17. 期待が生んだ失敗の標的
魔王城の門をくぐった瞬間、黒い霧が視界を覆い、遠くで雷鳴が鳴り響いた。
生き物の気配はない。
空間そのものが世界から切り離されているようだった。
ズンッ……!
地鳴りのような魔力のうねりが空気を震わせた。
直後、遠くから赤黒い炎の塊が飛来する。
「っ危ない!!」
ハイマの声と同時に、フローラが即座に炎で迎撃する。
「こっちの火を押し返してくるなんて…何倍も格上ね」
フローラが眉をしかめる。
炎はまるで意志を持つかのように、壁を這い、床を焦がしながら迫ってくる。
それでも、城のどこから放たれているのか、ウィンの姿は見えなかった。
「…気配だけで狙ってきてる。詠唱は…もう大詰めだろう」
ハルの声に、全員が一斉に顔を上げた。
「いくよ、みんな…!」
ユズキの掌から広がったのは、澄んだ蒼の魔法陣。
次の瞬間、轟音とともに激流が階段を駆け上がり、朽ちた石段に冷気と命を吹き込んだ。
「今のうちに!」
アドニスが叫び、5人は一斉に濡れた階段を駆け上がる。
だが、天井を割るように、竜の形をした火柱が、怒りの咆哮とともに襲いかかる。
「うわっ、くるぞッ!」
火の竜は咆哮とともに軌道を変え、まるで意志を持つかのように、ひとりひとりを狙っていた。
しかし、ユズキが振り返り、魔力をさらに解放する。
「ブリザード!」
火と氷がぶつかり合い、蒸気が一帯を包み込む。
そのわずかな隙間を縫うように、5人は息を切らせながら、無我夢中で走り抜けた。
「…光?」
眼前がふいに明るくなった。
「…でか…」
アドニスがつぶやくほどに、その空間は想像以上に広かった。
崩れた柱、ひび割れた石床、黒焦げになった天井。
まるで過去の戦いの名残がそのまま残っているかのようだった。
そして、その天井にはぽっかりと穴が空き、異様な光が空へと放たれていた。
その光はゆらめきながら空へとのぼり、やがて虹色に変わり、雲へと形を変えて雪を降らせていた。
その雪は、どこか毒々しい、世界の終わりを告げる花びらのように見えた。
「ああ……」
アドニスの視線の先に、静かに立っている青年がいた。
背中越しに見えるその姿は、あの日と何も変わらなかった。
ウィンの肩越しに浮かんでいるオーブは、盗まれた悪魔族のオーブだった。
その表面は真っ白に輝きながら、どこか濁った邪悪さを孕み、空に向かって禍々しい光を放っていた。
それに気づいたハイマは、強い頭痛を感じた。
「いっ…!?」
あの時、あの祠で感じた頭痛よりもさらに強い。
ハイマは、普通の悪魔族と違って、オーブに近づけば近づくほど頭痛を感じるようだった。
また、崩れた床下から魔力を感じることに気が付いた。
魔王城のどこかに電泉につながる通り道があるのかもしれない。
アドニスが一歩、前に出る。
「ウィン」
ウィンはゆっくりと振り返った。
その声に応じるように、ゆらりと顔を上げる。
「……兄さん」
「おい、ウィン」
「は、どうして兄さんと…ハルが一緒にいるんだ…?」
ウィンの視線が、アドニスの後ろにいるハルへと鋭く向けられる。
ハルは動揺を見せず、静かに問いかける。
「ウィン、なぜこんなことをしているのか、そろそろ俺らに説明してくれ」
「離れろ、兄さんから離れてくれ」
「…ウィン?」
アドニスが眉を寄せる。
ハルも静かに、しかし鋭く様子をうかがっている。
ウィンは、怒気も憎しみもない、ただ必死な声音で言った。
「俺のことを止めるふりをして、兄さんに近づいたのか」
ハルは短く息を飲んだが、口を閉ざしたまま応えなかった。
「え?どういうこと…?」
フローラが小声でつぶやく。
ウィンはそれを無視し、真っ直ぐアドニスを見つめた。
「…兄さん。正直に話すよ、今までの事、俺が今しようとしてる事」
「…兄さんの、もう1人の人格が目覚めた時、ナリア村は少しずつ、確実に壊れていった」
最初は小さな違和感だった。
兄さんの表情が一瞬変わったり、言葉遣いが妙に冷たくなったり。
いつも隣にいる弟でないと分からないくらい些細なものだった。
ウィンは遠い記憶をたどるように目を細めた。
「でも、だんだんとおかしくなっていった。村の子を殴って怪我をさせたり、大人に暴言を吐いて突き飛ばしたり…”あの”人格が出るたびに、兄さんは自分でも覚えてないまま、誰かを傷つけていった」
フローラが息をのむ。
ハイマは顔を曇らせ、目を伏せる。
「…え?」
アドニスの顔が真っ青になる。
「そのうち、村の人たちも気づき始めた。兄さんとすれ違うと怯えて避けるようになった。噂もどんどん広まって、ついには“出来損ないはとうとう頭もおかしくなった”なんて言われるようになった」
「違う、兄さんは二重人格なんだよ!」
「ウィン。いったん落ち着きなさい」
母がそっとウィンの背中に手を添える。
「今日、フォグリスの診療所で診てもらったでしょう?その診断では、人格の分裂ではないと…」
「でもおかしいよ!兄さんが人を傷つけるような人じゃないって、お母さんもお父さんも、一番よく知ってるはずだろ!」
「ウィンひとりの考えと、僧生資格を持つ先生の診断。今、私たちが信じなければならないのは、専門家の意見なんだ…」
「じゃあ、先生はどうやって診断したんだよ?何の魔法を使って、どう確かめたんだ?」
「意識分裂魔法だよ。寄生獣や乗っ取り型の魔物を判別するための、正確な術式だ」
「でもその魔法じゃ見つからないものもあるかもしれない!魔法だけじゃわからない、俺には、兄さんが…!」
「ウィン」
「受け入れろって言うのかよ。みんな…みんな、兄さんを見捨てたんだ」
ウィンの拳が震える。
「お母さんとお父さんも、あきらかに兄さんから距離を取るようになった。家にいても兄さんのことを話さない。まるで、いなかったことにするみたいに」
「…なのに、どんなに傷つけられても、どんなに村の誰からも無視されても、ずっと俺のことだけは気にかけてくれてた」
アドニスは言葉を失ったまま、じっとウィンを見ていた。
「俺だけは信じてた。兄さんの中に別の人格があること。兄さんがそんなことを、望んでしてるわけじゃないって。でも…何をしても暴走は止まらなかった」
「そして、村役場で聞いたんだ。村長が、じいちゃんが、アドニスを殺すしかないって。兄さんはもう、村にとって敵でしかないって…」
「…どうする?」
「もう限界だ。報告するしかない」
「ですが、よろしいのですか?村長のお孫さんを…」
「そういう言葉は、口にするな」
大きなため息の後、手で顔を覆っているような、こもった声が小さく聞こえた。
「ウィンの兄という大きなプレッシャーをかけたせいで、アドニスの精神はあんな風におかしくなってしまった。私たちが責任をもって世界を守らなければならない。あれはもう孫ではなく、魔物と同じ私たちの敵だ。殺すしかない」
その瞬間、ウィンは呼吸が詰まりそうになった。
鼓動が乱れ、喉の奥がひどく熱くなる。
(どうして…誰も、兄さんを兄さんだと信じようとしないんだ)
(俺が魔王なんて討伐したから、村の勇者なんかになってしまったから…)
アドニスの目が揺れる。
口を開きかけたが、声が出なかった。
「だから兄さんを助けられる方法を探して、見つけたのが『デウスリゼクト』だった」
ウィンは顔をゆっくりと上げ、ハルとユズキを見た。
「俺は気づいてたよ、ハル、ユズキ。お前たちが国王の命で動いていたってこと」
フローラが驚いたように目を見開く。
「え、どういう…」
「デウスリゼクトの阻止、兄さんの処理、あまり人気のない場所で被害を最小限にして済ませる。それが君たちの任務だろ?どうせ、ふもとの村には騎士団が待機してるんだろう」
淡々と語るウィンの瞳には、諦めと怒りが滲んでいた。
そして、シャツの袖をまくりながら、静かに続ける。
「俺は、世界を捨てて兄さんの命を選んだ。誰に何を言われても、兄さんは殺させない」
ゆっくりと、剣を抜いた。
その動きには一切の迷いがなかった。
「止めたいなら…止めてみろ」




