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第1話 星守と謎の男

 ◇



 文明が開化し、和洋入り混じる帝都の片隅で、古びた着物と家紋入りの羽織に身を包んだ星守(ほしもり) 杏子(きょうこ)は、ゆらゆらと甘やかに揺らめく朱提灯と、まるで桃源郷へ誘う関所のよう優雅に口を広げて自分を待ち構える鉄製アーチをぼんやり見上げていた。


(ここが新吉原……)


 闇夜にひしめく朱い妓楼。


 目の前に聳え立つのは新吉原大門。


 この門の奥には、江戸時代から続く(あで)やかな花街――男女が織りなす虚構の世界が広がっている。


(この門さえ潜れば、きっと職にありつける)


 由緒正しき家柄に生まれ、その筋に生きていればそれなりに苦労なく生活していけるはずだった杏子には、もう、後がなかった。


(職にさえ、給金にさえありつければ、きっと父上の治療費も……)


 国が組織していた『陰陽寮』が廃止されて約四十数年――。『五行六家』と呼ばれる名家の陰陽師たちの権威は地に落ち、なかでもそのうちの一家『星守家』の長女である杏子は、女性の権威を軽んじる時代柄も相まって、なかなか満足のいく職に就くことができず、生活はおろか一族の存続すら危ぶまれていた。


 震える手で家紋入り羽織の裾を強く握りしめ、意を決して顔を上げる。


 父の病を治すためにも、背に腹は変えられない。その思いでようやく一歩を踏み出して、目の前の大門を潜ろうとしたところ……。


「その年で身売りとは吉原もナメられたもんだね」


「……っ」


 飄然とした声に後ろ髪を引かれ、思わず足を止めて振り返る。


 そこに立っていたのは――。


「まあ、物好きには好まれるのかもしれないけど、優れた力ではなくその容貌を売りにしなければ生活が立ち行かなくなるなんて、かの偉大な五行六家・星守家の名がいよいよ廃れるってわけだ」


 やや伸びた(ふし)色の髪に、涼やかな瞳。すらりと背が高く、服装は絣の着物下に丸首シャツを着込み、下は無地の袴と黒いブーツ、肩には濃い色のトンビコートを引っ掛けた、いかにも書生風といった装いに長い刀を番えた齢二十前後の男子が一人。


(……刀?)


 世に廃刀令が出されて長らく、大礼服着用者あるいは軍人や警察官以外の庶民が帯刀することは禁じられているはずなのだが……彼は一体何者なのか。


 杏子は眉をひそめて息を呑んだ後、そろりと辺りを見渡した。


 門前には今現在自分以外の女人の姿はなく、男は間違いなく自分の方に視線を向けている。


 いや、わざわざ確認しないでも、そこにいる男は今、『かの偉大な五行六家・星守家』と確かにいった。それは他でもない自分のことである。


 不可解な気持ちになりつつも、杏子は男を問いただすことにした。


「誰……?」


「名乗るほどの者でもない。星守家の人間にどうしても手渡したいものがあって、君を探していたんだ」


「渡したいもの?」


 意味深にそう答えた男は、悠然とした足取りでこちらにやってくると、自身の懐から取り出した書簡らしきものをひらつかせてにっこり微笑む。


「ああ。『これ』だ」


 目は笑っているが、隙がない。


 杏子にとってはそれが、この男に対する第一印象だ。


 男は行手を阻むよう目の前に立つので、杏子はことさら訝しむように相手を見上げる。


「意味がわからない。得体の知れない文に興味はないし、そもそもなぜ私が『星守家』の人間だと?」


「君が着ている羽織の家紋を見れば一目瞭然だろ」


「……っ」


「かつて『五行六家』として栄華を極めていた星守家に子息はなく、嫡出子といえば今年十八になる女が一人。さらに言えば、現当主である星守万葉(まんよう)の妻はすでに他界しているため、今現在その家紋入りの羽織を纏って歩ける女性はこの世にただ一人、星守家の長女であり後継者、星守杏子ということになる」


「……」


「つまり君が、俺の探していた星守杏子本人だ」


 ぴたりと言い当てられて、杏子はぐうの音も出ず黙り込む。


 確かに羽織を見ればわかる人にはわかるだろうが、そもそも他の五行家と違って特殊な存在である『星守家』の家紋を知る人はかなりの希少種(マニア)といえる。だからこそ余計にこの男の正体が気になるところだったが、男は杏子の疑問を度外視するよう話を進めた。


「ちなみにここへは、君がついさっき追い出された給支先の店主に聞いてきたんだ」


「……!」


「災難だったね。店先に突然現れた悪鬼を追い払おうと退魔術を使って客や従業員を身を挺して守ったはずなのに、禁忌破りだと騒がれてからの解雇だったんだったんだろう? 同情するよ」


「……」


 なぜそんなことまで……とは思ったが、口には出さないでおいた。何者かわからないし、余計なことは言わずに様子を見たほうがいいだろう。


「まあ、そんなわけで。君の無念さを浄化させるためにも、是非とも君にこの文を受け取ってもらいたいんだけど、いつまでもここで立ち話もなんだから移動しようか?」


「その必要はありません。どんな内容の文なのかはわからないけど、あいにく今は忙しくて返事を書いてる暇がないの。だからそこ、どいてくださらない?」


 正直、文と言われて思いつくのは『金銭の借用書』くらいだ。


 今は病におかされた父上の治療費で物入りなのに、これ以上出費が嵩んでは困る。


 そう思ってあえて話を逸らそうと思ったのだが、男は先回りしたように答えた。


「ずいぶん苦労してるようだね。その様子じゃ万葉氏が倒れて、今の星守家を支えているのは長女の君だという噂は本当だったんだ」


「なぜそれを……」


「悪いがこっちも訳ありでね、色々調べさせてもらってる。君がこの門を潜って身を売らなければならないほど困窮していただなんて、他の五行家が聞いたら驚くだろうね」


「……」


 悔しいが言い返せない。この男がどこまで星守家の事情を知っているかは定かじゃないけれど、陰陽寮が廃止されて以来、星守家が……杏子が味わってきた『苦労』は並大抵のものじゃなかった。


 陰陽寮が廃止され、陰陽師とは名乗れない。


 一般的な職に就こうとも家名を出せばそれだけで忌避されるし、祈祷師や占星術師として裏稼業や闇商売で生計を立てようにも、すでにそれを生業としていた他五行家に阻害されるせいで、その筋の職にもつけない。


 父親が病に倒れた後など、さらにひどいものだ。


 女だというだけで、それらの風当たりがさらに強くなる。


 全ては時代と、『陰陽寮』を廃止した政府のせいだと。


 杏子は男が持つ文と、真っ直ぐにこちらを見つめる男の目を交互に見やりながら、腹の中に抱えた憤りをさらに滾らせた。


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