第四十六話
時はモユ・エレイネがクォンシュのウェイダ領に帰還した二日前に遡る。
シュイリ王の葬儀を終えしばらくファンロンの都に滞在し、土産物をたくさん買ってから帰路にについたマイラたちであったが、都を出て二日目、宿泊した小都市ベウカを出たところで、見慣れぬ格好の馬に乗った者たちに馬車を囲まれていた。
「止まれっ!」
と、そのように言っていたのかもしれない。しかし馬車は止まらずに進む。そして不審な集団は、充分追いつけるだろうに少し遅れてついてくる。
「今、何か聞こえなかった?」
マイラが言うと、隣に座っていたユーイが立ち上がり、小窓から外を窺う。馬車を追ってくる集団の首領らしき男がずっと喚いている、が、攻撃してくるような様子はない。
「…………変なのが追っかけてきてるみたいだけど……六人か」
「えぇ!? うそ!? やだ怖いよ何それ!?」
震え上がるモユを、隣に座るマイラが宥める。
「落ち着いて下さいモユさん。……ユーイ、タシアさんは大丈夫?」
「タシアさーん、姫様がだいじょぶかってー」
御者を務める若者タシアは慌てるでもなく手綱を操っている。彼はアヴィロ家に仕える男衆でマイラやユーイよりも少し歳上の二十二歳、普段は庭の手入れをはじめ外回りの作業を主に請け負っているが、馬の扱いも上手いので御者をすることもある。
「鬱陶しいよなぁ、振り切っちまおうか? ブーテとヤッケスとジャエースタならあんなの置き去りにすんの楽勝だぜ。何せこいつらオントル産の馬だ、速ぇし持久力もあるぞ」
「できそう?」
「ワレモノ全滅してもいいなら、だけどな」
「何それ惨劇確定じゃん」
マイラも、立ち上がってそっと追い掛けてくる集団を覗き見る。
「襲ってくるってわけでもなさそう、だけど……何だろう? 聞いてほしいことでもあるのかな」
「え、直訴的なそういうやつ?」
「でも私、もうクォンシュに嫁いじゃったし、そもそも王の従兄の娘だし、っていうか父上も側室の子だし……権力的なものは人が思ってるほどはないから……そういうの、困るんだよなぁ」
「どうするよ姫様」
「賊だったらとっくに襲われてるよね」
「うーん。どうだろ」
「でも、何かあっても、貴方ならどうにかできるでしょ?」
「できんことはない、あの人数ならな。この俺だぜ?」
「だよね。じゃあちょっと話聞いてみようか。……タシアさん、止まって下さい」
馬車はゆっくりと停車した。ついてきた謎の集団も、馬車の周辺で止まると全員馬を下りる。全員が布で頭部を覆い、外套を纏い、やや細く反りのある剣を腰に提げているが、抜いたり構えたりする気はないようで、一箇所に集まって何やら話し合っている。小窓から確認したマイラは、座席の傍らに立てかけていた自分の剣をユーイに渡した。
「これ持ってて。いざとなったらお願い」
「あいよ」
外から呼び掛ける声が聞こえた。
「えぇと、すまない、出てきて、もらえるか」
「敵意はなさそう、だけど」
マイラに、ユーイも頷く。
「そうやって誘い出して襲ってくる奴もいることにはいるからな。油断は禁物」
「そうだね。……モユさん」
隅の方でやや怯えるように縮こまって座っていたモユがびくりとする。
「ひゃいっ」
「馬、乗れますか?」
「……う、うん」
「ちょっとお願いしたいことがあります。大丈夫だと思うけど、念のため、ね」
モユの両肩にそっと手を添える。
「誰か一人だけでも、旦那様のところに生きて帰って伝えなければなりません。その役目を、貴女にお願いしたいと思います」
「生きて帰って」――何かただならぬことが起こるのだ。モユは益々怯えた。
「何で!? 何であたし!? 旦那様のところに帰らなきゃならないの奥様じゃん!?」
「私も必ず帰ります。ここはファンロン、いろんな意味での地の利は私にありますから何とかします、大丈夫。ユーイもタシアさんも一緒にいるし」
そう言って笑うと、マイラはモユに耳打ちをした。モユの顔にどんどん不安の色が広がる。泣きそうだ。
「次の町で一日待って、私たちが追いつけなかったら、モユさんは急いでウェイダに帰って、旦那様に伝えて下さいね」
「何でぇ……何であたしにそんなことさせるのぉ……?」
「もし戦闘になった場合、貴女を護ることを優先していたら、不利になってしまうかもしれません。だから、貴女はまず逃げて。私は見た目で油断されるし、まぁまぁ強いので多分何とかなります」
「まぁまぁどころじゃねーよ、この姫様、姫様の割に結構やるぞ。普段手合わせしてる俺が保証する」
自信満々の笑顔のユーイに、モユは鼻をすすり上げる。
「ほんとに?」
「姫様は、俺が責任持って絶対守る。約束する。だからあんたは早く雪獅子公のところに行け。帰ったら俺のとっておきの緋露やるから」
「…………約束だからね!」
「おう。タシアさん、馬一頭、一番早くウェイダに帰れるやつ、すぐ動けるようにしといて」
打ち合わせが済み、マイラとユーイとモユは馬車から降りた。
「何か御用でしょうか」
マイラが前に出ると、謎の集団に困惑が広がる。
「女……え……女の子ばっかり……」
「女の子しかいませんね」
クォンシュの皇帝の遣いということになってはいるが、マイラはアヴィロ邸にある三台の馬車の中でも一番小さく一見地味なものに乗り、供の者もユーイとモユとタシアの三人しか連れていなかった。派手に装うと不埒な輩に狙われやすいと考えてのことである。ファンロンに入ってしまえば、都に向かう街道沿いには小規模ながらも町が点在しているので、よほどでなければ襲われたりすることはない。
「どうします、殿」
「う、んんん……えぇと、すまない、ちょっと」
首領と思しき男は手を上げると、仲間と共に少し下がって円になり、何やら話し合っている。彼らから目線を外さぬまま、マイラは後ろに控えるユーイとモユに小声で問う。
「女の子だけだと何かダメなのかな」
「普通女だらけの方がいろいろ都合がいいはずだけどな」
「いろいろって何よぉユーイくぅんっ」
「シッ、今『くん』って言うな! ……賊じゃねえ、ってことか?」
「賊ではないかも」
会議を終わらせたらしい謎の集団は、改めてマイラたちと向き直った。
「えー、んん。突然声を掛けて申し訳ない」
「はい」
「その、えぇと、……さぞ名のある家のご令嬢とお見受けする」
「いえ、私はそれほどの者では。学術院の院長の孫という程度です」
嘘は言っていない。マイラの生母はファンロンの学術院の先代院長の娘である。
と、
「えっ…………すまない、ちょっと」
また後ずさって集まり、会議を始める。ユーイが呆れた溜め息をついた。
「賊にしちゃ手際が悪すぎる。大丈夫かあれ」
「賊として大丈夫だとこっちが困るよユーイ。……タシアさん、馬、準備できましたか?」
振り返って確認すると、タシアは頷いた。
「ヤッケスに鞍と手綱着けといたぜ」
「ありがとうございます。……あのー、」
投げ掛けられたマイラの声に、謎の集団は慌てて戻ってくる。首領らしき男が一礼した。綺麗な所作だ。
「あ、あぁ、いや、すまない。お待たせした。……えぇと、その、だな。非常に言いにくいんだが」
「はい」
「かっ……ん、んっ、」
言い淀んだところを、
「殿!」
「ここは割り切るところです!」
後ろにいる部下が勇気付けるように応援する。よし、と小さく思い切った男は、深呼吸した後、言い放った。
「金目のものを! 全てっ…………いや、できるだけ! 置いていっていただきたい!」
その礼儀正しい姿勢とは裏腹に物騒な物言いに、モユの顔が歪んだ。
「賊じゃん!!」
そんなわけで、非常事態と(一応)判断されモユ・エレイネは即座にウェイダに向かわされたのであるが、その後残ったマイラとユーイそしてタシアはというと、
「タシアさん、もう離していいよ」
「あいよぉ。奥様ー、縛りましたよー」
「はーい。……これで残ったのは貴方だけになりましたが」
「ん、んむっ……」
モユの心配をよそに、首領を除いた賊の一味をいとも簡単に伸して、縛り上げてしまっていた。皆腰になかなか立派な得物を提げてはいたものの、残念なことに全く扱いに慣れていなかったのだ。
ただ一人、首領だけは違っていた。
部下たちと同じように全身を外套で覆っているので目立たないが、剣を構える手も足腰もしっかりしている。打ち合っていたマイラは内心舌を巻いていた。先程からの態度を見るに、相手が歳若い女子の自分であるから戸惑って本気を出せていないのだろうが、本来ならただでは済まなかったはずである。
首領は、少しだけ逡巡した後、おとなしく剣を鞘に納めると足元に置き、両手を上げた。
「わかった、降参する。私はどうなってもいいが、その者らだけは助けてほしい。無茶なことを言って申し訳なかった」
賊にしてはあまりにも品がよく、潔い。剣筋も滅茶苦茶ではなかった。違和感ばかりである。
タシアを手伝って賊の部下たちを拘束していたユーイが、マイラの前に出て首領を見据えた。
「……あんた、デアーシュから逃げてきた軍のお偉いさんだろ」
「えっ、んっ!? やっ、んっ!?」
否定も肯定もしないが激しい狼狽はする――間違いないとユーイは確信した。
「やっぱりそうか」
マイラが目を丸くした。
「そうなの?」
「奴らの着てる外套、デアーシュの奴らが冬場に着る布地なんだよ。前にツトゥが似たようなの作るとかで、織物の工場と相談してたの見たことある。あと、剣。あれ、デアーシュ軍の奴らが提げてるのと同じ型。デアーシュにはでっかい鍛冶場があるからな、そこで大量生産されたものなんじゃねーか。……奴のはもうちょっと立派だ、ってこたァ、武器としての実用性が高いし、そんなもん持ってるとなるとそれなりの身分があって剣を使い慣れている。違うか?」
輝く美貌の娘(?)に次々と言い当てられて更に戸惑ったか、首領(仮)は、あぁ、とか、うぅ、とか呻きながら項垂れた。どこか見覚えがあるというか、誰かを彷彿とさせるその様子に、マイラは何となく哀れみのようなものを感じてしまう。
「……あの。少し、お話を伺えませんか?」
ユーイが顔を顰めた。
「姫様」
「聞く価値はあると思う。デアーシュの現状を知ってる人だもの」
「それは……そうだけどさ」
納得し難いが逆らえない、複雑な表情のユーイの肩を、ぽんぽん、と叩くと、マイラも剣を納め首領(仮)の前に進み出た。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか。私はマイラ・シェウ・アヴィロ・ルヨ・ファンロン。ここファンロンの先代の王の姪孫、クォンシュのウェイダ領を治めるトウキ・ウィイ・アヴィロの妻です」
「えっ、ファンロンの、姫、君っ……」
ただでさえ正体を言い当てられ狼狽していた上に想定外の人物に遭遇してしまったことで、首領(仮)の戸惑いが増した、が、
「あっ…………や、はい、えぇと、はい」
戸惑いつつも、頭部を覆っていた布を解き、跪いて最上の礼をする。いかにも育ちの良さそうな、悪事などしそうにない好青年だ。
「手前、デアーシュ禁衛軍が長…………あっいや、“元”禁衛軍が長、ノウル・ニディ・シャワラヤ・ネハートと申す者、このたびは大変なご無礼をっ……」
「きんえい、ぐん……えっ、それって」
王の最も近くに侍る兵、しかもその長――軍の要人どころではない。
ユーイが、呆れた顔で首を横に振った。
「なるほど、だからか。あんた、賊なんて見たこともないいいとこの坊ちゃんだろ。禁衛軍って王様の傍にいるものだから腕はもちろん家柄も重視されるし、あいつら殿殿呼んでたもんな」
「ぅぐ」
「下手クソ」
不敵に笑ったかと思われた瞬間、ユーイは賊の首領改めノウルの背後に回り、首元に短剣を突きつけた。
「賊ってのァこうやるんだよ。女子どもにも容赦なくな。おら、命が惜しけりゃ金目のもん全部出せ」
身のこなしの速さ、そして確実に命を奪えるだろう刃の位置に、ノウルは目を剥いた。
「きさ、ま、おとこっ……?」
「何だよ気付いてなかったのかよ、デアーシュの禁衛軍もたかが知れてるな」
「ユーイ、やめて」
女主人のお叱りに、美少女のような廻者は素直に短剣を引き、立ち上がって女主人の傍らに戻る。
「冗談だっつーの。俺の主人に危害加えようとしたんだ、ちょっと脅してやったっていいだろ」
「よくない! ……ネハート様、申し訳ありませんでした。どうぞお立ちになって下さい」
気まずそうな顔でゆっくり立ち上がったノウルは、ちらりとマイラの顔を見た。
「…………あ、あの、姫君」
「はい」
「ひとつ、伺っても」
「はい」
「先程……ここは、ファンロンだと」
「はい」
「本当ですか」
「はい」
「確かですか」
「はい」
ノウル・ネハートは、いい大人である。トウキやリュセイたちと同じ、いや少し上くらいの年齢か。
にも関わらず、マイラの返事を聞いた途端、
「うそだ……」
今にも泣き出しそうな表情になってしまったのである。くるりと背を向け、しゃがみ込んで頭を抱える。わかりやすいほどに落ち込んでいる。
「行きすぎた……」
元禁衛軍の長とも思えぬ弱々しい呟きに、ユーイが苦笑する。
「どっかの誰かに似てるな、姫様」
「何言ってるの旦那様はそんな…………そうかな……でもここまでじゃないと思う……あの、ネハート様」
「どちらですか」
「はい?」
振り返ったノウルの目は、たっぷりと涙を湛えていた。
「クォンシュは、どちらになりますか! 姫君!」
思ってもみなかった質問に、
「……はい?」
さすがのマイラも、一瞬思考が止まった。




