦巻くロビー内で、唯一怖いほど冷淡な表情を張り付けたアポロが、吐き捨てるように言った。
「色気付くのは十年早いぞ、このメスガキが」
そう言ってくれるとむしろ助かる。頼むからもっと毒づいて場を冷やしてくれ。私はそろそろ限界だ。
「アポロォ、おめえちょっとノリが悪ぃぞ。せっかくあのマリィを笑い物にできるチャンスだってえのに」
「ガキのやることなんかで笑えねえよ。それから俺のことは団長と呼べ」
「たいして年齢も離れてねえくせに。そういうおめえのほうがよほどガキっぽい……」
アポロに突っかかりかけたロレントが言葉を詰まらせる。
それもそのはず、彼の後ろにはもの凄い形相をしたラングフォード団長が、さながら仁王のごとき厳めしさで立っていたからだ。
「おまえらぁ、ロビーで騒ぐんじゃねえっつっただろぉッ!!」
団長の怒声がロビー中に響きわたる。
こういうときの団長のだみ声は本当に怖い。案の定、先ほどまで大笑いしていた団員たちは皆青ざめた顔で沈黙した。
「アポロ団長ぉ、こういうときはあなたが皆を注意しないと……」
諭すような口調でたしなめる団長をアポロは鼻であしらう。
ちっ、不敬な愚弟め。団長になったからってあまりでかい面をするなよ。
「まあいいか。ところでマリィ」
「は、はい!」
えっ、なになに? 私何も悪くないよ?
「不愉快な思いをさせて悪かったな。ご覧のとおり柄の悪い連中だが、知ってのとおり根の悪い奴は一人もいない。許してやってはくれないか」
「あの、頭を下げないでください! その、困りますから!」
深々と頭を下げる団長に動転してなぜか自分も頭を下げてしまう。
「我々は客人としてシーリアに招かれている。無礼を働けばグラント全体のイメージダウンに繋がるということをよく覚えておけ」
最後に団員たちをびしっと一喝。かっこいい。
私の分不相応な格好を見ても笑わないし、やっぱり団長は分別ある大人の男性だ。クソガキのアポロとは大違い。思わず惚れ直してしまいそうだ。
「まっ……説教はこのぐらいにして、そろそろ昼飯にしましょうか」
「おい兄貴、まさかマリィと一緒に行くつもりじゃないだろうな?」
団長と食事だと内心浮かれていたところを、またもやアポロが噛みついてくる。本当に嫌な野郎だ。足を引っかけてやりたい。
「そいつは敵だぞ。馴れ合いすぎるなと言ったのはあんただろうが」
「そりゃ勤務中の話ですよ。それに敵って……ちょっと冷たすぎやしませんか?」
まったくだ。さっきからこいつは私に喧嘩を売っているのか?
上等だ、やってやろうじゃないか。魔法の使える私に勝てると思っているのか、この文官あがりの青二才め!
「なんとでも言え。とにかく俺は、裏切り者のそいつと一緒に飯を食う気はない。この場にいる連中も思いは一緒だろうよ」
えっ、そうなの? これでもグラント本国から許可をもらってシーリアに来ているわけだが……もしかして団内に事情が正確に伝わっていないのか?
「とはいえむげに扱うのはさすがに角が立つか。兄貴、あんたが勝手に許可を出したのだから責任を持ってそいつを接待しろ」
「接待って、おまえなあ……」
「これは団長命令だ。ピトナハの一件ではあんたの顔を立ててやったが、今度はそうはいかんぞ」
そっけなく言うとアポロは私を意味ありげに一瞥してから、団員たちを引き連れて本当にロビーを去ってしまった。
去り際にロレントが、私の耳もとで「がんばれよ」と、ぼそりと呟いていった。
ああそうか、そういうことね。
前言撤回。アポロくん、君はなんていい奴なんだ。私のほうが年下だが、これからは義姉さんと呼んでくれて構わないぞ。
「冗談だろあいつら……ちょっと待ってろ、すぐに呼び戻して来るから」
「いえいえ、アポロくんの気持ちも理解できますから! ここは、ふたッ、ふたりきりでお食事でもいかがでしょうか!」
千載一遇のこの好機、決して逃しはしない。いぶかしむ団長をどうにか言いくるめ、私はいきつけの料理店に誘導することに成功した。
「そういえば、シーリアの名物は羊の肉料理だったな」
「はい。この地方ではケバブと呼ばれています」
卓上にずらりと並んだご馳走を前に、私は自慢げに料理を解説する。
ここは一流料理店の息子オウジャお墨付きの羊肉専門店。団長もきっとご満足していただけるはず。
「実はな、アストリアの名物も羊肉なんだよ。隣国なのだから当然といえば当然だけどな。もちろん美味いのは知っているんだが、正直食べ飽きたな」
――あっ。
し、しまった。私はお肉大好きだからまるで気にしていなかったけど、団長はアストリアに長期滞在していたんだ。せっかくシーリアに来たのだから、アストリアとは違うものが食べたいと思うのは当然じゃないか。
「まっ、店によって味付けもまったく異なるだろうから別に構わんけどな」
そう、そのとおり! ご安心ください、ここはケバブの本場アストリアで修行してきたという店主が腕によりをかけて……ってあれ?
試しに一口、ケバブを食べてみる。
うん、注意深く味わってみると、ものすごくアストリア風だ。今まであんまり気にしたことがなかったからぜんぜん気づかなかった。
「確かに美味いな。でもアストリア風のこの濃い味付けはやっぱ胃にもたれるわ」
あわわわわわ! こんな単純なことにも気づかないなんて、私はなんてがさつな女なんだ。自分で自分が嫌になる!
「やれやれ、おまえの手料理が懐かしいよ」
「え?」
「昔は、俺たち兄弟のためによく作ってくれてただろう? アポロは不満げだったが俺は気に入ってた。おまえの料理は本当に美味かったよ」
美味かったよ。美味かったよ。美味かったよ。美味かったよ……。
私は心の中で何度もその言葉を反芻させてから、
やった――――ッ! まだ覚えていてくれてたんだ、嬉しい! しかも、お店の料理より美味しいといっていただけるなんて! こんな光栄なことはない! 生きてて良かったあ!
「お望みとあらば今すぐお作りします!」
「いや、さすがに今すぐは無理だろう」
「店のキッチンをお借りして作ります!」
「……そこまでしてくれなくていい。お店の方に迷惑だから」
いけない、つい興奮してしまった。団長がちょっとひいてしまっているではないか。私は反省して縮こまる。
「それにしてもここは殺風景だねえ。四角い箱みたいな建物がわんさかと……ちょっとしたカルチャーショックだわ」
窓の外の風景をぼんやりと眺めながら団長がフォーク片手にぼやく。
「私も最初はそう思いましたが、要は慣れですよ。それにここまで無機質なのは都心部だけですのでご安心ください」
「郊外に用はないけどな。こんなコンクリートジャングルで三日も会談をやるかと思うとちょっと気が滅入るってだけの話だ」
「ところが都心部にも興味深い場所があるんです。そこまで遠くはありませんしちょっと寄ってみませんか?」
団長は少し悩む素振りを見せるが、すぐに快諾してくれた。
よし、ここで料理店での失敗を一気に挽回してみせるぞ!
かつてバルティアからの侵略を防ぐために建築されたという城壁の前で、団長は眠そうだった眼を大きく開けて関心する。
「ほう、なかなか立派な城壁じゃないか。ここがアッシャームの拠点か?」
「いえ、ここにアッシャームの主要施設は存在しておりません」
私の言葉に団長が怪訝な顔をする。
「ここはイコールが発見されて高度成長する前の旧アッシャーム市街です。世界最古の城塞都市と呼ばれており、世界遺産にも登録されています」
団長は城壁に触れてため息を漏らす。
「ウルスクのピトナハ宮殿と違って何の変哲もないただの石造りなんだな。わずかなミノスも含まれていない。確かにこいつじゃタロスの侵攻は防げないわ」
あいかわらずタロスのことばかり考えているのですね。実に団長らしいです。
「イコール発見前もシーリアは東西交通の要衝であり、外敵に備えるために大きな城壁が必要でした。旧アッシャームの面白いところは、市民を護るために城壁の中に街を作ったことですね。これは当時としては画期的で周辺諸国もこぞって真似しました」
「うちも真似したいが、まあ無理か。首都グラントは、ちとでかくなりすぎてしまったからな」
「現アッシャームも同じ理由で、すでに城壁で市街を囲っておりません」
当時は東のバルティアからの侵略行為が酷くて、和平が成立するまでは西のアストリアと連携して何度も撃退していたそうだ。当時のシーリア軍はそれはもう精強であったと言い伝えられている。平和ボケした現シーリア軍は見習うべきなのだろうなあ。
「旧アッシャーム市街は現在、観光スポットとして一般に開放されています。入場料さえ払えば誰でも入ることができます」
「なるほど、確かにこれは興味深い。いいじゃないかマリィ」
やった、また褒められた!
私はウキウキしながら七つある城門のうちの一つ『平和の門』からアッシャーム旧市街地へと入城した。自分で選んでおいてなんだが、侵略国の騎士たちがくぐるに相応しくない門だな。まあ最終目的は世界の恒久平和なので許してもらうとするか。
アッシャーム旧市街地は狭く入り組んだ道が多いが、『ストライクストリート』と呼ばれる東西に走る大通りはとても広く、多くの観光客とそれを狙った出店でひしめき合っていた。
「世界最古の都市とは浪漫に溢れているが……こう込み合っていると風情がないな」
「有名な観光地ですので、それは仕方ありません」
屋台でメディウス海直送のイカ焼きを二人分買う。せっかく海に面した国に来たのだから海の幸を食べさせてあげないと。
「ここには十年以上かけて建設された世界最古の寺院がありますけど、そこでなら荘厳な雰囲気が楽しめるかもしれませんよ」
言って振り返ると、そこに団長の姿はなかった。
「だ、団長!?」
私は両手にイカ焼きを持ったまま慌てて団長を探す。
――いた!
団長は通りの端で、なぜか警官に絡まれていた。
「おい、浮浪者がどうしてこんな場所を徘徊している? 怪しいな、本署まで少しご同行願おうか」
どうやら職務質問をされているらしい。
浮浪者とは失敬な。私はすぐに二人の間に割って入り、持っていたイカ焼きを顔見知りの警官の口内にぶち込んだ。
「貴様何をする……ってマリィさん!?」
「ヘイボブ、ひさしぶりだな。直接会うのは事情聴取のとき以来か?」
団長にイカ焼きを渡してから、私はボブをキッと睨みつける。
「この御方は聖グラント帝国第七騎士団団長テミス・ラングフォード・グラント王子であらせられるぞ。この度は和平会談のためここシーリアにご来訪なされているのだ」
「団長はもう辞退したけどな」
元がついては凄みが出ないじゃないですか。嘘も方便ということわざもありますよ。
「そのような高貴な御方にいったい何用だ? ずいぶんと手荒い対応に見えたが、事と次第によっては容赦せんぞ」
凄みの欠片もない団長の代わりに私が精一杯凄んでやると、ボブはまるで小動物のように震え上がった。どうも私は、私の想像以上に彼から恐れられているらしい。
「本官はただ職務を遂行しているだけですよ」
「こんな観光地でか?」
「観光客を装ってスパイ活動をしているヤバい連中もたくさんいるんですよ。特にシーリア人純血主義の過激派。そいつらが現在、活発に活動しているという情報を得ているんです。グラントの貴賓が来訪している現在、特に眼を光らせないといけないんですから、多少手荒くなっても仕方ないじゃないですか」
おお、わりと真面目に働いているのだな。グラントで警察といえば無能の代名詞なのだが、こちらでは少し違うらしい。
とはいえ、団長を不審者と間違えたことは許せんな。ここは少しお灸を据えてやらねば。
「何はともあれ、だ。団長は不審人物などでは断じてない。第一鉄騎兵隊隊長であるこの私が保証する。おまえはさっさと職務に戻れ」
「いや、しかしですね……」
「逆におまえを名誉毀損で訴えてやってもいいんだぞ。相手は来訪中の王族だ。果たして傭兵あがりのおまえが裁判に勝てるかなあ?」
せっかくありつけたまっとうな職を失いたくはないだろう――と、実行に移す気もないことで適当に脅してやると、ボブは蜘蛛の子を散らすように退散していった。はは、いい気味だ。
「なあマリィ、俺って周囲から浮浪者みたいに見えるのか?」
「ご心配なく。そのようなことは決してございません」
私が入団する前から愛用なされている軍服はもうボロボロで、一見すると浮浪者に見えないこともないことは否定しきれない事実なのだが、ちょっと物を大切にする御方というだけなので問題はない。この大量生産大量消費の時代では、むしろ美徳といえるのではないだろうか。
いきなり不敬な警官に絡まれたせいで団長の気分が害されてしまった。ここは荘厳な寺院内を見物して機嫌を直していただこう。
というわけで、ジャンナド・モスクと呼ばれる礼拝所まで足を運んだのだが……あろうことか一般人は寺院に入れないと断られる。聖なる地を穢さないためにと裸足にまでさせておいてこの仕打ちはあんまりだ。
「ジャンナ教に入信していただければすぐにでも入れますよ」
「悪いが私は無神論者だ」
「別に神を信じていなくても構いません。この用紙に名前さえ書いていただければ」
誰が書くか!
私も団長も軍内にてそれなりに重要なポジションに就いている。署名なんぞしようものならどこで政治利用されるかわかったものではない。
「そういや、うちの親父がここに自分の銅像を建てたいとか阿呆なことを言ってた記憶があるな」
ジュピター帝も大概不信心だな。いや、もしかしたら自分こそが神だと思っているのかもしれないが。
「まあいいや。時間も押しているし、入れないようなら次に行こう」
すでに興味を失ったかのように呟くと団長は、寺院のすぐ傍に建てられた大きな石像を見やる。
ダルメセク像。シーリアをバルティアの魔の手から救った英雄を讃えるための像だ。その雄々しい姿は見る者すべてを力づけてくれる。
ラングフォード団長も『太陽の子』。本来なら彼に負けずとも劣らないグラントの大いなる英雄のはずなのだ。
「……」
しかしどうだろう。こうしてぼんやりと像を眺める団長の背中はあまりに小さい。
団長のことはお慕いしている。タロスに乗らなくてもそれは変わらない。
だけど、団長の真実の御姿は、やはり神血の舞う戦場でしか見ることができないのだろうな。
旧市街を一通り見物してからホテルに戻ると、すでに食事を済ませてロビーに待機していた団員たちに盛大に冷やかされた。
いいぞおまえたち、そうやって少しずつ既成事実を作っていくんだ。周囲にもさりげなく言いふらしていけ。
「悪い、ちょっと遊びすぎた。すぐに礼服に着替えてくるわ」
団長は団員たちの冷やかしにまったく動じることなく、午後の会談に備えるためにのそのそと自室へと戻っていった。
精一杯の笑顔で団長を見送る私の耳元でアポロが囁く。
「兄貴にはもう告ったのか?」
私が首を横に振ると、
「この意気地なしが」
小声だが、憎悪すら感じる厳しい叱責だった。
わざわざデートをセッティングしてもらってこの体たらく。反論のしようもないが、私には私の事情があるんだ。
私が団長に告白するのはまだ早い。
だけど、その日が来るのはきっと、そう遠くはない未来だ。
魔導の光瞬く夜のアッシャーム。その幻想的な風景を郊外から眺めながら、私はアコと共に夜間警備の任務に就いていた。
周囲に異常なし。グラントとの会談も円滑に終了したと報道されている。
必ずシーリアを侵略するというアポロの言葉に嘘はないだろうから、どこかで難癖をつけてくるのは間違いないだろうが、この様子だとそこまで大きな戦争になるということもあるまい。
「こう何もないとちょっと暇ですね」
「いつもなら私の台詞だな。何事もないならそれが一番だ」
通行人のチェック等は軍本部の仕事だから、私たち騎士は本当に戦闘専門ということになる。アヤメが楽をできると思ったのはこれを見たからだろうな。
「隊長、交代の時間だぜ」
おっと、当の本人のお出ましだ。
三時間交代のローテーションを組んで警備にあたっているが、アヤメが戻って来たということは、かれこれ六時間以上も警備を続けていたということになる。
「私はいい。アコと交代してやってくれ」
普段ならあくびのひとつでもしているのだろうが、今夜の私は眠気ひとつない。
何しろ団長と一緒に警備しているのだ、否応なしにテンションも上がる。私たちは西口、団長はナーサシスやリリーと共に北口の警備だけど、同じ土地の空気を吸っていることには違いあるまい。
「私は今いい気分なんだ。いつもの二倍働くぞ。いや働かせろ」
「ダメですよ隊長。休養はしっかりととっていただかないと」
軽口を叩いていると案の定、一緒に警護していたアコに叱られた。
「そうは言うがな、私は別に疲れてはいないぞ」
「マリィ隊長は我らのエースですよ。万全の体調を整えていただかなければ非常時の際に困ります。そもそもスケジュールを組んだのはあなた自身ではないですか。自分で決めた以上きちんと従ってください」
正論が耳に痛いな。まあ、夜は長いのだから仮眠ぐらいは無理にでもとっておかないといけないか。
私は渋々ながらもアコの言葉に従い休憩をとることに決めた。
基地に戻り格納庫で待機していた整備兵にタロスの点検を頼むと、私は徒歩で騎士寮へと戻った。
自室に戻ると興奮状態が醒めたせいか途端に眠気が襲ってきた。
やっぱり団長が傍にいないといまいちやる気が出ない。団長の存在に依存しているんだ。私もアポロのことをどうこう言えない。
隊服を脱いで風呂場に入り、シャワーを浴びて念入りに汗を流す。清潔にしておかないと団長に嫌われてしまうかもしれないからな。
身体を洗うのは下からというのが私の癖だ。鍛え抜かれて引き締まった太もも、安産型の尻、人並み以上だとは思う胸、コンテストで優勝した顔――特に髪の手入れには時間をかける。団長におまえの髪は美しい金色だなと誉められたことがあるから。私のチャームポイントだ。
柔らかいタオルで濡れた全身を丁寧に拭い、用意しておいた寝間着に着替えると、私は机の上に置いた写真立てを手に取る。
その写真立てには、未だなんの写真も飾られてはいなかった。
騎士団で撮った写真はすべて自宅に置いてきた。団長の顔を見たらグラントに戻りたくなってしまうから。でもいつか、いつの日かまた、ここに団長との思い出の写真を飾りたい。その日が来ることを信じて私はここまでやってきたんだ。
私は写真立てを元の場所に戻すと、すぐに消灯してベッドの中に潜り込んだ。暗闇の中で瞳を閉じると眠気はますます本格化してきた。
――ラングフォード団長。
まどろみの中、ひさしぶりに再会した団長との懐かしい記憶が次々と蘇ってくる。
「団長は、世界征服に興味がおありですか?」
いつもの模擬戦の後に、私はなんの気なしに訊いてみた。
公言こそしていないが聖グラント帝国が目指すは大陸統一。要するに世界征服だ。ただ、それはあくまで彼のお父様の野心。その尖兵を買って出られている団長自身は、度重なるグラントの侵略行為をどのように考えておられるのだろうか。
「ないな」
団長の答えは実にシンプルだった。
「俺はタロスに乗れればそれでいい。そのために争いが必要とあらば喜んで戦うがな」
予想どおりの回答だった。世界を支配したいジュピター帝とタロスに乗るために戦いを欲する団長。両者の利害が一致しているのだ。ならば私から言うことは何もない。
「ただ、征服後の世界にはちょっと興味があるかな」
これは少し意外。私はすぐに聞き返す。
「グラントが世界を征服するってことは、世界中の騎士が俺たちの傘下に加わるってことだろう」
「必然的にそうなりますね」
「だったら俺がそいつら全員を指導してやることも可能ってことになる」
「さすがにそれは物理的に不可能かと……」
「直接的には無理にせよ、タロス操縦のノウハウを伝えることぐらいはできるはずだ」
「失礼ながら、そんなことをしていったいなんの意味が?」
「この世にいる騎士全員に、俺と同じ景色を見せてやりたい。タロスに乗る素晴らしさを教えてやりたい。そして世界に騎士が特別な存在ではないことを知らしめたい。ただそれだけさ」
全員が団長と同レベルのタロスの操縦技術を持つか。世界中の騎士がこんな怪物ばかりになるのかと考えたらつい笑いがこみ上げてしまう。団長も冗談半分だろう。
でも、きっと半分は本気なんだ。
虚弱体質の団長は、自らの身体の代わりとなってくれるタロスと出会って救われた。この感動を世界中に伝えたい。そう願っていることを私は知っている。
古代文明では国民すべてがタロスに乗り、タロスを自らの手足のように扱っていたという諸説もある。実現は限りなく困難だろうけど、世界を征服しなくても、王族じゃなくても、騎士団長じゃなくても、団長ならばあるいは実現可能かもしれない。
「それだけって……団長は、あいかわらず話のスケールが違いますね」
私は微笑んだ。虚弱な身体に似合わぬ大きな野心を抱くラングフォード団長が、たまらなく愛おしかった。
それはとっても素敵な野望――いや、団長の大いなる夢だ。その果てしない夢の果てを、私も一緒にこの眼で見たいと心から思った。
だからな……こんなところで死ぬわけにはいかないんだよ!
私は双眸を見開き覚醒すると、布団と一緒に賊を思いっきり蹴り飛ばした。
蹴りは綺麗に鳩尾に入り、賊は腹を抱えてせき込んだ。しかし利き手に持った獲物を離すことは決してなく、ナイフを私の胸に突き立てようと再び襲いかかってくる。
ど素人が、ナイフの持ち方がなってないわ!
私は突き出されたナイフをかわし、逆に賊の腕を捻りあげてやった。接近戦で私に勝とうなどとは十年早い。
「さあ、事情を説明してもらおうか」
「……」
返答しないので、腕の骨をへし折る寸前まで締め上げてやると賊――アコライトは苦悶の表情を浮かべてこちらを睨みつけた。
アコが襲ってきたことについては別段驚くような話じゃない。寮の各部屋のマスターキーを管理しているのはこいつなのだからむしろ妥当だ。理由も大方の察しがつくが、こいつから直接言質を取りたい。
「沈黙は無意味だぞ。アコ……いや、アコライト様とお呼びするのが正しいか。おまえたちの企みはレティシア殿とパール殿が掴んでいるぞ」
本名アコライト・エーテルライト・ジャンナ。古代シーリア人の末裔らしいな。ハマトには、この手の自称古代人の末裔がゴロゴロいて眉唾物の話だそうだが。
まあ、真偽のほどなどどうでもいい。重要なのは本人がどう思っているかと、シーリア人純血主義を掲げる過激派組織『ハイブラッド』の構成員のほとんどすべてがジャンナを名乗っているという事実だけだ。
「おまえの顔と名前はすでにラオディケイアのブラックリストに乗っている。疑われていないとでも思っていたのかこの間抜けが。高貴な血筋の御方が市長誘拐の片棒を担ぐとは片腹痛い。この売国奴め」
「売国奴は奴のほうだ! この美しいシーリアの地に血に汚れた侵略者を招くなど!」
――ビンゴ。
決定的な証拠がなくてやむなく泳がせておいたが、今回の襲撃と今の自白でほぼクロが確定した。後は煮るなり焼くなり好きにできる。
「誘拐した市長をカードにアッシャームへの剣客召集を阻止しようとしたのだろうが、あてが外れたな。私をすぐに排除しなかったのはなぜだ?」
「市長誘拐が失敗したせいで市の警戒が強くなっていましたから。殺したら確実にアシがつきます。それに親善大使を兼ねているあなたが殺されたらグラントとの全面戦争が不可避になります。ぬるま湯に浸かっている今のシーリア軍では勝ち目がありませんから、できればそれは避けたかった」
それはそうだな。安心したよ、ある程度の常識と愛国心はあるのだな。
「私を襲ったのは組織の方針が変わったからか?」
「そうです。パルミラでのあなたの活躍に危機感を覚え、急進派が台頭してきたというのがまずひとつ。もうひとつがバルティアがハマトのバックについてくれることが確定したことです」
アコが言うにはこの機に乗じてアッシャームを占拠し、グラント色の一掃とシーリアの政権を奪うのがハイブラッドの目的らしい。
馬鹿馬鹿しい、たとえ一時の同盟関係を結んでいようともバルティアもグラントと同じく侵略国であるという事実を失念している。結局のところ、どちらの傀儡になるかの違いでしかない。シーリア人純血主義が聞いて呆れるわ。
「残念だよ。おまえのことは、それなりに信頼していたのだがな」
「あなたのような怪物、私だってできることなら襲いたくはありませんでしたよ。それより、こんなところで悠長にしててもいいのですか? 西口の警備、今はたったの三機しかいませんよ」
――ッ! そういう作戦か!
アコめ、主力である私が基地に戻るのを見計らってから、仲間に都市の襲撃を指示したのか。
最悪の事態を想像して思わず身が震える。私はアコの後頭部を殴打し気絶させ、あらかじめ用意してあった縄で縛り付けてから基地へと戻った。
「……遅かったか」
タロスを駆って大急ぎで持ち場に戻るが、待っていたのは無惨に破壊された三機のタロスと炎上する自由都市の姿だった。
くそっ、やってくれたなハマト!
今すぐアヤメたちの救助活動にあたりたいが、私には騎士として要人と市民を守る使命がある。
私はアッシャーム軍本部に救助要請を入れると、すぐさま市内へと突入した。
なんたる失態。こちらにも思惑があったとはいえ、やはりアコは泳がさずに捕らえておくべきだったか。
だが悔やんだところで仕方あるまい。今は市内に侵入したハマトの騎士を始末するのが先決だ。無論一兵たりとも生かして帰す気はない。
ただ……どれだけ迅速に敵を処理したとしても、もはやグラントとの決裂は避けられないだろうな。
その夜、私はゴールドソードを全開で乗り回し、グラントの要人を狙って西口から侵入した十四機のケイローンをすべて撃破した。
後日『アッシャームの悲劇』と呼ばれることになるこのテロ行為は、要人の生命こそ無事なれど民間人に多数の犠牲者を出し、シーリア戦争勃発の引き金になったと報道された。
シーリア市立病院のベッドの上でアヤメは、さもつまらなそうに雑誌に目を通していた。面会に来た私は見舞いの品を置いて勧められた椅子に座る。
「思っていたよりも軽傷で済んで良かったな」
「全治一ヶ月って軽傷って言うのかねえ」
半壊したシルバーソードを見た時は死んでいてもおかしくないと思っていたし、後遺症も残らないらしいので充分軽傷だ。ちなみに一緒に警備にあたっていたグラント騎士たちはコックピットにとどめの一撃を刺されて皆死んでいる。ハマトにもいちおう敵と味方の区別がつく者はいるらしい。
「隊長から事前に話は聞いていたけど、まさかマジでアコがハマトのスパイだったとはなあ。結構な時間一緒にいたけど気づかなかったわ」
「私も何かの間違いだと信じたかったのだがな。パール殿の調査結果に間違いはなかったようだ」
アコの身柄はハマトと友好のあるシーリア警察には引き渡さず、規律どおりアッシャーム軍本部が預かることとなった。連行される直前に少しだけ会話したが、ハイブラッドの選民思想に身も心もどっぷり浸かっているようで、呆れてあまり責める気にもなれなかった。
「そう怖い顔をしないでくださいよ。今回の襲撃事件は、あなたにとっても有意義な出来事だったのではないですか?」
薄笑みを浮かべながらそんなことを言ってきたときだけは、正当防衛を盾に昨晩のうちに始末しておけば良かったかもしれないとは思わせたけどな。
「アコは最後になんて言ってた?」
「『マリィ隊長の御武運を祈ります』だとさ。我が身の冥福を祈ったほうがいいと返してやったよ」
ただ、その口調は真剣であり、私がグラントとラングフォード団長に勝つことを心から望んでいることだけは伝わってきた。アコがスパイなのは事実だが、私たちの仲間であったこともまた事実だったのだろう。
護国の騎士が犯した売国行為。シーリア法でも通常なら処刑されるのは確実だ。おそらくこれがアコの遺言となる。激励としてありがたく頂戴する。
「……アッシャームはこれからどうなるんだろうな」
「とりあえずグラントとの戦争の準備だな。バルティアにも支援を要請しなけりゃならないってアランが青い顔して言ってたよ」
「おいおい、バルティアはハマトと共謀してうちらを攻撃してきたんだぞ。むしろグラントと手を組んで連中と戦ったほうがいいんじゃねえのか」
「今回のテロ行為はハイブラッドの単独犯ということになっている。そしてハマトはハイブラッドとの関係を否定している。実際はハイブラッドの幹部である市長を筆頭にズブズブの関係だったとしてもな。おまけにグラントは侵略行為の大義名分が欲しいだけだから、今回の一件をこれ幸いと利用してくるだろう。残念ながらどうにもならんよ」
アヤメの言うことはもっともだと私も思うのだが、政治というのは難しいものだな。
二十機以上のタロスを投入して行われたハマトとハイブラッドの大作戦。局所的には我が軍は勝利を収めたが、大局的には敗北を喫したといえるかもしれない。
「納得いかねえ。あんたも含めてグラントの騎士は気のいい連中ばっかりだったのに」
「嬉しいことを言ってくれる。どうせ侵略されるならバルティアよりグラントのほうがナンボかマシだぞ」
「でも、まあ……これで踏ん切りはついたけどな」
「なんのだ?」
「実はあたいも軍を退役しようかなって思ってる」
充分に予想できた話だ。もともとアヤメは自分の騎士適正を生かして楽して儲けようとして入隊したのだ。一度死にかけたら辞めたくもなる。
「うちの親父がな、前々か言ってたんだ。これからのシーリアは危険になる。俺の実家に移り住まないかってさ」
アヤメの父親の祖国――ヤルパン。ここよりはるか東方にあるという島国か。
経済は発展していないが大陸にはない独特の文化が存在しており、噂ではすべての建物が黄金で出来ているとかいないとか。団長もグラントが世界征服を達成した暁には、ぜひとも立ち寄りたいと言っていた魅惑の観光スポットだ。いいじゃないかアヤメ、うらやましいぞ。
「あたいは反対したんだよ。親父の祖国はド田舎だって聞いていたからな」
「おまえはいつもそれだな。未開の地も存外悪くないぞ」
「それに、あんたと一緒に騎士の仕事をするのは結構楽しかったしな」
「またまた嬉しいことを言ってくれる。たとえお世辞でもな」
「世辞なんかじゃねえよ。隊長がどうしてもって言うんなら残ってやってもいいって思ってるぐらいだぜ」
「やめておけ、シーリアはこの先どうなるかわからん。どのみちその怪我では戦力にはならん。悪いことは言わない、親父さんの祖国に避難しておきなよ」
「……引き留めちゃくれないんだな」
寂しげな声でアヤメが呟く。
気持ちはわかるが未練がましいぞ。一度決めたことは最後まで貫くべきだ。
「私の家は父子家庭でね。親父が男手ひとつで育てたせいで、こんな男勝りでがさつな性格になってしまったわけだが……感謝していないわけではない。だから祖国に戻れない私の分まで親孝行してきてくれないか」
親父と喧嘩して家出同然に飛び出したことは黙っておこう。あの頃の私は若かった。
「親孝行かあ。したほうがいいかな?」
「ああ。出来るときにしたほうがいいぞ。親不孝者の私が言うのもなんだがな」
「そっか……それも、そうだな」
「シーリアが安全な国になったらまた戻ってくればいいさ。そうなるよう、私も最善を尽くすつもりだ」
終始浮かない顔をしていたアヤメだったが、ここにきてようやく笑みを浮かべてくれた。それでいい、おまえに辛気臭い顔は似合わないからな。
「最後に約束してくれ。たとえシーリアが負けたとしても、あんただけは負けないでくれよ。向こうに行ったら世界最強の騎士から手ほどきを受けたって自慢したいからな」
「ナーサシスにも同じことを言ったが相手が相手だ、約束などできはしないよ。もっとも負けるつもりは毛頭ないがな」
「それが聞ければ十分だよ」
あいかわらずの自信家だなとアヤメは嬉しそうに笑った。
期待が重いな。だが悪い気はしない。安心しろ、勝算はある。おまえが帰ってくる日がいつになるかはわからんが、きっといい結果を報告できるはずだ。
……さて、そろそろ面会時間の終了時刻だ。
私はアヤメに別れを告げると、軍から支給された魔動車を飛ばして郊外の騎士寮へと戻った。
誰もいない食堂で、私は暫し静寂を楽しむ。
今回の非常事態を受け、ナーサシスとリリーはラオディケイアへと戻った。今、この騎士寮には私以外、誰もいない。
たったひとりの第一鉄騎兵隊。だが孤独ではない。隊員たちの想いは、すべてこの胸の奥にある。
相手が誰であろうと私は勝つ。勝って勝って勝ちまくる。
あのひとと剣を交えるその日まで。