残忍な愚者
※犬(狼)が可哀想な目に遭っています
「人だ。数人。随分、大仰に武装、してる」
慌てて身を起こし、シウィの視線を追って、呟いた。
シウィに飛び乗りながら、リーフィンに命じる。ケープに付いたフードを深く被り、目立つ白銀の髪を押し隠す。
「村長と自警団長に、伝えて来て。多分、あれ、騎士団、だ」
「お前は」
「敵か味方かの判断は、早い方が良い、でしょ」
シウィが一跳び、櫓から、雪原へと身を躍らせた。翻りかけたフードを、片手で押さえる。人の身長の数倍の高さも、ものとしない。
「おいっ」
「早く、伝えに、行って!」
レース編みの途中だった、所為で、剥き出しの手先を冷たい風が冷やす。掴まる振りをして、シウィの毛皮に指を埋めた。ちら、とこちらを振り向いたシウィが、わかっているぞ、と言いた気に目を、眇めた。
近付く程に大きくなる、騎馬の、集団。
駆け寄るわたしを見留めて、歩みを緩め、止まった。
「この先は、リンの村です。我が村に、なにか、御用か?」
十二分に距離を保ったまま、呼び掛ける。
「我等は、宮廷近衛だ。軍行中につき、一晩の宿をお借りしたい」
ざっと集団を眺めて、首を振る。騎馬の数およそ、二十。
「小さな村、です。近衛騎士様方を泊められる、ような場所は、ありません。後一時も走れば町に、着きます、ゆえ、そちらで宿をお求めなさるが、良い、でしょう」
厄介事は、御免だ。
この人数が村に泊まる、と言うのなら、村長宅でも数人を預かる羽目に、なるだろう。
厄介事は、御免、だ。
「途中で負傷者が出た。これ以上は走れん。負傷者以外は厩でも構わぬ。どうか泊めてくれ」
フードで顔は隠している、が、声で女、それも、若い娘だとは、知れるだろう。こちらが、平民で、若い娘だから軽んじている、のだろう。それが、他人にものを、頼む態度、か。
厄介事は、御免、なのだ。
「この村に、厩など、ありません。馬も養えぬ貧しい村を、哀れ、と思う心が、おありならば、ここは見逃して、町を目指しなさい、ませ」
怪我人がいようが、いまいが、泊められないものは、泊められない、のだ。
この村の労働はユキオオカミが担っているのだから、厩があろうはずもない、だろう。ユキオオカミの住処は、扉に近い土間の片隅だ。専用の小屋は、ない。シウィは、わたしと同じ部屋に寝起きして、いる。
血の匂い、がする。負傷者がいる、と言うのは事実……、否。
「その、馬尾にお持ちなのは、一体、なんの、亡骸、でしょう?」
血塗れて尚、気高い、雪白の、毛並みは。
シウィが牙を剥き出し、低く、唸った。
シウィに比べ、明らかに、小さい。それは、恐らく、生まれたばかり、の、
全身の血が、足先から流れ落ちる、心地が、した。無意識に、背に携えた双剣の柄へ、手が伸びる。
「ユキオオカミの幼子を、手に、掛けたか!罰当たりな。そのような、道理を弁えぬ、輩に、踏ませる土地など、ありはしないわ!下郎共が、疾く疾く、消え失せろ!!」
アォォ……ン
怒りを含んだシウィの慟哭が、響き、渡った。
村から、森から、山から、遠吠えが返る。
「なっ……、無礼な、我等は、」
「黙れ!!ユキオオカミが人に害を、為したか!?お前達に牙を、剥いたか!?力なき、幼子を殺め、あまつ、亡骸を親元から、奪う。そのような鬼畜に、払うべき敬意など、一寸たりとも持たぬ!!わたしの牙に咬まれぬ内に、その子ら、置いて、疾くと、去れ!!」
「イウジェナ!?」
左右く怒鳴り散らすわたしの横に、リーフィンが走り込んだ。リーフィンは驚いているだけ、だが、リーフィンの乗るユキオオカミは、怒りに目を血走らせている。
リーフィン、ユキオオカミに乗れる様に、なったのか。
こんな時なのに、場違いにも、思った。
「何やってんだ。騎士さんに刃向かったりしたら、」
「こいつらが、ユキオオカミを、殺した、からっ」
腕を掴もうとした、リーフィンの手を払って、近衛騎士、とやらを、睨む。
賢くて、優しい、わたしの、隣人。彼らを傷付ける、なら、敵だ。
「ユキオオカミを……?でも、そんな簡単に……」
「子供、だ。子供が数頭、集った所で、寄って集って、剣を、向けられれば、一堪りも、ない」
数日前、雪崩があった。恐らく、彼等の親は……。
子育ての折、夫婦は子を連れて、群れを、離れる。
なぜ。
なぜ、親を亡くした子らが、いないかと、もっとちゃんと、調べなかったのか。
「……子供を?」
わたしを宥めようとしていたリーフィンが、不審のこもった目を騎士に向ける。
「い、否、我々は、殺しては、」
「ユキオオカミの血を吸った剣を、携えて、なにを、言う」
グルルルル……
オオカミの如き唸りが、わたしの喉から、漏れた。
リーフィンが、わたしの頭を抱く。不意打ちに反応出来ず、視界が、奪われた。
あやす様に、肩を、撫でられる。
「落ち着け。とにかく、話を聞こう。村長が、なんとかしてくれる」
「でも、」
「イウジェナ、リーフィン、大丈夫ですか?」
嗄れて、穏やかな、でも、不思議と耳に響く声。
「……村長」
「何が、あったのですか?」
リーフィンが困った様にたじろぐ。近衛騎士の話を聞いたのは、わたしだけ、だ。
リーフィンの手を引き擦り下ろして、わたしは村長を振り向いた。
顔は、泣きそうに、歪んでいたと、思う。
「近衛騎士、が、村で一泊、したいって。断った、けど、負傷者が、いるから、って。でも、ユキオオカミ、子供、殺して……っ!」
視界が滲んで、歪んだ。
村長がユキオオカミから降りて、わたしを、抱き締めた。
「……イウジェナが近衛騎士さんに喰って掛かってる所に、俺が追い付いたんです。騎士さん達はユキオオカミの子供を殺した事を否定したけど、イウジェナは騎士さんの剣にユキオオカミの血が付いてるって」
リーフィンが、補足して、説明する。
「イウジェナは鼻が敏感ですからね。先の遠吠えは、シウィ、ですか」
ぽんぽん、とわたしの頭を撫でて、村長はわたしから離れた。
「……ユキオオカミの毛皮は、高く売れる、そうですね?」
唯、穏やかに、呟く。
「国王陛下は、珍しいものが、お好き、だとか」
近衛騎士が、気まずげに、顔を背けた。
「シウィが仲間を呼びましたよ。森は貴方方にとって、安全ではなくなった。この村を出れば恐らく、貴方方の命は、無いでしょう。ユキオオカミは賢く穏和ですが、同朋を殺されれば、黙っていない」
オォォ……ン
シウィが吠える。返答の声は、先程よりも狭い範囲から、返った。
近衛騎士が、じり、と味方に寄った。
「シウィが許せば、ユキオオカミもその憤怒を納めてくれるでしょう。その哀れな子供達をイウジェナに渡し、弔いをさせなさい。話は、それからです」
反論しようとした近衛騎士を、村長は、冷ややかな目で、見据えた。
「一刻走れば別な町に行けます。……ユキオオカミ殺しを受け入れるかはわかりませんが、ユキオオカミから一刻逃げ切る自信がおありでしたら。早くしないと、逃げ切れなくなりますよ」
アォォ……ン
返る声は、刻々と、近付いて来ている。
ちっ、と舌打ちした先頭の近衛騎士が、馬尾に提げて居たユキオオカミの遺骸を、乱暴に、放った。
ドサリ、と言う音に、チカリ、と視界が白くなった。
「貴様ぁっっ!!」
「イウジェナっ!!」
村長の叱責に、今にも、男の首を跳ねんとしていた双剣が、留まった。
剣を、留めた、まま、村長を、振り向く。
「お止しなさい。彼を殺した所で、踏み躪られた尊厳は癒されない。下らない事に時間を割く前に、お前にはやる事があるでしょう」
「……はい」
そろりと、剣を納める。
シウィから降り、雪の上に、無惨に、投げ出された身体を、抱き上げる。
血塗れた身体は、氷の様に、冷たかった。
「落としたら、怒るよ?」
言って、シウィの背に乗せる。
「さあ、他の子も。イウジェナに殺されたくなければ、丁重に扱う事ですね。イウジェナが怒りを納めなければ、シウィも怒りを納めませんよ」
殺された、子供の数、六頭。
近衛騎士を睨みながら、丁寧に、受け取る。
痛かった、だろう。辛かった、だろう。親を亡くし、子供ばかりで、不安で、怖くて、心細かった、だろう。
馬程も大きくなるユキオオカミ、なのに、こんな、わたしでも軽々、抱えられる、大きさで、殺されて。
「……っ、……ふ、うっ……」
落ちた雫が、嗚咽が、自分のものだと、気付かなかった。
シウィに頬を舐められて、初めて、泣いているのだ、と気付く。
「っ……ごめんっ、ごめん、ねっ、ご、めん……」
気付けなくて、見付けられなくて、助けられなくて、ごめん。
シウィを連れて、一人、村から離れて、冷たい躯を抱き締め、しゃくり、と雪に膝を埋めた。
溢れ続ける涙を、止める術も、わからず嗚咽を漏らすわたしを、白い幾百ものオオカミが、取り囲んだ。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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