ある洋食屋の風景メニューNo7〈スパゲッティナポリタン〉
メニューに載っていない料理も、材料さえ有ればなるべくお客さんのリクエストに応える様に私は心掛けている。「スパゲッティ ナポリタン」は、年配のお客さんからのリクエストが多い裏メニューの一つだ。玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム、ハム等が入った、昔ながらのナポリタン。それも凝ったトマトソース等を使うのではなく、トマトケチャップとウスターソースの味が好まれるようだ。ただし、隠し味に自家製のデミグラスソースと生クリーム、バターでまろやかに仕上げるのが私流の「スパゲッティ ナポリタン」だ。
「オヤジさん、奥の席のふたり、またナポリタンですか?いまどきナポリタンなんて食べる人がいるんですね。メニューには載っていないし、しかも二人で一人前を分けて食べるなんて、我ままを聞いてあげてる割には儲からないお客じゃないですか」奥の席で食事をしている年配のカップルを見て、大食らいの便利屋シュンスケがその日のオススメメニュー「ホタルイカと菜の花のスパゲッティ」を食べながら無神経な言葉を私に投げかける。
「しっ、聞こえたらどうするんだよ!あのお歳だもん、ふたりで一人前が丁度いいんだろう。メニューに無いナポリタンだって別に手間がかかる訳じゃないし、お安い御用だ。年配のお客さんは店に足を運んでくれるだけで有り難いよ。俺はああいうお客さんは大事にしたいんだ。」
春の訪れを感じる様になった最近、ランチタイムに週一くらいの割合で現れる70歳近くと思われるそのカップルは、近所の干潟公園までウォーキングをしているらしい。その途中で休憩を兼ねた食事を私の店でとってくれる。いつもニコニコしているふたり、仕事をリタイヤした後の人生を活き活きと楽しんでいる様に見受けられ、何とも微笑ましい。私は彼らを見ているだけで心が和むような気がするのだ。
「今日も我ままを聞いてくださって有難うございます。私達、もう歳だからふたりで一人前が丁度いいんですよ。お宅にとっては儲からない嫌なお客でしょうけどね。お宅の味は私達の好みに合っているし、落着いた店構えもとっても気に入っているの。またよろしく頼むわね」
「こちらこそいつも有難うございます!お口に合って光栄ですよ。私も子供の頃に母親が作ってくれるスパゲッティといえばナポリタンでしたから、いつも昔を思い出しながら楽しく作らせて貰ってますよ」二人を見送った後はシュンスケがカウンターに残っているだけだ。
彼は私の店が入っているビルの二階にオフィスを構える便利屋兼自称探偵だ。探偵小説が大好きな彼は探偵業で身を立てたい様だが需要は圧倒的に便利屋のほうが多く、そちらの仕事が主な収入源だ。水周りの修理やエアコンのクリーニングなど、私にとっても彼の存在は正に便利なものだ。
「オヤジさん、何だか最近不景気ですよね。しょぼい仕事が多くて、疲れるばっかりでろくな稼ぎになりませんよ。もっと割りの良い仕事の依頼がこないかなあ……」
「小さい仕事でも誠実にコツコツこなしたほうがいいよ。そうやってお客さんの信用を確実に広げていけば、いつか大きな仕事が舞い込んで来たりするものさ」
「そんなもんすかねえ。それにしても、さっきのふたりは仲の良い夫婦ですよね。家はこの近所なんですか?」
「いや、詳しくは知らないけど、少し遠い所に住んでいるみたいだよ。だけど、新しく出来た駅前のマンションに引っ越してくる様な話をこの前チラッとしていたなあ......」
次の週にもまた例のふたりがやって来た。カウンターにはシュンスケも座っている。いつものようにスパゲッティナポリタンを仲良く分けあうふたりのテーブルは、まるでそこだけ緩やかな時間が流れ、ホンワカとした空気が漂っている様だ。
「ご馳走様でした。今日も美味しく頂きました。ところで、こちらのお店は何人まで入りますか?二十人位でパーティなんて出来るでしょうか。実は私達、今度結婚して駅前のマンションに越してくるんです。そのお祝いを両家の親戚やウォーキング仲間達がしてくれると言うんです。折角だから是非とも私達のお気に入りのこちらでと思いまして……」
「えっ?結婚って?てっきりおふたりはご夫婦だとばかり思っていましたが、これからご結婚なさるのですか。それはおめでとうございます!二十名様までなら大丈夫です。精一杯やらせていただきますよ!」
「去年、趣味で始めたウォーキングでこの人と知り合ったんです。お互いに連れ合いを随分前に亡くした者同士、妙に気が合いましてね、美味しい洋食屋さんと大好きな干潟公園が近所にあるこの街で二人、手を取り合って残りの人生を過ごそうと決めたんです」にこやかなご主人はとても幸せそうにそう答え、更にお店にとってありがたい依頼を貰った。
「それから、ウォーキング仲間達と定期的に食事会をお願いしたいんです。メンバーは私達の様な年寄りばかりじゃなく結構量を召し上がる若い方もいるので、出来たらバイキング形式が良いんですけれどね」
簡単な打ち合わせの後、店を後にしたふたり。一連のやり取りを見ていたカウンターのシュンスケも勘定を済ませ、席を立った。
「さてと、オイラも小さな仕事をコツコツとがんばろーっと!」
ーfinー