16. かつての魔王が残した呪い
魔物の唸り声が遺跡内に響き渡った。
ぞろぞろと現れる魔物の群れの中には、かつて魔王の側近を務めていたと言われる異形の影も混ざっていた。
「来る…!」
ハルが剣を抜き、アドニスと並んで前線に立つ。
「フローラ、ユズキ、援護頼む!」
ハルの号令に、二人の魔法使いが同時に魔力を高めた。
「ブレイズ!」
「フォグア!」
紅蓮の炎が弧を描きながら舞い上がり、その中を水の矢が滑るように駆け抜ける。
水魔法の冷気が炎の熱を抑え、ただの炎でもただの水でもない、高温蒸気の炸裂弾が魔物の足元を爆ぜさせた。
「足止め成功!」
ユズキが叫ぶ。
「次は僕だ、フェオン!」
アドニスが手を掲げ、風の刃を魔物の身体に向けて斬りつける。
水蒸気を含んだ空気に風が乗り、鋭さが倍増する。
「目をくらませます、シェイド!」
ハイマが両手を広げると、黒いもやのような霧が敵の視界を覆った。
同時に、味方の動きを読み取りながら全体の配置を冷静に把握していく。
「アドニスさん、左から回り込んで!ハルさん、右へ挟み撃ちに!」
「了解!」
連携は完璧だった。
しかし、敵の数は減るどころか増していく。
「アドニスさん、後ろ!」
アドニスが気付いたときには、魔物の爪がすぐそこまで近づいていた。
とっさに剣を盾にして攻撃を防ぐが、腕には新たな傷を付けてしまう。
「うあっ!」
体勢を崩したアドニスは、魔物に体重をかけられ地面に押さえつけられる。
「…あ?お前、オルグの部下か?」
オルグという名前を聞いた魔物は、ぴたりと動きを止め、アドニスから人格が変わったゼフィアンの言葉を待っていた。
「…オルグ?誰?」
「ゼフィアン…?」
その瞬間、全員が息を呑んだ。
背後から、別の声が響いた。
ゆっくりと現れたのは、威厳を纏った痩身の魔物、かつて魔王と呼ばれた存在だった。
全員が驚きのあまり動きを止めた。
「ええ、お前が魔王だったの?にしてはガリガリで弱そうな見た目だな」
「ゼフィアン、ゼフィアンなのか…!?なぜ、お前が…?」
「まあ、色々あってね。ちょっと聞きたいことがあるだけだから、ひとまず落ち着こうぜ」
「魔物と人間という異種族であったが、よく森で語らった。私は知識には目がないものでね、言語というものに興味を持ち、私を突き放さずに接してくれたのだ」
「しかし、魔法使いと人間の戦争が始まる前、私はゼフィアンと話をした。もう今までのように会うことができないと。そして、ある森で、あいつがいつも髪を結ぶのに使っていた紐を見つけた。強い魔力の残り香とともにそこに落ちていた」
オルグは悔しそうな声で話を続ける。
「私は儀式でゼフィアンを蘇らせようとした。だが、そこに現れたのが、君の弟」
オルグはゼフィアンから人格が戻ったアドニスの方を見た。
「彼は、私を殺した…だが、魔物の命は死にきらない。私はこの地で静かに生きていた」
「今、世界が崩れようとしている。協力してくれませんか」
アドニスが訴えるように言った。
オルグはしばらく目を閉じたまま沈黙したが、やがて頷いた。
「よかろう。ゼフィアンが信じた者ならば、私も信じよう」
オルグは、遺跡の最奥に設けられた古代の祭壇に手をかざした。
淡く光る魔力の波紋が空間に広がっていく。
その力に引かれるように、周囲の魔物たちがざわめき始めた。
「…これは?」
アドニスが問いかけると、オルグが静かに答えた。
「魔物には力の源に敏感に反応する本能がある。星のかけらのような魔具は、強い魔力を発しながらも、特有の匂いを持っている…魔力の匂い、というより、気配と呼ぶべきかもしれん」
ハイマが目を細める。
「つまり、それを頼りに、魔物たちがかけらの場所を感じ取ることができるんですね」
オルグは一歩下がると、黒くうねるような見た目の魔獣に指示を出した。
「この子は感知に優れている。そなたたちの持つかけらを基準に、似た気配の方向を探らせよう」
アドニスはペンダントを静かに握りしめる。
手の中の宝石が淡く光り、魔物の瞳がそれに反応して揺れた。
「どう?」
ユズキが不安げに尋ねると、オルグが代わりに答えた。
「まず、今ここにある星のかけらだな。それは君のペンダントに宿っている。それと同質の気配が…」
魔王の視線が遺跡の外、北の空を見つめた。
「魔王城の方角から感じられる」
「…やっぱり、そうなるのか」
ハルが小さく呟く。
「最悪のケースだけは避けたかったけど…残りの星のかけらは、やっぱり魔王城にある可能性が高いってことね」
フローラの声にも覚悟の色が宿る。
アドニスは胸の前でペンダントを強く握った。
「魔王城に、行こう。避けては通れない道だ」
「勝てる見込みがあるの?」
ユズキが心配そうに聞く。
「…ない。でも、星のかけらの力を使えば、少しでも希望に近づける」
アドニスの言葉に、仲間たちはゆっくりと頷いた。
魔王はその様子を静かに見つめながら言った。
「そなたらの勇気に敬意を表す」
魔王に背を向け、5人は遺跡を後にした。
「ちょっと、そこの赤い娘」
背後から声をかけられ、フローラが振り返ると、オルグの側近がこちらを見ていた。
「前に食ったごちそうと、そっくりなにおいがして、つい襲ってしまった。悪かったな」
「…は?」
魔物はぺろりと舌を出しながら呟いた。
「魔力にあふれた人型の死体…だったかな。いつだったか忘れたが、うまかったなあ」
「おい、お前、余計なことを言うな。申し訳ない、部下がご無礼を」
オルグが部下の魔物を引っ張る。
フローラの目から一気に血の気が引く。
「…」
「フローラさん?」
遠くからハイマが呼ぶ声がした。
彼女は何も言わずに振り返り、無言でその場を去った。
胸の奥に、今まで感じたことのない冷たい感情が、じわじわと染み出していた。
あの日、森は静かだった。
降り積もる雪のなか、オルグは足元に落ちていた一本の紐に目を止めた。
「…ゼフィアン?」
それは、ゼフィアンがいつも髪を結んでいた、黒い布紐だった。
彼が自らの身に着けていたものを落とすなど、ありえない。
嫌な予感がした。
その時、背後からくちゃくちゃと生臭い音が響く。
「…?」
振り返ると、オルグの配下の下級魔物たちが、無言で2つの死体に群がり、むしゃむしゃと咀嚼していた。
骨をかじり、肉を引き裂きながら、ただ本能のままにむさぼっていた。
「おい、待て」
オルグの声が響くと、魔物たちはぴたりと動きを止めた。
「全部食うな。仲間の分も残しとけよ」
その一言に、魔物たちはしゅんとしながら口をぬぐい、残った死体から離れた。
オルグは、紐を手に取り、深く目を閉じた。
(ゼフィアン、一体、何があった…?)
降りしきる雪の下、オルグは静かに震えていた。
旅の宿の一室、明かりはほのかに灯っていた。
壁に寄りかかりながら、アドニス、フローラ、ハイマの3人は火の消えかけたランプを囲んで静かに語り合っていた。
「しかし、色々あったよね」
フローラがぽつりと漏らす。
アドニスが微笑む。
「『先に名乗るのがマナーって教えてもらってないのかしら』つってな」
「なっ…!あれは!怪しい人が村の近くをうろうろしてたから…!」
「ふふっ」
ハイマが小さく笑った。
「まだ1カ月も経ってないけど、沢山の人に会ったなあ」
長い旅路をともにした3人は、いくつもの景色と感情を分け合ってきた。
思い出話に花を咲かせながらも、やがて口を閉ざし、誰かが言い出すのを待っていた。
「…明日、誰かが戻ってこれなくてもさ」
フローラがぼそっと口にした。
その言葉に、アドニスとハイマは視線を向ける。
「ああ、いや、ごめん、変な話して」
「聞きたい、言いたいこと何でも言ってよ」
ランプの灯りが、ぱち、ぱち、と小さく鳴っている。
「…私ね、ずっと、2人のことをちゃんと信じきれなかった」
フローラはそっと言葉を継いだ。
「アドニスに対しても、最初は疑ってた。ペンダントのことも、本当は早く伝えるべきだった。でも、伝えたら協力してもらえないかもって、怖かった。…だから、ごめん。信じてくれたのに、裏切るようなことして」
彼女は指先を握りしめた。
「ハイマにだって、いつもきついこと言ったり、勝手に動いたりしてさ。何かと巻き込んでばっかで…ごめんね」
ゆっくりと2人の方を見上げたフローラの目には、わずかに光が揺れていた。
「でも、本当はずっと、2人がいたから頑張れた。怒って、迷って、それでも前に進めたのは…旅を一緒にしてくれた、あなただちがいたから」
彼女は息を吸い込み、はっきりと口にした。
「私は、アドニスとハイマのことが好きだよ。大事な、私の仲間。大切な人たちだと思ってる」
フローラの言葉が夜の空気に溶けていく。
アドニスは口元にふっと笑みを浮かべた。
「まあ、別に明日でお別れってわけじゃないんだけどね?」
ハイマはというと、どこか所在なさげに目を逸らしながら、そっと頬を押さえた。
顔がほんのりと赤く染まっているのが、明かりに照らされてよく分かった。
2人とも何も言わないまま、ただフローラを見ていた。
「…な、なによその顔」
フローラは急にそわそわし出して、目を泳がせる。
「ちょ、ちょっと!もう、言わなきゃよかった!」
言い捨てるように叫んで、くるりと背を向けた。
「じゃあもう寝るから!!」
耳まで赤く染まった顔のまま、フローラは寝室へと速足で去っていった。
部屋の扉が閉まる音のあと、しばらくしてアドニスとハイマは顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
残されたアドニスとハイマは、ゆっくりと座り直す。
「眠れなさそうだね」
「はい。でも…大丈夫です」
「僕も、フローラとハイマがいなければここまで来れなかった。しみじみしちゃうよね、なんか」
窓の外には、夜の帳と、静かに降り積もる雪。
夜は静かに更けていく。
凍てつく朝の空気の中、5人は村の入り口に集まった。
荷物を背負い、それぞれが最後の確認を終え、無言でうなずき合う。
アドニスは胸元のペンダントに手をやる。
首から下げられたそれは、いつのまにか彼の一部のように馴染んでいた。
欠けた宝石をいくつか集め、再び力を宿し始めているそのペンダントは、今やただの思い出ではない。
この世界を救う、わずかな希望だった。
彼はしっかりと紐を握り、もう一度だけ見つめると、衣の下に隠した。
「行きましょう」
アドニスの言葉に、4人がうなずいた。




