序章
「教室には34の魂が 34の哲学を持て余している
CDや映画や漫画を貸しあって おんなじ魂を探してる
おんなじ数字や色をみつけてはババ抜きみたいに下校する
ぼくのカードはなんたってジョーカーでとても強くて とても寂しい」
(作詞:大森靖子)
(少女漫画少年漫画より抜粋・引用)
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売ってはいけないものを売った。
2012年。高校入学を目前に、生まれて初めて手にした自由はインターネットだった。
昔から同級生の輪に馴染めず、かといって一人でいられるほどの芯の強さもなく、地元は居心地の良い場所ではなかった。高校はわざと家から遠い学校を選んだ。
幼少の頃から友人と遊ぶより大人と話す方が好きだった私が、スマートフォンを手にし、親の目の届かない場所で誰かとやり取りをするのに、そう時間はかからなかった。
なぜやろうと思ったのか、今ではもう思い出せない。後に風俗店で働くことになるが、それまで特段危険な思いをしなかったのは偶然でしかないだろうし、実際何度もこれが原因で恋人と破局する羽目になっているので、本当に褒められた事ではない。
部活や塾の合間を縫って、1回2万円ほどの日銭を稼ぐ。不思議なことに今そのお金は全くといって良いほど手元に残っていないし、貯金ができた試しもない。かといって高額な買い物をすることやお金のかかる趣味もなかった。
断っておくと、我が家は両親共に働くごく一般的な家庭で、小遣いも貰っていたし、都会の私立大学に進学させてもらえるなど、全く不自由はしていなかった。
あの頃父はブルーカラーの作業着から昇進してスーツで仕事に行くようになった頃だったろうか。母は事務の正社員を勤める傍らで、部活動や塾の送迎をしてくれていた。社会人になって思うことは、一人の人間からどれだけの時間を当たり前のように奪っていたんだろうということだ。
地元の中学には田舎ならではの不良のようなグループもあったが、高校受験という振り分けを経て、周囲に荒れた者はいなかった。もちろんいたとしても付き合いはなかっただろうが。
何が言いたいのかというと、必要に迫られたことではなかったということだ。
欲しいと思った物を自分で稼いだ金で買う。親に頼るコミュニケーションの手間を省いている程度にしか思っていなかった。
狭い田舎でわたしは自由であると、そして対価が得られる存在であると、ある種の愉悦に浸っていたのかもしれない。
あるいは、別人として息をできるその瞬間に、凡庸な自分への憂さ晴らしをしていたのだろうか。
わたしは特別な人間だと、勘違いを続けるための行為はこうしてキーボードを叩く日まで続いている。
全くくだらないことで随分大切な物を失い、残ったのは収入に不相応などんぶり勘定と自尊心という名の生きづらさだ。
ここまで語っておいて、今回書きたいのは後悔の念ではないと言うことをお伝えしておきたい。
無論、無鉄砲に生きてきたお陰で30手前で馬鹿を見る羽目にはなっているのだが、普通ではない数の人間と生身のやり取りをしてきた。
仄暗い関係性には言葉にできない優しさがある。
決して正当化できるような代物ではないが、ある種の救いと言える行為がそこにはあると思っている。
今回それを言語化する事で、わたしはわたし自身を救いたいのだ。
失敗まみれの女の独り言にお付き合い頂ければ幸甚である。