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鮮血のマリィ ― Bloody Marie ―

「本当に出国なされるのですか?」

「はい。陛下から許可はいただいています」

 アストリアとシーリアの国境線上に構えたキリシヤの門と呼ばれる山間の関所。その役人の質問に私は努めて明るく答えた。

「騎士の資格を剥奪された以上、おめおめと祖国に戻るわけにもいきませんから。新天地にて新しい生き方を模索します」

「アストリアを攻め落とした英雄殿にこのような仕打ち。私は納得できませんよ」

「あまり褒められたやり方ではなかったということです。今は騎士道に背く行為を恥じるばかりです」

「……門を開けます。シーリアからの使いが来ていますのでご案内いたします」

「お心遣い感謝いたします」

 閂が引き抜かれ、厳つい鋼の門が重々しい音を立てて開く。

 ここより先はシーリアの領地。門を潜り抜けた瞬間、私は騎士だけではなくグラント市民の資格をも失うことになる。

「人間万事塞翁が馬……ですよね、団長」

 はるか東方の、古より伝わることわざを思いだしながら、私は役人の指示に従いキリシヤの門を潜り抜けた。

 関所を通過した先には意外にも長閑な町並みが広がっていた。

 キリシヤは大国アストリアと商業国家シーリアを繋ぐ唯一の陸路。不可侵条約を交わしているため他国の侵略の心配こそないが通商の要であるため山賊の類は多い。故にもう少しピリピリしているものかと思っていたが、どうやら違うようだ。もっともこのご時世、あまり神経質なようでは身が持たないかもしれないが。

「それではご武運を。騎士マーガレット」

「そちらこそ。すでに終戦調停を交わしたとはいえ、アストリアがグラントに反旗を翻さないとは限りませんから」

 案内された宿屋の前で、私は役人と別れの挨拶をかわす。

「せっかくだから一杯飲んでいきませんか? 私がおごりますよ」

「ご厚意感謝いたしますが……許可を得ているとはいえ、すでにここはシーリアの領地です。あまり長居をするのは好ましくありません」

 最後に一礼すると役人は共に来た数人の衛兵と共に関所へと戻っていった。

 それもそうか。グラントは侵略国家だ。どこでどれだけ恨みを買っているかもわからない。私自身、いつ後ろから刺されてもおかしくない身の上だ。一見長閑に見える町並みを見て少し気が緩んでいたようだ。

 私は両手で顔を叩いて気を引き締めると腰に結わえた剣がすぐに抜けるか確認した。

 鞘と柄との間で陽光を浴びて輝く剣身を見ると、不思議と気分が落ち着き感覚が鋭敏になる。その度に私は自分が騎士であることを再認識するのだ。

 ――もっとも、私の本当の『剣』はこれではないのだけど。

 第七騎士団の一員として団長と共に戦場を駆け抜けた日々がふと脳裏に浮かび、私はとっさに頭から打ち消した。

 時計の針は逆に回らない。楽しかったあの時間はすでに過去のもの。しかしすべては自分で決めたこと。感傷にふけることはあれど後悔はない。あそこに居続けても私の本当の欲しいものは手に入らない。だから私はこの国を捨てるのだから。

 宿に入ると私は分不相応と思えるほどの歓迎を受けた。

 宿主が直々にやってきて頭を下げ、荷物をお持ちいたしますと提案されて私はやんわりと断る。シーリアからの使者への取り次ぎを頼むとすでに伝えてあり、こちらから出向くので少し待っていて欲しいとのことだった。騎士崩れの私ごときにそこまでしてもらう必要はないとは思ったが、断るのも不敬と思い承諾する。

 時を移さず使者は私の前に姿を現した。

 使者は子供連れの老紳士だった。深い皺の刻まれた顔は穏和ではあるが威厳に満ち、その優美な立ち振る舞いから歴戦の勇士を予想させた。引き連れている護衛の多さからも彼がシーリアにおいて重要な地位についていることが伺える。

「パーカス・オルブライトと申します。遠路はるばるようこそシーリアへ。我が国は貴女を歓迎いたします」

「マーガレット・リースマンと申します。親しい者は皆マリィと呼びます。私のような者を拾っていただき感謝いたします」

 挨拶を終えて互いに握手をかわす。シーリアは商業を生業にしているお国柄、紳士的な人間が多いと聞いていたがどうやらそれは真実のようだ。新天地での生活に一抹の不安はあったが、少なくとも文明レベルの違いによる不快を被ることはなさそうだとわかりホッと胸をなで下ろす。

「貴国は私を剣客として召し抱えたいとのことですが、詳しい話をお聞かせ願えますでしょうか」

「その件につきましては市長が直接お話したいとのことです。長旅でお疲れのところ誠に恐縮ですが、今すぐアッシャームまでご同行願えませんでしょうか」

「アッシャームの市長が?」

 シーリア共和国は十三の都市による自治によって運営され、絶対的な王を持たない。故に全都市の信任を受け国外の対応を一手に担う首都アッシャームの市長は国の最大権力者にして事実上のシーリア王と聞く。

 そのような高貴な身分の御方にお目通りがかなうとは思ってもみなかった。私は快諾するとパーカス殿に促され再び表に出た。

 表にはすでに数台の魔動車が用意されていた。私はその中でもっとも大きな黒塗りの高級車に案内される。私は腰の剣と手荷物を護衛に預けてから、後部座席のシートに座った。

 座席には先客がいた。先ほどパーカス殿と一緒にいた少年だ。高級そうなグレイのスーツを着ているが、足を組んで行儀悪く座っているためとても紳士には見えない。甘いものが好きなのか先ほどからずっと飴玉をほうばっているのも下品だ。

「飴……ねえちゃんも舐める?」

「結構だ」

 しかしどうにも嫌いになれないのは、その小生意気な態度にどこか団長の面影を見ているからだろうか。いや、もちろん団長はきちんと分別を弁えた大人の男性であって平素の突拍子もない行動の数々に難色を示しているわけでは断じて……って、誰に言い訳をしているんだ私は。

「君はパーカス殿のお孫さんか?」

「冗談言わないでよ。僕はこれでも今年で三十七歳だよ」

 ――三十七歳?

 とてもそのようには見えない。シーリアには若返りの魔法でもあるのだろうか。

「では息子さん?」

「だから血縁関係なんてないって。そんなに僕とあいつは似てるか?」

「いや、しかしだな……」

 私は運転席に座るパーカス殿を一瞥する。

「では出発いたします」

 パーカス殿は一言そう告げるとアクセルを踏んで車を動かした。

 なぜ使者であるパーカス殿が自ら運転しているのだろうか。こういうのは普通、専属の運転手か護衛の仕事ではないのか。

「君はパーカス殿と同行しているんだ。まったくの無関係というわけではないだろう」

「あいつは僕の雇っている執事だよ。護衛の任務も兼ねている。常識的に考えなよ、子連れで仕事に行く馬鹿はそうはいない」

「……あなたは、いったい何者なんですか?」

「パーカスが言ってただろう。君とは直接お話がしたいって」

 まさか、この御方は……。

「僕の名前はアラン・ダルメセク三世。アッシャームの現市長だ」


「君さ、行商が魔動車を利用しているのを見てびっくりしてただろ?」

 綺麗に舗装された山道を護送車に挟まれて走る高級魔動車。その車内で私はアラン市長の話をひたすら恐縮しながら聞いていた。

「知ってのとおり我がシーリアは商業国家だ。そして神の血と尊ばれる <イコール> の産出国でもある。だから魔動車はそこまで珍しいものじゃないのさ」

 もちろん知っている。高度に発展した現代魔法文明。その原動力は莫大な魔力を含んだ液体燃料――イコールの発見のおかげだ。シーリアはイコール産出国の大手であり、それを世界中の国家に売ることで今の地位を得ている。

「私が驚いたのは魔動車そのものではございません。貴重なイコールを民間に開放している点です。他国では決してありえない話ですので」

「ケチな話だねえ。イコールなんてそこら辺を掘ればいくらでも出てくるのに」

「……」

 さすがはイコールで大儲けした成金国家。言うことが違う。

「いや冗談だよ、本気にしないでね。うちは民主主義で主権は国民にあるから、国でイコールを独占することができないってだけだよ。僕も選挙で選ばれているし、実はそこまで偉くはない。だから君もあまり畏まらなくていいよ」

 なるほど。ではお言葉に甘えて少し意見させてもらおうか。

「民間にイコールが開放されているということは、犯罪者も強力な武装を調達し易いということ。市長、あなたがもし影武者ではないとしたら、この程度の警備ではいささか心許ないのでは?」

「もしかして山賊の心配をしているのかな。このキリシヤでは数年前から山狩りを続けていてね、その手の輩はあらかた掃討済みだ。君も町の様子を見ただろ?」

 あの長閑さはそういうことだったのか。しかしだからといってすべての懸念が払拭されたわけではない。

「危険なのは山賊だけではありませんよ。たとえ民主主義で選ばれたのだとしても貴方はこの国の代表。貴方の生命を狙う間者がどこぞに潜んでいるとも限りません」

「大丈夫、今日はお忍びで来ているから。それにもしもの時は麓の警察に連絡が行くようになっている」

「しかし市長……」

「アランでいいよ。僕もマリィって呼ばせてもらうから。そんなことより、そろそろ本題に移らせてもらおうかな。ここには君と僕とパーカスしかいない。誰かに聞かれて困るような話もしやすい」

 車が山の中腹にまでさしかかったところで見計らったようにアランが言う。表情こそ穏やかではあるがこちらに向けるその視線が少し鋭くなったことを私は見逃さない。

「私から帝国の機密を聞き出そうとしても無駄ですよ。私は属国出身の騎士。重要なことは何ひとつ教えられてはいません」

「本当に? 君は王族の一人ととても仲が良かったと聞く。たとえば開発中のタロスの情報とかさ、ベッドの中でこうポロリと……」

「私と団長はそのような関係ではありません!」

 怒りに任せてつい声を荒げてしまった。

 しかし謝罪する気は毛頭ない。団長は騎士だし、私も資格こそ失えど騎士として育てられた。騎士を侮辱することはたとえ王でも許されない。

 私が発言の撤回を要求すると、意外にもアランはすぐに頭を下げて謝罪した。

「まさかそこまで怒るとは思わなかった」

「上官との不義を疑われて怒らぬ者はおりません」

「君が騎士資格を剥奪された理由も……いや、これ以上の詮索は無粋か。まあいいや、僕もそこまで期待してたわけじゃない。あっ、飴舐める?」

「結構です」

 このような男でも国の重鎮。私は舌打ちしたいところをぐっとこらえた。

 自由都市と呼ばれるアッシャーム特有のフランクさなのだろうが、もう少し言葉は慎むべきだ。

「君が何も知らないのはわかった。でも世界屈指と謳われるグラント軍に在籍していたのは事実だ。そのノウハウを我が軍に教えることは不義にはならないよね?」

「それが剣客としての私の仕事ですので。私の持つ知識と技術がグラントとシーリアの友好の架け橋になれば幸いです」

 とはいえ、わずか二年程度しか軍に在籍していない若造の私がシーリアに教えられることなどたかが知れているがな。だからこそグラントは私を放出した。シーリアに恩を売ると同時に仇敵バルティアに牽制をかけるために。

 アストリア攻略の立役者として私を英雄と祭り上げたことも含め、すべてはグラントの巧妙な政治戦略。問題はシーリア側がそれに気づいているかどうかだが……市長直々の歓待といい、もしかしたらまだ気づかれていないのかもしれない。願わくばずっと気づかないでいてもらいたいのだが、さすがにそれは望み薄だろう。待遇が変わるのはあまり好ましくない。

「マリィ、すでに聞いているとは思うが、君にはまずシーリアに帰化してもらう。それが済んだら君は晴れてシーリアの騎士だ。君には第一鉄騎兵隊の隊長のポストを用意してある。そこで我が軍の騎士をみっちり鍛えあげて欲しい。国籍を変えるのは辛いと思うけど、うちはシーリア国民以外は正規兵として認められないから……」

 その時、轟音と共に車内が大きく縦に揺れ動いた。

 魔動車が急停止し、私たちは前部座席のシートにしたたかに打ち付けられる。日頃から戦地で鍛え上げられている私は平気だが、アランのほうは激しく動揺し口に含んでいた飴玉を全部吐き出してしまった。

「パーカス! いったい何が起きた!?」

 アランは激怒しハンドルを握るパーカス殿を問い詰める。

 もっとも、何が起きたかなんてわざわざ訊かなくてもわかる。上空より降ってきた青銅の巨人に行く手を遮られたのだ。

 前方を走っていた護衛車を圧し潰したタロスは、兜の隙間から煌々と光るカメラアイをギロリとこちらに向ける。

「初めましてアラン市長。我々は人攫いでございます」

 身も蓋もない口上だ。拡声器越しだが聞き覚えのある声だ。

 アストリアでは共に戦った傭兵――確か傭兵仲間には「ウインク」と呼ばれていたかな。戦争が終わって職を失ったから今度は山賊家業か。仕事熱心なのは関心するが、できれば私のいない場所でやってもらいたいものだ。

「えー、わたくしは学もなく気も短いので単刀直入に申しあげますが……あんたを誘拐してダルメセク家から身代金をたっぷりいただこうという腹積もりでして、大人しく捕まっていただけるとお怪我もなく済むと思うのですが、いかがでしょうか?」

 生き残った護衛が前に出てすぐさま拳銃で応戦するが、タロスの強靱な装甲の前にはまるで通用しない。ウインクが腰に提げた大剣を一振りするだけで護衛はあっけなく蹴散らされた。

 ウインクの駆るタロスは『ブロンズソード』。白兵戦を得意とするグラントの旧主力兵器だ。我が軍からくすねてきたのかと思うと実に腹立たしい。

「こちらの情報が漏れている……いったい何故だ」

 アランの呻くような声。その狼狽ぶりを見る限り本当に影武者ではないのかもしれない。

 麓の警察に賄賂でも渡したのか、はたまた裏切り者の内通者でもいるのか、どのみちこのような傭兵崩れにあっさりと漏れるようではこの国の情報管理は甘いと言わざるをえない。タロスに拳銃で対抗しようとするあたり護衛の質も悪い。この調子だと騎士の育成もろくに出来てはいないだろう。

「なるほど、これは鍛え甲斐がありそうだ」

 山間の狭い通行路。敵はブロンズソードが三機。ウインクと、彼の後ろにもう一機。最後の一機はこちらを逃がさないよう後方の道を塞いでいる。

 いくらタロスが頑丈とはいえ山から飛び降りて来るとは感心しない。第七騎士団でこのような乱暴な使い方をすれば団長から大目玉を食らうことは確実。タロスへの愛のない賊には少しお仕置きが必要だな。

 剣は護送車のトランクの中だが……まあ、必要ないだろう。

 私はゆっくりと腰を上げると相手を刺激しないよう両手を挙げながら車から降りた。

「久しぶりだねウインク。アンタルキスの戦い以来かな」

「その顔は……マリィか!」

 私を見るなりウインクの声が弾む。すぐ後ろに控えていたタロスからは口笛が聞こえてきた。私の容姿は一般水準よりかなり高いらしく戦場では何度も男に言い寄られたのでこういう反応には慣れっこだ。

「グラント帝国から派遣された剣客ってあんたのことだったのか」

「傭兵崩れのあなたがどうしてそこまで知っているの?」

「昔なじみから聞いたんだよ。シーリアの警察には元傭兵も多いからな」

 真実かどうかは疑わしいな。話半分に聞いておこう。

「そんなことより、アストリア戦争では鮮血のマリィと恐れられた英雄殿がどうして他国の指南役なんてクソみたいな雑用を任されているんだ?」

「なに騎士資格を剥奪されて一兵卒に格下げされたというだけだ。名目上は派遣だが事実上のお払い箱。シーリアに帰化する予定だから祖国の地も二度と踏めそうにない」

「剥奪って……まさか原因はアレか? 市民出身のあんたにゃ関係ねえ話だろ!」

「あろうとなかろうと責任者は責任を取るのが仕事なのでね。哀れに思うのなら見逃してもらえるとありがたいのだが」

「見逃す……ねえ」

 ウインクは少しだけ考えるような素振りを見せるとすぐに膝をつき、

「オッケーわかった。いいぜ、見逃してやる」

 タロスの大きな掌を差し出しながら明るく言った。

「その手はなんだ?」

「アラン市長をふん縛って持ってきてくれ。傭兵としての信用問題に関わるから本来なら顔見知りは始末しなきゃならねえんだろうけど、あんたとは一緒に死線を潜り抜けた仲だからな」

「なんだ、市長誘拐などという大犯罪を企てておいてえらくお優しいじゃないか」

「傭兵は横の繋がりが命なんだよ。だから仲間は大切にする。なんならあんたも俺たちの仲間にならねえか? あんたの腕ならみんな大歓迎だ」

「おいおい、私はシーリアの剣客として招かれている身だぞ?」

「市長を見捨てちまったらそれもオジャンだろ。なあ俺たちと一緒に行こうぜ、傭兵家業は楽しいぞぉ」

 ……なるほどね。

 確かに、それもなかなかスリリングで、悪くない人生かもしれないな。

「傭兵ならば戦場に困ることはない。私も存分にこの腕を振るうことができる」

「決まりだな。じゃあ市長と一緒にこの手に――」

「だが断る。おまえたちに傭兵の誇りがあるように、私にも騎士としての誇りがある。あのような者でも今は主君。全身全霊をもって護らねばならない」

 もっとも、おまえたち如き相手にそこまで頑張る必要はないがな。

 私はウインクの次の言葉を待たずに強く大地を蹴って跳躍する。

 その瞬間、私の身体は優しい風に包まれた。

 ――風魔法 <ソラリス> 。

 飛行魔法の初歩にして私のもっとも得意とする魔法だ。

 召還した風の精霊たちは私をウインクのタロスの肩口まで運んでくれた。

「てめえ魔法使いかっ!」

「珍しいだろう。第七騎士団には私を含めて三人しかいなかった」

 しゃべりながら私は膝をつき前傾姿勢を取ったままのタロスの首筋に飛び移る。

 同じく風魔法である真空攻撃魔法 <ヴォイド> により首筋の装甲を破壊すると赤色のボタンが露出する。私はそいつを思いきり足で蹴り押した。

 全身を分厚い鎧で固めるタロスにも弱点はある。その一つがこの緊急脱出装置だ。

 脱出装置は正常に起動した。タロスの頭部をすっぽりと包み込む厳つい兜、その前面のフェイスガードがパカリと音を立てて開く。同時に魔法障壁が解除されコックピットが剥き出しの状態になった。

 整備の不具合、騎士の意識喪失等、外部から操縦者を救助する機会は多い。ソードタイプのタロスの緊急脱出装置の場所はすべて首筋。帝国騎士なら知らぬ者はいない。本来はきちんとした開け方の手順があるのだが今回は緊急事態ということで省かせてもらった。緊急脱出装置なのだから問題あるまい。

「共に戦った仲だ。生命だけは見逃してやる」

 私は操縦席に座っていた隻眼の男(なるほど確かにウインクしているように見える)の胸ぐらを掴むと強引に外に投げ捨てた。

「マリイィィてめええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇ」

 ウインクの私への怨嗟の声が瞬く間に遠ざかっていく。

 おまえが私に情けをかけたのは正解だ。立ったままのタロスから放り投げられたら、五体満足というわけにはいかなかっただろうからな。

 さてと……邪魔者は片づけた。私はすぐにフェイスガードを閉めるとタロスの操縦桿に手を伸ばす。

 私が操縦桿に触れた瞬間、操縦桿の中に満たされていたイコールがぼぅっと青白く発光した。同時に先ほど解除した魔法障壁が再展開され、機内は物理法則の軛から解き放たれる。

「リンク完了。ブロンズソード再起動する」

 メインカメラに魔導の光が点り空中に発生したモニターに外界の景色が浮かび上がる。久しぶりの感触に私の気分は昂揚し、自然と口の端がつり上がってしまう。

 私――マーガレット・リースマンは誇り高き騎士だ。しかし騎士が騎士を名乗るには『剣』が必要になる。

 タロスこそが我が真実の『剣』。タロスを駆り戦うことが我が生き甲斐。ただの一兵卒として後方支援に回るなど――。

「くそくらえだ!」

 ブロンズソードの出力を全開ににして、ウインクの後方に控えていた敵タロスに向かって猛然と突進する。

 決着は一瞬だった。

 激しく動揺する相手の懐に素早く潜り込み、構えた剣で胸元を串刺しにすると、タロスはその全機能を停止させ、その巨体を大地に沈めた。

 起動中のタロスのコックピットは <アンチフィジクス> と呼ばれる魔法障壁によりありとあらゆる物理攻撃を無効化する。このブロンズソードでは騎乗者を直接殺傷するのは不可能だ。

 ならば機内に魔法を発生させている魔力の源――『コア』を潰すしかない。

 ブロンズソードのコアは人間の心臓の位置と同じく胸部にある。イコールを浄化し全身に循環させる魔法を展開する都合上アンチフィジクスを張ることができないここは、緊急脱出装置に次ぐタロス第二の弱点だ。

 仰向きに倒れたタロスから剣を引き抜くと傷口から大量のイコールが噴出する。

 外気に触れたイコールは穢れ、その色を美しい蒼から薄汚れた紅へと変貌させ、私の乗るタロスを染め上げた。

 イコールを浴びるのは気持ちがいい。自分が在るべき場所に帰ってきたと実感できるから。

 私は戦場で幾度となく決闘を行い、その度に不浄の紅でタロスを染めてきた。その結果、私はアストリア全軍から恐れられ蛇蝎のように忌み嫌われ続けた。

 誰が呼んだか『鮮血のマリィ』。グラントの紅き魔女である私に相応しい渾名だ。

 さてと――あと一機ッ!

 高ぶる気分に任せるまま跳躍し、アラン市長の乗った車を悠々と飛び越え、最後に残った敵を掃討しようと試みる。

 しかしこいつは多少は出来るようで、とっさに飛び退くことで私の突きを紙一重でかわしてみせた。

 すぐに熱くなるのは私の悪い癖。面倒だがちゃんと相手をしてやろう。

「我が名は……」

 決闘儀礼の口上を口にしかけてすぐにやめた。山賊に名乗る名などない。それは相手も同じことだろう。

 剣を基本の正眼に構え、私はひとまず相手の出方を伺った。

 時間にすればほんの十数秒だろうが、互いに構えを取ったままにらみ合いが続く。

 意外なことに先に仕掛けてきたのは向こうからだった。先に味方を二人やられて臆しているだろうと思っていたが、恐怖を振り払うかのように雄叫びをあげながら突進してきて、その固く握り締めた大剣を上段から振り下ろす。

 その心意気や良し。私は打ち下ろされた剣を剣の腹で受け止めた。

「魔女が! コックピットから引きずり出してぶち犯してやる!」

 激しい鍔迫り合いをしながら賊が品性下劣な言葉を投げかけてくる。

 蛮族め、やはり名乗らなくて正解だった。

 長年に渡り傭兵家業をしているだけあって剣筋はそこそこいいが――。

「踏み込みが足らん!」

 脚部に魔力を集中させ、爆発的な脚力を一時的に発生させる。同時に力強く踏み込んでやると、相手は剣を弾かれ体勢を大きく崩した。

 がら空きになった胴体に向かって、今度は腕部に魔力を集中させてから、私は剣を横なぎに振るった。

 次の瞬間、ミノス合金製のロングソードは小気味よい音を立てながら疾り、タロスの胴体を真っ二つに切断していた。

 タロスのコアは急所中の急所。相手もそう簡単には狙わせてくれない。とはいえ騎士の乗る上半身と下半身が生き別れになってしまっては機能停止したも同然だ。

 私は上半身だけで地べたを這いずる虫のようにもがく敵機にとどめを刺すべくゆっくりと近づく。

「どうもウインクは逃げ出したようだし、話はおまえに聞くとしよう」

 静かに剣を突き降ろし胸のコアを破壊する。これでタロスはただの鉄の檻だ。こういうとき時のための脱出装置だが、そいつは私が使わせない。

 剣先でフェイスガードを押さえながら、私はアランとパーカス殿の安否を確認する。

 幸い車は無事で中の二人に怪我はないようだ。後始末と護衛の救助は麓の警察に任せて、私は二人の護衛を続けよう。

「アラン市長、麓の警察はいつ頃到着しますか?」

「すでに連絡は入れてある。じきに応援に来てくれるはずだ」

 よろよろとした足取りで車内から出てきたアランが車にもたれ掛かりながら言う。どうも先ほどの戦闘で腰が抜けてしまったらしい。

「……噂には聞いていたけど、想像以上に凄まじいな。グラントからやっかい払いされるように派遣されてきたからその実力を少し疑っていたけど……君を我が軍に迎えることができて光栄だよ」

 アランの声には先ほどまで感じていた侮蔑の響きがなくなっていた。

 山賊退治など骨折り損のくたびれ儲けかと思っていたが、どうやらいいパフォーマンスになったようだ。ラングフォード団長は私の倍は強いと伝えたら、彼はいったいどんな顔をするだろうか。

 ――団長、私はここにも居場所を作れそうです。だから……あまりご心配なさらないでください。

 砂埃の舞うキリシヤの空を見上げ、今はアストリアの首都ウルスクにいるであろうあのひとに想いを馳せる。

 どれだけ遠く離れていようとも、この蒼穹とタロスを通じて私たちは繋がっている。そう信じるだけで生きる希望が湧いてくるから。

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