第七話 バスケ with 雪 and 恵
「よぉし、零、久しぶりに3on3だな」
「ん、負けないぞ」
僕は兄と相対して腰を据える。兄さんはバスケットボールを片手にくるくると弄びながら言う。
対する僕は半袖短パンの運動着に着替えて、相手の挙動に目を光らせていた。
さて、先程までカラオケをしていたのが、何故、このような状態に至っているかと言えば、極めて単純である。
あの後、兄貴をボコした後に、彼女たちの酔いが醒めるまでこうして久しぶりにスポールをすることとしたのだ。
幸い、隣はスポーツセンター。バスケやバドミントン、卓球などが出来るちょっとした施設なのである。しかも、それを兄貴は株主優待でタダで招き入れてくれた。
まぁ、それぐらいしてくれなければ割に合わないのだが。
さて、先程、3on3という単語が出たが。
チラリと左右を見ると、そこにはすぐに酔いから醒めた雪姉と、何故かここに居合わせていた先日訪れた池袋のメイドカフェの店員さんがいた。
店では二つに結った髪にエプロンドレスに、綺麗な笑顔を浮かべて接客していたが、今日会ったときはその黒髪を一本にまとめ、一人でゴールに打ち込みをしているのを見つけて、声を掛けたら、何だかんだで一緒にやることになったのだ。
しっかりと屈伸をしていたメイドさんは僕の視線に気付くと、溌剌とした笑顔を見せた。その笑顔はどことなく親しげなもので、僕は心のどこかで安心しながら笑みを返す。
「悪いわね、一緒にやらせて貰って。あたし、連れと待ち合わせしていたんだけど、連れが人身事故を起こした列車に乗っていたから」
「はは、店とは大分、態度が違いますね」
僕は少し苦笑しながら返すと、メイドさんはさも当たり前だという平然とした顔で言う。
「店じゃ猫被っているから。よし、じゃあ、始めましょうか」
「そうですね」
僕は視線を戻すと、兄さんは頷いて腰を低くする。そして左右の二人に目で合図した。その二人は一人は金髪の女、もう一人はパンチパーマの男で、どうやら兄さんの友人らしい。
二人とも出来そうな感じで、少し僕は圧倒されかけたが、背後の二人の存在を思い出し、踏みとどまって手を胸の前で突き出す。
それから兄さんはその突き出した手へボールを寄越す。そして僕がボールを返した瞬間、ゲームは始まった。
兄貴はすぐさま、パンチパーマの男にパスをするとその男はドリブルで雪姉に肉迫する。姉さんが負けじと手を伸ばして進路を塞ぎ、隙あらばスティールしようという構えを見せる。
その間に僕は兄さん、そしてメイドさんは金髪の女のマークにつく。
ここで拮抗状態……さぁ、どう動くか……。僕はじっと男の様子を見守る。
パンチパーマはドリブルしながら軽く引く、と思ったらその瞬間に、一気にドライブを仕掛けた。
姉さんはすぐに対応する。進路へと身体を割り込ませる。パンチパーマは舌打ちをすると、ピッとゴール下へとパスを放つ。それと同時に兄さんが自分のマークを外して駆け出していた。
「しまっ……!」
僕はすぐさま追いすがり、丁度、兄貴がボールを確保した瞬間に彼の前へと飛び込み、ゴール下からのシュートを阻止すべく動く。
だが、兄さんは一歩引くと下がりながら強引にシュートを撃った。
もちろん、僕が肉迫しているので弾道が微かに変わる。これは入らない……!
そう思いながら振り返ると、丁度、ボールはリングに弾かれて外へと転がり落ちようとしていた。そこへ、パンチパーマと姉さんが同時に駆けつけて跳び、リバウンドを狙う。
リーチの差で勝ったパンチパーマが跳ねた球を軽くタッチしてゴールへと押し込んだ。
「さすがだ、竜」
「あったぼうよ」
兄さんとパンチパーマはハイタッチを交わし合う。そして落ちてきたボールをパンチパーマが僕に放ってニカッと笑った。
「弟くん、テメエの番だ」
「あいよ」
僕は悔しく思いながら二人に合図してポジションに戻る。そして向かいの兄さんに球を放った。すぐに兄さんは球を返す。
僕はそれを受け取った瞬間に、僕は姉さんに球を鋭くパスした。拳で殴るパスで強烈並びに高速。マークがつく間もないパスに、姉さんは飛び出して受け止めながら顔を綻ばせる。そして鋭くゴール下へと切り込む。パンチパーマはすぐさま戻ってゴールさせじとするが、実際、雪には関係ない。
「甘いよっ!」
急激にベクトルを後方に変換、一瞬で距離を作るとすぐにボールを放った。
「な……! そんな遠くからッ!?」
パンチパーマが目を剥いて振り返る。
実際、彼女がシュートしたのは、スリーポイントラインの二歩中に入った程度だ。近いような遠いような位置……だが、姉さんからして見れば、スリーポイントラインから内側は……狙撃可能範囲だ。
ぱすっと軽い音と共にネットが揺れた。
「さ、返しましたよ」
「……次からはこうもいかんぞ」
姉さんとパンチパーマが視線をぶつからせ合う。良い戦いになりそうだ。
僕は笑みを見せながら兄貴に球をやる。兄さんは受け取ってポジションに戻ると、すぐさま、球を僕に放る。僕はすぐに返すと、兄さんはそのままドリブルの体勢に入った。
防がんと僕は突っかかると、その瞬間、兄貴は僕の視界から消えた。
「ッ!」
違う、ロールでかわされた! 僕はすぐさま背後に振り返ってゴールに猛進する兄さんの後ろを追う。すぐに姉さんがヘルプに入ってすでに進路を塞いでくれていた。
だが、その結果、パンチパーマのマークが空いた。兄さんはそちらにパスすると、パンチパーマは受け取って地を蹴り、手からボールを放っていた。
マーク無しで余裕を持ったシュート、それは真っ直ぐゴールの方へと駆け上り……。
の、手前にバシリと弾かれた。
そこにいたのは、紛れもなくメイドさんであった。
「何やっているのよ、抜かれたらどうするの」
苦笑いを見せながらメイドさんは僕に奪取した球を寄越す。僕は思わず兄さんと顔を見合わせた。
ポジション的には、センターからゴールに向かって、左側にパンチパーマ、右側に金髪とメイドさんがいた。その距離を一気に詰めるのは些か無理がある。
恐らく、僕が抜かれたその瞬間に、すでに動いていた……?
「……続けよう」
「うん」
僕は頷き、雪姉の方をチラッと見る。彼女は真摯な顔でコクンと頷き返す。彼女もその少女の動きに何か感じるものがあったらしい。
ポジションへと戻って、僕は同じくポジションに戻った兄さんへボールを渡す。そしてまた返して貰う。その一連の動作が終えると、僕はすぐさま姉さんへパスした。
また拳で殴るパスなので、早い。が、パンチパーマの対応が早かったのでひやっとした。
しかし、微かに指が届かず、パスカットはならない。だが、そのままパンチパーマはすぐにぴったり張り付かれているので、姉さんは先程のようにドリブルで切り込めない。
だからその前に姉さんは、パスをしていた。
「な……!」
僕の撲投パスを姉さんは撲投パスでコートの隅に駆けていたメイドさんへとパスしていたのだ。
「ナイス!」
それをメイドさんはマークを振り切って受け止めるが、そこからシュートを撃てない。さらにすぐに金髪が再び彼女を強襲する。
だが、その前の一瞬、メイドさんは僕に視線を向ける。思いがけず鋭い視線に僕は思わず怯む。が、彼女の口の動きは目にはっきりと残った。
な……『A』……だと……?
理解する前に、僕の身体が動き出す。兄さんの隙をついてかいくぐり、ゴール下へとまっしぐら。そして僕が動き出す一秒前には彼女の手からボールがゴールへと放たれた。
「な……!」
全員が呆気に取られる中、僕は勢いよくゴール下に駆けつけるとその勢いを殺さぬように膝を曲げながらそこで足を踏みしめ、身体の腕と足を折りたたむ。
そして勢いよく上方へと飛び出した。
父さん曰く、全ての筋肉を連動させれば人間にだって五メートルは飛べる。とか。
まぁ、五メートルは言い過ぎだろうが、今の僕からしてみれば。
メイドの彼女と空中で目配せし合う。そしてニヤリと笑いながら手元に飛び込んでくるボールを見つめた。
リングに届けば十分だ。
そして勢いよくボールをゴールに押し込んだ。
「……まさか、本当にあそこでアリループをやってくれるとは思わなかったわ」
「貴方が合図したんでしょうが」
試合後、僕とメイドさんはスポーツドリンクで乾杯していた。
自販機の前でメイドさんは着ている運動着の袖で額を拭いながら笑って見せた。その笑顔は長い間友達であるかのように親しく感じられた。
「そうね、あたしのせいかも」
何となく背格好といい、一人称といい、百合に似ている気がする。尤も、甘えてくる感じがしないから、決定的に百合と違うんだが。
だけど。
「良いパスだった」
僕は思わず彼女の頭に手を当てて、くしゃくしゃと撫で回していた。
「わ、ちょっ!」
メイドさんはパッと飛び退いて警戒するようにこちらを見る。
「あ、悪い……つい、妹みたいでな」
「……ふぅん」
じとっとした目で僕を見るメイドさん。だが、警戒は解いた様子で僕に近づく。
「ん、まぁ、良い運動になったわ、ありがとね。あたしは平田恵」
「ああ。僕は溝口零。また機会があったら頼むよ」
「そうね。その前に、またあたしのお店に来てくれたら嬉しいわ」
「ああ、また行く用事があれば」
「用事ぐらい作ってよ」
平田さんはカラッとした笑みを見せると、腕時計を一瞥してそこで優雅に一礼した。
「では、またのご来店をお待ちしています」
「ああ、そのときはよろしく」
「うん、じゃあね」
そうして平田さんはひらひらと手を振りながらその場を立ち去る。その背後でその動向を見守っていた姉さんが近寄ってきてむすっとした顔を見せた。
「……レイちゃんって、本当に女たらしね」
「何でだよ」
「何でも。それでレイちゃん、勝ったね」
ふと、雪姉の表情に悪戯っぽい笑みが浮かんだ。何だろ、嫌な予感がする。バスケでかいた汗とは別物の汗が背筋から滴り落ちた。
「あ、ああ、そうだな」
「ご褒美」
「お、お姉さんなのに……それはどうかと」
「お姉さんの前に私は一人の女の子なの」
「お、お金の持ち合わせはあんまりないけどなー……」
「うん、お金は必要ないし」
「ちなみに、姉さんに恐れ多くもご褒美なんてあげる度胸すら……」
「うん、それは頑張る」
キラキラとした目を向けられる。僕は思わず後退り。
と、背中が自販機にぶつかる。逃げられない事が暗に意味されてしまった。
「う……」
咄嗟に視線を兄さんに向けるが、兄さんは友人達と忙しそうな素振りをしてしっかり片目でこちらを見ている。にゃろぉ……。
僕が焦っている間に雪姉はじりじりと近づき、そっと逃げられないように僕の顔の左右に手をつく。悪戯っぽい笑みはすでにどこか発情した獣のような笑みに変わっている。はっきり言って、怖い。
「……貰うね? 正当報酬だもの」
「え、頼んだ訳じゃ……」
「じゃあ、今度頼まれたときはやってあげない」
「う……」
「という訳で」
姉さんは妖艶な光を瞳に湛え、そして僕の唇にかぶりつくように唇を押しつけた。
「んっ……」
それだけに収まらず、舌をぐいぐいと割り込ませ、僕の舌と絡ませる。
素晴らしく強引なやり方で思わず目眩がする。僕は息を詰まらせながらもそれを受け入れると、姉さんは目で笑ってさらに舌で僕の口腔を犯していく。
百合のように乱暴ではなく、丁寧に歯を一本一本舐めるように愛おしそうに舌でなぞっていく。
舌の付け根がくすぐられたとき、思わず僕の背筋が震えた。
その反応に満足したのか、雪姉はそっと舌を引き抜いて微笑んだ。
「今日は、ここで満足してあげる。さ、レイちゃん、そろそろモカちゃんや百合ちゃんが目を覚ますんじゃない?」
「……はい、そっすね」
もはや、抜け殻の気分の僕は力無く頷くと、上機嫌そうな雪姉の後ろについて僕はとぼとぼと歩いていく……。
もはや、僕の意向は関係ないんすね……。
◇◆◇
「溝口零……ねぇ……」
その頃、平田恵は鞄片手に駅に向かっていた。彼の動きを思い出しながら、ステップを踏んでみる。
ここを彼が入った所で、あたしがスクリーンに入って、そうしたら彼が飛んで……ああ、でもブロックが入るから……そこであたしが駆けつけて飛ぶかな。
イメージしながら脇から飛んでくるボールを片手で支え、両手で空中に構える。そして着地する寸前にパッと手の中にないイメージのボールを放る。
その球はあたしの脳内でくるくると回りながらブロックを超えてゴールのネットを揺らして垂直に落ちる。と、その下にごっつい野郎共がいるのが目に入った。
ああ、そうだった……。
ややげんなりした様子で恵はすたすたとそこへ歩いていくと、黒いTシャツに身を包んだがたいの良い野郎共は中腰になってこちらを見据えた。
「押忍!」
「道のど真ん中でやるな。めんどくせえ」
恵はやや粗暴な言葉を放つと、野郎達は勢いよく立ち上がって彼女の前に整列した。
まさに女番長のような光景に周りの通行人達は唖然として見守った。
それを気付いてか、もしくは目の前の野郎共に嫌気が差したのか、恵はため息をつきながら一本に結わえた髪の毛を解く。そして持っていた鞄から何かを取り出す。
「んで、何であんた達、電車で来ているのよ」
「うっす! 組長が交通費が勿体ないからと!」「うっす! 定期券で来ました!」「俺は弟の通学定期券で来ました!」「俺は自腹っす!」
「……なんかバカみたい」
恵は再度ため息をつく。多分、彼女の言葉は十中八九正解だろう。
彼女は取りだした何かを抱え、鞄のファスナーを閉めながら、そう言えば、と呟く。
「なぁ、テメエら。零って名前に聞き覚えない? 溝口零。あたし、どっかで聞いた覚えがあるんだけど」
「レイっすか! あれっすよ、あや……アヤサキ!」「ばかっ、それはハヤテだ!」「そうだ、アヤナミだ!」「おお、お前天才か!」
「アニメの話じゃない!」
恵が怒鳴ると、野郎達はしゅんと頭を下げた。
恵は頭を押さえると、鞄を野郎の一人に押しつけて通算三度目のため息をつく。そして、取りだしたそれを広げる。それは黒マントのようで、背中には何か文字が書かれていた。
「あんたらに聞いた方がバカだったわ……それじゃあ、行くわよ」
「うっす!」「久しぶりのカチコミっすね!」
「ええ……一発、でかくやっていくわよ」
恵が先頭に、野郎達がぞろぞろと歩いていく。
その全員の背中には。
『平田組特攻隊』と力強く書かれていた。
そう、溝口零はまだ知らない。
彼女がヤクザの一味である事を……。