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三日月が浮かぶ夜

作者: 入江 涼子

  夜空にはかすかな三日月が浮かぶ。


 その名を亡き母に付けられた女がいた。月乃と言う。月乃は今日も、小さなため息をつく。高床式の家屋の中、明かり取りの窓から細く淡い三日月の光が差し込んだ。月乃は少しだけ欠けた櫛で髪を梳く。


(あの方は来るみたいね)


 また、小さなため息が出そうになる。暗闇がある中、淡い月明かりに頼りながら櫛を元の場所に戻した。静寂が降りる。月乃はゆっくりと立ち上がり、寝所へと向かった。


 上衣を脱ぎ、ふすまの中に入る。瞼を閉じたが。人の気配を感じて薄っすらと開けた。横になった自身の側近くに髪を緩く結い、白の寝間着姿の男がいる。しかも、男は同じように寝ており、月乃の髪を撫でていた。


「……やはり、今日も来たの。耀あかる様」


「来たら悪いか、月乃」


 耀と呼ばれた男は髪を撫でていた手を肩に移した。ぎゅっと横になったまま、抱擁される。いわゆる抱き寝と呼ばれる格好になった。いつもそうだ。耀は月乃とよく抱擁したがる。何故なのかは分からないが。


「耀様、離して。苦しい」


「すまない、けど。其方そなたいから、触れたくなる」


「はあ」


「……嬉しくなさそうだな」


「あまり、嬉しくないわね」


 はっきり言うと、耀はくつくつと笑った。けど、月乃を離さない。また、ため息をつきながら。月乃は長い一夜を過ごした。


 明け方に耀は目を覚ます。まだ、月乃は眠りの最中だ。やはり、この郎女いらつめは自身を疑っている。たぶん、自身がただ人でないと勘づいているだろう。

 耀は口角を上げた。月乃、哀れな郎女よ。

 そう思いながら、耀は寝所から出た。静かに扉を開け、外へ行く。人から本性の姿に戻る。真っ白な靭やかさを備え、月明かりに浮かび上がる美しい体。日の光を彷彿とさせる黄金の瞳は決して人を寄せ付けない。

 耀はその姿のままで疾風の如く、空を駆けていく。彼が去った後には何も残らなかった。静寂と眠る女だけがそこに在り続けた。


 翌日の夜も耀は訪う。月乃は意を決して、彼に問うた。


「……耀様、ずっと訊きたかったのだけど」


「いきなり、改まってどうした」


「あなたは何処の誰なの?」


「……其方、勘づいてはいたか。分かった、本性を見せる」


「え?!」


 耀は了承すると、たちまちに人の変化へんげを解いた。一陣の風が巻き起こり、月乃は瞼を閉じる。


「目を開けても良いぞ」


「……はあ」


 月乃は恐る恐る瞼を開けた。そこには暗闇に浮かび上がる真っ白な鱗に包まれた靭やかな体に黄金の瞳の大蛇おろちだった。


『……今まで隠していたが、すまない』


「大蛇様だったの、道理で夜にしか来ないと思ったわ」


『ああ、私は確かに大蛇ではあるが。本来は龍よ』


 月乃はあまりの事に驚きを隠せない。龍、聞いた事はある。異国の神だ。


「なら、耀様は異国から来た龍だったのね。私、蛇神様かと思っていたわ」


『蛇神とは違う、ちなみにだが。私の真名まな白嶺はくりょうだ』


「ハクリョウ様ね、分かった。けど、本性を見てしまったら。もう会えないわね」


『……会えぬな、私は海にかえる。達者で、月乃』


「さようなら、ハクリョウ様」


 月乃は手を振った。肩に掛けていた領巾ひろと共にだ。耀もとい、白嶺は身を翻すと強い風を起こしながら空に舞い上がる。月乃は家屋から出て、満月に照らされた白嶺を見送った。姿が見えなくなるまで。

 月乃の眦から、一筋の雫が滴り落ちた。それを拭い、彼女は中に戻ったのだった。


 ――完――

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