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リンの村のイウジェナ

 シウィが動いた気配で、わたしは手元を見ていた顔を上げた。

 彼の視線はわたしの背後、村の方向を向いている。

 ぎっ、ぎっ、と、木製の梯子が軋む音が響く。

「イウジェナ?」

 知った声に振り向く。

「何?リーフィン」

 やって来たのは村の若者だ。無論幼馴染みで、歳はわたしの二つ三つ上だったはずだ。

 雪白の肌と、濃紺の瞳、薄茶の髪。この村では珍しくもない色合いの男だ。顔立ちは村の若者としては整っている方で、村の娘たちによく懸想されているようだ。わたしは村娘の集団に混じらないから、知ったことではないけれど。

「櫓番を代わったって聞いたから、来たんだ」

「何で?」

 櫓の物見台へと上がり込んで来たリーフィンから目をそらし、手元へ視線を戻す。

 シウィはリーフィンを睨んでいる。誰であろうと、わたしに近付くものには警戒すると言うのを、シウィは仕事にしている。

 シウィの視線が気になったのか、リーフィンはシウィの尻尾側に座った。わたしがシウィを背凭れと肘掛けにしているから、シウィはあまり動けない。

 わたしに近い所に座ったリーフィンを、シウィが胡乱に見詰めた。リーフィンは気付かない振りをしているが、顔は引きつっていた。

「何度目だよ。お前、寝る時以外、ほとんどここにいるじゃないか」

「別に良いじゃない。誰か、迷惑してる?」

 この極寒のなか吹き晒しの櫓番なんて、誰も、やりたがらない。代わってやると言えば、皆、喜んで当番を譲ってくれる。

「行商には、ちゃんと付き合ってるし、納期も、遅らせてない。交代を無理に頼んだことも、無いし、村長むらおさから、許可も、貰ってる。櫓番の仕事だって、問題無くこなしてるわ。村長は、わたしが櫓番の方が安心だって、言ってたわよ?」

 ユキオオカミに乗れる者は、行商に行く義務がある。シウィはわたしにしか、背中を許さない。行商人として、武術は一通り叩き込まれた。なにせ行商人は、村のライフラインだから。

 行商人仲間の足を、引っ張ったことはないし、シウィ込みの戦闘力ならば、今では村の若者に劣らない。櫓番だって、気配に敏感なシウィが居るから、村の誰かが見張るより、確実だ。

 手元で出来上がりつつ在る繊細なレースに目を落としながら、リーフィンに反論した。

 本業であるレース編みも、こうして問題無く進めている。

 リーフィンが溜め息を吐いた。

「村長はお前に甘いんだよ。お前、女じゃないか」

「だから?」

「もう十七だぞ?いい加減、身を落ち着ける先を決めろよ」

 村の娘は大抵、十五になる前に結婚相手を決めてしまう。十七にもなれば、とうに結婚して、子持ちでもおかしくないのが常識で、十七で未だ相手も決めていない、と言うのは、明らかな異常事態だ。

 呆れた口調のリーフィンに、冷めた視線を向ける。

「リーフィンだって決めてないじゃない」

「俺は男なんだから当たり前だろう」

 リーフィンがまた、溜め息を吐いた。

 早婚な女に対し、村の男は晩婚が多い。独り立ちが認められないと、婚約すら許されないからだ。自然、村の夫婦は七つ以上も歳が離れているのがザラだ。男なら、二十歳過ぎて独身でも文句を言われない。

 思わず、眉が寄った。

「男だ女だって、結婚なんて、個人の勝手でしょう。生憎と、わたしには守る家もないんだから、一生独身だって、誰も困ったりしないわ」

 吐き捨てる様に言って、ふん、とリーフィンから視線を外す。

 リーフィンが不機嫌そうに顔を歪めた。

「一生独身って、じゃあ耄碌したお前の世話は誰がやるんだよ。まさか死ぬ迄、村長の家に居候するつもりじゃないよな?」

「耄碌する前に、死んでやるわよ。家だって、自分で建てる位の甲斐性はあるわ」

 行商人は、割が良いのだ。村長の許しさえ得られたならば、直ぐにでも、独り立ちしてやる。

 わたしは仕返しの如く、鋭い溜め息を落とした。

 顔を上げて、リーフィンを睨み付ける。

「さっきから、何なの?わたしがどう生きようが、リーフィンには、関係無いでしょう。父さんも母さんも死んで、わたしには、シウィが居れば十分なの」

 両親が死んで、九年が経つ。

 吹雪の夜に、一晩の宿を求めて扉を叩いた旅人が、強盗に転じた。父母は凶手の餌食になり、さらに、逃亡の時間を稼ごうとした強盗は、金目のものを搾取した家に、火を掛けた。

 高熱で、村のまじない師の所に居たわたしと、それに付き添っていたシウィだけが、無事に済み、わたしは一晩にして、シウィ以外の、全てを失った。吹雪にもかかわらず、炎の勢いが強く、焼け跡には、骨すら残らなかった。

 逃げた強盗はシウィが追って、なぶり殺した。お陰で血濡れた幾らかの金品が、わたしに帰って来た。

 わたしは村長に引き取られ、村長の家の一室を与えられた。息子夫婦も、娘夫婦も、出稼ぎに行ってしまっている村長夫婦は、孫代わりに、わたしを甚く可愛がった。

 元々人付き合いが得意でなかったわたしは、それを機に、ますます人から遠ざかり、村人から孤立して行った。表面上の付き合いは最低限こなすが、それ以外で、まともに相手をするのは、村長夫婦だけだ。特に、娘たちとは、ほぼ関わらない。

 こんな状態で結婚なんて、馬鹿げている。

 言い放つと、リーフィンは傷付いた様な顔をした。

 リーフィンの顔に浮かんでいた怒りが、歪み、泣きそうな表情になる。

「関係無いとか、言うなよ」

 呟いた声は震えていた。

「来ないよ」

 呻く様に声を吐き出す。

「櫓番なんて。いくら見詰めてたって、現れやしないよ」

 突然の話題転換に、怪訝な顔になる。

「何が?」

「待ってるんだろ?ずっと前に来た、旅人をさ!」

ふつ、と、表情が壊れた。頬の筋肉に、力が、入らなくなる。

「……何の、話?」

 びっくりする位感情の抜け落ちた、声が、出た。

 リーフィンがわたしの髪を掴む。

 シウィが、ぴくり、と身を揺らし、殺気立った。

 リーフィンはシウィの威嚇を無視して、わたしを睨み付けた。

「お前だけだ。この村で、こんな髪の奴は。お前はお前の母さんが、旅人に孕まされた子供だもんな。父親は、血も繋がってない。シウィが、お前の本当の父親の名残だ」

 母譲りの雪白の肌と、両親に似ない、白銀の髪、青味を含んだ灰白の瞳。母とも母の夫とも異なる、その色は、両親の結婚直前に村を訪れた旅人と、そっくりだと言う。

 十年前に訪れた旅人が、故郷の雪の女神の色、と言った色彩。

 シウィは、両親の結婚祝いにと旅人が残して行き、わたしにだけ懐いた。

 村人たちが陰で何と言っているか、勿論、気付いている。狭い村だ。気付かないはず、ないだろう。

「お前は村から出たがってる。もう一度旅人が来て、連れ出してくれるのを待ってるんだ!」

 シウィが唸り声を発した。

 リーフィンは、少したじろぎ髪を手放したが、次の瞬間には、きっ、と眼差しを強めて、今度はわたしの肩を掴んだ。

「お前にとってこの村は居心地が悪いんだろ?でも、お前はこの村の娘なんだ。旅人なんか待つな。俺を……俺を選べよ!」

「は……?」

 思考が、追い付かない。

 心のどこかで、あの旅人との再会を、望んでいた。それは、否定出来ない、と思う。

 村に馴染んでいない。それも、否定しない。

 でも、リーフィンを選ぶ、と言うのは?

「選ぶって、何に?」

 問い返したら、思いっ切り脱力された。

 横で、シウィが愉快そうに喉を鳴らしている。なぜだかわからないけれど、怒りは、治まったみたいだ。

「俺の一世一代の勇気を返せよ……」

 どんよりと呟かれても、理解出来ない。

「いやあの、なんか、ごめん?」

 リーフィンはお節介で、口煩いが、気の良い奴だ。村のことを良く考えていて、村人からの信頼も、厚い。わたしを怒るのも、浮いた存在を気にして、のことだろう。

 個人的なことに立ち入られたのは、嫌だったけれど、ちょっとは、申し訳無く思って、謝罪を口にした。

 のに、ますます、落ち込まれた。なんでだ。

 シウィが、励ます様に、尻尾でリーフィンの肩を叩いている。なんでだ。

「否、俺が悪かったよ。ちゃんと説明するから、聞いてくれるか?」

 リーフィンが溜め息を吐いて、わたしの、直ぐ横に、座り直した。今度はシウィが大人しく許している。何か、通じ合った、のだろうか。雄、同士?

 リーフィンは考えるように黙り込んだ後、苦笑して、口を割った。

「やっと、独り立ちが許されたんだ」

「へぇ。おめでとう、早いね?」

 二十歳前に、独り立ちが許されるのは、優秀な証、だ。やっと、と言うことも、ないだろう。

「ありがとう。ほっとしたよ、イウジェナが売れ残ってる内に独立出来そうで」

 ん?わたしが、どうかした、のか?

「リーフィンの独り立ちと、わたしに、何か、関係があるの?」

「独り立ちしないと、婚約が出来ないじゃないか」

「そう、だね」

 独り立ちしないと、婚約が出来ない、その通りだ。

「で?それが、何か?」

 左右から、四つの目で、じとっ、とした視線を向けられた。なんでだ。

「俺がお前の婚約者になる前にお前が誰かの婚約者になっちまわないか、心配してたんだよ!二歳差とか、本当なら絶望的じゃないか……」

 そうだね。女は遅くても、十五で婚約者を決めてしまうから、村の夫婦は五歳差以上、が普通だ。

 うん?つまり?

「リーフィンが、わたしと婚約したかった、みたいに、聞こえる、けど?」

「ああそうだな。お前と婚約したいって言ってるつもりだからな」

「へぇ。求婚みたい、だね」

「みたい、じゃなくて、求婚、だからな」

 あれ?なんだか、雲行きが、怪しくないかな。

「えぇと、あれ?つまり、あの」

「俺を選べって言うのは、俺を、生涯の伴侶にしてくれって意味だったんだけど、理解出来たか?」

 思わず、シウィに目を向けたら、ちょっと、呆れた視線を返された。

 うん。わたしが鈍い、って言いたいのかな。でも、

「なんで?」

「え?」

「なんで、わたしと、結婚したいの?リーフィンなら、わたしみたいな売れ残り、じゃなくても、選り取り見取りじゃない」

 リーフィンが、少し、言葉に詰まってから答える。

「お前が良いから」

「わたしが、良い?」

「っ、好きなんだよっ!!」

 赤い顔で、怒鳴られた。

「俺は、イウジェナが好きで、だから結婚したいんだ。文句あるかっ!?」

「えーと、怒った?」

「怒ってねーよ!」

 叫んだ後、顔を背けられた。

「くっそ、恥ずかしい」

 ぶつぶつと呟かれました、が、聞こえてる、けども。

 怒ってない、照れている。

 え?

 わたしの顔に、熱が昇った。

 つまり、あれ?告白?告白を、された、のか!?

「え、あ、えっと……あの、なに?」

 対処に、困るん、だけどな。

 と言うか、何の、冗談だ。

 ん?冗談?

「リーフィン、なんの賭けに、負けたの?」

「はぁっ!?」

 真っ赤な顔のリーフィンが、ばっ、と振り返ってわたしを睨んだ。

 え、だから、

「賭けの、罰ゲーム、なんでしょ?じゃなきゃ、リーフィンがこんなことする、理由が……ああ、売れ残りが可哀想、って言う同情なら、要らないよ。わたしは本当に、結婚するつもりが、ないんだから」

 リーフィン、なんて村思いなんだろう。

「シウィ、一分だけ目を瞑ってくれないか」

 うわ、低い声。何?

 あ、シウィが目を瞑った。え、了承?

 リーフィンの目が、恐いよ。何で?

 ぽかんとしていたら、いつの間にか目を閉じたリーフィンの顔が、至近距離にあった。

 冷たい塊が唇に触れ、湿った温かいものが唇を割り入って、口内に、入り込んで来た。

「んっ……」

 ぬるり、と口の中を侵蝕したものが離れ、少し離れたリーフィンの顔が、目を開く。

「嘘にすんな。馬鹿」

 リーフィンの顔が、また、近付いて、頬に、額に、瞼に、触れた。

「お前が好きだって、言ってんだよ。せめて信じろ」

 あ、うん。ごめん。

 謝りたかった、けれど、混乱し過ぎて声が、出なかった。

 取り敢えず、了承、の意を込めて、頷く。

 リーフィンが溜め息を吐いて、離れた。

「もう良いよ、シウィ」

 目を瞑れって、わたしに対する、不埒な行為を見逃せ、ってことね。

 唇を押さえ、少し視線を下げて考える。

 うん。どうしよう、かな。怒っても良い、場面だ、多分。

「でも、ファーストキスって訳でも、無い、しなー」

 あ、待った。今、声、出た!?

 え、否、やばくない?口にしちゃ、不味い独り言が、零れなかったか、今。

 恐る恐る、視線を上げる。

 うん、爽やかな笑顔が、恐いよ、リーフィンさん。

「ファーストキスって、家族は抜くものだよな?」

 そう、ですね。因みに、シウィと、村長夫婦も、抜きますよ、うん。

「挨拶のキスも抜くよな」

 ええ。ほっぺにキスは、含みませんよ。

「で?」

「で?」

「誰と?」

 うん。訊かれる、と思ったけど、ね。

 ……全力で、はぐらかそう。

「行商先の街で、ちょっと、ね」

 嘘、ですが。否、キスされたのは、本当。相手、女の子、だけど。

 危機を救ってあげたら、感極まって、ね。吃驚、した。

「と言うか、わたしのファーストキスなんて、リーフィンに、関係ない、でしょう。了承も得ずに、掠め盗る人に、文句を言われる筋合いも、ない」

 あ、落ち込んだ。まあ、自業自得、じゃないでしょうか。

「取り敢えず、強行手段に移る位本気、なのは、わかったよ」

 罰ゲームなのか、同情なのか、恋情なのか、は置いておいてね。

「でも、ごめん、わたしは、本当に結婚するつもりが、ないの」

 どうせ断るから、嘘でも、本気でも、関係、ない。嘘なら、嘘の告白に調子に乗って、と陰口が叩ける、だろう。

「なんで」

 なんで……?

 不意に、シウィが身を起こした。

 シウィに身体を預けていたわたしは、こてん、と後ろに倒れかけて、リーフィンに支えられる。

 シウィは、遠くを睨んでいた。

「人だ。数人。随分、大仰に武装、してる」

 慌てて身を起こし、シウィの視線を追って、呟いた。

 こんな時間に。こんな寂れた村に。

 場違いな訪問者が、現れようとしていた。

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


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