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鏡よ鏡、この世で一番、

草木けぶる森の奥。

蔦の絡まる石造りの高い高い塔。

屋根には塔を見張る烏が一羽鎮座し、その重き扉に刻まれた古代文字に触れし者の手は朽ち落ちる。


その古き塔には、北の魔女ひとり。

足下まで伸びた白い髪の毛に隠れる容貌(かお)に、ただ一点、血のように赤い唇。

その瞳に映りし者は動くこと(あた)わず、その声耳にした者は狂乱す。


北の森の悪い魔女。

出会わぬよう気をつけるが、賢明なり。


◇◇◇


「鏡よ鏡、」

暗い暗い塔の中、魔女の声が響き渡る。

と、魔女が対面する壁に掛かった大きな鏡の奥が微かに揺らめいた。続いて、地の果てから響くような声が慇懃に応える。

「おお、偉大なる北の森の魔女様。この老いぼれくすんだ鏡に、如何様なご命令でしょうか」

魔女はそのまろい頬にほっそりとした指を添えて、小首をかしげる。その仕草は無邪気な少女そのもの。

「そうね、この世で一番わたくしのことを愛する者は、誰かしら」


「それは――、は?この世で一番…愛する者?」

「そうよ、ウィック!わたくしも、この物語の主人公のように、素敵な殿方に愛されてみたいわ」

大切に抱え込んだ本の表紙を撫でながら、彼女はうっとりと天窓を見上げた。その様はさながら教会の女神像のように神々しいが、鏡は胡乱げな声で返した。その声は先ほどと違い、気のいい青年の爽やかさがある。

「イブ、君みたいな人見知りの引きこもりが、恋なんて500年早くないか。まずは気の合う友達くらいにしておいたら?」

「お友達はウィック、あなたがいるじゃない!わたくしは燃えるような恋というものをしてみたいの!ただ、そのためにはまず殿方と出会わねばならないでしょう…。でもほら、わたくしはあなた以外と話すのは、少し、ほんのちょっぴりすこぉーしだけ、不得手だから。手っ取り早くわたくしを愛してくれる方を教えてもらおうかと」

そう言ってその白磁のような頬に両手を添えもじもじとする魔女を前に、鏡は白けたように光る。

「そんなので燃えるような恋なんて出来るのかね。グリム卿とかにしておけば?毎日のように会いに来るし、王子の側近なんだから稼ぎもいいだろ。イブも唯一普通に話せる()()だし」


鏡はこの塔を頻繁に訪れる青年の名前を出してみた。

ある日ふらっと現れた青年は、何故か魔女の好きなものを見つけては届けてくれる。初めは人見知りを発動してほとんど喋れなかった魔女も、さすがに毎日のように会いに来る青年と少しずつ話すようになった。


「グリム卿は優しいから、ひとりでここにいるわたくしを気遣ってくれているだけだと思うわ。きっとこの絵物語も、彼以外の人間ともつながりをもつようにと差し入れてくれたのよ」

魔女はその長いまつ毛をそっと伏せて憂いの表情を浮かべた。

「そうは思えないけど…」

「鏡にはわからない複雑な機微なのよ。とにもかくにも、グリム卿以外の殿方と出会って、ひとりではないから大丈夫と安心してもらうの!そしてわたくしも、愛されて幸せになる!全員が幸せなシナリオだわ!」

「イブよりも、鏡のぼくの方がよっぽど人間の機微に詳しそうだけど。ま、いいや。それでは発表します!この世で一番イブを愛する者は――、」

「この世で一番わたくしを愛する者は?」

魔女は緊張のあまり息を止めて、続きを待つ。両手は胸の前できつく握りしめられて、常より更に白くなっている。

「王子の、」

「まぁ!王子様?この国の王太子殿下のことかしら!ありがとう、ウィック!さすが伊達に古くないわね!頼りになるわ!早速、王太子殿下にご挨拶申し上げてくるわ!」

先ほどの憂いの表情はどこへやら、鏡の言葉が聞こえると魔女はキャッキャと盛り上がり、一等お気に入りのローブをまとって塔を飛び出した。


後には、焦るものの魔女を追いかけることの出来ない悲しき鏡の叫びが響いた。

「ちょ!イブ!待って!まだ途中!」


◇◇◇


森の塔で鏡が虚しく叫んでいた時、王都の宮殿の門番は困惑していた。

真っ白いローブを頭から被った小柄な女性が、その大きな瞳から今にも涙を零しそうにしながらこちらを見つめ続けているのだ。

何度か唇を開いたり閉じたりするものの、「あ、」だの「う、」だのと一向に言葉を紡ぎ出さない。もしや口をきくことの難しい女性なのかと彼は閃き、入場許可証を差し出すことにした。文字ならば書くことができるかもしれない、と一縷の望みを託して。

「それではまずは、こちらの書類に記入していただけますでしょうか」

女性がこくこくと頷いてペンを手に取るのを見て、門番は推測が当たっていたことに内心満足していた。

一方、勢いでここまで来たものの、筋金入りの人見知りのせいで名前すら伝えられずに泣きそうになっていた魔女も、ほっと息をついた。


彼女が綴る文字が奇麗だなぁとのんきに見守っていた門番は、しかしすぐに凍り付いた。

“氏名/イブ 住所/北の森 申請理由/王太子殿下との面会”

北の森のイブといえば、恐ろしい魔女であることはよちよち歩きの幼児だって知っている。大人達は北の森の魔女に連れて行かれぬよう、暗くなったら家に帰ってこいと、こども達に伝える。


この小柄な女性が恐ろしい魔女だとは(にわか)には信じがたいが、いわれてみれば伝承通り、白い髪の毛が踝の辺りまですとんと伸び、その小さな口は紅を引いたよりも紅く艶めいている。

その魔女が、王太子殿下に面会を希望している。長くこの城門を守ってきたが、これほど情報量が多く、かつ混沌とした許可申請書を見たことがない。

見なかったことにしようかな。門番が半ば自棄になって思った時――。


「イブ、森を出てくるなんて珍しいね。どんな風の吹き回しかな」

一人の青年が、推定魔女に声をかけた。

「あらグリム卿、ご機嫌麗しゅう。先日は素敵な絵物語をありがとうございました。本日は王太子殿下にお目見えしたく参りましたの」

彼女は先ほどまでとは違い流ちょうに話すと、にっこりと笑った。青年も鷹揚に頷いて、笑顔で答えている。

何だ、喋れるのか。グリム卿の知り合いなら怪しい者ではないな。ましてや北の森の恐ろしい魔女であるわけが無い。門番はようやく人心地ついた。


しかしグリム卿の一言で、門番はまた震え上がるのだった。

「こちらは北の森の()()魔女、イブ殿である。身元の保証は、私が確かにしよう」


◇◇◇


「それで、イブはどうして殿下に拝謁を?」

北の森の()()魔女のエスコートをしながら、青年が先ほどより少し砕けた様子で聞くと、彼女はぽっと頬を染めた。

何かは分からないが、青年は嫌な予感がした。

「先日グリム卿が持ってきてくださった、絵物語があったでしょう?」

そう言って零したため息は天使の吐息のようだが、あの絵物語と王太子殿下がどう繋がるのか。

誰もが称える怜悧な頭脳を持つ青年にも、さすがに分からなかった。ただ何かよくないことになっているという予感だけはひしひしと感じる。

「あの絵物語のような素敵な恋をしてみたくなりましたの。なのでウィックに相談したら、この世で一番わたくしを愛する者は王太子殿下だと」

そう言って恥じらう様は大層可憐で、愛らしい。しかし、青年は足下から頽れそうになるのを堪えるのに必死だった。


どうしてそうなった!

青年は奥歯をぐっと噛み締めて、叫んでしまうのを我慢した。

小さい頃に迷い込んだ森で、彼は魔女に出会った。大人の言う"恐ろしい魔女"にはとても見えなかった。ただの可愛らしく優しい少女だった。こけてできた傷を手当てして、町まで送り届けてくれた。

「わたくしの事は、内緒よ」と笑って消えた彼女には、何度森へ入っても会えなかった。

淡い初恋の思い出となった少女に再会したのは偶然で、それからは時間があれば会いに行った。淡い初恋が強い恋情になるのに時間はかからなかった。

そして先日、思い合う男女の絵物語を彼女に差し入れた。愛だの恋だのに疎そうな思い人(魔女)に、少しでも自分のことを意識してもらえる可能性に賭けて。王子の側近と魔女との恋物語だ。探すのに苦労した。

それなのにどうしてこうなった!どこの誰だかは知らないが、余計なことを言うなよウィック!彼の心の中では見知らぬウィックへの恨みで溢れたが、表情だけはいつもの穏やかな笑みを浮かべるよう頑張った。

王太子にはまだ、婚約者がいない。どのような令嬢にも断りを入れている。よもや魔女のことを愛していたとは、思いもしなかった。それは数多ある縁談を断るはずだ。


とはいえ自分も魔女を愛している。たとえ主君といえども譲るわけにはいかない。

「なるほど。しかし殿下はお忙しく、また機会を改めて――」

「我は今ちょうど休憩に入るところだよ、グリム」

青年が、今日の所は断り、対策を練った後に面会の場を設けようと決断したとき、正にその王太子殿下が現れた。青年は心の中で盛大に舌打ちをしながら、臣下の礼をとった。

「魔女殿が来ていると聞いてな。そちらの白雪のごとく麗しい少女が、グリム卿が大切にしまい込んでいると噂の北の森の()()()()、イブ殿か」

王太子は悪戯っぽい表情(かお)で青年を見てから、魔女に微笑みかけた。さすが王子様、麗しく輝く笑顔で。

「あ、う…でん…おかれましては、あぅっ…いっブでござ…ぅ」

しかし魔女は、王太子の煌めく笑顔など見ていなかった。毛足の長い敷物の数を数えながら、挨拶をするのに必死だったのだ。

その様子を見た王太子は笑いをかみ殺すのに、青年はその愛らしさに射貫かれた心臓を押さえるのに必死になった。


◇◇◇


「なるほど、では我と恋仲になるために、魔女殿は北の森から()()会いに来てくれた、と」

場所を移して王太子、青年、魔女は即席の茶会を開くことになった。即席とは言え、宮殿の香り高い紅茶と大変美味しい菓子は至高だったので、魔女の緊張は少しほぐれて王太子の顔を見ることくらいは出来るようになった。

なので、コクコクと頷いて「うぃ…か、がみで、…が」と答えた。

「鏡のウィックが、この世で一番イブを愛するのは殿下だと言ったそうです」

ウィックは鏡だったのか!あのお喋り鏡め、余計なことを!今度塔に行った折には、目立たないところに傷をつけてやろう…等と思っていることはおくびにも出さず、どもりすぎて伝わらないイブの言葉を翻訳する。

自分だけが彼女の言葉が分かるのだと、仄かな優越感と共に。


「鏡が…。斯様なこともあるのだな。一度その鏡を見てみたいものだ。いや、それはさておき、魔女殿、これは我以外には知らぬ国家秘密なのだが、」

王太子はそこで、言葉を切った。

国家秘密!その言葉の重さに、魔女は両手を胸の前で握りしめて、王太子の言葉をじっと待った。青年も、ここで王太子が魔女に思いを告げるのかもしれないと思い、息をのんだ。

「我にはこの世で一番愛している者がいる。しかし、それは魔女殿ではない」


王太子がはっきりと言い切うのを聞いて魔女は、目をいっぱいに開いて彼を見つめる。

「我は、その者のことを世界で一等愛していて、その気持ちはかわることはない」

王太子は次代の為政者らしく、きっぱりと言い切った。なんと、王太子には既に世界で一番愛する方がいるという。そしてそれは、わたくしではない。

魔女はヒュッと息を吸って、口元に手をあてた。青年が、宥めるように背中をさする。

それでは、わたくしのことを愛して()()()()()()方にすら断られてしまった――。

衝撃の真実に目の前が真っ白になったその時。


「あー、やっと見つけた!」

突然部屋の鏡から声が響いた。姿の見えない侵入者に、近衛兵が剣を構える。

しかしそこには、こちらを映さなくなった鏡があるのみ。

「イブー!もう話は最後まで聞いてよね!北の森の善き魔女をこの世で一番愛するのは、」

「ウィック…もういいの。王子様には既に世界一愛している方がいらっしゃるのですって。わたくし以外のー。わたくしを愛してくださる方など、この世にはいないのよ」

魔女の瞳から、涙が一粒零れた。その涙は床に落ちると小さなガラス玉になった。

「だーかーらー!話は最後まで聞いてって、いつも言ってるでしょ!王子じゃなくて、王子の側近!そこのグリム卿のこと!」


それを聞いた魔女は、勢いよく顔をあげた。

「グリム…きょう?本当、に?」

「北の森の()()()の言うことだよ、信じなよ」

彼女が青年の顔見ると、彼はにこりと笑って鏡の言葉を肯定した。なかなかいい仕事をする鏡だ。次に行った折にはあの鏡をピカピカに光るまで磨いてやろう。青年は内心そう考えながら、魔女の足元に跪く。

「イブ、この世で()()()()()()()()()のは私だという自信があるよ」

そう言って魔女の手の甲に口づけを落とすと、その雪のように白い頬は林檎のように紅くなった。


「因みに、グリム卿のことをこの世で一番愛してるのはイブだよ~。本人は気が付いてないけど」

鏡は最後に一言添えると、塔の鏡に戻っていった。


~めでたし めでたし~

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