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迷惑隣人が玄関前と駐車区画を占拠したので、葬祭会社勤務の本気で引っ越していただきました

作者: 熾星
掲載日:2026/07/21



導入


 施工班に、高額の仕事が入った。

 内容は、ごく普通の分譲マンションの一室に「葬祭用品サンプル保管室」を作ることだた。

 責任者は、最初、住所の入力ミスだと思ったらしい。けれど工具を抱えて現場に来たとき、私が本気だとようやく理解した。


 理由は単純だった。同じ階の斜め向かいに住む女が、靴箱、古い収納棚、ゴミ袋を共用廊下いっぱいに並べ、私の玄関前まで占拠していたからだ。扉を開けるたび、こちらが身を縮めなければならないほどだった。


 私は、ここは火災時の避難経路だから私物を置かないでほしいと伝えた。


 すると彼女は、目だけで人を踏みつけるような顔をした。


「管理費はうちも払ってるのよ。共用部分なら、私にも使う権利があるでしょ。賃貸暮らしの貧乏会社員が、何様のつもり?」


 その後、私はその部屋を買った。


 同時に、地下駐車場の平置き駐車区画の専用使用権も引き継いだ。


 けれど彼女は、私が出張している間に、自分の赤いレクサスを私の区画へ停め、さらに黄色い車止めまで勝手に取り付けた。


 家に車が多いから少し借りてあげているだけ。


 彼女は、そう言った。


 だから私は、施工班に頼んだ。


 駐車区画の線の内側に、取り外し可能な鋼製フェンスをぐるりと立ててもらった。


 ついでに、自分の部屋を葬祭用品サンプル保管室にした。


 どちらのほうが気味悪いか、比べてみればいい。




1.共用廊下の靴山


 午前一時、葬祭会場の設営を終えた私は、疲れた体を引きずるようにしてマンションへ戻った。


 鍵を差し込み、玄関ドアを外へ少し押した瞬間、何かにぶつかった。次の瞬間、扉の向こうの共用廊下で、ばらばらと崩れる音がした。


 私の玄関前に積まれていた靴箱が押され、中から大量の靴が転がり出した。狭い廊下はあっという間に靴で埋まり、消防栓の脇まで靴箱に塞がれていた。


 廊下の向こうから、甲高い声が飛んできた。


「あんた、頭おかしいんじゃないの? こんな夜中に何してるのよ!」


 私は玄関前を塞ぐ靴箱を見下ろし、ゆっくり息を吸った。


 私が住んでいるのは、東都近郊にある古い分譲マンションだ。築年数は経っているが、駅から近く、賃料もどうにか払える範囲だった。


 佐伯家は、同じ階の斜め向かいに住んでいた。この階には四戸しかなく、共用廊下は狭い。消防栓と階段口は、私の部屋のすぐ近くにあった。


 佐伯家の妻、美奈子は、このマンションでは有名な迷惑住人だった。


 私は廊下の向こうを見た。


「佐伯さん、ここは共用廊下で、火事のときの避難経路です。うちの玄関前まで靴箱を置かれると、いざというとき誰も通れません」


 美奈子は斜め向かいの玄関に立っていた。寝巻き姿で、顔にはパックを貼っている。こちらを見る目は、道端の虫でも見ているようだった。


「共用廊下って、みんなで使う場所でしょ。管理費を払ってるんだから、どこに置こうが私の自由じゃない」


「共用というのは、一人で占拠していいという意味ではありません」


 彼女は鼻で笑い、自分の足元まで転がってきたハイヒールを乱暴に蹴った。


「賃貸のくせに、管理規約なんて口にしないでくれる? 文句があるなら、自分で買えば?」


 その声は大きかった。同じ階の数戸が、細く扉を開ける。階段室のほうからも、誰かがこちらを覗いていた。


 私は言い返さず、スマホを取り出した。玄関前を塞ぐ靴箱と、床いっぱいの靴を撮影する。


 美奈子の顔色が変わった。


「何を撮ってるの? 誰が許可したのよ」


 私は消防栓の脇を塞いでいる靴箱へレンズを向けた。


「管理会社と消防に確認するだけです。避難経路の妨げになるかどうか」


 次の瞬間、美奈子が大股でこちらへ来た。


 彼女は私の手をはたき、スマホを床へ叩き落とした。スマホは壁際にぶつかり、画面に蜘蛛の巣のような亀裂が走った。


 美奈子は割れた画面を見下ろし、楽しそうに笑った。


「撮れば? どうやって撮るの?」


 斜め向かいの扉が開いた。


 夫の浩二が顔を出した。部屋着姿で、いかにも面倒くさそうな顔をしている。


「美奈子、こんなやつ相手にするなよ。賃貸なんて、少し脅せばおとなしくなる」


 美奈子は斜め向かいの部屋へ戻った。私のそばを通り過ぎるとき、わざと肩をぶつけてくる。


「死人くさいのよ、あんた。どんな仕事してるんだか知らないけど、斜め向かいに住まれるこっちの身にもなってほしいわ」


 防犯扉が、頭上で重く閉まった。


 私はその場に立ったまま、床に落ちた折れたヒールと、割れたスマホを見た。


 怒鳴り返すことはしなかった。


 私は葬祭業界で働いている。人の死も、人の醜さも、いくらでも見てきた。


 この程度で、その場で怒る気にはなれなかった。




 翌朝、私は腐ったような臭いで目を覚ました。


 玄関の外には、破られたゴミ袋が三つ置かれていた。食べ残し、魚の骨、使用済みの紙くず、赤や黄色の汁が混ざった液体が、私の玄関マットへ流れ出している。


 廊下には小さな虫が飛んでいた。ドアの隙間からも酸っぱい臭いが入り込み、頭が痛くなる。


 私が一歩外へ出ると、靴の甲に唾が落ちた。


 音のしたほうを見る。


 佐伯家の息子、翔太が階段の手すりに身を乗り出し、こちらへ舌を出していた。小学四年生くらいだろう。顔に浮かぶ悪意は、すでに母親によく似ていた。


「賃貸の貧乏人は、ゴミでも食べてろ!」


 斜め向かいから、美奈子の笑い声が聞こえた。


「翔太、よく言ったわ。そういう人にはゴミ置き場がお似合いよ」


 私はティッシュを取り出し、靴の甲を拭いた。


 佐伯家の扉を叩いて話し合うことはしなかった。


 こういう相手に道理を説くと、こちらまで泥の中に引きずり込まれる。




2.赤いレクサスと駐車区画


 一階の駐車場へ降りた瞬間、私は足を止めた。


 私の小型バイクが、植え込みに投げ込まれていた。シートには長い傷が入り、黄色いスポンジがはみ出している。


 ハンドルにはゴミ袋が引っかけられ、中の汁がぽたぽたと垂れていた。


 もともとバイクを停めていた場所には、赤いレクサスNXが停まっていた。


 美奈子の車だった。


 あの車が彼女の自慢だということは、マンション中が知っている。彼女は息子を見るより、あの車を磨いている時間のほうが長いのではないかと思うほどだった。


 私はその場で、予備のスマホから管理会社へ電話した。


 十分ほどで、管理会社の担当者が慌ててやって来た。担当者はレクサスを見て、私を見て、すぐに困った顔をした。


「黒瀬さん、これは佐伯さんのお車ですね。あちらは昔からお住まいの方で、少し、その……」


 私は担当者を見た。


「それで?」


 担当者は手をこすり合わせた。


「黒瀬さんは、今は賃貸でお住まいですよね。バイクも、起こせば動くかもしれませんし、まずは話し合いで……」


 私は頷いた。


「わかりました」


 担当者は、私が引いたと思ったらしい。露骨にほっとした顔をした。


 ちょうどそのとき、美奈子がブランドバッグを提げてエレベーターから降りてきた。私が車の横に立っているのを見ると、口元をすぐに吊り上げる。


「悔しいの? そのボロいバイク、いくらするのよ」


 彼女はレクサスの横に立ち、指先でドアを軽く叩いた。


「うちは車が多いの。少し停めさせてあげてるだけで、ありがたく思いなさいよ。これからは私の邪魔をしないで」


 私はその当然のような顔を見つめ、スマホを手に取った。


 電話をかけた先は、部屋の所有者である田村さんだった。


「田村さん、この部屋の賃貸契約を終わりにしたいです」


 少し離れた場所で聞いていた美奈子が、すぐに立ち止まった。彼女はさらに大きな声で笑った。


「やっとわかったのね。さっさと出ていきなさい。目障りなのよ」


 私は彼女に向かって、ただ軽く笑った。


 説明する気はなかった。




 三日後、私は不動産会社の応接室にいた。


 田村さんは、テーブルの上の売買契約書を見つめ、まだ少し呆然としていた。退去の相談だと思って来たのに、私が口にしたのは、この部屋を買いたいという話だったからだ。


 私は銀行カードを差し出した。


「この部屋を買います。地下の平置き駐車区画の専用使用権も、一緒に譲ってください」


 田村さんはようやく状況を飲み込み、目尻に皺を寄せて笑った。


「黒瀬さん、あなたは本当にわからない人ですね」


 私は答えなかった。


 契約後、司法書士が登記手続きを進めた。駐車区画の専用使用権についても、管理組合の確認を得て、私の名義へ移された。


 一週間後、その部屋は正式に私のものになった。


 美奈子はまだ、私が追い出された賃貸住人だと思っていた。




 その夜、私は出張先から戻り、会社から貸与されている黒い社用車で地下駐車場へ入った。


 遠目にも、私の駐車区画に赤いレクサスが停まっているのが見えた。車の前には、新しい黄色の車止めまで取り付けられている。


 私は社用車を別の場所へ停め、スマホを取り出した。マンション住民専用のLINEグループから美奈子の連絡先を探し、電話をかける。


 電話はなかなかつながらなかった。


 ようやく出た向こう側からは、雀荘のざわめきと牌の音、そして笑い声が聞こえた。


「誰? こんな時間に何なの?」


「斜め向かいの黒瀬です。あなたの車が、私の駐車区画に停まっています。移動してください」


 電話の向こうが、一瞬だけ静かになった。


 すぐに、甲高い笑い声が返ってくる。


「あなたが駐車場を買ったって? あなたが?」


「駐車場そのものを買ったわけではありません。管理組合に確認された専用使用区画です。書類もあります」


 美奈子は鼻で笑った。


「書類なんて知ったことじゃないわ。私は今、忙しいの。明日にして」


 私は静かに言った。


「三十分待ちます」


 彼女の声が、すぐに尖った。


「あの車に少しでも触ったら許さないから。うちの人は管理会社の上ともつながりがあるし、警察にも知り合いがいるの。このあたりで暮らせなくなりたくないなら、おとなしくしてなさい」


 電話は切れた。


 私は暗くなった画面を見つめ、住民専用LINEグループを開いた。駐車区画の使用承認書と、レクサスが無断で停まっている写真を投稿する。


【佐伯さん、三十分以内に車を移動してください】


 グループはすぐに騒がしくなった。


 普段から佐伯家に迷惑をかけられていた住民たちが、ようやく声を上げ始めたのだ。


【また佐伯さんのところ?】


【この前もベビーカーを廊下に置きっぱなしにしてましたよね】


【人の駐車区画ですよね。どうして停めているんですか?】


 すぐに美奈子が音声メッセージを送ってきた。画面越しでも怒鳴り声が飛び出してくるようだった。


【あなたたちに関係ないでしょ? うちの車がいい車だからって、妬まないでくれる?】


 浩二も続けて書き込んだ。


【黒瀬さん、物事には限度があります。私は営業部の課長ですし、それなりに社会的なつながりもあります。今すぐ投稿を消し、妻に謝ってください。今回はそれで済ませます】


 私は最後に一言だけ返した。


【残り十分です。以後は自己責任でお願いします】


 それを送ってから、スマホを閉じた。


 罵倒も脅しも、もう見る必要はなかった。




3.檻に入った車


 実行する前に、私は駐車区画の使用契約、管理規約、現場写真を顧問弁護士へ送っていた。


 弁護士からの注意は三つだった。


 相手の車に触れないこと。


 共用部分に固定しないこと。


 避難や通行を妨げないこと。


 それで十分だった。




 午前二時、地下駐車場は換気扇の低い音だけが響いていた。


 「葬祭会場設計施工」と書かれたワンボックスカーが、ゆっくりと入ってくる。ドアが開き、黒田さんが数人の作業員を連れて降りた。


 彼らが持っていたのは、取り外し可能な鋼製フェンス、重し付きのベース、そして施工用の工具だった。


 黒田さんは、葬祭会場の設営で長く付き合いのある協力会社の責任者だ。普段は祭壇の仮設フレーム、会場の仕切り、安全用の囲いを作っている。


 彼は無断で停められた駐車区画を一瞥した。


「蓮也、本当に一番しっかりしたやつでいいんだな?」


 私は頷いた。


「区画線の内側だけでお願いします。車には触れない。共用部分にも固定しない。囲むだけでいいです」


 黒田さんは小さく笑った。


「こちらに過失が出ない範囲で、出られなくする。そういうことだな」


 作業員たちは慣れた手つきだった。


 鋼製フェンスは区画線の内側に沿って立てられ、それぞれ重いベースで固定された。連結部分には鍵がかけられる。


 フェンスはレクサスに触れていない。柱にも壁にも天井にも固定されていない。


 それなのに、その赤い車は高価な展示品のように囲い込まれていった。


 ドアは開かない。


 車も出せない。


 私は柱にもたれ、黒いフェンスが少しずつ閉じていくのを見ていた。


 赤いレクサスは、鉄の檻に入れられたようだった。


 最後に私は一枚の札をフェンスに掛けた。


【専用使用区画。無断駐車。以後、自己責任】


 すべてが終わると、私は部屋へ戻って眠った。




 翌朝、私は悲鳴で目を覚ました。


 地下駐車場には、すでに人だかりができていた。写真を撮る者、Xに投稿する者、スマホで動画を回す者までいる。


 美奈子は人だかりの真ん中で、髪を振り乱しながらフェンスを蹴っていた。


「私の車! 誰よ! 誰がうちの車を閉じ込めたの!」


 彼女は私を見るなり、目を血走らせた。


「あんたね! あんたがやったんでしょ、この貧乏人!」


 美奈子は爪を立てて飛びかかってきた。


 私は半歩横へ避けた。彼女は勢い余って床へつんのめり、周囲から押し殺した笑い声が漏れた。


 美奈子は立ち上がった。化粧が半分崩れている。


「何笑ってるのよ。部屋番号、全部覚えておくから!」


 ほどなくして、浩二が携帯用の切断機を持って駆け下りてきた。


「美奈子、落ち着け。こんなもの、俺が切る」


 彼が機械の電源を入れようとした瞬間、私は人だかりの外から声をかけた。


「切る前に、よく考えてください」


 浩二の手が止まった。


 私はスマホを掲げた。書類と監視カメラの位置が、彼に見えるようにする。


「これは私の専用使用区画です。フェンスは区画線の内側にあり、車には触れていません。共用部分にも固定していません。今それを切れば、他人の財物を壊すことになります」


 周囲の住民たちが、すぐにざわついた。


「切ってみたら?」


「佐伯課長は警察にも知り合いがあるんでしょう?」


 浩二は切断機を握りしめた。手の甲に青筋が浮いている。


 数秒後、彼は電源を切った。


「これは切れない」


 美奈子は怒りに任せて、浩二の後頭部を叩いた。


「役に立たないわね!」


 浩二は頭を押さえ、顔をこわばらせた。


「責任を取らされるのは俺なんだぞ」




 しばらくして、警察が来た。


 美奈子が泣きながら通報し、車を閉じ込められたと訴えたらしい。二人の警察官はフェンスに囲まれたレクサスを見て、一瞬言葉を失った。


 年配の警察官が私を見た。


「これは、あなたが?」


 私は駐車区画の使用書類、管理組合の確認書、施工内容の控えを渡した。


「私の専用使用区画です。フェンスは相手の車に接触していませんし、区画線の外にも出していません」


 警察官は書類を確認し、現場も見た。


 フェンスは確かに区画線の内側に収まっていた。


 美奈子がすぐに駆け寄った。


「お巡りさん、早くこれを撤去させてください! 私の車なんですよ、レクサスなんですよ!」


 警察官は双方を見て、できるだけ平静な声で言った。


「現時点では、駐車区画の使用や費用負担に関する民事上のトラブルとして、管理組合か弁護士を通して話し合ってください」


 美奈子が叫んだ。


「じゃあ、私の車はどうするんですか!」


 私は彼女を見た。


「撤去はできます。設置費、撤去費、こちらの手間を含めて五万八千円。先に支払っていただければ、すぐに外します」


 美奈子は信じられないものでも見るように目を見開いた。


「ふざけないで! 一円だって払わないわ!」


 私は書類をしまった。


「では、話し合いで」


 警察は簡単な記録だけを残し、去っていった。


 野次馬はさらに増えていた。誰かが小さく笑う。誰かがまだ写真を撮っている。


 やがて、LINEグループに一言が流れた。


【佐伯家、今回は相手を間違えましたね】


 車の件は、完全に行き詰まった。


 美奈子たちは管理会社へ怒鳴り込み、管理組合にも苦情を入れた。けれど手続きに入った時点で、彼女の怒鳴り声だけですぐ解決する問題ではなくなった。


 赤いレクサスは、フェンスの中で静かに鎮座するしかなかった。


 美奈子は、その怒りを飲み込めなかった。


 次に彼女は、私の日常生活へ矛先を向けた。




4.何もしない管理会社


 その夜、私の部屋の電気が突然落ちた。


 ドアを開けると、ブレーカーが落とされ、ネット回線のケーブルも切られていた。新しく設置した小型カメラには、美奈子の得意げな顔がはっきり映っていた。


 彼女はレンズに向かって、中指まで立てていた。


 私はその映像を管理会社へ持っていった。


 担当者は、相変わらず曖昧な顔をした。


「黒瀬さん、何かの行き違いかもしれません。佐伯さんには、こちらから注意しておきますので」


 私は担当者を見た。


「ブレーカーも、ケーブルも、行き違いですか」


 担当者は目を逸らした。


「大きな損害が出たわけではありませんし、再接続で対応できますから」


 私は頷いた。


「そうですか」


 翌日、私は鍵を交換した。


 翔太が鍵穴に瞬間接着剤を流し込んだせいで、鍵屋に来てもらい、壊して開けるしかなかったからだ。


 共用廊下の状態も悪化した。


 美奈子は靴箱だけでは飽き足らず、大きな古い収納棚を二つ運び込んだ。私の玄関前には、体を横にしなければ通れないほどの隙間しか残っていない。


 さらに彼女は、私のドアの前に塩を撒き、御札のような紙を貼り、ゴミを置いた。


 夜中には、何日も放置したような汚水を玄関前にぶちまけた。その臭いはドアの隙間から入り込み、部屋の中まで頭の痛くなる空気に変えた。


 私は室内に立ったまま、玄関カメラの映像を見ていた。


 そして、葬祭会社の協力業者用グループを開いた。


【仕事があります】


【場所は東都近郊、白川台マンション】


【特殊な保管室の設営です】




 翌日の午後、私は休みを取った。


 引っ越し業者が家具をすべて運び出し、部屋には空っぽの壁だけが残った。美奈子は斜め向かいの玄関に立ち、宝くじでも当たったような顔で見ていた。


「やっと出ていくの?」


 私は廊下から彼女を見た。


「もう住みません」


 彼女は勝ち誇ったように腕を組んだ。


「最初からそうすればよかったのよ」


 私は少しだけ笑った。


「でも、売るつもりもありません」


 美奈子の眉が動いた。


 それ以上、私は説明しなかった。


 その夜、施工班が入った。


 窓には分厚い黒い布が掛けられ、バルコニーのガラスには遮光フィルムが貼られた。部屋の中からは、一筋の光も漏れない。


 ごく普通のマンションの一室が、少しずつ別のものへ変わっていった。




5.葬祭用品サンプル保管室


 もちろん、私はこの部屋を本物の納骨堂にしたわけではない。


 本物の納骨堂には許可が必要だ。葬祭会社で働く私が、そんな危ない線を越えるはずがなかった。


 客を入れるつもりも、商売をするつもりもない。宗教施設でもなければ、納骨堂でもない。


 ここは、私名義の部屋に置いた、臨時のサンプル保管室にすぎなかった。


 私は会社の倉庫に眠っていた、廃棄予定の手元供養箱のサンプル、空の納骨箱、遺影用の展示パネル、祭壇道具、撮影用の背景布を運び込んだ。


 客間の三面の壁には、濃い色の木製ラックが組まれた。


 ひとつひとつの棚には、黒や深紅の供養箱のサンプルが置かれている。中には遺骨も遺品も入っていない。


 ただの空箱だ。


 けれど遠目に見れば、背筋が冷えるには十分だった。


 私はさらに、AIで二百枚の白黒遺影風サンプルを作った。


 穏やかな顔、陰のある顔、口元だけがわずかに笑っている顔。写真は展示パネルに整然と貼られ、まるで二百の目が部屋の中央を見つめているようだった。


 私自身、玄関に立って眺めたとき、この部屋は別の世界の入口のように見えた。


 客間の中央には供物台を置いた。


 香炉には電子線香を差し、隣には暗い赤色のLED常夜灯を置く。壁には地獄絵風の掛け軸を掛け、玄関には白い提灯を二つ吊るした。


 音を一晩中流すようなことはしなかった。


 音響は、夜九時から十時半のあいだに、数分ずつ間隔を空けて鳴るよう設定した。音量は騒音計で測っても問題にならない低さだった。


 佐伯家を苦しめるのは、音そのものではない。


 斜め向かいの部屋に何があるのか、彼らが知っていることだった。


 最後に、天井の隅へ投影機を取り付けた。


 白い人影が黒いカーテンの上をゆっくり動く。部屋の中を、誰かが歩いているように見える仕掛けだった。


 すべての準備が終わったあと、私は玄関に立った。


 赤い光の中、白黒の顔が静かに並んでいる。


 それは怪異ではなかった。


 技術だった。




 三日後、美奈子一家が旅行から戻ってきた。


 彼らは大きな荷物を持ち、エレベーターの中で楽しそうに話していた。


「あの賃貸、やっと出ていったわね。空気まできれいになった気がする」


「ねえ、今度はもっと大きな靴箱にしようよ。斜め向かいはもう誰も住んでないんだし」


 エレベーターの扉が開いた。


 鼻歌まじりに出てきた美奈子は、こちらを見た瞬間、笑顔を凍らせた。


 私の部屋の前には、二つの白い提灯が揺れていた。


 黒い扉の隙間から、赤い光が漏れている。どこか遠くから聞こえるように、木魚の音がかすかに漂っていた。


 美奈子の手から、旅行バッグが落ちた。


「何よ、これ」


 浩二も固まり、壁に手をついた。


 私は物音を聞いて、ゆっくり玄関を開けた。


 その日、私は黒い羽織を着ていた。手には白木の数珠を掛けている。顔色が悪く見えたのは、わざとファンデーションを厚く塗っていたからだ。


 私は彼らを見た。


「お帰りなさい」


 美奈子の唇が白くなった。


「あなた、出ていったんじゃなかったの?」


 私は体を少し横へずらした。


 三面の壁いっぱいに並ぶ黒い箱と、白黒の遺影サンプルが、彼らの目に入るように。


「部屋が空いたので、会社で不要になったサンプルを一時的に置くことにしました」


 翔太は母親の後ろに隠れた。顔から血の気が引いている。


 美奈子は私を指さした。


「こんなの、気持ち悪い宗教じゃない!」


 私は数珠を指先で動かした。


「葬祭用品のサンプル保管です。全部空のサンプルです。遺骨も遺体もありません。不安なら通報してください」


 彼女は部屋の奥を見た。


 赤い光の中で、写真の顔が生きているように見えたのだろう。


 彼女は結局、一歩も近づけなかった。




6.斜め向かいの眠れない夜


 その夜、マンションは静かだった。


 音響は設定どおり、数回だけ鳴った。どれも五分に満たない短い音だった。


 大きな音ではない。深夜まで続くわけでもない。


 けれどこの古いマンションは、壁も扉も薄い。木魚の音と低い読経の声は、壁や玄関の隙間、換気口を通って、少しずつ斜め向かいへ染み出していった。


 それだけで、十分だった。


 音が止まってからも、佐伯家は眠れなかったらしい。斜め向かいから、スリッパが床をこする音が何度も聞こえた。


 やがて、美奈子の罵声が廊下越しに飛んできた。


「消しなさいよ! その音、今すぐ止めなさい!」


 私は空っぽの客間に座ったまま、何も返さなかった。


 カーテンの上では、白い影がゆっくり動いている。


 廊下の向こうから見れば、部屋の中に白い人影が何人も立っているように見えたはずだ。


 まもなく警察が来た。


 美奈子が、私の部屋で怪しい宗教活動が行われていると通報したらしい。警察官も、壁一面の白黒写真と白提灯を見た瞬間、少しだけ足を止めた。


 私は社員証、葬祭会社の在職証明、物品リストを差し出した。


「警察官さん、私は葬祭会社の社員です。ここは私の私有物件で、置いているのは会社で使わなくなった展示用サンプルです。実際の遺骨はありません。集会もしていません。営業もしていません」


 警察官は一通り確認し、音量も測った。


 問題になる数値ではなかった。


 年配の警察官は、壁のサンプルを見て、何とも言えない顔をした。


「黒瀬さん、今のところ違法とは言えません。ただ、できるだけ控えめにしてください」


 私は頭を下げた。


「気をつけます」


 警察が帰ったあと、美奈子は斜め向かいの玄関に立っていた。顔色は青い。


 私は彼女を見た。


「共用部分は自由に使えるとおっしゃっていましたよね。自分の部屋に仕事のサンプルを置くくらいなら、なおさら問題ないはずです」


 美奈子は何も言わなかった。


 初めて、彼女は私の前で半歩下がった。




 美奈子は、私の部屋の電気を落とそうとした。


 私は準備していた。


 大容量のポータブル蓄電池が自動で切り替わり、常夜灯も投影機も止まらない。斜め向かいの照明が一瞬暗くなった分、私の部屋の赤い光はかえって安定して見えた。


 翔太は、玄関の外から誰かに足をつかまれると言って泣き始めた。


 浩二は毎日、目の下に濃い隈を作って出勤した。会議中にぼんやりしているところを、上司に休養を勧められたらしい。


 美奈子はさらにひどかった。


 一人で廊下を通れなくなり、夜にバルコニーへ出ることもできなくなった。あれが偽物かもしれないと頭ではわかっていても、考えることをやめられなかったのだ。


 恐怖は、本物である必要がない。


 あるかもしれないと思わせれば、それだけで十分だった。


 三日もたたないうちに、佐伯家は部屋を売ると決めた。


 美奈子は外には、もっと広い部屋へ引っ越すのだと言っていた。けれどマンションの住人は皆、彼らが逃げ出すのだと知っていた。




 土曜日の午前、不動産仲介業者が内見客を連れてきた。


 私はのぞき穴からエレベーターの扉が開くのを見た。


 そして玄関を開け、古びた供養箱のサンプルを両手に持ち、白い布でゆっくり拭いた。


 誰もいない廊下へ向かって、私は静かに言った。


「伯父さん、今日は日差しがいいですよ。少し外の空気を吸いましょうか」


 内見客は妊婦だった。


 エレベーターを出た瞬間、彼女は白提灯、赤い光、白黒写真、そして私の手の古びた箱を見た。


 彼女は息を呑み、すぐにエレベーターへ戻った。不動産業者の顔も青ざめ、後を追う。


 美奈子が慌てて飛び出してきた。片方のスリッパが脱げている。


「待って! あれは偽物なの! あの人がおかしいだけなの!」


 エレベーターの扉は閉まった。


 私は箱を拭き続けた。


 美奈子は振り返り、私を睨んだ。


「わざとやったんでしょ!」


 私は彼女を見た。


「相性の悪い方が入居しないように、手伝っただけです。これくらいで怖がる方は、住んでからも大変でしょう」


 彼女は怒りで震えていた。


 それから数日、何組かの内見客が来た。


 例外なく、私の丁寧な出迎えで帰っていった。




 やがて、ネットにひとつの記事が出た。


 『東都近郊のマンションに葬祭用品保管室、斜め向かいの住人が怖がって売却へ』


 記事は拡散された。


 白川台マンションの名前も、悪い意味で広まった。


 もともとはそれなりに売れる物件だったはずのマンションが、いつの間にか「なんとなく気味の悪い建物」と呼ばれるようになった。


 美奈子の部屋だけでなく、ほかの住民も黙っていられなくなった。


 住民LINEグループの空気は、完全に変わった。


【佐伯さん、自分たちで招いたことなのに、どうして全員が迷惑を受けなければならないんですか】


【廊下を占拠したときも、駐車場を勝手に使ったときも、皆さん我慢してきました】


【ここまで追い込んだのは誰ですか】


 美奈子は初めて、マンション中から責められた。


 彼女は一階の小さな庭で住民たちと言い合い、声を枯らしていた。


 私はバルコニーの黒い布の向こうから、それを見ていた。


 もう、私が動かす必要はなかった。


 彼女は、自分で積み上げた人間関係に引きずり落とされていた。




7.自称除霊師


 美奈子は諦めなかった。


 彼女は金を払って、自称除霊師の男を連れてきた。


 その日の午後、廊下には不自然な緊張が漂っていた。男は白い作務衣を着て、御札と榊の枝を持ち、私の部屋の前で何やら唱えている。


 美奈子はその横で両手を合わせていた。ようやく救命綱をつかんだような顔だった。


「先生、お願いします。いくら払ってもいいんです。中にいるものを追い払ってください」


 私は玄関カメラの映像を見て、室内用の舞台スモークを起動した。


 煙は玄関の内側だけに薄く広がるよう調整していた。火災報知器には触れず、共用廊下へ大量に流れ出すこともない。


 除霊師が御札を私のドアに貼ろうとした瞬間、私は扉を内側から開けた。


 赤い光の奥に立ち、手には拡声器を持っている。


 風の音、木魚の音、女の低い笑い声を混ぜた音声が、そこから流れた。


 同時に、投影機を玄関の白い煙へ向ける。


 白装束をまとい、長い髪で顔を隠した影が、煙の中でゆっくり顔を上げた。


 除霊師の顔から血の気が引いた。


 手に持っていた榊の枝が、床に落ちる。


 次の瞬間、彼は背を向けて走り出した。


「ここは無理です! お金はいりません!」


 美奈子はその場にへたり込んだ。顔にまとわりついた白い霧の水滴のせいで、彼女のほうがよほど幽霊のように見えた。


 私は拡声器を切り、彼女を見下ろした。


「佐伯さん、廊下は共用部分です。勝手に除霊の儀式をされるのは困ります」


 美奈子の唇が震えた。


 彼女は、何も言えなかった。




 その後、佐伯家は目に見えて崩れていった。


 翔太は学校で「お化け屋敷の子」と呼ばれ、毎朝泣いて登校を嫌がるようになった。


 浩二は会社の会議中に上の空になり、上司からしばらく休むよう言われた。


 美奈子は一回り痩せた。目の下はくぼみ、以前のような高圧的な態度は消えていた。


 私は住民LINEグループに一枚の写真を投稿した。


 写真には、フェンスに囲まれた赤いレクサスが写っていた。車体には埃が積もり、長期間動かしていないせいでタイヤも少し沈んでいる。


 添えた言葉は、一つだけだった。


【すべては自分の行いです】


 グループは静まり返った。


 もう、佐伯家をかばう人はいなかった。




 雨の夕方、誰かが私のドアを叩いた。


 扉の外には、美奈子と浩二が立っていた。二人とも雨に濡れ、手には安物の果物の袋を提げている。


 美奈子は私の顔を見るなり、膝をついた。


「黒瀬さん、私たちが悪かったです」


 その声に、かつての傲慢さはなかった。


「廊下は片付けます。駐車場も返します。お願いします。部屋の中のものを撤去してください」


 浩二も頭を下げた。顔には疲労がこびりついている。


「もう限界なんです」


 私は玄関枠にもたれ、手に湯呑みを持っていた。


「最初に、ここは避難経路だと言ったとき、あなたたちは何と言いましたか」


 美奈子の唇が動いた。


 浩二は自分の頬を強く叩いた。


「人を見下していました」


 私は二人を見たまま、すぐには答えなかった。


 しばらくして、部屋の中に並ぶ黒い箱へ目を向けた。


「サンプルを入れるにも人手がかかりました。出すにも、人手がかかります」


 二人の顔がさらに青くなった。


 私は振り返った。


「一つ、共用廊下を元の状態に戻すこと。壁の穴も補修してください。二つ、駐車区画のフェンス設置費、撤去費、この数か月の損失を含めて二十万円。三つ、引っ越すこと」


 美奈子が顔を上げた。


「今すぐには、払えません」


 私は湯呑みを玄関の棚に置いた。


「では、ご自分たちで売却を続けてください。私は急ぎません」


 部屋の赤い光が、美奈子の顔に落ちていた。


 彼女は激しく首を振った。


「払います。必ず払います」




8.最後の引っ越し


 現実は、彼らが思っていたより厳しかった。


 私の存在によって、その部屋は近隣で有名な「問題物件」になっていた。人が死んだわけではないのに、人が死んだ部屋より売りにくくなっていた。


 本気で扱いたがる仲介業者は少なく、内見に来る客もいない。


 価格を相場の七割まで下げても、買い手は現れなかった。


 美奈子は焦りで口の端を荒らしていた。


 最後の抵抗として、彼女は週刊誌系のライターを呼び、私から嫌がらせを受けていると訴えようとした。


 しかし記者が来て最初に見たのは、まだ完全に補修されていない共用廊下の壁だった。


 次に地下駐車場へ行き、フェンスに囲まれたレクサスを撮った。


 記者は数戸の住民にも話を聞いた。


 返ってきたのは、佐伯家が廊下を占拠し、駐車区画を勝手に使い、ネット回線を切り、汚水を撒いたという証言ばかりだった。


 最終的に出た記事の見出しは、彼女の期待とはまったく違っていた。


 『迷惑住人、共用廊下と駐車区画を私物化 葬祭会社社員から徹底反撃を受ける』


 世論は一方に傾いた。


 美奈子が以前、ショート動画サイトで見栄を張りながら人を見下していた動画も掘り返された。


 「賃貸に発言権はない」


 「貧乏人は黙っていればいい」


 そうした発言が切り抜かれ、拡散された。


 美奈子には批判が殺到し、外へ出ることもできなくなった。


 浩二も会社から正式に出勤停止を命じられた。


 住宅ローン、車のローン、子どもの学費。


 ひとつひとつが、彼らを押し潰していった。




 数日後、浩二から連絡が来た。


「黒瀬さん、あの部屋なんですが……買っていただくことは、できませんか」


 その言葉が出るのを、私は静かに待っていた。


 私は知り合いの不動産仲介業者を通し、価格を提示した。


 相場の三分の一。


 美奈子はその金額を聞き、斜め向かいの部屋でしばらく物を投げていた。


「強盗じゃない! あの部屋は五千万の価値があるのよ。それを千五百万なんて!」


 浩二には、もう言い返す力が残っていなかった。


 彼はソファに座り込み、空っぽの目で言った。


「売ろう」


 美奈子は固まった。


 浩二は彼女を見た。その声は、低く、乾いていた。


「このままここにいたら、俺はお前を殺すか、自分を殺すかもしれない」


 美奈子は、ようやく黙った。


 涙をこらえながら、彼女は売買契約書に署名した。


 登記手続きが終わった日、私は鍵を受け取った。


 美奈子が私を見ていた。


 私は微笑んだ。


「またご近所になれたらいいですね」


 彼女は全身を震わせ、その場で吐きそうな顔をした。




 引っ越しの日は、曇っていた。


 あの巨大な靴箱はエレベーターにも階段にも入らず、最後は業者が鋸で板に解体した。


 地下駐車場では、黒田さんたちがフェンスを撤去していた。


 浩二は撤去費を支払った。


 赤いレクサスは、ようやく外へ出られるようになった。


 けれど長く放置されていたせいで、車体には埃が積もり、タイヤの空気は抜け、バッテリーも完全に上がっていた。修理費は、ほとんど車半分に近い金額になった。


 美奈子は車の横に立ち、灰のような顔をしていた。


 引っ越しトラックに乗る直前、彼女は私を振り返った。


「あんた、いつか報いを受けるわよ」


 私はポケットから、ひとつのものを取り出した。


 数か月前、彼女がスマホを壊した夜、私の玄関前に落ちていた折れたヒールだった。


 私はそれを軽く放った。


 ハイヒールは、美奈子の足元へ落ちる。


「報いなら、もう来ていますよ」


 彼女はその靴を見た。


 拾いたそうにして、けれど拾えなかった。


 最後は、浩二に腕を引かれてトラックへ乗り込んだ。


 引っ越しトラックは黒い排気を吐きながら、ゆっくりとマンションを出ていった。


 私はその場に立ち、角を曲がって見えなくなるまで見送った。




 生活はようやく静かになった。


 私はスマホを取り出し、黒田さんへ電話した。


「サンプル、撤収でお願いします」


 電話の向こうで、黒田さんが笑った。


「全部か?」


 私は部屋の中の黒い箱の列を見た。


「全部です。倉庫に戻してください」


 実は、あの供養箱のほとんどには、最初のいくつかを除いて、美奈子がかつて私の玄関前に捨てたゴミが入っていた。


 スイカの皮、汚れたティッシュ、壊れた靴箱。


 そして、唾で汚されたあと、私が切り取っておいた玄関マットの一部。


 彼らが何か月も恐れていた「気味の悪さ」は、大半が自分たちの出したものだった。


 本当に汚れていたのは、この部屋ではなかった。


 人の心だった。


――完――



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