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灰色の狼

「──!?あー……」

 ずしゃーっ

 何かを諦めたような声と、何かが滑る音。瞬時に起き上がるユキオオカミ達の、視線の先に、

つぅ……」

 顔をしかめてお尻を押さえ、立ち上がる長身の、旅人。

 こちらを見留めて、固まる。

 わたしも、目を、見開いた。

 見上げる長身、薄汚れた旅装束、澄んだ翠だと言うのに、暗さを感じる、深い瞳。顔立ちは、記憶のものより、更に険しく、見える。

 眉を寄せて、ユキオオカミ達を見渡した彼は、わたしを見付けて目を、見開いた。

「き、み……」

 ユキオオカミの群に囲まれた血塗れの女、に驚いた、そんな様子じゃ、ない。

 だって、そうなら、瞳の中に、浮かぶ、歓喜の説明が、着かない。

 彼は、旅人。わたしなんか、より、遥に多くの人と、出会い、別れる。覚えてなんて、いない。そう、思って、居たのに。

「……覚え、て?」

 呆然と呟いた声は限りなく小さかったと、言うのに、洞窟の入り口に立つその人には、聞こえた、らしい。

 幾百ものユキオオカミすら目に入らなくなった、様子で、言葉もなくこちらへ疾駆した旅人は、無言で、わたしを、抱き、締めた。

 旅人の剣幕にユキオオカミ達が思わず、道を空けたのが、幸い、だった。

 視界が旅人の胸で閉ざされ、嗅ぎ馴れない匂いに、感じ馴れぬ体温に、ひたすらに心臓を騒がせる感触に、身体が、囚われる。

「逢いたかった、と、言ったら、驚く、だろうか、きみは」

 耳元から吹き込まれる、低く、掠れた、声。そうだ、こうして、どこか辿々しく、静かに話す、人だった。

 驚いて、強張る腕を、動かす。

「久しいな、若造」

 成り行きを見守っていたらしい最高位のユキオオカミの声で、我に、還る。

 わたしは今、何を、しようとして、いた?

 男の身体に絡ませかけていた腕を、ひっそり、と動かし、胸で燃える命よりも熱く感じる顔を俯けながら、男の胸を、押す。

 大人しく離れて貰えて、ほっと、した。

「ラズヴェル、殿……ご無沙汰しておりました。お元気そうで、何より、です」

「ああ。お前も元気そうだな。扨、我らが姫に断りもなく抱擁した事への言い訳はあるか?返答如何によっては、ここに眠る骸が一つ増える事になるが」

 旅人と最高位のユキオオカミは知り合い、らしいが、ユキオオカミの方はどうやら、怒って、いらっしゃる。

「……長年、恋い焦がれていた相手に、再会して、喜びのあまり、つい」

「ふむ。死にたいらしいな」

 恐ろしく愛の告白めいた言葉に、動揺する間も、なく、洞窟内が殺気で満ちた。最高位の彼のみならず、皆、お怒りの、ご様子、だ。

 思わず、腕を引いて、旅人を背後に庇う。

「い、嫌なら、避けられた、から」

 彼と出会った頃なら、ともかく、今のわたしは、自力で身を守る力を、持っている。たとえ、突然、襲い掛かられた、としても、対応位、出来た。

 しなかった、のは、受け入れた、から。

「わたしも、逢いたかった、から、良い。驚いた、けど」

「……なんだか、娘を嫁にやる人間の父親の気持ちがわかった気がするな」

 なぜか、ユキオオカミの筆頭は遠い目に、なった。なんでだ。

「まあ、姫が許すなら良いだろう。では、我らは去ろう。久方の逢瀬を、邪魔立てする訳には、行かないからな。若造、くれぐれも姫に不埒な真似をするなよ?姫、重ね重ねになるが、同朋の弔い、感謝する。遺った皮は姫の好きにすると良い。どう扱っても、構わぬ。何か困り事があればいつでも、呼べ。ではな」

 逢瀬、って、違う、から。

 否定の言葉を発する前に、幾百いたはずのユキオオカミ達は四散していた。

 旅人と、二人、取り残される。

 気不味い。凄く。

 恐る恐る、振り、向く。いる。夢じゃ、ない。

「えっ、と……十年前に、リンの村へ、いらした、旅人さん、です、よね?」

 記憶の彼と重なる、目の前の旅人。思ったより、年若く見える。あの時は年上の大人に見えたけれど、本当は、想像より、わたしに、近い歳なのかも、知れない。

「そう。君の家に、泊めて貰った」

 旅人が頷いて、

「「忘れ、られてる、と、思ってた……」」

 無意識に呟いた、声は、二人、揃った。

 同時に目を見開いて、見つめ合う。

「また、リンの村、に?」

「否、どこと言う目的地は、なかった。雪の中で、道を、踏み外して」

「あ、怪我、は?」

「けがは、……っ、おれより、きみだ、その、血は、」

 血相を変えた旅人に、肩を掴まれる。

「これは、わたしの血じゃ、ないです。ユキオオカミの」

「ああ、ラズヴェル殿が弔いと……。もしかして、シウィが?」

「いえ、シウィじゃ、なくて、あそこの」

 首を振り、遺された皮を指差す。好きにして良い、と言われたけれど、本当に、良い、のだろうか。

 あれ……今、

「まだ、ろくに走れもしない様な、子供じゃないか。イウジェナ、この子達、は、」

 呼ばれた名、に、ぴくり、と、肩を揺らす。

 出会ったのは、十年も前。だ、と言うのに。

「あ……済まない、勝手に、名を」

「い、え。良い、です。良く、覚えている、のですね」

 今日はどうにも驚く事ばかり、みたいだ。

 ユキオオカミの最高位に認められて、再会して、会った事だけ、じゃなく、名前まで、覚えて貰えている、なんて。

 旅人が目を泳がせて、うつむくように、頷いた。

「忘れる訳、ないだろう」

こちらを見ないまま呟かれた言葉、は、聞き取れなかった。

「?」

 首を傾げつつも、シウィが櫓で待っている事、を思い出し、並べられた皮を拾う。

 ちゃんと聞き返すべき、だろうか。

「ごめんなさい、今、なんと、」

「否」

 振り向いて問い掛けようとした言葉は、皆まで言わせず、遮られた。

「なんでもない。ところで、きみは、ここから上に行く方法を、知っているか」

「上に行く道、は知りません。が、ここを出る道、なら」

 ユキオオカミに案内されるまま来た、から、帰る道、はわかっても、ここの正確な位置は、知らない。

 なにか上に、用事、だろうか。

「ああ、出られるなら、良い。上に、足を置いて来たが、出られれば向こうから来るだろう」

「他力本願かよ、勝手に落ちやがったくせに、馬鹿野郎が」

 不意に乱入した声に、目をまたたいた。

 振り向いた先にいた、のは。

「ユキオオカミ、じゃ、ない?」

「ラディ、済まない、手間を、掛けた。イウジェナ、彼は、ラディ。イワオオカミだ。旅を、助けて、貰っている」

 ユキオオカミのような白ではなく、灰色の毛に首を傾げたわたしに、旅人が紹介してくれる。

「ラディ、彼女は、イウジェナだ。その、昔、世話に、なった」

 数日、家に泊まっただけ、だ。それも、世話をした、のは、わたしではなく、両親。

「あ、の、イウジェナ、です。よろしく、お願いします」

「へぇ、あんたが」

 どこか、興味深そうに、言われて、不思議に、思う。

「ラディ、っ」

 慌てた、様子で、声を上げる途中、旅人が、顔をしかめる。

「んだよ、どっか痛めたのか?どんくせぇな」

 ラディは呆れた顔で、けれど、自ら旅人へと歩み寄った。

「ほら乗れよ。なあ、ユキオオカミの姫、コイツ怪我したみてぇでさ。悪いが、どっか休めるとこ、教えちゃくれねぇか?」

「あ、それなら、リンの村に、」

 ああ、けれど、今晩は、あの、下郎共が泊まるのだろうか。ならば一晩は、わたしの部屋でも良い、だろうか。どうせ櫓番で、今晩は、帰らない。あるいは櫓に戻れば、応急手当の道具は、ある。それで手当てすれば良い、だろうか。

「ん。姫の住み処か。助かる」

 迷っているあいだに、ラディは決断してしまう。

 どちらにせよ、リンの村以外は遠い。

「案内、します」

 着くまでに考えようと、皮を抱えて歩き出す。旅人を乗せたラディが、後ろを歩く。

「この、毛皮」

 そう言えば、話が途中、だった。

 思い出して、話す。

「狩られた、んです。騎士に」

「騎士?なんで騎士が、狩り?」

 村長は、なんと言っていたか。

「……国王、陛下が、欲しがった、から?」

「そんな理由で、仔狼を?親は、どうした」

「少し前に、雪崩があって、だから」

「親を亡くしたところを、襲われたのか」

 旅人が、顔に、怒りを乗せる。

 共感してくれる、のか。

「そりゃ、命拾いしたな、その騎士」

「ラディ?」

「だってそうだろ。もし、姫に見付かってなけりゃ、ユキオオカミに喰われておしまいだったはずだ。ユキオオカミは同胞殺しに容赦ないからな。姫が見付けて弔ったから、復讐の牙を納めたんだろ」

 ラディの言葉で、そうかもしれないと、思う。

 あんなやつら、噛み殺させてしまえば、

「それなら」

 わたしの思考を、旅人が断ち切る。

「イウジェナは、ユキオオカミも、救ったんだな」

「え?」

「そうだな」

 言葉の意味がわからないわたしとは対照的に、ラディはすんなり頷いて見せた。

「ユキオオカミと、この近隣の人間も救っただろ。騎士を噛み殺す獣なんて、討伐対象にされただろうし、そうなりゃ、ユキオオカミが生活の支えになってるこの近辺の人間は、共倒れになる」

 ああ、優しい彼らは、それも考えて。

「……っ」

 止まっていた涙が、また溢れ、出る。

「イウジェナ」

 旅人が、わたしを呼ぶ。

「泣いて、いるのか?」

「だい、じょう、ぶ」

 命は、継いだ。弔いも、した。

 散った、あまりにも、幼い命、は、確かに、この胸で、燃えて、いる。

 ぐ、と涙を堪えて、前を、向く。

「ただ、騎士、たちが、村に、泊まりたいと、言って、いたから、泊まる、場所が」

「……イウジェナの家、にも、騎士が?」

「わたしの、家は、」

 そうか。知らない、のだ。このひとは。なにも。

「あなたが、来た、次の、年に、強盗に、襲われて、焼かれて、もう」

「なっ、よく、無事で」

 まず、わたしの無事を喜んでくれる、このひとも、優しい、ひとだ。

「わたしは、たまたま、熱を出して、呪い師の家に、いた、ので。でも、両親は。今は、村長の家に、置いて、貰って」

「そう、か」

 旅人は、言葉に迷ったあとで言う。

「今は、辛く、ないか?」

「シウィが、いる、から」

「そうか。シウィとイウジェナ、だけ、でも、無事で、良かった」

 ありきたりな言葉だ。慰めとして、何度も言われた。

 けれど、旅人の言葉は、彼が心からそう思っていると、感じられて。

「あり、がとう。それで、たぶん、村長の家や、ほかの、ひとを泊められるような、家は、きっと、騎士が泊まる、から」

「ああ、おれは、土間のすみでも、借りられれば」

「いえ、気にならなければ、わたしの、部屋に」

「え?」

 ドサ、と、落ちるような音に驚いて振り向けば、旅人がラディから転げ落ちていた。

「おいうすのろ」

「だ、大丈、」

「あ、や、おれは大丈夫。じゃない。いや、イウジェナ、の、部屋って、その、いっしょに?」

 雪から立ち上がれもせずにいる旅人を、腕を掴んで引き起こしながら、首を振る。

「わたしは、今日、櫓番、だから」

「ありがとう。櫓番?」

 ラディに乗り直しながら、旅人が眉を寄せる。

「ひとりで?」

「シウィと、いっしょに」

「そうか」

 旅人は少し考えてから、それなら、と言った。

「おれも、櫓に、泊まっても、良いか?」

「え、でも、吹き曝し、で」

「野宿は慣れてる。屋根があるだけ、上等だ。それに」

 旅人の手が、わたしの頭を、なでる。

「こんな日は、話し相手が、いた方が良い」

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


続きも読んで頂けると嬉しいです

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