21. 君との誓いを
「残念、魔法使いの心臓は右にあるのよ。首を掻ききれば死んでたけど、運が悪かったわね」
ぐらりと揺れる世界。
時が止まったかのように、すべてが静止する。
「な…に、してるんだ……」
ウィンが、凍りついた声でつぶやく。
「それじゃ…兄さんごと…兄さんも死んでしまうかもしれない…!」
その叫びに、フローラが睨み返した。
「何言ってるの、あんたこそ!」
「は?」
「躊躇ってどうするの、そろそろ決めなさいよ」
ウィンが、言葉を失う。
フローラの手も震えている。
「見た目に惑わされないで。アドニスじゃない…ゼフィアンよ。今ここにいるのは、あんたの兄さんじゃないの」
剣を握ったその手に、力がこもる。
「誰かがこの憎しみを止めなければいけない。あたしは、その覚悟を決めたの」
ゼフィアンがわずかに咳き込む。
フローラは叫びとともに、剣を腹から勢いよく引き抜いた。
「ぐあああああっ……!」
ゼフィアンの腹部から裂けるように血が噴き出す。
その奥から、砕けた星のかけらが、ぽろっ、ぽろっと血に濡れて転がり出た。
ウィンが駆け寄り、星のかけらの1つを拾い上げる。
「こっちも!」
フローラももう一つを素早く手に取り、ゼフィアンを肩で押し飛ばした。
「はっ…ガキどもが…!」
呻きながらゼフィアンがよろめく。
「フローラ、動けるか!」
「動くしかないでしょ…!」
膝が崩れそうな身体を押さえ、フローラは最後に残った魔力を両手に集中させる。
指先が焼けるような熱に包まれ、彼女は叫ぶ。
「ブレイズ!」
地を這うように炎が放たれる。
ゼフィアンが魔力で薙ぎ払うが、数弾はゼフィアンの体に命中する。
ウィンが剣を構え、ゼフィアンの眼前に立つ。
斬撃と斬撃がぶつかり合い、魔力の火花が散る。
「邪魔すんなよおおお!!」
「うああああああ!!」
背後で、フローラの炎が炸裂する。
「シェイド」
ハイマの魔法によって、再び闇の鎖がゼフィアンの腕に巻きつく。
「っ…!またお前か!!」
「お前を止めるためにここに来た。僕は、世界を守る」
ゼフィアンが怒りとともに鎖を振り払おうとするが、3人の連携がそれを許さない。
「僕の後ろに隠れてください」
ハイマがフローラに言う。
「え?うん」
「治癒魔法は使えないけど、包帯くらいは巻けます」
「…ありがとう」
フローラは少し驚いた顔をしたあと、ハイマの手をそっと握り返した。
次の一撃で、勝負をつける。
空間が歪み、ゼフィアンが再び魔力を全開にする。
「…兄さん…」
ウィンが、一歩、また一歩と前へ進む。
剣を構え、胸の奥から湧き上がる想いを飲み込むように深く息を吸い込んだ。
「兄さんは…もう十分頑張ったよ」
ゼフィアンの足がよろめく。
「これは、俺のけじめだ」
その瞬間、ゼフィアンの顔が少しだけ穏やかになったように見えた。
「じゃあ…来いよ」
その言葉と同時に、ウィンが走り出す。
ゼフィアンも剣を構える。
激突の一瞬。
お互いの体をすれ違いざまに、光のような一閃が貫いた。
「ぐ、ぁ…!」
ゼフィアンの体がぶるりと震え、血が飛び散った。
それでも、彼の口元にはどこか安堵したような笑みが浮かんでいた。
「…ウィン……」
ゆっくりと、ゼフィアンの体が崩れ落ちる。
その瞳から色が消え、魔力も風のように静かに消えていった。
ウィンもまた、剣を握った腕に深い傷を負い、その場に崩れ落ちる。
だが、痛むのは腕だけじゃない。
胸の奥に、どうしようもない喪失感が広がっていく。
「……兄さん、兄さん……」
ウィンの声は、もう返事のない人を呼び続けていた。
フローラは壁際にもたれかかり、肩を震わせながら、静かに呼吸を整えていた。
頬に残る涙は乾ききらず、ただ静かに、瞳だけが沈んでいた。
「あなたは…自分を犠牲にすることを選んだのね。ほんと、ばか……」
搾り出すような声でそう言うと、フローラは目を閉じ、唇を強く噛んだ。
ハイマはゆっくりと立ち上がり、アドニスの表情には目もくれず、ふらつく足取りでハルとユズキのもとへと歩いた。
その顔に、怒りも悲しみもなく、ただ疲れ切った静けさがあった。
しゃがみ込み、震える手でユズキの腕に包帯を巻く。
その布が涙で濡れていくのを、ハイマは見つめ続けた。
ユズキがうわごとのように、かすれた声を漏らす。
「……どうなったの……?」
ハイマは答えなかった。
ただその問いに、指先だけが小さく震えた。
ハルは、ゆっくりと頭を起こし、崩れた床の先に、静かに座るウィンを見つめた。
「……ごめん……な……」
それ以上、言葉は出なかった。
空が、少しずつ暗くなっていく。
さっきまで黒い霧と怒号に包まれていた魔王城の空に、淡くやさしい光が差し始めていた。
ゆっくりと沈もうとする陽が、城の内壁に反射して黄金色の輝きをつくっている。
降り続いていた雪も、いつの間にか止んでいた。
白く静かな結晶だけが、砕けた床にうっすらと積もっている。
血に濡れた石も、崩れた柱も、
まるで最初から美しいものだったかのように、静かに照らされていた。
あの激しい戦いが終わってしまったのだと、風の音が、教えてくれているようだった。
「俺、兄さんが、世界で一番大好きだよ」
フローラは村へと戻り、あの古びた校舎の扉を、ゆっくりと開いた。
ぬくもりの残るペンダントを、校長の掌の上にそっと置く。
「…ただいま、ごめん」
「フローラ、おかえり」
小さくつぶやいた彼女の声は、あたたかい風に吸い込まれていった。
彼女の両親はかつてゼフィアンを蘇らせようとした魔物たちに、食料として処理されていた。
薪を割り、子どもたちに読み聞かせをし、夜になれば焚き火の前でペンダントを見つめる。
問いはまだ胸の中にある。
私はこれから、誰のために生きるのか、何を信じて進むのか。
診療所の裏手では、ハイマがひとり、小さな畑に肥料をまいていた。
あの戦いで使われたオーブは、安全な形で町に保管され、今や英雄の遺物として語り継がれていた。
子どもたちは「魔王を倒したハイマだ!」とはしゃぐ。
老人たちは「立派になったなあ」と頷く。
それでも彼の胸には、癒えない記憶が残っていた。
ゼフィアンの、あの最後の瞳。
どこか救いを求めるようだったその表情が、眠るたびに脳裏に浮かぶ。
ハイマもまた、問い続けていた。
憎しみを越えて、何ができるのか。
王都の訓練場には、乾いた剣の音が響いていた。
ハルは汗を額ににじませ、ひと太刀ごとに力を込めていた。
ユズキはその隣で、魔力の流れを読み取る修行に没頭していた。
あの日の夜、2人は命を失いかけた。
だが、その痛みこそが、何を守りたいのかを思い出させてくれた。
夜になると、2人で城の塔に登る。
風が強くても、星が見えなくても、そこから見る街の灯りはたしかに生きている証だった。
「なあ、ユズキ。俺ら、強くなれたと思うか?」
「さあね。でも、あの夜の自分よりは、少しは正直に生きてると思ってるけど」
彼らもまた、問いかける。
正しさとは何か、正義とは何か。
彼は毎日、アドニスの墓を訪れていた。
兄が消えたあの道、あの丘、あの家。
すべての場所に、兄の気配が残っていた。
村人たちとの会話は、自然と避けるようになっていた。
丘の上にひとり座って、何も言わず、風を感じていた。
アネモネの花が風に揺れる中、ある夕暮れ。
小さな花束を持ったフローラとハイマが村を訪れた。
2人は言葉を交わさず、ただ並んで星を見上げた。
「…フローラさんとハイマくんは、今何してるの」
「下級生の子のお世話係。立派な魔法使いになれるように校長先生のサポートしてる。あと、とある村のロボットの修理とか」
「僕は、お父さんの診療所を手伝ったり、人間と魔物の間にある敵対心をどうにかできないかなって、勉強してます」
「はあ、すごいなあ」
「ウィンさんは?」
「俺、俺は…」
その夜、ウィンの頬をなでた風が、やけに優しく感じられた。
ある日、ウィンはふと、アドニスの部屋の扉を開けた。
使い古された筆記具が整然と並ぶ机の上に、一冊の古びたノートが置かれていた。
兄が生前、誰にも見せずに書き続けていたものだった。
びっしりと授業に関してのメモ書きが書かれている中、他とは少し違うページを見つけた。
そのページには、一言だけ、言葉が書き残されていた。
「子どもたちが、自分で考え、選べるようになれば、争いは減る。魔法も、剣も、知識も、未来のためにあると信じたい」
ページをめくる手が、そこで止まる。
ウィンは深く息を吐いた。
「ウィン先生、また明日ー!」
ある日の授業後。
子どもたちが帰ったあとの、しんと静まり返った教室。
ウィンはそっと、一冊のノートを机に広げた。
兄の文字が並ぶその隣に、自分の筆で初めての講義メモを書き加える。
「今日、初めて教えることが楽しいって思ったよ。兄さん」
そう呟くと、窓からそっと春風が吹き込み、ノートのページが1枚、ふわりとめくられた。
風に遊ばれる紙の音に、ウィンははっとして顔を上げた。
そこには、アドニスの字で綴られた次のページの言葉。
「僕の想いが誰かの心に届いて、新しい未来につながればいいな」




