第五十八話
トウキは思い返す。
これまで自分は、何を作ったことがあるだろう?
幼い頃に、リュセイと一緒に父に習いながら泥団子を作った。シウルと一緒に簡単な焼き菓子を作った。
違う。そういうものではなく。
作り方なんてとうの昔に忘れてしまったが、きっとマイラは子どもでも作れる焼き菓子でも喜んではくれるだろう。
でも、そうじゃなくて。
隊長室の片隅、仮眠用の寝台の中。懐からもらった仮面を取り出す。何となく、もっと見たくて、つい箱から出して持ってきてしまっていた。
「…………」
本当に丁寧に作られている。表面だけでなく、縁をなぞってもなめらかで引っかかりが全くない。特別な日に付けたくなるような、少しだけ飾り気のあるきれいな仮面。
マイラはこれを、何を思って作ったのだろう?
きっと彼女のことだから、自分に向けるあたたかく、優しい気持ちをたくさん込めているに違いない。
そう考えると、これに値するものを返したいと思ってしまう――のだが、作るにしたって何を作ればいいのかわからない。自分に何が作れるのか、何ができるのかわからない。
「……俺は、本当に、何もできないな」
否。
できないことはないだろう。何もしてこなかっただけ、だから、わからない。
とはいえ、これまでいっぱいいっぱいで生きてきたのだから、ある意味仕方がないともいえる。マイラだって、別に得意だから仮面を作ったわけではないはずだ。
領主の仕事と国境警備、これらを日々こなしながら、少しずつできることは何だろう?
得意とは言い切れなくとも、自分が他よりほんの少しでも秀でていることは何だろう?
「……体は、丈夫だ。し、持久力も、チュフィンよりは、あるな」
国境警備隊の誰よりも長時間動き回ることができる。鍛え上げているわけではないが力もそこそこある。病気もしたことがないし、自分ではわからないが聞くところによると毒や呪いに対する耐性も高いらしい。龍の血の恩恵だ。そう、体には自信を持ってもいいのではないか。
「体力…………体力があってできること……? 作れるもの……?」
考えろ。
きっと何かあるはずだ。
と、思考を巡らせているうちに、トウキは寝てしまった。新しい仮面を大事そうに抱えながら。
起床時間を過ぎウァルトが起こしに来るまで、それはもうぐっすりだった。
◎ ◎ ◎
「隊長でも作れそうなもの……」
パンの生地を切り分けていたウァルト・キヤ・サミは、手を止めぬまま思案した。食堂の奥の厨房に漂う茶角鹿の肉と芋を煮込んだ汁物の匂いが、夜明け前の空腹感を刺激する。
「そうですね、じゃあたとえばこの、」
丸めていた生地を、ぽん、とトウキに手渡す。
「パンとかどうですか」
「いやその、こういうのではなく」
「はい、こうして、こうして、ここをこう切って、くるっと」
ウァルトはトウキに渡したものと同じくらいの生地を台の上で転がして伸ばすと、大きな木椀に入っている刻んで煮詰めた蜜と絡めた木の実を匙で掬い生地に均等に散らして包み、切り込みを入れ、くるりと捻って成形した。職人かと思うほどに手慣れている。部下がいとも簡単に作り上げたきれいな形のパンに、トウキは思わず見入った。ウァルトが作るのは彼の故郷であるクォンシュ北方トゥオルド領の名物パンだという。雪の多い寒冷地なので保存がきく食材や腹持ちのいい料理が食べられているそうで、以前ウァルトが食事当番のときに作ったそれを食べた隊員たちが気に入り、ときどき頼み込んで作ってもらっている。
「見事な、ものだな」
「家で物心ついたときからやらされてましたからね。家族は全員、じいちゃんも父もできます。って、見事じゃなくて隊長もやって下さい。ほら、こうですよこう」
「え、えとっ、えっ」
先程よりもウァルトの手の動きはゆっくりだったが、思わず焦ってしまう。同じようにやったつもりだったのに、生地は全く違う形になった。形は歪み、木の実の蜜がけも派手にはみ出ている。
「……難しいな」
「想像以上に不器用ですね隊長」
「う」
笑いながら、ウァルトは次々パンを成形していく。
「作る、まではいかなくてもいいんじゃないですか?」
「と、いうと?」
「ロナルで頑張って大きい氷晶石を見つけるとか」
「マイラは装飾品は」
「未加工の石を差し上げるんですよ、こんなに大きなのが出たよって。奥様そういうの好きそうだし、何かを作りたいと仰ったらそれで作ってもいいでしょ。隊長が治めるこのウェイダで採れた雪の女神の恵みです、きっと喜ばれますよ」
確かに好きそうではある。都に行く前、皇帝に献上するようにとファンロンの先の王から送られてきた大きな赤い宝石はほぼ原石だったが、確認するために箱を開けたマイラはとても興味深そうに眺め回していた。その眼差しはどう見ても高価な宝石に対するものではなかったし、「大きい」「すごい」を何度も口にしていてまるで子どものようだった。もしかしたら、なくしてしまうかもしれない装飾品よりも石のままの方が喜ぶのではないか?
「成程、石を掘る……か」
呟いて、考え込む上司の前に、ウァルトはもう一つ生地の塊を置いた。
「はい隊長、次」
「えっ」
「ここにいるんなら手伝って下さい。きれいにできなくてもいいんですよ、どうせここの人たちろくに見ないで口に入れちゃうし味は一緒なんだから」
「あ、はい」
昼前。
その日の勤めが終わると、トウキは真っ直ぐ帰宅せずにその足でロナル鉱山へと向かった。
氷晶石を掘りたい、しかもできれば大きいものがいい――出勤早々坑道の入り口で待ち構えていた領主から突然相談されたロナル鉱山職員の若い男は、
「なーるほどぉ。じゃあ、モーフェンの出番っすかねぇ」
と、隣にちょこんと座っている小さな鈍色の名物龍に目をやった。モーフェンは男を見上げる。
「コルズ。おとうちゃん、キラキラの、いし、ほしい?」
「おうそうだなそう言ってるな、よくわかったなぁモーフェン。でっけえのが欲しいんだってよ、手伝ってやれっか?」
「うん。キラキラの、いし、すぐ、わかるヨ」
どんどん言葉を覚えていっているのか、鉱山に棲む石食いの仔龍モーフェンは意思疎通ができるようになってきていた。
幸いなことにモーフェンは気性が穏やかな龍だったようで、よく鉱山職員たちの後を付いて回るほど人懐こく、コルズ――モーフェンが棲みつき始めた頃にトウキとマイラに鉱山内に何かいると報せに来た若者だ――とは特に仲がいいらしい。坑道の入り口にいたのも、彼を迎えに出てきたためだ。
トウキはモーフェンのサラサラとした石のような額を撫でた。
「モーフェン。俺はお前の父親じゃないと言っているだろう」
「シュオさまが、よべ、いったヨ。おかあちゃんも、いい、いったヨ」
「マイラ……」
いかにも言いそうだ。コルズはけらけら笑った。
「いいじゃねえっすか、領主様も龍の血引いてんだから」
「そういう問題じゃ」
「おとうちゃん、いく?」
くりんと首を傾げるモーフェンに、トウキは再度頭を撫でる。感触といい頭部のなだらかな曲線といい、触り心地がいいのでつい撫でてしまう。
「すまないなモーフェン、今日はもう帰らなければならない。また明日来るから」
「そっかぁ。あした、おかあちゃんと、いっしょ?」
「いや。でも、明日はスニヤを連れてこよう」
「スニヤ! やったぁ!」
ぴょんぴょん跳躍し、転がる。まだ小さいとはいえ重量のある龍なので足元に響くが、心身健やかでいるのなら喜ばしいことだ。初めて会ったときと比べて、体も一回り大きくなった。
「そういうわけで、明日の……昼過ぎにまた来る。親方とも話をしておきたい。伝えておいてもらえるか、コルズ」
「っかりやしたぁ! モーフェン、行くぞ仕事だ仕事!」
「うん。おとうちゃん、またネ」
順調に育っている仔龍の後ろ姿を見送りながら、トウキは少し、笑った。
「まさか、龍の娘ができるとはな」
◎ ◎ ◎
トウキは、仕事がある日やマイラとの約束がある日以外は、朝食をとるとすぐに外出するようになった。そして夕方になると、何やらいい香りをさせて帰ってくる。
これまでなかった主の行動に、領主の屋敷に勤める者たちは訝しんだ。
「旦那、女でもできたんじゃねーか?」
温室の机で書き物をしているマイラの横で頬杖をつきながらユーイが言うと、美しい友のとんでもない言葉にきょとんとしたマイラは首を傾げて思案し、再び友を見る。
「まぁ……そういうことも、あるんじゃない?」
「バっカお前、何!? 許せるの!?」
「許す許さないじゃないよユーイ。旦那様は私の他に妻を娶っても問題ないお立場なんだから。国同士のことがあるから私が正室ということにはなるけど。っていうか、別にそうと決まったわけじゃないでしょ」
「そうと決まったらどーすんだよ」
「…………」
また、首を傾げる。
もうすぐ、結婚して一年になる。
その間ずっと、あのひとは、ちょっと臆病だけどとても誠実だった。
「話してくれるまで、待つよ」
「はァ!?」
「もしそうだったら、あのひとなら、ちゃんと話してくれる。そういう人だもの。でも、そうじゃないんじゃないかな」
「……何で、そう思うんだよ」
「話してもらってないから」
「あいつのことだから、あんたに遠慮して言えないだけかもしれないぞ」
「それもあり得るね。けど……」
「けど?」
「心当たりがおありなのでしょう、マイラ様」
ルコが机の上に冷やした茶の入った碗を置いた。マイラとユーイは同時に礼を言い、同時に一口飲む。
「おわかりに、なりますか?」
どこか嬉しそうな顔のマイラに、ルコは頷く。
「おそらくトウキ様は、あの仮面のお礼を用意なさっているのでしょう。マイラ様がずっとお一人で頑張ってお作りになったので、トウキ様もまたお一人で何とかなさりたいのではないかと」
「そう! きっと、そうなんですよね!」
「あー、……あー。なるほどねぇ」
ユーイは苦笑した。
「そうだな、自分が驚かされたから驚かし返したいよな。そりゃ一人でやろうとするわ。あいつ、意外とカッコつけだな」
友人の言葉に、マイラは嫁いできた当初のことを思い出す。
顔の左側どころか口元と目の周り以外を隠す大きな仮面を着け、きれいな赤い髪まですっぽり覆ってしまう頭巾を被っていたさまを、シウルに「カッコつけてた」と言われていた。存外意地っ張りなのかもしれない――笑いがこみ上げてしまう。
「うん、だからね、ユーイ。このことについては、私は旦那様に何も言わないようにしようと思うの。ユーイも変に刺激したりしないでね」
「あいよ。屋敷の奴らにも言っておいた方がいいんじゃねーか? エシュはともかくとして他のは噂話好きだろ、勘繰って変なふうに話広められたら領主の立場ねーぞ」
「じゃあ、私から伝えておきましょう! 夫のことなので!」
普段はしない、突然のキリッとした奥様面に、ユーイとルコは吹き出した。




