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短編

猫じゃらし

作者: 見伏由綸


その人は、どこか現実離れした空気をまとっていた。いつもぼうっとしているわけではないのに、ふとした瞬間に何も考えていないようで遠くに想いを馳せているような顔をして、瞬きのうちに普通の表情へと戻った。私にとって理解しがたくでも気になるその人は、30歳になる前にあっけなく死んでしまった。


その人が死んだことは数年経ってから人伝に聞いて知った。聞いたとき私は、その人は死んだのではなくいつも想いを馳せていた遠いどこかへ吸い込まれてしまったのではないかと思った。傾向無稽な考えであることは自分でも分かっていたが、そう思ってしまうくらいにあの何とも似ていないような表情が記憶にこびりついて離れなかった。


さらに数年経って、私は仕事の関係で平日の昼間に昔住んでいた町のあたりを歩いていた。そして、その人とよく似た子供を見かけたのである。姿形も、身長も、性別だって異なったその子供は、しかしその人と同じ現実離れした空気を纏って立っていた。手にはその辺で摘んだであろう猫じゃらしを一本持ったまま、くたびれた一軒家の向こうを見透かすようにぼうっと眺めて哀愁とも羨望とも違う曖昧な表情を浮かべていた。その子供が、その人と同じようにそちらへ吸い込まれてしまうような気がして咄嗟に腕を掴むと、子供は私を見て不思議そうな顔をした。知らない子供の腕を取るだなんてまさしく不審者であると気がついた私は慌てて謝りながらも、掴んだ理由を説明できなくて焦っていたのだろう、咄嗟に「君がそっちへ吸い込まれてしまうような気がして」と口にしていた。口に出してからこんなことを言ったらさらに不審ではないかと思ったけれど、子供は優しい笑みを浮かべて口を開いた。大丈夫です、まだ僕はあっちには行きませんよ。何を言われたのか理解できなくて私はしばらく固まっていたのだと思う。子供がさようならと言う声で我に帰って、まごつきながらもさようならと返した。しかしその間も私の心は時が止まっていたのだろう、しばらく立ち尽くしてからやっと子供の言葉を理解した。しかし理解してもなお、薄寒いような泣きたくなるようなそんな気持ちに震えて立ち尽くすしかなかった。あの子供は確かにあっちにはまだ行かないと言ったのだ。それはつまりあっちが存在するということで、それはつまりその人もまたそっちへと行ってしまったことを示しているのではないか。それは妄想のように現実味のないことであるにもかかわらず、私の中ではまるで唯一の真理であるかの如く存在感を持って居座った。そして、それからずっと居座り続けた。


さらに何年も経ったのち、やっとお墓参りに行った私は驚くこととなった。その人のお墓にはここに眠るという定型文の代わりに旅立ったと刻まれていたのだ。そして、その人の親族の墓のいずれにも同じように旅立ったという表現が使われていたのだ。どういうことかと思っているとふと人の気配を感じて振り返った。そこには、あの日私が引き留めようとした子供と似た顔をした若者が花束を持って立っていた。その若者は私を見て、ああその人のお知り合いだったんですね、と口にした。驚いて何も答えられない私を気にすることなく、その若者は私を相手に話し始めた。その若者曰く、その一族はなぜだか皆一定の年齢になるとここではないどこかへの哀愁にかられ、空気に溶けるように若くして亡くなってしまうことが多いのだそうだ。そして、そうして亡くなった人の墓には「旅立った」という表現を使うことになっているとのことだった。私には何が何だか理解できなくて、ただ、そう語る若者の表情があまりにその人と似ていることに気を取られていた。その若者は淡々とお墓を掃除して花束を添えるとさようならと言って帰っていった。私も今度はすんなりとさようならと返せたが、それからしばらくの時間立ったままそよ風に吹かれていた。


その年の暮れ、その人の月命日に思いつきでお墓参りに立ち寄ると、そこには旅立ったと書かれた新しいお墓が立っていた。その横から生えた猫じゃらしが一本、風に吹かれてのんびりと揺れていた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


みなさんの人生が幸せな人生でありますように。

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