リチェリーツェ side
私の夫には愛人がいる。
正確には、これから愛人ができるというのが正しいが、できることには変わりない。本人は作るつもりは無いでしょうけど。
「リチェリーツェ!」
「お早いお帰りでしたわね」
「聞いてくれ。皆ひどいんだ。僕に愛人がいると言うんだ」
私室で本を読んでいるときにノックも無しに入って来たのは、ルーバル侯爵家の長男のアルソンだ。先月、結婚式を挙げ、夫となった。
「新婚だって言ってるのに、貞淑な夫のふりをしなくていいとか。すごく失礼なことを言われたんだよ」
「アルソン様は、貞淑ではありますわね」
「僕は誠実でありたいんだ。なのに誰も信じてくれないんだ」
夫のアルソンは誠実ではあるが、貴族としては致命的な部分がある。人の悪意を感じ取れない。言葉を額面通りに受け取ってしまう。そこが可愛いとは死んでも思えないのは、きっと私だけでは無いはず。
年上の未亡人なら愛玩対象として楽しむかもしれないが、まだそんな趣味は持ち合わせていない。
「信じていただくのは、難しいと思いますわ」
「どうして?」
「今日は夜会でしたわね」
そう。今日は結婚してから初めての夜会だ。なのに、参加したのはアルソンと、アルソンが世話をしている男爵令嬢だった。妻以外の女性を伴うことは、暗黙の了解で愛人を持つことを公言していると同義だ。ただ、妻側の家に喧嘩を売る行為のため、しない人がほとんどだった。
「うん。だから夜会で僕が愛人を探してるって言われて」
「普通は、結婚後、妻以外の女性と夜会に出席をしませんわね」
「うん。しないね」
「では、どうして男爵令嬢と一緒に夜会に行ったのかお聞きしても?」
「カーラが行きたいって言ったから。殿下からも頼まれてるし」
アルソンは、学生時代の王太子殿下の側近の一人だった。学業では優秀で殿下の命令を額面通りに遂行することにかけては、右に出る者がいないと言われるほどだ。そこは、長所でもあり短所でもあるが、国王となる人を支えるには、言われたことを素直に聞きすぎる面が不安視された。そこを補うために私が伴侶として選ばれたが、限度がある。
「殿下は、夜会にエスコートしろと、おっしゃったのかしら?」
「ううん。でも、困らないようにして欲しいって言われてるよ」
「夜会に行かなかったら、彼女は困るのかしら?」
「夜会に参加できないのは令嬢にとって致命的でしょ? だから連れて行ってあげたんだ」
夜会に参加できない妻は、困っていないとでも言うのだろうか。致命的だと思わないのだろうか。満足した顔で言っているが、なぜそこまで自信に満ち溢れた顔ができるのか。
全部説明しても理解してもらえない、いや、説明する気力が無い。私は彼の親では無い。どうやって部屋から出て行ってもらおうか考えていると、控え目に三回ノックされた。
「どうぞ」
「ご歓談中失礼致します。旦那様と奥様がお呼びです」
「今、リチェリーツェと大事な話をしてるから後にしてくれと、伝えてくれ」
「お呼びなのは、若奥様ではなく、アルソン様です」
「僕? それでも後にしてくれ」
「侯爵家のことで大事な話があると伺っております。ご案内するよう命じられております」
夜会に出掛けたアルソンが帰って来たから執事に呼びに行かせたというところでしょう。義両親もアルソンのことは把握している。侯爵家の当主夫妻としてアルソンを呼び出していることを理解していない。
「行ってくださいませ。お待たせしてはいけませんわ」
「わかった」
渋々、行ったが自分が仕出かしたことを理解していない。そして、これからも理解することは無いでしょう。
侍従に両脇を固められてご両親の待つサロンに向かったアルソンは、不満を溢している。その声が聞こえなくなるのを待ってから執事に話しかけた。
「殿下から任された仕事に舞い上がっているのでしょうけど、その殿下から見放されたとは考えないのですね」
「若奥様」
「大丈夫ですよ。離縁はしません。ただ、次代は義弟夫妻の子の誰かにするのが条件ですけど」
「旦那様と奥様も納得してございます」
アルソンとの婚約は学院に入る年に結ばれた。貴族社会を生き抜く力は無いが、平民にするには優秀すぎる中途半端な能力のアルソンを支えるために、公爵家の次女である私に声がかかった。
「最後に確認されていたと思うんですけどね。ああ、しばらくアルソン様を部屋に通さないでいただけるかしら」
「かしこまりました。侍従と護衛を部屋の前に立たせておきます」
義両親はアルソンの教育を放棄していた訳ではない。むしろ熱心に家庭教師をつけたり、直接指導したり、貴族社会で必要な思考を身につけさせようとした。だけど、全く身に付かず、側で聞いていただけの五歳下の弟と七歳下の妹の身になってしまった。
「リーツェ様、お茶でも淹れましょうか?」
「お願いするわ」
「差しでがましいようですが、アルソン様が夜会にリーツェ様以外の令嬢を連れているのをルーバル家の方は何故お止めにならなかったのでしょうか」
「そうね。普通は止めるわね。何も言わずに送り出したりはしないわ」
実家から連れてきた侍女は何人かいるが、一番長く専属を務めているのが、レミラだ。流石に表情には出していないが、怒っているのが分かる。
アルソンが今夜の夜会に、私以外の令嬢を連れて行くのをルーバル家も私の実家も知っていた。知った上で止めなかった。夜会に出るためのドレスを妻の為ではなく、愛人となる令嬢の為に仕立てたという時点で見放した。
それまでにアルソンが貴族社会の常識に気づいてカーラを手離せば良かった。何度も忠告はされていたが、全て王太子殿下に任されたからの一言ではね除けてきたのだから救いがない。
「わたくしもだけど、お義父様もお義母様も忠告なさっていたわ。言葉だけではなく、行動でも示されていたの。それを全て無にしたのはアルソン様自身よ」
そう。結婚までに片をつけていれば、ここまでの醜聞にならない。学生時代の火遊びと見てもらえる。後戻り出来なくしたのは、アルソンだ。私に愚痴を言われても困る。