(5)十倍の幸せのために
並んだ本の間から、紺碧の輝きが垣間見えた。灯りのない図書室が、それだけで明るくなったぐらいだった。
「スター・オブ・マハラシュトラよ! 本当に見つかったわ!」
緊張感から解放されたクララは、言い終わると床にうずくまった。
「詩人探偵、お見事な推理だ」
エドワードは隙間に手を伸ばし、ネックレスを手にした。クララの首に、そっと戻す。
「その呼び方はもう辞めてください」
「いいじゃないか。こんなに早く見つかるとは思っていなかったぞ、詩人探偵」
「もう一度その呼び方をしたら、エドワード様の食事にチコリを増やすよう、メアリーにお願いしますよ」
「それは勘弁してくれ」
チコリの独特の苦みが口に蘇り、渋い顔をしてみせた。うっすら涙を浮かべていたクララは、おかしなやりとりをする2人に、敬意を込めた微笑みを浮かべた。
晩餐室に再び姿を現した3人に、ゲストたちは注目した。机の上には、スポンジケーキとフルーツとカスタード、そして生クリームを重ねたトライフルが皿の上に鎮座している。晩餐会のデザートに、間に合ったということだ。
「さすがハリントン家の輝く未来!」
クララの胸もとに輝くスター・オブ・マハラシュトラを見つけた途端、小さな拍手が巻き起こった。
ロバートの堂々たる声が響くと、それに追従する賞賛がいくつか聞こえた。
「君は我々の名誉を救った」とエドワードに握手を求めたのは、クララの父、サー・チャールズだ。白い髭と柔和な微笑みがシャンデリアの光に照らされる。やや緊張気味だったクララの顔に赤みがさして、表情がなごみ、ほっとしたような微笑みを浮かべている。
その横で、エドワードはハゲタカ、サー・ヘンリーをじっと見た。唇に薄い笑みを浮かべた彼は、指でテーブルを叩いている。獲物を狩る前の静けさだ。一方、オリヴァーは晩餐室の視線から逃げるように、控え室を行き来するモンタギュー家の使用人を観察していた。クララの私室にあった泥の足跡の持ち主を探して。
「詩人探偵とやら、それで犯人はどこに? まさか逃がしたのではありますまいな」
胸の勲章を光らせながら、サー・ヘンリーが立ち上がる。何か言いかけたオリヴァーを、エドワードが片手で制した。
「スター・オブ・マハラシュトラが戻ってきたのなら、私はそれでも……」
クララの父の言葉は、サー・ヘンリーに遮られた。
「いいや。罪を見逃すと、ろくでもないことになりますぞ」
「大英帝国の至宝を盗むということは、我々を侮辱したかったに違いない。そう思わないかね、異邦人の詩人探偵」
ロバートの冷たい視線を正面からにらみ返して、オリヴァーは言った。
「ロンドンの輝きは、インドの血で染まる」
「なにっ……?」
「このサファイアはマハラシュトラの涙です。インドの苦しみを知ってもなお、搾取し続けるおつもりですか」
クララはゲストからの視線をたっぷり浴びながら、ネックレスを外した。自室から持ってきていた専用の黒ビロードの箱に、丁寧にしまう。
「我々の富のために、彼らの家を奪うようなことはあってはなりません」
「クララ……」
娘の毅然とした態度と言葉に、父サー・チャールズは手を揉みながら身体を縮めた。
「何を言っているんだ。文明も乏しい未開の地が、帝国の繁栄のため犠牲になるのは致し方ないことだ」
サー・ヘンリーの言葉に頷くのは、晩餐会の半数のゲストだけだった。残りの半数は、どうすればいいのかわからず、ただオロオロしている。
果敢に返答したのはオリヴァーだった。
「英国の侵略によって得たものもあったでしょう。けれど、そのほとんどは辛く悲しいただの搾取です」
「馬鹿げた話をして誤魔化すつもりか? スター・オブ・マハラシュトラを盗んだ犯人を逃がそうとしても無駄だぞ。モンタギュー家の出入り口は全て封鎖している」
サー・チャールズの隣で、執事が鍵束をじゃらりと鳴らしてみせた。3人がネックレスの隠し場所を探している間に、晩餐室でも多少は動いたらしい。
「では、本日お招きいただいたゲストの皆様はこれで全員ですか」
エドワードの声に、サー・チャールズが頷く。
「使用人も控え室にいる者で、全てでしょうか」
執事が背伸びをして、控え室に揃っている使用人の顔を確認した。10秒ほどで確認も終わり、欠けた人間はいないと判断できた。
「では、皆様。お隣の方の足元を見ていただけないでしょうか? 使用人たちも、それぞれ隣を見て欲しい」
部屋の壁にしつらえたガス灯だけで物足りぬものは、テーブルの上の燭台を手に足元を照らした。
「泥のついた靴を履いている方を見つけた方は、教えていただけますか」
「我々紳士淑女の靴が、そんなもので汚れている訳ないだろう」
その指摘にエドワードは頷いた。上流階級の人間が、外を出歩くことなどほとんどない。馬車移動が基本だからだ。
自分の靴は、オリヴァーが今日の朝、丁寧に磨いていた。覗き込めば顔が映るほど、鏡のように艶々と光っている。まるで、宝物のように靴を扱っていた従者の姿勢は美しかったことを思い出した。
「メアリー。やはり、あなただったのね」
控え室に目を向けると、おずおずと手が挙がっていた。ここに、泥のついた靴を履いている者が居る、と。
クララの私室で泥の足跡を見つけた時から、使用人があやしいとエドワードは予想していたが、その通りになった。この晩餐会のために臨時で雇い入れたメイドのメアリーは、エプロンの裾をぎゅっと握りしめている。
サー・チャールズが驚き呻いた。
「まるで、クララは犯人を最初から知っていたみたいだが、そうなのか?」
「いいえ、違うの、お父様。詩人……いえ、エドワードの従者であるオリヴァーの推理よ」
クララの口からオリヴァーの名前が転がり落ちて、エドワードの心のムカムカが増した。亡き母の呪いの強さに、打ちのめされそうだった。
「なるほど、そういうことか! 異邦人とそのメイドがぐるなんだろう」
サー・ヘンリーは、獲物を追い詰める猛禽類のような目で、一歩踏み出した。
エドワードの父、ロバートは思惑を秘めているのか、冷ややかに観察している。
「私の正義は、その男と関係ない」
震えているが、メイドのメアリー・ハリスの声はしっかりしていた。
汚れた靴を睨んでいた目を上げると、この世の中の全てを恨んでいるような、どんよりとした重みがあった。
「私はプロジェクト・サフランの搾取に抗議する活動家だ」
メアリーの発言に、ロバートの目が一瞬大きく見開いた。
「プロジェクト・サフランとはなんですか?」
絵画から抜け出してきたような、エドワードという美青年に声を掛けられたことに僅かに瞳を揺らしながら、メアリーは答えた。
「インドの反英勢力を武力で鎮圧し、どさくさに紛れて土地を強制収用し、綿花プランテーションを拡大する軍事作戦のことだ」
「そんな事実はない」
ロバートが有無を言わさぬ圧力を持って否定した。
「いいえ。私はインドで直接その様子を見てきました」
メイドのメアリーの顔はよく日焼けをしていて、頬にはいくつかのそばかすが散らされていた。声には英国貴族に対する怒気が含まれて力強い。
「非人道的で一方的な搾取を、見逃す訳にはいかない。だからイギリスに戻り、この作戦に対して抗議をすることにしたのだ。スター・オブ・マハラシュトラを売却した資金で、暴露キャンペーンを計画したのだが、まさか失敗するとはな」
「なんということを」
クララの父が、両手で顔を覆った。
あのまま、犯人が見つからないままだったら、イギリスの天地をひっくりかえすような、大スキャンダルに発展していたかもしれなかったのだ。
「いい加減なことばかりぬかすメイドだ。早く警察を呼べ! 逮捕しろ!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすサー・ヘンリーとは対照的に、ロバートの声は落ち着いたものだった。
「証拠はあるのか?」
「プロジェクト・サフランの証拠なら、インドからいくつか持って帰ってきているわ」
「じゃあ、その証拠と共に警察に向かいなさい。君の言っていることが本当であるならば、認められるはずだ」
モンタギュー家の使用人の1人が、警察へと向かっていった。あと数時間もすれば、スター・オブ・マハラシュトラ盗難未遂の犯人として、逮捕されることになる。晩餐会のゲストたちは、首飾りの背景だけでなく、植民地搾取についても様々な憶測を囁いた。
「とにかく、首飾りは戻ったわ」
クララが晩餐室の空気を落ち着かせる一言を発した。
「クララの言う通りだ。モンタギュー家の名誉の危機を救ってくれたエドワード君とオリヴァー君には、深い感謝を伝えたい」
サー・チャールズが差し出した手を握り返しながら、エドワードは振り返った。
強い口調で疑われていたが、オリヴァーの表情はさほど変わっていない。そのことにとりあえず安心した。
晩餐会が無事に終わり、エドワードはオリヴァーと2人で馬車に乗った。
父ロバートと執事のトマスは、サー・チャールズからの強い要望があり、モンタギュー家で宿泊することになったからだ。
「これでお別れするなんて、名残惜しいわ」
見送りのため馬車に近づいてきたクララに、エドワードは心配そうに顔を歪めた。
「あんな騒ぎがあったのですから、貴女はどうか、ゆっくり休んでください」
「ありがとう……エドワードは本当に優しいのね。貴方もお疲れでしょう?」
意外そうに片眉を上げて、彼は答える。
「私には知性と勇気がついているからね。問題ないよ」
チラとオリヴァーの顔を見つめると、クララも深く頷いた。
「真の紳士ね、オリヴァーは」
急に自分に話が回ってきたことに一瞬戸惑ったが、オリヴァーはゆっくり首を振った。
「私は信頼を力にしただけです」
「エドワードからの信頼に応えたのね。従者の鏡だわ」
クララからの挨拶が終わると、馬車はゆっくり動き始めた。ガタガタと規則正しく揺れ動くのに任せて、2人は体を寄せ合った。
「オリヴァー。今回の件は君に助けられたよ。クララも絶賛していたが、僕もさ。何か褒美をプレゼントしたい。何がいいかな」
「でしたら……ロンドンに向かってから、1つ行きたい場所があります」
「そんなことでいいのか」
「はい。私の聖域、ブロックウィル書肆です」
「……ははっ。まったく、お前は本当に本の虫だな」
出会った時も言っていた。本があれば生きていけるのだと。
「だがしかし。今日の事件は君の本の知識で救われたんだから、本の虫にも感謝しなければな」
モンタギュー家での晩餐会の後、ハリントン家は活動の拠点をロンドンに移した。
荷造りのプロであるトマスが、効率よく使用人達を指示し、予定通り英国議会が始まる前に落ち着くことができた。
100に近い荷物ケースを、パズルのように積み上げていく様子は壮観だった。
オリヴァーへの偏見も完全に瓦解したようで、使用人たちが力を合わせて荷造りしている様子を、エドワードは遠くから眺めては微笑んだ。ハリントン家の領地に建つハリントン・ホールへ残す使用人も、ロンドンのタウンハウスに居る使用人とも、上手く付き合っているようだった。
父ロバートは場所を移しても相変わらず精力的に交友関係を深めている。むしろ、ロンドンに来てからの方が家で過ごす時間も減った。晩餐会でオリヴァーを根拠のない偏見で攻撃してきた、サー・ヘンリーも頻繁にタウンハウスに顔を出すようになった。
エドワードは嫌みなハゲタカの顔を見てあまりいい気分にはならなかったが、楽しみな日が来ることだけを考え、そして迎えた。
「オリヴァー、今日の午後、ブロックウィル書肆に向かうぞ」
「ありがとうございます、エドワード様」
嬉しさが言葉の端々から溢れ出ているエドワードの姿に、オリヴァーは眉尻を下げた。
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