許された檻
扉の向こうから、金属が触れ合う音がした。鍵束が揺れる、乾いた音。
反射で肩が跳ねる。体が勝手にこわばって、呼吸が浅くなる。
いつの間にか寝かされていたベッドは小さな部屋の中にあった。
コウはベッドの端で膝を抱えたまま、部屋の床板を見つめた。牢の石とは違う。木は柔らかい。けれど、柔らかいほど怖い。逃げられる場所があると、逃げ方を知らない自分が露わになる気がした。
カチャリ、と錠が外れる。
――来る。
ついに処刑されるときがきたのか。そうだとしたら気が楽になる。
扉が開いて、朝を告げる光が差し込む。眩しさに目が細まる。
そこに立っていた男は、近衛の制服を着ていた。背が高く、刃物みたいに無駄がない立ち姿。年は自分より少し上に見える。親しげな笑みを浮かべているが、見られているという圧だけがはっきり伝わってくる。
「コウさん……で間違いないでしょうか?」
名前を呼ばれるだけで、喉の奥が冷え、ビクリと体が震える。
早く返事をしないと、また罰が――と身体が覚えている。
「……はい」
声が掠れた。
男は頷くでもなく、通りの良い声で続ける。
「私はダグ=マイヤーといいます。陛下より今日からあなたの監視と護衛を命じられました」
「監視……」
口に出してから気づく。言葉が刺みたいに響いて、自分の胸に戻ってくる。ずきっと痛む。
思わず胸を抑えると、ダグから慌てたような気配。
「あ、あぁ!すみません。監視というと重苦しいですが、基本は警護…あなたをお守りするのが私の使命ですから、堅苦しくならず、安心してください」
ダグは廊下側へ一歩退き、コウに譲るように道をあけた。
彼の態度に違和感を覚える。
「城内ではある程度、自由にしていいと仰せつかっています。案内しますので一緒にきていただけますか?」
ダグがにこっと笑う気配を感じ、コウは違和感の正体に気づいた。
(ああ、そうか…この人は僕に嫌な視線をむけてこないんだ)
彼の口調は柔らかく優しい。罪人に話しかけるような態度ではない。そんな彼の態度はコウが数年ぶりに味わう人らしい扱いだった。
コウは恐る恐る立ち上がる。また姫さまに抱きしめられた時のように倒れ混んでしまわないか心配したが、それは杞憂におわった。
ベッドから降りると、思いの外しっかりと踏ん張ることができた。それどころか―
(脚が、いや腕も…あれ?)
見慣れない健康的な手足が目に映る。自分の手足は枯れ木のようにやせ細っていたはずだ。
「レム様とアーティ様が魔法で治癒されたんですよ」
「え…」
ダグの言葉に驚く。そういえば気付かなかったが身にまとっている服もボロボロだった囚人服ではなく、肌触りの良いシャツとズボンだった。そしてご丁寧に靴まで用意されている。
「戸惑われるのも無理はありませんね。これらすべて女皇陛下のご指示ですよ」
「……女皇陛下?」
「もうお会いされているでしょう?あなたを保護すると宣言したお方です」
思い出されるのは銀髪の少女。【姫さま】は女皇陛下――だったのか。
「さ、靴を履いてこちらに」
ダグに言われるがまま、靴を履く。今まで経験したことのない柔らかい履き心地に感動を覚える。
(どうしてなんだろ)
頭に疑問符が飛ぶが、ニコニコとこちらを待つダグに聞くこともできず、促されるまま外にでた。
廊下の空気が肌を撫で、外の明かりの眩しさに思わず目を細める。
部屋から出てきたコウに対して、にこりと柔らかな金髪をなびかせて、碧眼の青年が出迎えた。
彼がダグ=マイヤー。早朝の柔らかい陽光に映える青年騎士。彼へのコウの第一印象は太陽がよく似合う優しげな兄のような人だった。
「ようこそ、女皇陛下の御わすハルディンが誇るブラン城へ」
彼の雰囲気のよく似合う爽やかな歓迎の声だったが、コウはどう対応していいのかわからなかった。まっすぐにこちらを見る視線に居心地の悪さを感じ逃げるように俯いた。
「突然のことですし戸惑われますよね」
コウの戸惑いに気遣う素振りを見せる。いたたまれなくなり、つい視線を逃がすように左右を見た。
周囲に人影はなく、城は静かだった。静かすぎて耳が痛くなりそうだった。
「もう少ししたら給仕の者たちや当直の騎士たちが出てくるでしょう。この時間は静かなんですよ」
コウの視線を追いながらダグが独り言のようにいう。コウとしてはありがたかった。思い出すのは、到着直後に感じた刺さるような視線。またあの視線をむけられたらと想像するだけで体が震えてしまう。
「………さ、いきましょう」
「ど、どこに……」
尋ねた自分に驚く。
自分に意思など許されなかった。あの黒い牢獄では、ただ言われた通りにする必要があった。
「これからコウさんが過ごす場所の説明と、行ってはいけない場所、入ってはダメな場所を案内します。あとはここで会う人にコウさんの紹介も兼ねて」
まるで天気の話みたいに言われて、息が詰まった。
(人に紹介…?)
視線の痛みと、自分の黒い力のことが、頭の裏に張り付いて離れない。不安と恐怖が首をもたげる。無理だ、やめておけと心の中から叫び声が上がる。あの時のことを思い出すだけで体がこわばり、鼓動がものすごい速さでドクンドクンと脈打っている。だが――
――大丈夫。
たった一言、不意に心に届いた声と、清涼な風を感じた。不思議な感覚だった。何かが自分の心に滑り込むように、温かいものがコウの不安をさらっていき、いつのまにか感じていた不安や恐怖が薄らいでいる。
「あの…大丈夫ですか?気分が悪いようでしたら、今日はやめておきますか?」
心配してコウの顔を覗き込んできたダグと目があった。
「い、いえ…その、は、はい」
慌てて咄嗟に出た言葉はよくわからない返事になっていた。
コウのよくわからない返答に目を丸くしたダグだが、問題なさそうと判断したのか「そうですか、ではいきましょう」と言って先導するように歩き出した。
ダグに連れられて廊下を歩く。靴から伝わる感触に違和感を覚える。孤児院では木の靴だったし、黒い牢獄ではずっと裸足だったから革の靴という初めての感触に戸惑ってしまう。
ダグに連れられて城内を案内してもらううちに、人々のざわめきが聞こえだした。
コウが今いるのは本城の裏手にある中庭で、基本はこの中を自由にしていいということだった。中庭の先にあるのは女皇陛下であるィリーリア殿下の居住区があるが、そこと、本城への立ち入りは基本的にしないようにとダグから説明される。コウが寝泊まりするのは、本城にある先程の使用人室を使って良いとのことだ。
ダグの説明を聞きながら、中庭に視線を向ける。よく整えられた綺麗な庭だ。整えられすぎて現実味がないほどに。その中で不釣り合いなものに目がいく。
明らかに後から備え付けられたであろう小屋のようなものがある。
「あれが気になりますか?」
「へっ!?あ!い、いや…」
急に話しかけられびくっと体が震えしどろもどろに返事をしてしまう。ダグはコウを急かさず、にこにことコウの返答を待っている。
気になる。とても気になるのだが、言ってもいいのだろうか。
(言っても、怒られない…のかな)
罪人である自分なんかが、意見を言って良いのだろうか。それが許されるのだろうか。
伺うようにダグを見る。
「大丈夫ですよ」
こちらを安心させるような優しい声音だった。
コウは意を決して口を開く。
「あの、えっと…見に行ってもいいですか?」
「はい、もちろんです」
案内するように歩き出したダグの後ろに遅れまいとコウはひょこひょことついていく。
ダグに連れられ中庭を突っ切るように抜けていくと、草の匂いがした。土の匂い。水の匂い。
胸が、きゅっと鳴り、鈍い痛みとともに頭に情景が浮かんでくる。
孤児院の裏庭。小さな畑。水やり。百合の花。薄れかけた記憶が蘇ってくる。振り切るように唇を噛み締めて歩みを進める。
中庭の隅に設置された小屋は背の低い柵で囲われて、それ以上動物がでられないような作りになっていた。柵に近づくダグが不意に口を開いた。
「ここの小屋では、陛下に献上された動物たちを飼育しています」
ダグの言葉の通り、小屋の脇に道具がまとめられているのが見えた。箒、雑巾、剪定ばさみや水桶、餌箱には束ねられた牧草が積み上げられている。
そして網が張られた小屋の中では小さな生き物が動いた。毛玉みたいな――うさぎだろうか。丸い耳がぴくりと揺れる。
吸い寄せられるように身体が勝手にそちらへ向かう。
「……かわいい」
無意識に思ったことが口をついて出た。
網越し見えるふわふわのうさぎは愛らしく、もごもごと口を動かしながら干し草を一心不乱に食べている。献上されたものだからだろうか、よく世話をされているためか毛艶が輝くように美しく、うさぎらしい丸みを帯びた愛くるしさの中に、どこか気品すら漂わせているように見える。
(…孤児院の子たちも元気かな)
世話をしていたヤギや鶏たちを思い出す。孤児院で飼っていた動物の世話は子どもたちの仕事で、特にコウは率先して世話係を買って出ていた。
「動物が好きなんですか?」
にこっとこちらを安心させるような口調だった。
正直、動物は好きだ。彼らの無邪気な姿を見ていると、温かい気持ちになる。お世話をした分、懐いてくれるのも嬉しい。
「…あ、はい、好きなんだと思います」
なんとも歯切れの悪い答えになってしまった。明らかにダグの表情は困惑していたので、慌てて続ける。
「…え、えっと……その…孤児院にいた時、せ、世話をしていたので…」
なんとも言い訳がましい言葉になってしまったが、ダグに気にした様子はなく、「なるほど」と頷いて見せた。
「そういうことでしたら、中に入ってみますか?」
「良いんですか?!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。詰め寄るように近づいてきたコウに、目を丸くして驚くダグと目が合う。すぐに気恥ずかしさが湧き上がり、慌てて離れ、頭を下げる。
「ご、ごめんなさい」
誰だって急に大声をだされたら驚くだろう。怒っていないかおずおずと彼の顔をみると、ダグはただ苦笑いを浮かべているだけだった。
「はは、私のほうは大丈夫ですが、どうか中ではお静かに」
「…は、はい。わかりました。」
大声はいけない。頭を縦に振って答える。ダグは満足そうに頷いて見せ柵の中に入り、手招きする。
うさぎと触れ合える。逸る気持ちが足を急がせた。
簡素な閂で閉められた扉を開けると、動物と干し草の匂いが強まった。なぜか泣きたくなるほど懐かしい想いに駆られながら一歩踏み入った。
白いうさぎの赤く丸い目がこちらを見た。
とくん、と胸が高鳴ると、足が縫い付けられたように動けなくなった。
うさぎはすぐに興味をなくしたのか、ふいっとそっぽを向くと餌箱に向かっていく。人馴れしているのか、闖入者を気にする様子はない。
「どうしたんですか?」
立ち止まったコウを不思議そうな顔でダグが見ていた。縫い止められたように動かない足はその一言で嘘のように動いた。
「あ、いえ…なんでもないです」
小屋の中に入る。
大人が三人入れば手狭に感じるくらいの広さの小屋の中にはうさぎが7、8匹ほどいた。みな、毛艶がよく、小屋の中も思ったより清潔でよく世話されているのが伺える。
(そういえば、女王陛下への貢物なんだっけ)
万が一があってはならない。気をつけなければ。
そんな事を考えていると、足元に何かが触れる感触。いつのまにか茶色いうさぎが一匹、コウの足元にちょこんと座ってつぶらな瞳でコウを見上げていた。
「あなたに興味があるようですね」
そうなのだろうか。
そう言われると、足元でじっとこちらを見上げ、鼻をひくひくさせている茶色いうさぎは何か訴えかけるような視線にみえなくもない。
(撫でられるかな…)
驚かせないようにしゃがみ、手を伸ばすと、コウの手から逃れるようにぴょんと飛び跳ねて奥に引っ込んでいった。
(あ…)
驚かせてしまったのかと、一瞬後悔するが、茶色のうさぎは仲間たちのもとに戻ると、二本足で立ち、こちらを伺うように見ている。その瞳に警戒心は見えず、何かを訴えかけるように見られているような気がした。
勝手な妄想かもしれないが、何故かそう思えた。
一歩踏み出し、近づく。――茶色いうさぎはこちらを見ている。
さらに一歩近づく。 ――こちらの顔をじーっと見つめたまま。
二歩、三歩。着いた。 ――茶色いうさぎは視線を合わせたまま、見上げている。
そしてゆっくりしゃがみこむ。今度は逃げなかった。
伸ばした指先が一瞬、震える。触れたら穢してしまう気がし、反射的に引っ込めようとした手の平に、茶色いうさぎが頭を押し付けるようにこすりつけてきた。
(…あたたかい)
ふんわり柔らかな毛並みが手のひらに心地よい。暖かさと気持ちのいいさわり心地が心に沁みてくるようだった。
(…かわいい)
撫でる指先の熱に反応するみたいに、ふいに耳がぴくりと動いた。うさぎは嫌がるでもなく、むしろもっと押し付けてくる。小さな骨の感触が、柔らかな毛の下に確かにある。
生きている。
それだけで胸の奥がほどけていくようだった。
別の白いうさぎが近づいてきて、コウの靴先を嗅いだ。鼻先がこそばゆい。次の瞬間、ふわりと前足が膝に触れ、ぴょんと飛び乗ってくる。
「……っ」
声が漏れそうになり、慌てて唇を噛む。驚かせてはいけない。じっと身を潜めるように硬直する。
じっとしていると膝の上で白いうさぎが丸くなり、体温がじわじわと伝わってくる。
目を閉じると、干し草の匂いが鼻の奥に染み込む。
孤児院の裏庭。小さな小屋。朝の冷えた空気と、桶の水の音。誰かが笑って、誰かが泣いて、ヤギが鳴いて――。
記憶は曖昧なのに、匂いだけが鮮明に心を掴んで離さない。
いつのまにか白いうさぎは安心しきったようにコウの膝の上で眠っていた。
コウは膝の白いうさぎを起こさないように、そっと視線を巡らせた。
小屋の隅、水桶の水面には細かな草屑が浮いている。餌箱の干し草も片側に寄っていて、奥の角には糞が固まっていた。床にこぼれた牧草が踏まれ、少し湿っている。
(…ちょっと汚れてる)
少しだけ、ほんのすこし気になった。
水を替えて、掃いて、干し草を整えてやりたい。今日の分を新しくして、うさぎが気持ちよく過ごせるように。
そう思うのに、言葉が喉に引っかかる。
(僕なんかが望んでいいのだろうか…)
罪人の自分が【やりたい】だなんて望んで良いわけがない。意志をもってはいけない。それを持って良いのは、罪なき人だけだ。自分が許されるわけがない。
口にした瞬間、それは罪状となる。手を伸ばした瞬間、叩き落される。
体が先に思い出し、強張る。
膝の上の白いうさぎが、甘えるように袖口を小さく齧った。その小さな主張に呼び戻される。
うさぎの柔らかさに、胸の奥がキュッと痛んだ。あたたかいのに、温かいほど、心が冷やされる。
自分が触れていいものではなかった。なぜ一瞬でも忘れてしまったのだろうか。
「大丈夫ですか?」
ダグの声に、ビクリと肩が跳ねた。
いつのまにかダグがコウの傍らに立っていて、コウの視線の先を追うように、水桶や箒を見ていた。
責める目ではなく、こちらを気遣うような目だった。
「お世話してみたいなら、許可をとりましょうか?」
心臓が跳ねた。咄嗟に違うと否定しようとしたのに、言葉も出ない。
膝の上の白いうさぎを落とさないように、ぎこちなく手のひらを丸める。期待してはいけない。
ダグは少しだけ間を置いて、柔らかく続けた。
「陛下のことで不安を感じているようでしたら、大丈夫ですよ。陛下はお優しい方ですから、きっと許してくださいます」
そう言って、ダグは安心させるようににこりと笑って見せた。
喉の奥が熱くなる。
「……で、でも」
声は出たのに、喉が引きつるようにその先が続かない。
ここは女皇陛下の城で、献上された動物で、自分は汚らわしい罪人。
いいのだろうか。望んでも。
「それに、この子たちはあなたにお世話されたいように見えますよ?」
いつのまにか、コウはうさぎたちに囲まれていた。足元にまとわりつくように温かいものに包まれている。
「わわわっ!」
咄嗟に立ち上がろうとして、膝の上の白うさぎを思い出し慌てて動きを止める。膝の上のうさぎは不思議そうな顔をしてコウの動きをつぶらな瞳で見上げていた。
「ふふ、懐かれていますね。これはもう世話しないわけにはいきませんよ」
金髪を揺らしながら微笑ましそうに笑うダグに、恥ずかしいやら、情けない気持ちやらで、コウは今度こそ何も言えなくなった。
「許可は本日中に取っておくので、明日からお世話できるようにしておきますね」
この子達がされたがっているのなら、求められるのであれば、やってもいいのかもしれない。
「……は、はい」
辛うじてそれだけ返してコウは痺れ始めた足を崩せずにいた。
◇ ◇ ◇
白いうさぎが満足気に膝の上からようやく降りてくれて小屋を出たのは太陽が真上に登った頃だった。
温かな陽の光が体をほぐしてくれるようだった。
「そろそろ昼食の頃ですね。お腹もすきましたし次は食堂に案内しますね」
コウに続いて出てきたダグが、小屋の戸締まりをしながら言った。
「…えっ、食堂にいってもいいんですか?」
食堂といえば色んな人が集まる場所だから、なんとなく自分が行ってはいけないところだと思っていた。
「もちろんですよ。朝ごはんも食べそびれちゃいましたからね、少し早めの昼食にしましょう」
「…は、はい」
そういうことかと納得した。
つまりはダグが昼食を摂るついでに、案内するということだ。自分にどのタイミングで配給があるのかわからないが、まだお腹の具合的には大丈夫だった。
もちろんお腹は空いていたが、いつものことだったので気にしていなかった。黒い牢獄では看守の気分次第でその日の食事量が決まっていた。それこそ一日一食やそもそも与えられないときだって珍しくなかった。
(よかった…一緒に食べるとか言われなくて)
いつも通りの扱いになんとなく安心してしまう。そこが自分の居場所なんだと落ち着く。
ダグに続いて歩いていると、廊下ですれ違う侍女たちはみなダグに道を譲り、軽くお辞儀をしていく。そういえば、ダグはただの兵士というには身につけている白銀の鎧が綺羅びやかに見える。
そういえば、顔立ちや立ち居振る舞いに粗つがないし、すれ違う侍女たちの対応や、それを気にした様子もないダグをみていると、彼は地位が上の人なのかもしれない。
ダグに連れられ、三人で歩いていた侍女たちとすれ違い、角を曲がった時だった。背後から小さく声が聞こえた。
「……いまのって昨日の……」
その言葉にビクッと体が反応した。
角の向こうで侍女たちが不安そうな声で会話しているのが断片的に聞こえる。
「……怪我人が……」
「……でも、女帝陛下が……」
「……えぇー大丈夫なの?……」
それだけで自分のことを言っているのだと確信するには十分だった。
ずぅんと重いものがのしかかってくる気がした。その重いものはねっとりとした粘り気をもった淀みの感情だ。それがコウの頭の天辺から降り注ぎ体にまとわりついてくるようだった。
(怪我人はいないって聞いていたけど…)
あの時、漏れ出た力はすぐにレムが封じてくれていたはずだったが、もしかしたらいたのかもしれない。すぐに隔離された自分はその後どうなったのか分からない。
でももし、怪我人がいたとしたら、どう謝ればいいのだろうか。自分なんかが傷つけてしまった、その責任はどのように取れば良いのだろう。やはり自分は誰とも関わらず、あの黒い牢獄に繋がれていたほうがよかったのかもしれない。
「―ゥさん? 大丈夫ですか?コウさん!」
「!?」
眼の前で強めに名前を呼ばれ、跳ねるように驚いた。心配そうにこちらを覗き込むダグと目があった。
「すみません。配慮が足りませんでした。あの者たちにも良い含めて起きます」
ダグが角の向こうを見るように顔を上げる。
コウは咄嗟に声を上げる。
「…い、いえ、だ、大丈夫です!」
思ったより大きな声が出た。眼の前でダグが驚いた顔をしている。
「す、すみません」
慌てて頭を下げる。突然大声をだされたら驚くのは当たり前だ。しかしダグは嫌な顔を見せず、首を振って見せた。
「気にしないでください。普段、先輩から怒鳴りつけられてますから、大きな声には慣れています」
なんでもないことのように言ってからダグが「それより…」と続ける。
「私が動かなくて、【大丈夫】なんですか?」
「は、はい…本当に、大丈夫です」
「…そうですか、コウさんがそう言われるなら…」
あまり納得してなさそうな様子だが、ダグはしぶしぶと引き下がってくれた。
ほっと胸を撫で下ろす。自分のことであの人達が叱責を受けるのは可哀想だった。
コウにとって彼らの言葉は言われて当然なことだ。そのことで叱責されてはあの人達も納得いかないだろう。自分のような罪人を庇ったところで何も良いことはない。
「ですが、何か辛いことや嫌なことがあれば、すぐに私に言ってくださいね」
気にかけてくる。ダグはいい人だ。コクリと頷いた。




