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第3話 星守と少女

 ◇


 それから約一週間後、杏子がやってきたのは帝都の傍らにある書簡差出人の邸宅だ。


 門の奥に聳える白亜の洋館。目を引くのは異国情緒な建物のみならず、敷地内には緑豊かな庭園と、その奥には茶室のある和館まで顔を覗かせていて、杏子は思わず息を呑んだ。


(すごい……。〝華族〟っていうの、本当だったんだ)


 贅の限りを尽くした優雅な住まいを目前にすれば相手の品格は手に取るように伝わったが、では一体、華族とはいえどんな筋で、なんの爵位があるのかなど、そのあたりが全く見えてこない。


 書簡の差出人には〝御影(みかげ)〟と書いてあったが、苗字とも名前とも判別できないその名前に聞き覚えはなく、正体は深い謎に包まれたままだった。


 そしてもう一つ、決起会に赴くにあたり、杏子がなによりも難儀したのは衣装だ。度重なる借金の返済――全て身に覚えのない、五行家から回された謂れなき借金の数々である――で持ち物を切り売りしたせいで身銭がないに等しく、薄汚れた着物と家紋入りの羽織り以外、まともな衣装がなかった。


 唯一、父が陰陽師として活動していた時代に愛用していた狩衣なら用意があったが、これは、五行六家の中では男性にしか着用が許されない神聖な装束と定められているため、断念せざるを得なかった。


 そこで致し方なく頼ったのがあの書生風の男、ジローである。連絡を入れてすぐ、彼は仕立て屋を引き連れて飛んできた。戸惑っているような暇はなく、あれよあれよと仕立て屋との相談や採寸が始まって、その三日後には特注の衣装が届いた。


 黒の詰襟ロングコート――正面上半身には金釦が二行八個並び、袖口には金色の刺繍、腰帯には金色の装飾具がついている――をロングワンピース風に着こなし、足元には革の編み上げ長ブーツを合わせた、威厳のある大礼服風の装いだ。


 ジローははじめ、洋風ドレスを用立ててくれると言ったが丁重に断った。ひらひらとしたドレスでは今日顔を合わせる五行家の人間たちに『夜会にでも来たつもりか』と馬鹿にされてしまうだろうからだ。


 では、無難に袴かといえばそれも『女学生気取りか?』と言われてしまうだろうし、着物や洋服にしようものなら『大事な門出式に普段着で何をしに来た』と、鼻で笑われることが安易に予測できたため、結局、ジローの提案もあってこの衣装に落ち着いた。


 そんなわけで今、杏子は新調したばかりの大礼服風衣装に身を包み、長い黒髪はマガレイトに結った姿で御影家の門前に立っている。


 これならば五行家の奴らにも舐められないだろう。諸経費は給金から差し引いておいてくれるようだし、なによりも動きやすいところが気に入っていた。


(あとでもう一度、ジローさんにちゃんとお礼を言わなければ)


 杏子は今一度身形と呼吸を整えてから、キッと顔を上げて正門を見る。


 いざ、呼び鈴を鳴らそうと腕を伸ばしたところ――。


 くい、と、背後からコートの裾を引っ張られ、動きが止まる。


「……っ」


 一瞬よろけてから背後を振り返ると、そこには色褪せた花柄の小袖を着た、七、八歳ほどのおかっぱ頭の少女がぽつんと立っており、つぶらな瞳でこちらを見上げていた。


「……?」


「ねえ、お姉ちゃん。このお屋敷のひと?」


 少女が首を傾げると、艶やかな黒髪がさらりと肩から落ちる。


「え? あ、いえ。違うわ。お仕事で呼ばれて来たの」


「そっかあ」


「あなたこの辺の子?」


「うん。清子(きよこ)だよう。おとつい、七つになった」


「そっか。おめでとう」


 にこりと微笑みかけると、清子は無邪気な顔でにぱっと笑った。


 愛らしい表情に母性本能をくすぐられる杏子。しかし気になるのは、七歳にしては少し痩せているように見える体躯と、なんとなく不穏な気配を感じさせる匂い――〝瘴気〟だ。


 杏子は片膝をついて少女と目線を合わせると、それとなく尋ねてみることにした。


「何か用があってここへきたの?」


「うん。あのね。さっき、このお屋敷に白い装束を着た神職さまが入っていくのを見たの」


「そう。今日はここで会合があるから、同じような人がたくさん集まるわ」


 陰陽寮が廃止されて以降、陰陽道の使用は禁止されているため、迂闊に陰陽師と名乗ることもできない。濁したようにそう相槌を打つと、少女はこくこく頷いてさらに話を続けた。


「そうなんだ! あのね、キヨね、神職さまにどうしてもお願いしたい祈祷があるの」


「祈祷を?」


「うん! キヨの(かか)様がもののけに憑かれちゃって、ずっと唸って寝込んでいるの」


「……!」


「だから、さっき通りがかった神職さまにお祓いしてくださいってお願いしたんだけど、お金、足りないからだめだって言われちゃって……」


 悲しそうに俯く少女の手には十銭ほどが握られていた。


 身形からして裕福な家庭の子とは決して思いがたいため、この少女にしては一生懸命かき集めたお金なのだろうと安易に予測ができた。


「そうだったの……」


「うん。だから、お屋敷の中に他にもお願いできそうな神職さまいないかなって思って」


「そっか。だから私に声をかけてくれたんだね」


 杏子が尋ねると、少女はにっこりと笑い「うん」と相槌を打った。


 その無邪気さに、杏子は胸が締め付けられるようだった。


「ねえキヨちゃん」


「うん?」


「ちなみにその声をかけた神職さまって、どんな人だった?」


「えっとねー。白い装束に、金色の扇子を持った、琥珀色の瞳のお兄さんだよ!」


「そう……」


 金行を司る〝金近(かねちか)家〟の人間か――と、杏子はその特徴からすぐさま脳裏に金近家の現当主・金近金治(きんじ)の顔を思い浮かべる。


 何よりも守銭奴として有名なあの男には、少女の身の上話など全く関係がないのだろうし、同情の〝ど〟の字もなかったのだろう。


 頼った相手が悪かった。それでも少女は自分の小遣いが足りないのがいけなかったのだと自分を責めて落ち込むように十銭を握りしめている。


「……」


 従来、陰陽道とは人の幸せのために使うもの。


 これではあまりにも少女が不憫すぎる。そう思った杏子は、意を決して提案することにした。


「わかった。じゃあさ、キヨちゃん。こうしない?」


「うん?」


「お姉ちゃんがお祓いしてあげる」


「えっ⁉︎ お姉ちゃん、祈祷師さまなの??」


「んー、まあ、似たようなものかなぁ。『詐欺だ』って言われちゃうからあまり大きな声では言えないんだけど、お姉ちゃんね、『陰陽道』を使ったお仕事をする人なんだ」


「おっ、陰陽道⁉︎ キヨ、聞いたことある! お姉ちゃん、陰陽師なの⁉︎」


「うん。……内緒だよ?」


「……!」


 口元に人差し指をあてて秘密を促すと、少女はワクワクしたようにこくんと大きく頷いた。


「きちんと診てみない限りはっきりとはわからないけど、多分、お姉ちゃんでもキヨちゃんのお母さんを元気にしてあげられると思う」


「ほ、ほんと⁉︎」


「うん。気配でわかるんだ。でも……お姉ちゃん、これからとっても大事な用事があって、それが終わってからじゃないとキヨちゃんのおうちに行けないの」


「……! そっかぁ……!」


「だからさ、おうちでお母さんと一緒に待っててもらっていいかな?」


「わかった! キヨ、おとなしく待ってるよ!」


 神妙な顔つきで頷く清子。杏子は目を細めて清子の頭を優しく撫でると、


「うん。いい子だね。じゃあこれ、受け取って」


 懐から取り出した一枚の護符を、清子に手渡した。


「……? おふだ?」


「そう。護符だよ。それを持ってるとお星さまがキヨちゃんやお母さんを守ってくれるの」


「本当⁉︎」


「うん。あとね、それさえあれば、キヨちゃんがどこにいるかわかるから。お家にも迷わずたどり着けると思う」


「ほわああ……お姉ちゃん、すごい!」


 目をキラキラと輝かせて杏子を見つめる少女に、杏子は心を絆されるように微笑みを浮かべる。


「すぐに行けなくてごめんね。あとで必ずキヨちゃんのお家に行くから」


「うんっっ」


「じゃあそろそろ時間だから、お姉ちゃんちょっと行ってくるね」


 別れの挨拶を交わす二人。少女は嬉しそうに護符を着物の懐にしまい、いつまでも大切そうに大切そうに胸元の護符を撫でたり見つめたりしていた。


 杏子は立ち上がると意を決して呼び鈴を押す。ほどなくして白亜の館の扉が開き、フロックコートを着た男性使用人が顔を出した。


「星守家当主代理、星守杏子さまですね」


「はい」


「お待ちしておりました。どうぞお入りください」


 そうして――。


 少女が胸を弾ませるように見守るなか、杏子は五行家および〝謎の華族〟が待つ豪壮な館へ、足を踏み入れたのだった。


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