10. まだ見ぬ空の下へ
戦いが終わり、濃かった霧が少しずつ晴れていく。
アドニスは中央の水晶に慎重に近づいた。
「ハイマ君、これは町のオーブと同じもの?」
ハイマも隣に立ち、じっと観察する。
「…いえ、少し違います。とても似てはいますけど…中に、何か入ってる?」
「え?」
アドニスがもう一度覗き込むと、水晶の奥に、見覚えのある淡い光を放つガラス片のようなものがあった。
「これ、星のかけら…じゃないか?」
地面の魔法陣を観察していたフローラが急に表情を変える。
「ちょっと待って。アドニス、ハイマ、そこどいてくれない?」
「え、ああ、うん」
彼らが下がると、フローラは魔法陣をじっと見つめた。
「やっぱり…これ、分かったわ。ここでやろうとしてたことが」
「ほんとうに?」
「これは模造品を作る魔法陣。おそらく、町にあった本物のオーブの、偽物を作るためのもの」
「じゃあ、町にあったオーブは偽物だったってことか?」
アドニスが顔をしかめる。
「たぶんね。本物を持ち出すために、ここでよく似た模倣品を作って、すり替えたんだと思う」
「そんなことできるんだ…」
ハイマが口を開きかけ、フローラが先に言葉を続けた。
「でも、星のかけらを使ったことで、魔物が引き寄せられた。魔力が足りずに代用したんだと思う。結果的に、教会を守るはずのオーブが、魔物を呼び込むものになってしまった」
「それで、町が襲われたんだ…」
アドニスが唇をかみしめる。
フローラは近くに落ちていた古びた書物の山へと向かう。
さっきの戦いの衝撃で、散らばっていた書物のいくつかに目を通すと、ページの一部に目をとめた。
静かに輝く水晶の前に、フローラがそっと手を伸ばす。
「中にある星のかけら、取り出せそう。少し下がってて」
アドニスとハイマが後ろに下がると、フローラは小さく詠唱を始めた。
彼女の指先から、繊細な魔力が糸のように伸び、水晶をゆっくりと包み込む。
やがて水晶の表面が淡く光り、パリン…という音と共に、中央のかけらだけが空中に浮かび上がった。
フローラはすぐに布で丁寧に包み、それをアドニスに手渡した。
「はい」
「すごい…!」
ハイマが目を見開く。
「でも、オーブはどうする?星のかけらがないと、悪魔族を制御する力がないんだろう?」
「大丈夫。星のかけらほどの力はなくても、私の魔力と祠の残留魔力を利用すれば、短時間だけ機能する制御オーブが作れる。この魔法陣はかなり強力で、良くできているから、活用して何とかなる」
そう言ってフローラは祠の中央、魔法陣が描かれていた床に両手をついた。
その周囲に、彼女が拾い集めた書物や古い素材、砕けた鉱石、残った水晶の欠片、浄化草の葉などを並べる。
「この祠自体が、かつて制御魔法を研究していた場所だったみたい。魔法陣もその遺産の一部。ちゃんと整えれば、力を借りられるはず。こんなに魔力が整っている場所で作られたオーブ、さぞ強力だったのね」
アドニスとハイマは静かに頷き、彼女の背を見守る。
フローラの足元から魔法陣が淡く光を放ち、素材たちが静かに融合していく。
やがて、中央に浮かび上がった光の球が、ゆっくりと形を成していく。
「できた…」
新たなオーブは、本来のそれほど強くはないが、確かな光を宿していた。
それは一時的に悪魔族の力を封じる力を持ち、町を守るには十分だった。
「これなら、町に戻ってすぐ結界に設置すれば、最低でも1カ月は持つはず。デウスリゼクト発動まで、それだけ持てば十分でしょ」
「すごいな…さすが72歳」
「あんた、なかなか生意気になってきたわね…」
ハイマは胸に手を当て、そっと微笑んだ。
「…ありがとう、フローラさん。アドニスさんも」
町に戻った3人は、真っ先に教会跡地へと向かった。
かつて荘厳な雰囲気を放っていた場所は、今は瓦礫と焦げ跡が残るだけだが、それでも空気にはどこか安堵の気配が漂っていた。
フローラはそっと懐から新たな制御オーブを取り出し、結界の中心に置いた。
オーブはゆっくりと光を放ち、かすかな風と共に周囲に魔力が広がっていく。
「…これで、ひとまず安心ね」
アドニスがうなずき、ハイマも小さく息を吐いた。
そのとき、教会の裏手から足音が聞こえた。
ハイマの父だった。
「ハイマ…。ハイマ!生きて帰ってきてくれたのか…ありがとう、本当にありがとう」
ハイマの父はハイマを見つけ、すぐに抱きしめた。
彼の顔は疲れていたが、どこか晴れやかだった。
「お父さん…お母さんは?」
ハイマが静かに問うと、父は小さくうなずいた。
「…帰ろうか」
ハイマの家に戻ると、部屋には花が手向けられていた。
母はベッドに横たわり、安らかな表情で眠っていた。
フローラは静かに目を伏せ、アドニスは何も言わず、ハイマの肩にそっと手を添えたまま、目を閉じた。
誰も言葉を発せず、ただ静かに、祈るような時間が流れた。
「失礼いたします。こちら、騎士団長よりの報告書にございます」
重々しい声とともに差し出された書簡を静かに受け取った。
書面に目を通すと、わずかに眉をひそめ、重いため息をついた。
「…やはりか。行き先は、魔王城の跡地とある」
「いかがなさいますか、陛下。こちらからも部隊を派遣いたしましょうか?」
「いや。騎士団長をもってしても打ち破れぬとなれば、無用な犠牲を増やすだけだ。今は、もう一つの標的を優先すべきであろう」
「かしこまりました。では、騎士団長にはそちらの追跡班と合流するよう、指示を?」
王はしばし沈黙し、再び報告書を凝視した。
「…うむ、それがよかろう」
「はっ」
静寂が落ちた玉座の間に、フォグリス王の低い声が響く。
「あの者たちは、いったい何を成そうとしているのか…」
数日後。
町には少しずつ活気が戻っていた。
市場の通りには人の声が戻り、果物の香りや布の色彩が生き生きとしていた。
「え?ペンダントの欠片?…うーん」
商人に手あたり次第ペンダントを見せて聞き込みを行っていた。
「心当たりがないのなら全然大丈夫です」
「ああ!ギアハムとか行けばあるかもよ?」
「ギアハム?」
「鉱石の採掘とか開発とか活発にやってる町だよ。似たようなもんが発掘されてるかもしれないんじゃないか?」
「行ってみるしかないわね」
「そうだな。ありがとうございます!」
市場を出ようとしたとき、ハイマの声が背後から届いた。
「待ってください!」
振り返ると、旅装を整えたハイマが立っていた。
その目には、かつての迷いはなかった。
「僕も…連れて行ってください!」
「ハイマ…」
フローラがやさしく微笑み、アドニスも静かにうなずいた。
だが、ふとアドニスが言葉を挟む。
「いいのか? 家のことは…」
ハイマは一瞬だけ視線を落としたが、すぐに顔を上げ、まっすぐ答えた。
「父とちゃんと話し合いました。お二人と冒険する中で、家族のために強くなりたいと思いました。身体的にも、精神的にも」
少し震える声に、しかしはっきりとした意志が宿っていた。
「自分の力で誰かを守りたいんです。お二人と旅をして、もっと成長します」
アドニスは一拍置いて、口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ一緒に行こう。次は、西のギアハムだ」
3人は再び歩き出す。
新たな旅路が、彼らを待っていた。
「いてっ」
「あ、すみません!」
アドニスが通行人と軽くぶつかり、よろけて後ろの柱に頭をぶつけた。
「…チッ」
「え、あ、すみません…」
思わず舌打ちしたアドニスに驚き、通行人は慌てて小走りでその場を離れていった。
「は?今、舌打ちした?」
「…」
フローラがアドニスの顔をじっと見つめる。
その瞳の色が、黒からじわじわと白く変化していくのが分かった。
表情も、さっきまでの優しい笑顔から、不気味なまでに冷たいものへと変わっていた。
事情を知らないハイマが、きょとんとした顔で辺りを見回している。
アドニスはフローラに視線を戻し、フローラの肩を掴んだ。
「お前さ、『ディーテ』っていう名前の魔法使いは知っているか」
「は」
フローラの顔が一気に強張った。
「今は、978年だよな?俺が死んだ歳は918年、君はもう生まれているはずだ。一回でも名前を聞いたことないか?」
「え、え」
「…は、はっくしょん!けほ、けほ…あれ?」
くしゃみをした拍子に、アドニスは目をぱちぱちと瞬かせた。
気がつけば、彼の瞳は元の黒に戻り、表情もいつもの柔らかなものに変わっていた。
「…答えて、今のは何?本当に、ふざけないでよ」
フローラの声は静かだったが、その瞳は真剣だった。
「…いや」
アドニスは口ごもるように目を伏せ、しばらく黙ったあと、覚悟を決めたように口を開いた。
「…分かった、話す」




