(4)美しい浪費家よ
晩餐会の途中で、クララが私室から戻ってきた時、その顔はサファイアのように青ざめていた。
「スター・オブ・マハラシュトラが……盗まれた!」
ローストビーフを切り分けるサー・チャールズの手が震えた。シャンデリアの光がゲストの動揺を照らす。
「なんだって……そんな……嘘だろう」
「本当なのよ、お父様」
クララの声はもはや悲鳴だった。ゲストの低いどよめきと、銀食器の音が、不快な二重奏が伴奏を担う。
「我が家の家宝を失えば、モンタギュー家の名誉が傷つく……」
サー・チャールズの隣でローストビーフに添える赤ワインソースの器を持っていた従者が、彼の背中をそっと支えた。クララは自分の罪を恥じるように、小さな唇をきゅっと噛みしめている。
晩餐室の出入り口に比較的近かったエドワードが、さっとクララのもとへと駆け寄った。
「大丈夫?」
「ええ……いえ……ああ、エドワード、私、混乱してるわ」
「僕の椅子に座って」
スター・オブ・マハラシュトラは時価50,000ポンドとも言われている。王室級の宝飾品に匹敵する。そんな高価なものが盗難されたとなれば新聞の一面を飾ることになるだろう。
エドワードはクララを落ち着かせるように気遣いながら、傍らにそっと跪いた。
「部屋の金庫に戻したものが無くなっていた?」
「ええ。私の部屋の金庫に。鍵は執事が管理しているわ」
赤ワインソースと主人とで、両手が塞がっているモンタギュー家の執事は、エドワードに向かって首を縦に振った。ご馳走が所狭しと並んでいるマホガニーの長テーブルを挟んで、ほぼ対面に座っていたロバートは、ワイングラスを割りそうなほどに手に力がこもっている。
我が父親であるからこそ、まだ平気でいられるが、相手を値踏みするように目を細めている彼の姿には独特の威圧感があって、場を圧倒していた。
「誰だ! 誰が、我が大英帝国の至宝を盗んだというのだ」
「こんな大胆な犯罪は裏切り者のしわざに違いない」
野太いロバートの声に追従したのは、サー・ヘンリー・クロフォードという政府高官だった。
細長い顔に、高い頬骨、灰色の髪と髭も先細り、鳥のような印象を与える。濃紺の燕尾服の胸には、たくさんの勲章が並んでいた。おそらく、インド総督府からの叙勲だろう。
コツコツとテーブルを叩き、威圧する様子は、エサを見つけたハゲタカのように見えた。その男が口を開く。
「控え室に、この晩餐会に相応しくない異邦人の姿を私は見たぞ」
オリヴァーのことか。
エドワードはキッと目に力を込めて、サー・ヘンリーを睨み付けた。
「私の従者が何かご迷惑でも?」
「おや、失礼。ハリントン家と関わりのある方でしたか」
チラとロバートの顔を盗み見、咳払いをしてサー・ヘンリーは着席した。
父親とどういった関係なのかエドワードにはわからない。だが、明らかに犯人追及を始めた頃よりも、勢いが弱まっている。気を使っていることは明らかだ。そして、我が家の使用人が犯人に疑われたにも関わらず、ロバートはそのことについて何も言わないのもまたおかしい。
エドワードは違和感を感じつつ決意した。
「犯人を見つけましょう。クララ嬢、手伝っていただけますか?」
まだ血の気は失っていたが、思いも寄らぬ味方を得て、返事をする気力が戻った彼女の声は力強かった。
「ええ。もちろんですわ」
「みなさんはお食事を続けてください」
ざわめきと動揺が晩餐室に広がる。壁に並んだ肖像画だけが、混沌を静かに見守っていた。
「裏切り者を見つけられるかな」
意地悪そうな笑みを浮かべるハゲタカに、エドワードは反論した。
「私が盗むなら、宝石よりも詩を選びます。シェイクスピアのソネット130番をご存じですか? 『私の愛する人の目は太陽に似ず』。今夜の皆様の輝きに、宝石は不要です」
ゲストの笑いを誘い、場の緊張が和らぐ。クララは微笑み、「詩人ね」と囁いた。エドワードは続ける。
「詩人探偵には助手が必要です。オリヴァー! オリヴァーは居るか?」
ほどなくして、異邦人と呼ばれた従者が現れた。晩餐室のゲスト達の視線が集まった。
「お呼びですか」
「おや、もう犯人が現れたぞ。さすが詩人探偵」
クククと甲高い声で笑うサー・ヘンリーを、ロバートが睨んでいる。
「違います。彼が詩人探偵です。私は助手です。素晴らしい知性を持っていることを、犯人を捜し出すことで証明してみせましょう。行くぞ」
晩餐会の空気は控え室にまで届いていたらしい。滅多なことでは感情を荒げないオリヴァーだが、指先を震わせていた。そして、エドワードに視線を送る。私は無実だ、と訴えかけてくるように。そんなことはわかっていると、片手を上げて応えた。
「クララ嬢。部屋に向かいましょう」
「お願いね、詩人探偵」
エドワードとクララからの助力を得て、漆黒の前髪を掻き上げ、前を向いたオリヴァーは深く頷いた。
部屋は2階にあった。豪華な化粧台に金庫があり、ペルシャ絨毯が部屋を明るくしている。
「この金庫の中に、ビロードの箱と一緒にしまってあったの」
金庫は開けられており、クララが紛失に気づいた時のままだという。モンタギュー家の紋章が刻まれた黒ビロードの箱は、中身不在で寂しげだ。
「どう推理する? 詩人探偵」
本当にその呼び方で通すのか、とやや迷惑そうに眉をひそめながらオリヴァーは口を開いた。
「事件のあらましはわかりました。犯人は、首飾りの価値と金庫の鍵のありかを知っている者でしょう。そして、私室に自由に出入りできることを考えれば……」
「使用人か。それも、限られたものだけだ」
「最近新しく雇い入れた使用人はいますか?」
ネックレスの盗難という大惨事に弱まっていたクララの目に、力が戻ってきた。
「最近雇い入れたメイドがいるわ。この晩餐会のために、臨時で。控え室のドリンクを補充していたメイドだから、オリヴァーも見ているはずよ」
「ああ。あのメイドですか。彼女は何度も空のトレイを持って、うろうろしていました」
「臨時で雇い入れたメイドなら、そういうこともあるだろう」
「そうですね。仕事に慣れていなさそうでした」
エドワードは金庫を確かめた。頑丈そうな金具で作られており、豪華な化粧台の一部のため、持ち出すこともできない。一通り中身を確かめ、変なところがないか確認をする。
「おや?」
「エドワード様、何か見つかりましたか」
「鍵穴の横に小さなひっかき傷が残っている」
指先でなぞると、凸凹があった。
「犯人は焦っていたようだ」
「もしかすると、クララ嬢が思っていたよりも早く部屋に戻ってきたのかもしれません。あまり計画性があるとは思えないですね……。ということは、まだこの館にネックレスが隠されている可能性が高い」
「そうであって欲しいわ」
クララにしてみれば、犯人が誰であれ、スター・オブ・マハラシュトラが戻ってくればいいと願っていた。だが、エドワードとオリヴァーは、不当に疑われていたことを払拭したかった。
「サー・ヘンリーが執拗に君を疑っているのも気になる」
「私を陥れるための罠だとお思いですか」
「そういう可能性もある。だが、彼自身は晩餐室から一歩も出ていないことは私が見ている」
晩餐会は終始、父ロバートが主導する帝国主義を褒め称える会話で盛り上がっていた。おかげでエドワードは、話に入る気にもなれず、ただ出席者の顔を眺めていたので余すことなく覚えることができた。
「お付きの従者は自由に動けるけれど、その辺りはどうなの?」
聡明な光を取り戻したクララの瞳が、オリヴァーを見つめる。
「晩餐会が始まって、控え室は沢山の人間に溢れていましたから、出入りは自由ですし、私も全ての人を監視できていた訳ではないので」
オリヴァーは肩を落としたが、その視線の先に何かを発見したのか肩が小さく跳ねた。
「ここに泥が落ちている」
指さした先には、華やかな模様を描くペルシャ絨毯。その上に泥の塊があった。小さな足跡のようなものも見える。
「足跡は引き返しています。ということは、首飾りは邸内に隠されているのかもしれません。サロンのピアノの蓋か、あるいは図書室の本棚でしょうか」
オリヴァーの推察に従い、それらを調査することにした。
「図書室にあると言ったのは、君の好きな本があるからではないだろうな」
冗談めかしてエドワードが言うと、オリヴァーは涼やかに整った顔をほんの少し歪めた。
「否定はしません」
モンタギュー家の図書室に案内をするため、2人の前を歩いていたクララはぷっと吹きだした。
「おかしな人たち。スター・オブ・マハラシュトラ盗難という大事件を捜査しているのに、緊張感がなさすぎるわ」
「それにしても、本の数は相当数あるぞ。全部探していたら朝になってしまう」
エドワードは両手を頭の後ろで組む。いい方法はないか考えているのだ。
「先ほどの泥の足跡が残っていればいいのだが」
「エドワード様。私に1つ提案があります」
オリヴァーの細長い指が、こめかみをつついた。灰色の瞳が宙を彷徨い、考えをめぐらせている。そうして、口に出す言葉で自分の考えを確認するようにゆっくり呟きはじめた。
「スター・オブ・マハラシュトラは、大英帝国の至宝ですが、採掘されたインドではなんと呼ばれているかご存じですか?」
「英国の至宝はインドにおいても宝でしょう」
丁寧に巻いたクララの髪が、不思議そうに揺れた。
「いいえ、お嬢様。インドで採掘されたにもかかわらずイギリスに奪われた宝です。採掘自体にも相当の人手がかかっておりますし、その労働環境も過酷なものです。ゆえに、『マハラシュトラの涙』と呼ばれているのです」
「そんなにも酷いのか?」思わずエドワードの口から声が零れ落ちた。
「非人道的な労働条件と土地強奪で、村が壊滅することもあります」
「そんな……」
凄惨な状況を想像して、貴族たちは言葉を失った。
エドワードは幼少期から、ハリントン家の富が帝国の栄光と結びつくと父より教えられてきた。おそらく、クララも同じように文明の使命として、未開拓地域の住民から搾取することを正当化した考えを学んでいる。
「サー・ヘンリーが私を疑ったように、スター・オブ・マハラシュトラをインドに戻したいと考える異邦人は少なくないでしょう」
「オリヴァー……自らを陥れるようなことを、軽々しく言うものじゃないぞ」
「お心遣い、ありがとうございます」
ふわっと柔らかく微笑んだ従者に、エドワードは目を瞬かせた。普段は表情をほとんど変えないので、たまに違うところを見るとドキリと心臓が高鳴る。
「社会は、生きている者、死んだ者、これから生まれる者の間のパートナーシップである」
「それは……バークの『省察』の1節じゃないか?」
「はい。バークは革命が貴族階級の崩壊を促すと警鐘を鳴らしました。暴力は伝統や秩序が破壊されるので慎むべきだとありますが、それは国内だけでなく、国外にも視野を広げるべきだと私は思うのです」
「つまり、英国の支配主義が国外の伝統や秩序を破壊している、と」
「これから生まれる者は、それぞれを尊重して共生していくべきだと私は思います」
溌剌とした意見の交換に、クララも参加する。
「オリヴァーの考えには、私も同意するわ。けれど、それとスター・オブ・マハラシュトラはどう関係するの?」
図書室のドアを開くと、埃っぽい独特の匂いが部屋を充満していた。クララは、ドアを押さえながらオリヴァーを見上げる。
「この図書室には、バークの『フランス革命の省察』はございますか?」
「確かあったはずよ」
伝統と秩序を重んじる貴族や保守派の間で、共感を集めた本だ。上流貴族の家庭に置かれていても不思議ではない。
ツカツカと足音を立てて、エドワードが図書室に入る。一歩遅れてオリヴァーも続いた。
「大英帝国の植民地政策を、良く思っていないものの犯行であれば、皮肉を込めてそこに隠すのではないかと思いまして」
「なるほど。まあ、無秩序に探していてもしょうがないから、そこを手始めにしてみるのも悪くないだろう」
3人はクララの案内で、部屋の中程にある棚へ到着した。マホガニーの本棚にエドワードが手を伸ばしたその時、装丁の美しい革表紙の本の隙間でコトンと硬い音がした。
「まさか!」
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