太陽の子 ― Son of Sun ―
ウルスク――かつて世界第二位の大国と讃えられたアストリア王国の首都。
150年前、当時のアストリア王の手により内陸の高原地帯に作られたのが始まりで現在ではイーリアス大陸有数の人口を擁する大都市にまで成長している。初めてタロスを大陸に持ち込み運用した都市としても有名だが、半年前に聖グラント帝国の侵略を受けて陥落。その支配下に置かれることとなった。
現アストリア王を含めた軍の幹部の多くは軍事裁判にかけられ処刑。アストリア軍は解体。代わって市内には治安維持と称して、グラント軍の兵士が跋扈し始めた。
酒場の裏で二人のゴロツキに絡まれている騎士テミスも、そんなグラント兵の中のひとりだった。
ただでさえ市民から嫌われ煙たがられているグラント軍。群れから離れた者は容赦なく襲われる。テミスは顔面を蒼白にして両手を小さくあげる。
「そろそろ勘弁してくださいよ。俺はあなた方には何もしてませんよ」
「うるせえんだよ、このグラントの狗め」
鳩尾に重い拳がめり込む。テミスは呑んでいた安酒を胃液と一緒に地面に吐き出し、力なくその場にうずくまった。
「てめえらが来てからこの街はむちゃくちゃだ。この落とし前どうつけてくれる?」
「そんなこと一兵卒の俺に言われても……もうじき新しい国王が擁立され、アストリア軍も再編成されますから、それまで我慢してくださいとしか……」
しゃべっている最中に、テミスのそばかすだらけの顔にゴロツキの重い蹴りが入る。
学のないゴロツキには難しい政治の話はわからない。良心もないので弁明や謝罪が聞きたいわけでもない。単に街を我が物顔で闊歩するグラント兵が気に食わず、その鬱憤を解消するためのサンドバッグが欲しいだけだ。
「顔はやめてください。これ以上やると大事になってしまう。あなたたちのために言っているんですよ」
「うるせえんだよカス。そんな貧相な身体でよく兵士なんてやってられるな」
テミスの身体は触れれば折れてしまいそうなぐらい細い。鍛えてはいるが生来の虚弱体質のためどうしても限界がある。そこをゴロツキたちに目をつけられたのだ。
「国軍もとんだ腑抜けだな。こんなもやしどもに負けやがって」
「……」
「おおかたろくな訓練もせずに国の金を使って遊び呆けてたんだろうな」
「……その侮辱は許せませんね。彼らは我がグラント軍と最後まで勇敢に戦った。撤回を要求します」
テミスの顔面にもう一度蹴りが入った。鼻血を出してせき込む彼の胸ぐらを掴み強引に立たせる。
「こっちは高い税金を払ってんだよ。無能を罵って何が悪い?」
「本当に? あんたらみたいな社会の底辺が、真面目に税金を払ってるなんてとても思えませんがね」
図星だった。ゴロツキたちは地上げと金貸しを生業にしているが、まともに税金を払ったことなどただの一度もない。
だがそんなことはゴロツキたちには関係ない。生意気な口を叩くテミスの後頭部を壁に叩きつけると、その鼻面に頭突きを食らわせる。
「てめえは余計なことを言わず、ただ黙って殴られていればいいんだよ」
「黙りませんよ。俺のことはいくら殴ったって構いませんが、騎士の誇りを汚すことだけは許されない。発言の撤回を要求する」
「ほう、だったらこれならどうだ」
ゴロツキはジーンズのポケットからナイフを取り出す。
「こいつで眼球をえぐられても同じことが言えるかい?」
「何度も同じことを言わせるな。発言を撤回しろと言っているんだ」
眉間にナイフを突きつけられてもテミスの瞳におびえの色はない。それどころからゴロツキを真正面から激しく睨みつける。
「撤回しないというのなら、その生命で払ってもらうことになるぞ」
その突き刺さるような視線に言いしれぬ恐怖を感じたゴロツキは、酒の勢いに任せてテミスを殺すことに決めた。
眉間に突きつけたナイフにぐっと力を入れた――その瞬間、ゴロツキは腹部に熱いものを感じ取っていた。
背中から腹部へと貫通した長剣は、激痛と共にゴロツキからナイフを握る力を奪っていた。
「遅いですよ、ラングフォード団長」
蒼白い月光の下、漆黒の鎧に身を包んだ騎士は、刺殺したゴロツキたちの始末を部下に任せると白馬トロイアから静かに降りた。
「一緒に呑もうって約束したのに、几帳面な団長らしくもない」
「中央広場で市民の暴動があってな。その鎮圧に少し手こずった。そんなことより」
黒鎧の騎士は兜を脱ぎ、その美しいダークブラウンの長髪と彫刻のように端正な顔立ちを惜しげもなく外気に晒す。
「ここは敵地だ。独りで行動するなと念を押したはずだぞ」
アポロ・ラングフォード・グラント。
聖グラント帝国第七騎士団団長にして王位継承権二十七位の王子は、脱いだ兜をテミスに向かって放り投げた。
テミスは慌てて兜を受け止めようとしたが身体が上手く動かず、兜を地面に落としてしまった。
「あんたの身体の弱さはあんた自身が一番よく知っているだろう。どうして酒場にいる仲間に助けを求めなかった?」
「それはまあ、なんつーか……あんまり騒ぎを大きくしたくなかったんですよ。やっぱ悪いのは侵略してきたうちらだと思いますしね。適当に殴られてやればあいつらも気が晴れると思ったんです」
やはりそんなところか。納得してアポロは微笑んだ。
「あんたらしいな。だが優しいだけではここでは生きていけないぞ」
「俺が優しい? 冗談言わないでくださいよ。それより仕事が終わったのなら呑みましょうよ。皆あなたのことを待ってますよ」
「敵国でよく呑める。いつどこで襲われるかもわからないというのに」
「敵国じゃありませんよ。ここはすでにグラントの一部ですから。そんなことより今晩は、団長に夜のつきあいというものをキッチリ教えてあげましょう」
――やれやれ。
アポロは深いため息をつく。
「構わんが、あまり無理はさせるなよ。あんただって酒は弱いほうだろう」
「酒ならさっきぜんぶ吐いたから大丈夫。さあ、行きましょう!」
呆れて肩をすくめて見せるがテミスはいっさい意に介さない。すぐにアポロの肩に手を回して酒屋へと連行した。
「おまえらぁ、ラングフォード団長のお出ましだぞぉ!」
テミスの張り上げた声に呼応して、酒場にいたグラント兵たちが一斉に立ち上がり喚声をあげる。彼らの多くは第七騎士団の団員で、本日は長らく続いた戦後処理のせいで半年遅れになった祝勝会だった。
「さあ団長、駆けつけ一杯です」
「いや、死体を片づけてくれている部下が戻るまで待つよ」
テミスに酒のたっぷり入ったジョッキを押しつけられるが丁重に断る。身分はこちらが上だが相手のほうが年上なので、こういう時の対応には少しだけ困る。
「いきなりノリが悪いっすねえ」
「あんたのノリが良すぎるんだ。さっきはしおらしく殴られていたのにな」
「それはそれ、これはこれ。せっかくの祝勝会なんだからハメを外しましょう」
「……そうだな」
歓迎してくれるのはありがたいのだが、アポロはこういう騒がしい雰囲気が苦手だった。酒自体もそこまで好きではない。酔えば酔っただけ判断力が鈍る。
だが何事もつきあいが大事だというテミスの言い分ももっともだろう。祝勝会というのであればなおさらだ。
「じゃあ部下が戻ってくるまで水でも飲みながら世間話でもしますか」
テミスがカウンター席を勧めるとアポロは頷きそこに腰を下ろす。
「暴動、まだ続いているんですね」
「ああ。難民問題はあらかた片づいたんだが、こっちのほうはなかなか……な」
「根強いですものねえ、ウルスク市民のピトナハ支持」
「無理もないさ。マリーサが王位に就けばアストリア初の女王の誕生だ。人は前例のないことに拒絶心を覚えるものだ」
先日処刑されたアストリア王にはピトナハとマリーサという二人の孫がいた。
通例では長男であるピトナハが王位を継ぐのだが、グラントが擁立したのは長女であるマリーサだった。ピトナハは素行が悪く、グラントに反旗を翻す可能性ありと判断したのだ。
「団長がマリーサの後継人になったという噂があるんですが本当ですか?」
「馬鹿を言え。俺には次の任務がある」
「じゃあマリーサと×××したって噂は? 聞けば彼女、ものすごい美人らしいじゃないっすか。いやあ、羨ましいっすわあ。お盛んですねえ」
アポロは居酒屋の店主に一番アルコール度数の高い酒を頼むと、その瓶をテミスの口の中に突っ込んだ。
「この酔っぱらいめ。俺を親父と一緒にするな」
喉を焼いて苦しむテミスを見てアポロはふんと鼻を鳴らす。
アポロの父、ジュピター・グラントは好色で知られていた。侵略した国で最初にするのは女漁りで、その国の王族から必ずひとり妻を娶る。そして生まれた子供たちに王位継承権と騎士団を与えて競わせているのだ。この習慣は還暦を越えた現在でもなお続いている。
「今回も処刑したアストリア王の妻たちを娶るつもりらしいが、まったく悪趣味にもほどがある。囲った女の誰かに殺されても文句は言えまい」
「いいんですかあ、それって聖帝批判ですよお」
「構うものか。批判はすべて受け入れるとご自身で言われているのだからな」
「他人の持っているものが良く見えるっていう気持ちは、わからなくもないんですけどねえ」
「童貞が世迷い言を」
アポロはグラスに注がれた水を一口くちにする。
不味い。やはりこの国の水は合わない。早くここでの雑用を済ませて次の任務に向かいたい。
「三日後にマリーサの戴冠式を執り行う。それで俺たちはお役御免だ。後は後継人に任せるさ」
「てことはまた侵略再開ですか? 大国を落としたばかりで、そんなに急がなくてもいいじゃないですか。みんな結構ここを気に入ってますしね」
「市民の気持ちを考えろ。厄介者はさっさと出て行ったほうがいい」
「またまた、そんなこと言っちゃって。本当は早くシーリアに向かいたいだけなんでしょ。あそこにはプレイボーイな団長の本命がいますもんね」
テミスにからかわれてアポロは大きく舌打ちする。一発ぶん殴ってやろうかとも思ったが店に迷惑がかかるので自重した。
「そういうあんたはさっさと所帯でも持て。それで少しは落ち着くだろう」
「それ、俺の顔を見て言ってるんですか。こんな痩せっぽちの醜男のところにいったい誰が嫁いでくれるっていうんです?」
「心配するな。いつの世にも変わり者はいる」
「俺にはタロスがあればそれでいいんですよ。あ、あいつら帰ってきましたよ。これでお酒もオッケーっすね」
さっきのお返しと言わんばかりにテミスが酒瓶をグイグイと押しつけてくる。無理やり呑ませる気だろうがそうはいかない。
アポロはテミスから酒瓶を奪い取り、それを一気にラッパ呑みしてみせた。
「酒は嫌いだが弱いわけではない。いいだろう今夜は存分に相手してやる」
その夜のアポロは、テミスが三度吐いて酔い潰れるまで酒につきあったが、顔を赤くすることさえなかった。
重力制御装置により斥力を発生させてコックピットに乗り込むと、アポロは愛機ゴールドソードを起動させた。
深紅のマントをはためかせ黄金に輝く巨人兵が格納庫を出る。
リンク、シンクロ共に良好。本国の専用施設ではないため万全とまではいかないが、アストリアの整備士もなかなかいい仕事をする。ハイグレードのイコールの調達が困難なのが問題点だが、シーリアを落とせばそれも解消するだろう。
「いくぞテミス。そろそろ先方との約束の時間だ」
「ちょっと待ってください。まだオーバーホールが終わってません!」
市外に急造したタロス専用基地。その格納庫の中で工具片手にテミスが叫ぶ。
地元で雇った整備士では信頼できないと早朝から整備に加わりすでに二時間余りが経過した。にも関わらず、未だに作業が終わらないというのはいったいどういう了見か。いくらなんでも遅すぎる。
「これ以上遅くなるなら置いていくぞ」
「俺を置いていくと後悔することになりますよ! 団長のタロスと違ってこっちは旧型なんだからしょうがないでしょ!」
テミスの愛機は初期型のブロンズボゥ。すでにグラントの主力からは外れ、廃棄処分や傭兵に払い下げられたりすることも少なくない時代遅れの機体だ。故に整備士にメンテナンスのノウハウがないということなのだろうか。
「だったらさっさとシルバーランクに乗り換えろ」
「次同じこと言ったらたとえ団長でもぶっとばしますよッ!」
悪態をつきながらテミスのブロンズボゥが、ギクシャクとした挙動で格納庫から出てきた。
「くっそ、ぜんぜん思いどおりに動かねえ。こんの無能整備士どもめ。旧型の扱い方ぐらい勉強しとけって。これだから最近の若い奴は駄目なんだ!」
「あんたもまだ二十五だろう。仲間を待たせているからさっさと来い」
第七騎士団も羽振りの良いほうではない。財政面の都合で旧型のタロスに乗らなければならない騎士もいるにはいるが、あえて旧型に拘っている骨董品マニアはこのテミスぐらいだろう。団としてはありがたい話なので、あまり大きな声で文句は言えないのだが。
「市内でのお披露目パレードは昼からでしょ。そんな急かすことないじゃないですか」
「俺は戴冠式に出るんだぞ。マリーサ女王との謁見もある。宮殿内の警備も当然やる」
「んなもん第一の連中に任せときゃいいじゃないですか。どうせこのアストリアはあいつらのものになるんだから」
王族会議の結果、すでにマリーサ王女の後継人は第一騎士団のアレス団長に決定していた。それだけでは留まらず、彼女と結婚し次のアストリア王になろうと目論んでいるという噂もまことしやかに流れている。市民の反発は専らこの噂に対するものだ。
グラントが侵略した国の自治を認めているのは周知の事実で、ウルスク市民もそれならばと一時は納得しかけていたのだが、噂が真実ならば話は別だ。侵略国の人間に王になられては、どんな悪政を強いられるかわかったものではない。
もっとも、王族たちの策謀や市民の苦悩などアポロからすればどうでもいい話。今の彼にとって大切なのは御家の存続だけだった。おかしな政争に巻き込まれる前にさっさとこの地を離れたい。
「俺たちはただ、与えられた任務を粛々とこなすだけだ。だいたい、戴冠式に生身で出なければならない身としては、第一騎士団だけに警備を任せるなど恐ろしくてとてもできんよ。生憎と俺に自殺願望はないものでね」
「ですよねえ。あいつらに警備を任せたら生命がいくつあっても足りやしない」
言ってテミスがケラケラと笑う。
アポロも釣られて笑いながら、二人は待機していた団員たちと合流し、王女たちの待つウルスクへと向かった。
大陸で初めてタロスを運用した都市ということもあり、ウルスクの街並みはまずタロスありきで造られている。
道路はタロス数機が余裕を持って移動できるだけの幅が取られ、耐久度を高めるためにミノス合金によって舗装されている。タロスに乗ったまま買い物ができるよう高所に店を構える場所もある。イコールは国で管理されているがタロスの売買は自由。タロスを個人所有する裕福層も多い。ただ街並みはシーリアのように近代化されておらず、タロスの巨体が公道をせわしなく移動することを除けば概ね牧歌的な風景と言えた。
「今さらながら団長、こんな場所をよく馬で歩けましたね」
「暴動を起こす市民は大抵は中流層でタロスを所有していないからな。それに俺のタロスはイコールがもったいなくて軽々には乗れん」
「はぁ? だったらさっさとシルバーランクに乗り換えたらどうですかねえ」
「……さっきは悪かったよ。俺にも色々と事情があるんだ」
アポロが調達困難なハイグレードイコールを使うゴールドタイプに乗る一番の理由は見栄と世間体だった。我ながら馬鹿馬鹿しい話だと呆れるが、王族の騎士にとってそれは一番の優先事項でもある。
家のためにも、あまり目立つような真似はしたくない。戦場では目立って的になることも多いゴールドタイプだが今後も乗り続けるより他ない。
「これも騎士道というやつか。……クソくらえだな」
「何か言いました?」
――いいや、何も。
アポロは独りごちるようにそう呟いた。
左右にそびえ立つ高い尖塔が特徴的なその門は、ピトナハ宮殿の中央門で表敬の門と呼ばれている。
アストリア王家以外の人間はタロスに乗って通行することを許されなかったという大門も今や過去の話。グラント王家の証である大鷲のエムブレムを憲兵に見せて手早く許可を取ると、アポロ率いる第七騎士団のタロスは宮殿内へと進入した。
「それにしても馬鹿でかい宮殿ですねえ。タロスで悠々と乗り込めちまう」
「王族がタロスに乗ったまま生活するために建てられた宮殿だからな。俺から言わせればただの欠陥住宅だがな」
新緑に彩られた第二庭園を歩きながらアポロとテミスが談笑する。
「でも戦時に籠城する際には便利ですよね」
「やらなかったけどな」
アストリア王は首都を脱出しキリシヤの門を抜けてシーリアに亡命しようとしたところを第七騎士団に捕らえられた。一国の王が国民を捨てて逃げるなどというのは本来なら恥ずべき話ではあるのだが、籠城したところで包囲されて無駄な犠牲者が出るだけなので賢明な判断ともいえる。
「そもそもこの宮殿は籠城するようにできていない。皇居や会議の間も勿論あるが、主に国民や諸外国にアストリア王の権威を見せつけるためのものだ。左手に一際でかい建物があるだろう。あれはハーレムだ。主は死去したが、四人の妻と何十人もの愛人が今もあそこで生活を営んでいるそうだ」
「さっきからやたらと女を見かけると思ったらそういうことですか。ジュピター帝もそうですけど、なんで王族は何かと女を囲いたがるんですかね?」
……それをあんたが俺に聞くか?
アポロも王族だが、ハーレムを作りたいと考えたことなど一度もない。愛する女性がひとり傍にいてくれればそれで充分ではないか。
「色情狂のうちの親父はともかく、この国にはタロスに乗れない人間は王族を名乗れないしきたりがあるそうだから、より多くの子を為すために仕方のないところがあったのかもしれないな」
「古臭いしきたりですねえ。俺みたいな無能でも努力すればタロスには乗れるんだし、才児を生むことに執着するのではなく新しい訓練方法でも模索すればいいのに」
「あんたは定期的におかしいことを言い出すよな」
「団長みたいな天才はそう思うんでしょうね。でも俺の考え方は至って普通ですよ。だって魔力は生きとし生ける者すべての内にあるんですから。タロスは決して選ばれし者だけの乗り物じゃありませんよ」
「いや……普通はしきたりを廃除しようという方向に行かないか?」
「言われてみれば確かにそのとおりですね」
たわいのない会話を楽しみながら第二庭園を抜けると、目の前にまたひとつ大門が立ちはだかった。王族の私的スペースである第三庭園へと通じる門で、幸福の門と呼ばれていた。
ここから先は王族以外の立ち入りは禁止されている。アポロは団員に待機命令を伝えると、護衛隊長の許可を得て幸福の門を通過した。
第三庭園は王族たちが日常生活を送る場だが、第二庭園に勝るとも劣らぬほどに広く拓かれていた。王族たちはここで幼少の頃からタロス操縦技術の鍛錬を行っていたと聞いている。
――その風習も、これで終わりかもしれないがな。
グラントは基本的には属国の風習に口を出さない。しかし強き王はその内に傲慢を宿し、それはいずれ謀叛へと繋がっていく。
将来の禍根になりそうなしきたりは根こそぎにされる。アポロはアストリアの今後の方針を決定する立場にないが、すべての牙を抜かれるであろうという予測を立てることは容易だった。
第三庭園の先にある第四庭園の前でアポロはタロスから降りた。ここから先は生身で余暇を楽しむ場所となっている。
チューリップを中心に色とりどりの花が咲き乱れる第四庭園は、王族たちの憩いの場所だ。渦中の人物はこの先に居る。アポロは頬を染めて立ち止まる女中たちと朗らかに挨拶を交わしながらゆっくりと歩を進めた。
第四庭園の更に先――ピトナハ宮殿の北端には、見晴らしのいい大理石のテラスがあった。
アポロはそこで兜を脱いでひざまずき、メイドと共にテラスで紅茶を嗜んでいた黒髪の少女に敬礼する。
「第七騎士団団長アポロ・ラングフォード・グラント、ただいまよりマリーサ王女の護衛にあたらせていただきます」
アストリア第一王女、マリーサ・アストリアはアポロに面を上げるよう命ずると、ウェーブのかかった髪をかきあげながら花のように笑った。
「戴冠式までまだ時間があります。一緒にお茶でもいかがですか?」
第四庭園に建てられた柱時計を一瞥しながらマリーサが言う。アポロはそれを快く受け入れた。
「市外よりご足労いたみいります。殿内の施設を利用できれば良かったのですが」
「殿内警護は第一騎士団の管轄ですので。お心遣い感謝いたします」
直接会うのはこれで二度めだが、マリーサは噂どおりの美少女だった。
まだ幼さの残る顔立ちと均整の取れた身体つき。浅黒い肌を純白のドレスで包んでいるが、そのコントラストがまた美しく、見る者を強く惹きつけた。
「おめでとうございます。本日より貴女は正式なアストリア王になります。臣下や市民の反発は根強いものがありましたが、どうにかここまで漕ぎ着けることができて、私たち一同ほっと胸をなで下ろしています」
「私としましては、あまりおめでたい状況ではありませんけどね」
ハッキリと物を言う娘だな。アポロは顔を曇らせる。
祖父は処刑され父親は戦死。兄とは王位継承権を巡って対立とあらば心穏やかでいられるはずもない。おまけに市民からの支持もない。即位後の苦労は火を見るより明らかだ。後継人の手腕に期待するより他ない。
「ですが、悪しき習慣を撤廃する機会を与えていただいたことには感謝しています」
「アストリアの風習がお嫌いですか?」
「当然です。私も女です。女性が産む機械のように扱われるのを見て、気持ちいいはずもございません」
そう、だからこそグラントはマリーサを王に推した。心優しく女性の人権を重んじる彼女の政権下であれば、アストリアの牙は自然と抜け落ちる。
それはグラントにとって都合のいい飼い狗になるという意味だが、アポロはそれが悪いことだとは思っていない。マリーサの言うとおりアストリアにとっても悪習や税の無駄遣いを廃除し、更なる国の発展を目指す好機でもあるのだから。
「ハーレムはただちに撤去します。ジュピター帝は王族の后をご所望とのことですが、これも丁重に断らせていただきます」
「私もジュピター帝の子ですが、あの方は嫁いでくる女性を悪くは扱いませんよ。無理強いをする方でもございませんので一度お会いになってみてはいかがでしょうか」
「信用できませんね。先日もアレス様から婚姻を迫られたばかりですので」
あの噂は真実だったか。
これはいよいよきな臭くなってきた。一刻も早くアストリアを去りたいがそういうわけにもいかないだろう。
「その話、もしかして断られたのですか?」
「当然です。あの方も父と同じで、女性のことを道具としか見ていませんでしたから。噂を聞く限りジュピター帝も同じでしょうね」
「むしろ逆ですよ。あの方は今のご時世、珍しいぐらいのフェミニストですから。アレス殿のことはジュピター帝にご相談なされるのがいいかと……」
「相手があなただったら良かったのに」
……え?
そこでようやくアポロは、自分に対するマリーサの視線に熱が篭もっている事実に気づいた。
「私も子供ではありません。アストリア初の女王として執政を行うためには大きな後ろ盾が必要だということぐらい理解しています。ですが、好きでもない男の許に嫁ぐなど死んでもできません」
まずい。実にまずいぞ。
アポロは内心の動揺をおくびにも出さずにメイドの出した紅茶に口をつけた。話は不味いが紅茶は美味い。さすがは王宮、使っている水が違う。
「その……私としては、アポロ様に後ろ盾になっていただけると心強いのですが……ダメでしょうか?」
上目遣いで訊ねてくるが、駄目に決まっている。
アポロがマリーサを寝取ろうとしているという噂がまことしやかに流れていることはテミスから聞いている。ここ数日アレスの自分への態度が冷たかったのもそれが原因かもしれない。ここでおかしなことを言おうものなら噂を真実にしてしまいかねない。次期聖帝と目されるアレスの不興を買えば、その代償はアポロ本人の不遇だけには留まらないであろう。
「……なぜ私なのでしょうか。あなたにお会いするのはこれで二度めだと記憶しておりますが」
「恥ずかしながら一目惚れです。巨大なタロスを小さき白馬に乗って率いるその姿に、私はずっと憧れていました」
周囲には奇行に映るだろうなと我ながら呆れていたが、こんなところで悪影響を及ぼしているとは露にも知らなかった。
アポロは頭を抱えたくなる気持ちをぐっとこらえる。
「馬の御名前は?」
「愛馬トロイアです」
「トロイア……素敵な名前です。さぞかし由緒あるご立派な馬なのでしょうね」
ウルスクの厩で白馬という理由だけで買ったのでよく知らないとは言えない。
「私は、貴女が思っているような立派な人間ではありません。属国出身故に王位継承権も下位です。残念ながら貴女の力にはなれません」
「立場上そうおっしゃられると思いました。ですが私も、ただあなたに守られたい一心で申しているわけではございません。敗北したとはいえ、かつては世界第二位の国力を誇る大国でした。その国の女王である私なら、あなたの立身のお役に立てるかと思いますが……いかがでしょうか?」
なるほど、今度はそう来たか。
アポロはマリーサの真摯な眼差しを正面から受け止める。
マリーサは恋する乙女の前に一国の女王だ。権威欲の塊のようなアレスより純朴なアポロのほうが利用しやすいと判断したのだろう。その判断は正解だと思うし、アポロも強かな女性は嫌いではない。アストリアの権威を上手く利用できればジュピター帝亡き後のグラントの実権を握ることすら可能かもしれない。
だが、それでもマリーサの申し出に応じることはできない。アポロは静かに首を横に振った。
「私には好きな女性がいます。貴女の想いには応えられません」
嘘ではなかった。とっくの昔に諦めた恋ではあったが、それでもマリーサの性格を考慮すれば断る理由にはなる。
「差し支えないないようでしたら、どのような女性か教えていただけませんか」
「男勝りな女性ですよ。飯の時間になるとよく男どもに混じって肉を奪い合ってましたね。ある日突然、なぜか料理作りに目覚めましたけど、これが味気がなくて実に不味かった。それと拷問マニアでしたね。自宅に行くとその手の本がたくさん置いてありましたから。一言でいえば変わり者ですよ。外面だけは良いので余所ではモテたらしいですが団内ではメスゴリラ扱いでした」
おかしいな、誉めようと思っていたのに悪口しか出てこない。
アポロは頭をひねってどうにか彼女の良いところを探そうとする。
「ええっと、他にはそうですね……とにかく強かったですね。タロスに乗っても乗らなくても。アストリアでも暴れまくって一時期はグラントの新聞で英雄だともてはやされたりもしてました。決闘で九連勝したなどと言って笑顔で取材を受けているのを見たときは相変わらず馬鹿をやっているなと呆れたものですよ。ああ、なんだか自分でもどうして惚れたのかよくわからなくなってきた。今の話は忘れてください」
困り顔ながらも饒舌に話し続けるアポロを見て、マリーサはころころと笑った。
「わかりましたもう結構です。お腹いっぱいです」
「いえ、好きだという気持ちに嘘はないのですが、どうか信じてくださいとしか……」
「そんなに嬉しそうな顔で話されたら信じざるをえませんよ。マリィさんのこと本気で愛しているんですね」
「……なぜその名を?」
「決闘にてアストリアの騎士相手に連戦連勝したグラントの英雄と言えば他にいませんよ。アポロ様はマリィさんのことになると本当に抜けていますね」
くそ、俺としたことが……。
やはり口は災いの元だ。恥ずかしさのあまりアポロは赤くなった顔を手で隠した。
「アストリア兵の間では鮮血のマリィと恐れ忌み嫌われていましたが、私にとっても女だてらに戦場で活躍するマリィさんは憧れの女性でした。彼女が相手では私はとてもかないません。ここはおとなしく身を引くとします」
マリーサの言葉にアポロは心中で大きく驚いていた。自分の中でマリィの存在が、思っていたよりもずっと大きかったという事実に気づいたのだ。
どうやら俺は……まだ彼女を諦めきれてはいないらしい。
この任務を片づけてシーリアに行けば、彼女にまた会えるだろうか。アポロはテラスから見える大海に決して叶わぬであろう想いを馳せた。
――ズン。
その時、重たい足音がテラス中に響き渡った。
――ズン。ズン。ズン。
驚き青ざめるマリーサ。アポロはとっさに彼女の前に出る。
「ようマリーサ。ひさしぶりだな」
第四庭園の花々を踏み潰して現れた黄金のタロスは、雄牛のような頭部をこちらに突きつけながら高圧的な態度で話しかけてきた。
その声からアポロはタロスの操縦者の正体を悟った。
「戴冠式を前に、いったいどのようなご用件でしょうか。ピトナハ王子」
ハーレムに軟禁されていたはずのピトナハ五世が、愛機であるファラリスに乗って実妹であるマリーサに会いに来たのだ。
「たとえ王子であろうともアストリア王の御前でこのような狼藉、決して許されることではありませんよ」
「馬鹿を言え。余はそれの戴冠など認めてはいない」
それはそうだろう。だがすでに決まったことだ。今さらになって駄々をこねるなよクソ坊ちゃん。
アポロは心中で毒づく。
「家臣の皆もそれが王になることなど認めてはいない。だから軟禁されていたはずの余がここにいる」
「王子、これは忠告です。今すぐタロスを格納庫に戻し、ご自室にお戻りください。さもなくば王に叛意ありとみなし、あなたを討たねばなりません」
「できるのか、おまえごときに?」
できないと思っているのか?
少しお仕置きしてやろうと腰の剣に手を伸ばしかけ、すぐに考えを改める。
アポロだけならどうとでもなるが、後ろにはマリーサやお付きのメイドたちがいる。いたずらにここを戦場にするわけにはいかない。
「要求があるならお聞きしましょう」
「これは要求ではない。アストリアの正統なる王となるための通過儀礼だ」
ピトナハは大声を張り上げマリーサを指さす。
「余が認めていない。臣下が認めていない。そして何より国民がおまえを王とは認めていない! よってここで王位をかけて決闘を申し込む!」
これは少々まずいな。アポロは奥歯をぎりりと噛みしめる。
この国にはタロスの扱いにもっとも長けた騎士が王になるというしきたりがある。候補者が二名以上いる場合は決闘を行うことも多々あったという。
ただでさえ侵略国として国際社会から白い目で見られているグラントだ。法を変えぬうちからこの要求をはねのけることは、アストリア国民だけに留まらず諸外国に更なる不信感を与えることとなる。
「グラントの目的は大陸統一による世界平和。土地は侵略すれど人と思想は侵略せずと聞いておる。その言葉の真偽をおぬしに問いたい」
「……」
大国アストリアを落とし、すでに大陸の四分の一を支配したことになるのだ。そんな建前など破棄してしまえばいいという思いがある一方、バルティアが残っている以上まだ国際社会すべてを敵に回すべきではないと考える冷静な自分もいる。
かつて世界一の軍事大国と呼ばれたバルティアの戦力は、間違いなくアストリアを凌駕している。あちらも侵略行為で国土を増やしているため他国が肩入れしにくいという現状があるのだ。
ただでさえアストリア侵攻の件で印象を著しく悪化させているのだ。同じ侵略国でもグラントのほうが紳士的であるというイメージを、これ以上崩すような真似は極力避けたい。
「兄上のおっしゃられることは正論です。国民のためにも、より強き者が王として国を治めるべきでしょう。骨肉相喰むは遺憾ですが……わかりました、その決闘――」
マリーサの言葉をアポロはとっさに手で制す。
この決闘、やらせるわけには絶対にいかない。万が一にもマリーサが負けようものならピトナハが王になる正当性を与えてしまう。
「部外者は引っ込んでいてもらおうか」
「そうとも言えませんね。何しろ私は、先ほどマリーサ様の求愛を受けたばかりですから」
「おいマリーサ、もしかしてこいつが……」
「マリーサ様はか弱い女性。野蛮な行為は好みません。よってこの決闘、私が代わりにお受けしましょう」
マリーサが何か言おうとするのをアポロは、彼女の唇に指を当てて止める。
部外者とまではいかないが求愛を断った時点でアポロとマリーサの縁は切れている。仮に決闘に負けようがどうということはない。一方こちらはピトナハのタロスを破壊して決闘できないようにしてしまえばいいだけ。場合によってはその生命も断つ。
「いいのかマリーサ。王の信任を受けた後継人が負けた場合、それはおまえの負けになるのだぞ?」
軟禁されていたピトナハはもちろんのこと、彼の臣下も事実関係は知らない。アストリアの後継人はマリーサ本人とグラントの王族しか知らず、戴冠式の際に公表する予定だったのだから。
「場所を変えましょう。ここで闘うと綺麗に咲いた花を踏み潰してしまう」
アポロはマリーサに一切の沈黙と決闘の立会人を頼むと、ピトナハの駆るタロスの横をすり抜け第四庭園を後にした。
第三庭園にてアポロとピトナハは再び対峙した。
「アポロとやら、ルールのほうはどうする? 余はなんでも構わぬが、スタンダードに先に倒れたほうの負けか?」
ピトナハのタロスはゴールドファラリス。グラントのタロスの倍近い体躯と大きな二本の角が特徴的な牛型のタロス。基本は牛型だが騎士とのシンクロを考慮して人間の四肢を持ち二足歩行も可能になっている。
「王位を決める神聖なる儀式。こちらとしては完全決着を望みます」
対するアポロのタロスはゴールドソード。
体躯は違えど同じハイグレードイコール機。性能はほぼ互角といえた。
「つまり降伏するか、もしくは相手の死をもって決着ということです」
「……後悔するなよ」
ピトナハのタロスがしゃがみ込み攻撃態勢に移行する。
「そちらこそ」
アポロのタロスが鞘からロングソードを引き抜きゆっくりと肩に担ぐ。
「これよりピトナハとアポロの決闘の開始を宣言します!」
マリーサの合図により二人の決闘は始まった。
開始早々、待ちきれなかったと言わんばかりに土煙をあげて突進してくるピトナハ。その姿はまさに荒ぶる雄牛そのものだ。
常人なら浮き足だってしまいそうなその勢い。しかしアポロは微動だにしない。冷静に相手が懐に飛び込んでくるのを待ってから担いだ剣を一閃する。
鈍い音が庭園中に鳴り響いた。
二機のタロスが正面衝突した結果、両者共に大きく後方に弾き飛ばされる。
「アポロとやら、なかなかやるな」
「それはこちらの台詞です」
手の痺れを気づかれないよう、できる限り平静に応える。どうやら王族にしてアストリア最強の騎士という看板に偽りはないらしい。
遊んでいる余裕はないな。アポロは剣を担ぐのをやめて今度は正眼に構える。
「だがいつまで持つかな?」
後ろ足で土を蹴りながら、再びピトナハが突進してくる。今度は真正面からではなく右側面に回り込もうとして来る。
当然それをアポロは許さない。素早く機体を旋回させてファラリスの強烈な頭突きを的確に捌く。パワーは五分。互いに小さく弾かれるが、ピトナハは突進を試みることを止めない。
「ちっ!」
今度は少し体勢の悪い時に突っ込まれた。両者再び大きく弾かれるが、アポロのほうが若干押され気味になる。その隙を狙ってピトナハは再び突進。それを繰り返すことにより次第にアポロはピトナハに押し込まれていく。
突撃を繰り返すことで相手を押し倒し、頭部の角でとどめを刺すという極めて原始的な攻撃方法だが、シンプルな分次の攻撃への移行が早い。ピトナハは武器が本機と一体化しているタロスの利点を最大限に活用していた。
「そろそろ後がなくなってきたのではないかな?」
ピトナハが勝ち誇ったような声がタロスの拡声器を通して園内に響く。
第三庭園には聖遺物の間という古代文明の遺産を奉る強固な建造物があり、その壁際にアポロは追いつめられてしまっていた。地形を利用し相手を圧殺するのがピトナハの当初からの狙いだった。
――さて、この危機をどう凌ぐかな。
出力は互角だが相手はインファイトに特化している分、正面から行けば競り負ける。ならば側面の急所を狙うしかないのだがそれはピトナハが許さない。盾があればもう少し戦いようがあるのだが、アポロのゴールドソードは諸事情あってやや旧式であり、残念ながらアンチフィジクスシールドは搭載していない。
「今なら降伏を許可しよう。そのためにあえて追撃の手を緩めた」
「それもこちらの台詞です」
プライドを傷つけられたピトナハが怒りに任せて突進してくる。ワンパターンだがそれが許される機体に乗っている。
アポロの剣とピトナハの兜が火花を散らしてぶつかり合う。
ピトナハは反動で後退するだけだがアポロは後ろの壁に衝突する。
シンクロ中のため背中と後頭部に強い痛みが走る。アポロは顔をしかめながらもシンクロ率を下げることなく操縦桿を強く握りしめた。
間髪入れずに追撃が入る。アポロは再び背中を強かに打ちつけられる。遺物保護を目的とした建物は極めて強固であり強い衝撃でへこみはするが決して壊れるようなことはない。後は相手が動かなくなるまでこの作業を続ければそれで終わりだ。
しかしピトナハは同じ作業を淡々と続けられるほど我慢強い性格をしていなかった。
時間をかければ何が起きるかわからない。終わらせられる時に手早く終わらせたい。そう考えたピトナハは助走距離を取り、ゴールドソードのコアに狙いを定めた。
そのとき生まれたわずかな隙をアポロは見逃さなかった。
「とどめだ!」
勢いをつけて突撃するゴールドファラリスの頭にアポロは身につけていたマントを被せた。視界を奪われたピトナハはアポロの機体を見失い、焦りのあまりその角を聖遺物の間の外壁に突き刺してしまう。
同時にアポロの剣撃が虚空を疾った。
ゴールドファラリスのわき腹をロングソードが深々ときり裂く。激痛のあまりピトナハは小さな悲鳴をあげてその場で片足をついた。
「飾りでつけていただけのマントだが、まさかこんなところで役に立つとはな」
ピトナハとの決着はついた。
しかしアポロはまだ剣を鞘に収めない。
「……」
この実力。この性格――こいつを生かしておくのは危険だ。
今は良くとも近い将来、ピトナハの存在は必ずグラントにとって大きな災いとなる。マリーサが暗殺される未来も想像に難くない。
国のためにも、彼女のためにも、ここで殺るしかないか。
幸か不幸かピトナハはまだ敗北を認めていない。決闘は続行だ。王族殺しになる覚悟を決めたアポロは剣を高々と天に掲げた。
その瞬間、アポロの全身に凄まじい衝撃が走った。
「な、なんだ!?」
高速で放たれたある物体がアポロの操るゴールドソードの胴体に直撃したのだ。アポロは慌ててその物体が飛来した方向に目を走らせる。
時計台の真上に、大筒を持った一機のタロスがいた。見たことがない形なのでおそらくは試作機だろう。ピトナハの配下が、主の不利を見かねて加勢してきたのだ。
グラントではタロスの装甲を貫けないという理由で開発を凍結されているガンタイプだが、決闘で疲弊したアポロのゴールドソードの体勢を崩すには十分な威力だった。
そのとき生まれた一瞬の隙を見逃さないのは、今度はピトナハのほうだった。
――くそっ!
体勢を整えようとしたアポロより一瞬早く、頭からマントをひき剥がしたピトナハのゴールドファラリスが襲いかかる。
その鋭利な角先が、ゴールドソードのコアに肉薄する。
かわしきれない――アポロは自らの敗北と死を覚悟した。
しかしゴールドファラリスの大角は、ゴールドソードのコアを貫くことはなかった。
「団長、実戦経験ゼロのお坊ちゃん相手にいつまで遊んでるんですか」
冷静さを取り戻したアポロは、ゴールドファラリスの首筋に一本の矢が刺さっていることにようやく気づく。
恐るべき精度で脱出装置を射抜かれたゴールドファラリスは駆動を停止し、開いたフェイスガードから見えるコックピットには、マリーサと同じ褐色の肌をした少年が驚愕の表情を顔に張り付けて座っていた。
「気をつけろ、まだ時計台に狙撃手が一機いる!」
「あのですねえ、あんまり寝ぼけたことを言わないでくださいよ」
いつの間にか聖遺物の間の屋上で弓を構えていたタロス――テミスの駆るブロンズボゥは、次弾の装填に手間取る時計台のタロスを一瞬のうちに矢で射抜いていた。
「他にもわんさかいるに決まっているじゃないですか」
聖遺物の間から、近場に設置された図書館から、ピトナハの配下と思われるファラリスが続々と現れる。ざっと数えてもその数は十機以上。今のアポロの状態ではとても相手しきれない。
「やれやれ、めんどうだなあ」
機内に内蔵された矢筒から矢を抜き出して、テミスはまずマリーサを確保しようとしたファラリスを射る。矢はファラリスの分厚い鎧の隙間にまるで吸い込まれるかのように命中し、矢に付加されたアンチマによってその機能を停止させた。
テミスはその後も次々と矢を放ち続け、足下に群がる十二機のタロスすべてを、あっという間に機能停止に追い込んでいった。
最後の一機の喉元に矢を撃ち込み、その機能が停止するのを確認すると、テミスは大きく舌打ちして吐き捨てるように言う。
「ぜんぜん思いどおりに動かねえ。やっぱり調整ミスってるわ」
事の一部始終を呆然と見守るアポロたちの前に、テミスの乗ったブロンズボゥが悠然と降り立つ。着地の瞬間は驚くほど静謐で、あれほどの大質量の物体であるにも関わらず土煙すらあがらなかった。
「ねっ、俺を置いて行かなくて良かったでしょ?」
「……この事態を予測していたのか?」
「当然。グラント兵にガッチリ警護されているマリーサ女王に接触するなら戴冠式のある本日以外にありませんから。まさかテラスでのんびりお茶をしてるとは予想してませんでしたがね」
市内でのパレードの最中に狙われることを想定していたが、ここまで危機管理ができていないとは思いもよらなかった。
そう言ってテミスがおどけるように肩をすくめてみせると、アポロは苦渋の面もちで彼に向かって頭を下げた。
「すまない兄貴。俺の未熟でマリーサ女王を危険に晒した」
「……任務中に兄と呼ぶなと何度も言っただろう」
テミス・ラングフォード・グラント。
かつて『太陽の子』と呼ばれ、多くの騎士たちから崇拝された男は、自らの代わりを務める弟を優しくたしなめた。
「それと頭も下げるな。俺は団長の座を降りたし王位継承権も失った。立場はおまえが上なのだから堂々としていればいい」
「あんたが士道不覚悟を理由に王位継承権を破棄したときは家中大騒ぎだったな。由緒正しきラングフォード家もこれでお終いだってな」
「その件については、本当にすまないと思っている」
「そっちこそ頭を下げる必要はないぞ。もともと兄貴に家長は荷が重いと思っていたし俺としては家督が継げてむしろラッキーだ」
「おい」
テミスの文句を無視してアポロはピトナハの前へと進む。
兄に代わって、家長としてやり残した仕事を終わらせるために。
「王子、まだ決闘は終わっていませんよ」
ピトナハは両手をあげて降伏の意を示すが、やはりこのまま生かしておくことはできない。剥き出しのコックピットに向かってアポロはゆっくりと剣を振り上げる。
ピトナハはもちろん今回の決闘騒動に荷担した臣下もすべて殺す。マリーサと口裏を合わせてすべて決闘中に起きた事故として処理する。後々の禍根は一切残さない。
「やめろッ!」
テミスの怒声にアポロは振り下ろそうとした剣を一時止める。
「なぜ止める?」
「そいつの親父に息子のことを頼まれたんだ。見殺しにするわけにはいかない」
「あんたには無関係な話だ」
「生前のピトナハ四世は立派な騎士だった。騎士との約束は反故にできない」
「こいつの存在は災いの種になる。大事になった場合、あんたは責任を取れるのか?」
「少し時間をくれ。俺がなんとかする」
「駄目だ。こいつはここで殺す。受け入れろ、これは家長である俺の決定だ」
アポロの無慈悲な宣言に、テミスの声色が変わる。
「俺はこいつの後継人だ。決着が明らかにも関わらず、まだ決闘を続行するというのであれば、次はこの俺が相手になろう」
ブロンズボゥから放たれる静かな魔力に禍々しいものが混じったことに気づき、アポロの背筋に怖気が走る。
――兄貴の奴、本気だ。
ゴールドソードとブロンズボゥ。性能には天と地ほどの差があるが、今のアポロの実力では仮に百万回やったとしても勝てる気がまるでしない。
こんな怪物に同条件で百度も挑戦した大馬鹿者がいることを知ってはいるが、自分はそこまで馬鹿にはなれない。アポロは力なく剣を降ろし鞘に収めた。
「兄貴は優しすぎるんだ。やっぱりあんたはこの世界に向いてねえよ。嫁さんでも貰ってさっさと隠居しな」
「最近おまえはそればっかりだな。アストリアで虐殺を指示した俺が優しい人間のはずがないし、地位も名誉もすべて失った醜男のところに嫁ぐ物好きもいるわけがない」
「……」
幼少の頃よりテミスと共に生きたアポロは、本来の彼が不要な争いを嫌う心根の優しい人物だということを知っている。そして、そんな兄のことを理解し、心から愛している変わり者の女性がいることも。
「嫁さん、早く貰えよ。あんたらがさっさとくっつけば俺も諦めがつく」
「何をわけのわからんことを。だいたい俺にはここにちゃんと彼女がいる」
テミスは操縦桿から手を離すと、ブロンズボゥの計器類を愛おしそうに撫でた。
「ごめんなダフネ、今回は少し無理をさせてしまったね。格納庫に戻ったら一からメンテをやり直そう」
諸外国からの非難。王族間の策謀。本人の罪悪感。様々な要因が絡み合いグラントの太陽はアストリアの地に沈んだ。
だがアポロは思う。これほどの騎士が果たして沈んだままで終われるのだろうかと。そのまばゆい光に魅せられ、彼を担ぎ上げようとする者がまた現れるのではないかと。
アポロの予感は後に現実のものとなる。本人が望む望まぬに関わらず、時代は今、新しい英雄を求めているのだ。
明けない夜はない。沈んだ太陽はいつかまた必ず昇る。何度でも。