飛び道具なんて使うんじゃねえ!
くる。もうすぐだ。
奴らは何も知らずに長弓の射程(有効射程はおよそ200m)内に近づいている。
「射程まであと10mです」
見張りが静かな声で言った。
「あと5m……3m…」
ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。ルオはこれまで数々の戦に参加し、いくつもの死線をくぐり抜けてきた。しかし、戦が始まる前のこの緊張が無くなることはなかった。
落ち着け。
ひたすら自分に呼びかける。目を瞑り、呼吸を整える。やがて心拍数は下がっていき、緊張がほぐれていく。
世界が澄んで見える。どこまで近づけばロングボウが当たるか。どこまでいけば斬り込めるか。全てが鮮明に見えた。
射程内まであと1m……0.5m………あと…
しかし、射程内に入る直前に、水色フードの軍団は動きを止めた。
「!?」
止まった?射程に入る、ちょうどその直前で。まるで、こちらがロングボウを使うのをわかっていたかのように……ロングボウの射程を完璧に把握していたかのように………。
「くっ……!」
「隊長、どうしますか?」
歯ぎしりをするルオに、見張りの兵が尋ねる。
「た……待機………!」
上ずった声で応答したルオは、悔しさに顔を歪ませていた。
まさか、こちらがロングボウを使うのをわかっていたなんて。射程の直前まで迫ったのは、弓をわざと打たせて初撃を外させるため。
もし撃たなかったとしても、兵の苛立ちを誘い、士気を削ぐには十分だ。
見よ。闘志溢れるアラナス陸兵は、苛立ちを抑えきれず、ただの雑兵と化している。
だが、向こうにもこれといった策はないはずだ。ここから先に近づけばこちらの弓が一斉に敵陣に降り注ぐ。射程の外から攻撃しようにも、長弓以上の射程を持つ武器はこの世には存在しない。
ならば、こちらが近づいて戦うしかない。少し前へ出れば、そこはロングボウの有効射程だ。矢の雨を放ち、敵陣を引っ掻き回した後で、大量の軽歩兵を投入し、一気にこの場を収める。
そうだ。それが最善の策だ。最初からそうすれば良かったじゃないか。
「総員……」
言いかけた直後、
「隊長!!!」
見張りの声が響き渡った。
「あれを!」
兵が指差したのは、敵の陣。そこでは、衝撃的な出来事が起こっていた。
水色フードの手から、小さな火の玉が精製されたかと思うと、みるみるうちにそれは大きくなり、やがてバランスボール大の大きさになった。
「なっ……なんだあれは…!?」
驚いている間にも火球はその数を増やしていき、やがて100以上もの火炎が敵陣に並んだ。
危険だ。
ルオは直感的にそう思った。あれがこちらに飛んでくる、そう考えたのはその一瞬後。頭で考えるよりも先に、長年の戦闘経験によって培われた第六感が、あれは危険だ、と体を震わせる。
気づけば、無意識に口が叫んでいた。
「隠れろ!何かの影に!盾でも、岩でも何でもいい!隠れるんだ!できないならその場で伏せろ!早く!今すぐだ!」
「イ……イエッサー!」
「返事なんていらない!早く!」
そう言って近くにあった岩の後ろに隠れた、直後のことだった。
耳を劈くような轟音が続けて巻き起こり、それに兵の叫び声が同調した。
ルオは一瞬耳を塞いだが、すぐにやめた。
兵の命が失われているんだ。守るべきものが、今ここで命を落としている。どうして耳を塞げようか。
やがて、轟音が止むと、兵の絶叫が聞こえた。
「何だよあれ!聞いてねえぞ!」
「やってられねえ!俺は逃げる!」
「うわあぁぁぁ!!」
まずい。このままでは……負け…る………?
50倍の兵を以ってしても、魔王軍には勝てないというのか?
いや、そんなことはないはずだ。今、自分にできることを考えろ。考えろ、考えろ……
右手で左腰に触れる。固く、冷たい感触。剣の柄だ。右腰には、脇差にしては少し短いナイフ。
今持ってるのはこの二つ……
いや、目の前に何かある。これは……
「拳銃……?」
L字型の拳銃が、日光を反射して黒く輝いている。これは使える……かもしれない。慌てて手に取り、眺める。セミオート(半自動の意)の自動拳銃だ。軍で正式に認められている護身用の銃。ルオは飛び道具を嫌っていて装備していないので、恐らく先程の攻撃で死んだ兵が持っていたのだろう。
飛び道具はあまり使いたくはないが、この期に及んでそんなことは言ってられない。
すまない、使わせてもらう。
銃の持ち主に呼びかけた。最も、持ち主はすでに死んでいるのだろうが、それは彼にとっては関係のないことだった。
銃を手に取り、スライドを引く。そして、叫んだ。
「まだ生きている者はいるか!」
「こちら第3大隊!生存者は80名ほど!」
「こちら第一連隊!生存者は不明です!」
各地で応答が。それらに向かって、あらん限りの声量で叫んだ。
「俺は今から特攻する!死にたいやつはついてこい!」
「そんな無茶な!」
返事をしたのは第三大隊の隊長だ。
「危険です!」
「ここで死ぬのを待つよりかは、戦って潔く死んでやる!」
「お待ちください!指揮官が前に出ることなど……!」
「死にたくないのならここで待ってろ!だが、いずれ奴らはこちらへ近づいてくる!そしたら皆オダブツだ!そんなみっともない死に方、俺はしたくない!戦場に生き、戦場で朽ちる!それが誇り高きアラナスの兵だ!!!」
「隊長……」
「次の攻撃が止んだら、突撃を開始する!」
「………俺も、俺もいきます!」
「お前には、ここで死ぬ覚悟はあるか!?己の誇りのために命を捨てる覚悟はあるか!?」
「いいえ!ありません!」
「ならば去れ!」
「嫌です!」
「何だと?」
「確かに、俺は命を捨てる覚悟はありません!でも、でも……!」
しばらくの間を空けて、第三大隊長は叫んだ。
「上官を見捨てて生き延びるなんてマネは、死んでもしたくないであります!」
「……わかった。ついてこい!」
「サー!」
ルオは人の名前を覚えるのはあまり得意ではない。5万の兵のうち、名前と顔が一致しているものは10ほど。そんな彼ではあるが、戦になると彼は豹変する。落ち着いた眼光は途端に鋭くなり、全身から闘志が溢れ出る。黒い陣羽織をはためかせ、戦場を駆けるその姿は、皆にとっての憧れだった。そのため、彼の部下からの信頼はとても厚い。彼の一言が兵の士気を上下させるほどに。ルオが今回、魔王討伐隊の指揮官に任命されたのも、その信頼あってのことだろう。
ルオは、この第三大隊長の名前を知らない。しかし、現在この二人は、断ち切ることのできない信頼関係で結ばれている。
名前など必要ない。互いに信じるだけで、俺たちは仲間なのだから。
会話が終わった直後、二回目の轟音。歯を食い縛って踏ん張る。
攻撃が終わるとルオは剣を握って、岩の影から飛び出した。
「突撃!」
え?展開が遅いって?
気のせいですよ、気のせい。
心情描写に力いれてますから(震え声