(8)一体の愛と二つの体
「朝ですよ」
耳元で、オリヴァーが囁く。
聞こえてはいるが、もっとその声を聞きたくてエドワードはベッドの中で体を動かさないように全神経を集中させた。
「起きてください」
朝早くに主の部屋に行き、目覚めた後の紅茶をサーブするのが従者の仕事だ。
オリヴァーが来る前までは、寝起きのエドワードは枕にめりこむほど眠たさが頭から離れなかった。彼が従者となってからは、新しい日を新鮮な気持ちで迎えられた。
ドアをノックする音で、すでに覚醒していたエドワードだが、最近は寝たふりをすることにしている。そうすると、オリヴァーがあれこれ色んな手を使って起こしてくれるということに気づいたからだ。
肩を揺する。シーツを剥がす。頭を撫でる。
そのどれもが心地よくて、くすぐったい。エドワードは我慢して寝たふりを続ける。
次はどんなことをされるのだろうかとドキドキしながら待っていると、首筋に吐息の温かさを感じた。
「……いけない子」
ちゅ、と音を立てて首筋にキスをされた。
「あっ」
「寝たふりをする悪い子にはおしおきが必要ですね」
「あ、あっ……やめ……んんっ」
首筋に落とされる口づけが繰り返される。
「声も出してはいけませんよ、我慢なさい」
丁寧な落ち着いた口調で命令されると、エドワードの背筋はぞわぞわし、下腹部がきゅんと苦しくなる。
物音をたてれば、部屋の外を歩く使用人たちに、この部屋の戯れがばれてしまう。枕を抱え込み、エドワードは懸命に声を押し殺した。
「そのまま……静かに」
オリヴァーの指が、するりとズボンの中に忍び込んできた。寝起きで反応していた部分に指を絡ませる。
「んん……っ、ん、ん……」
「安心してください。このまま出してしまいましょう」
リズミカルに動く指先と、たしなめるような口調が若い青年の体を追い込んでいく。
生理的な体の反応だと割り切ってしまえばいいのだろうが、特別な感情を持った人間の指が自分に触れている幸福と、浅ましい欲望を見届けられる恥ずかしさに、エドワードは体を震わせながら吐き出した。
「はっ……っ……」
「よくできました」
エドワードが息を整えている間に、オリヴァーは着替え一式を用意した。ベッドの上で身ぐるみ全て剥がされて、着替えを手渡される。
「オリヴァー。君は確かに僕の従者だが、こんなことまで世話をしろと指示していないぞ」
恥ずかしさにいたたまれなくなり、つい強い口調でからかった。エドワードが上目遣いに睨むと、完璧な手順で紅茶を注ぐオリヴァーの視線が降りてきた。
「申し訳ございませんでした。ご所望されているようでしたので、つい」
悪びれた様子のない口調に、笑い声が重なった。
「本日はロバート卿とご一緒に朝食をおとりになられてはいかがでしょうか」
「はぁ?」
「何か情報が得られるかもしれませんよ」
アビジェートは言った。「ロバート卿と結託し晩餐会で隠蔽を企てた」と。
エドワードは、父ロバートを尊敬しつつも、強い畏怖を抱いていた。ハリントン家の富、社交界への影響力、それらは尊敬の対象だった。けれど、モンタギュー家の晩餐会で気づいた違和感がずっと胸の中に残っていた。
自分のような小さな存在で、何かできるとは思わないが、今行動しなければ後悔する。正しい道が見えなくなってしまう。
「わかった。トマスに伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
執事のトマスと、フットマンが給仕してくれた朝食は、美味しそうな湯気を立てていたが、エドワードの食欲は芳しくなかった。
その理由は、同じテーブルについている父親の存在が大きい。
ロバートはテーブルの上座に座っている。鉄灰色の髪と氷のような青い目、巌のような体。軍人の威厳を漂わせ、黙々とキッパー(ニシンを開き塩水に漬けた後、燻製したもの)を食べている。
エドワードは、父の様子をうかがっていた目を新聞に移した。小さな記事が目に留まる。
『アビジェート・シン 行方不明 情報求む』
トーストを口に運んでいたエドワードの手が止まった。
――父上に見つからないように、これをオリヴァーに伝えなければ
「坊ちゃま、今日はあまり食欲がございませんか?」トマスの優しい言葉に、エドワードは頷いた。
「あ、ああ……この後、少し用事があって外出する。それまで部屋に居るよ」
「かしこまりました」
さりげなく新聞を持ち、立ち上がったタイミングで、ロバートの杖が床を叩く音がして、はっと顔を上げた。気づかれたのかと、ぐっと足が固まった。
「新聞など読む暇があるなら、クララ・モンタギューとの縁談を考えろ」
父ロバートの低い声が腹に響いた。エドワードは眉をひそめた。言葉にできない混乱と苦痛の渦が胸の中を掻き回し、薄い吐き気を感じる。
「もちろん考えております、父上。ですが、世間の動きも知らなければなりません」
なるべく平然と、冷静に返答したつもりだった。ありのままをさらけ出してしまえるほどの踏ん切りもつかなかった。
「失礼します、父上」
ロバートは何か言いたげな顔つきになったが、結局それ以上は何も言わず金の懐中時計を閉じた。
エドワードが部屋に戻ると、すでにオリヴァーが待機していた。
「階下にも響き渡る杖の音でしたので」
しっとりした苦笑いを浮かべる従者に、朝食の間で起こったことを事細かに伝える必要はなさそうだと理解した。
「君は本当に聡いな。見て欲しいものがある」
灰色の目が鋭く光った。
「アビジェートが行方不明なんだ」
差し出された新聞を受け取り、記事を2人で確認する。
「昨日、彼は会いに行くと言っていたが、やはり危険だったのだろうか」
「監禁……いや、まさか彼が」
興奮して走り出しかねないエドワードを落ち着かせるよう、オリヴァーがそっと手を取った。
「何かあった可能性もありますが、罠かもしれません」
「えっ?」
「アビーは英軍の厳しい訓練に耐えた男です。頭もいい。簡単に捕まるようなことにはならないでしょう。いたずらにこちらが手を出すと、見つかる可能性も高くなります」
「そうか……罠という可能性もあるか……」
だが心配でしかたないエドワードは、部屋の中をぐるぐる歩いた。
「そんなに歩いていては、バターになってしまいますよ」
「だが、オリヴァー!」
「貴方は本当に優しい人なんですね」
心に甘いものが広がるような、優しい声だった。
「ブロックウィル書肆に行ってみましょう。何か手がかりが見つかるかもしれません」
急ぎ馬車に乗り、チャリング・クロス通りの古書店に向かった。
ガタゴトと揺れる中、エドワードは考えていた。
プロジェクト・サフランという非人道的な陰謀の中心がどこなのか。この計画が議会や世論に知られれば、大きなスキャンダルとなるが、そうなった場合の被害者は誰なのか。父ロバートがこれに関わっているとしたら、何をするか。
噛みしめた奥歯が痛くなる頃、馬車が止まった。
店内には数人の客がいたが、女主人は2人の顔を見ると黙って首を横に振った。
アビジェートは帰ってきていないのだろう。オリヴァーが前と同じく上を指さしたが、カウベルは鳴らさなかった。そのまま狭い階段を使って2階に忍び込み、隠し部屋へ滑るように入った。
住む人が居なくなった部屋は、大きさと関係なく少し寂しげに感じた。
「まだ戻ってないようだな」
机の上には地図と書簡が散らばったままだ。その様子を確認して、オリヴァーは隠し通路も念のため開いてみる。アビジェートが去っていた小さなドアだ。
「こちらにも異常はない」
「父上が彼を消したんだろうか……」
それはただの思いつきだったのだが、言葉にしてみると本当のように思えてエドワードは背筋を震わせた。
「いや、アビジェートは慎重に行動するはずです。身の危険を感じて、少し隠れているだけでしょう。彼がいない、ということしか確認できませんでしたが、ここに長居しても時の浪費です。それに、ここには色々と貴重なものがたくさんあります。敵にこの場所を気づかれてはいけない。もう出ましょう」
エスコートをするようにエドワードを導き、オリヴァーは階段を下りた。
窓辺の椅子で書き物をしていた女主人エミリーが、インクの染みの残る指で眼鏡を押し上げた。
「おや、探し物はなかったかい?」
「見つかったら取り置きをしてください」
「あいよ」
店にいる他の客に気づかれぬよう、古書店らしいやりとりをするオリヴァーの顔を、エドワードは見つめる。
「どうかしましたか?」
「……あ、いや。なんでもない」
誤魔化したはずだったのだが、帰りの馬車の中、2人っきりの空間で着衣のまま太ももを撫で上げられ、耳元で何度も熱い口づけを落とされたエドワードは、その時の気持ちを結局白状させられた。
「もう惚れ直すところなんかないと思ってたけど、見蕩れるほど格好良かったんだ」と。
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