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辺境夫婦善哉-ひきこもり雪獅子公と陽気な嫁様-  作者: 半井 幸矢
デアーシュの嵐/前編
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第四十五話



 少しずつ陽差しの強い季節に変わりつつあるよく晴れたある日、ファンロン王政国第十七代国王シュイリ・ファンロンが崩御(ほうぎょ)した。ここ数年で徐々に体調が悪くなっていっていたらしく、しかし特に苦しむでもなく眠るように逝ったのだという。享年七十四、歴代で二番目に長い在位の王であった。次の王には王太子ヒューエンが即位する。ヒューエンは三十八歳、第四王子であったが、第一・第二王子は「即位する頃にはもう自分も年寄りになっているから」と継承権を十年ほど前に放棄し、第三王子は少年の時分に病没しているためである。


 その(しら)せは、ファンロンの都から遠く離れた隣国クォンシュの辺境ウェイダに嫁いだマイラの元にも意外と早く届いた。ウェイダに隣り合ったファンロンのツァスマ領が、シュイリ王の甥でマイラの父・アデンの治める地であるからだ。


 そして勿論(もちろん)、ファンロンとは友好国であるクォンシュの皇帝リュセイ・トゥガ・クォンシュも早々に耳にしていた。


「そんなわけでだな、トウキ。俺の代理としてお前の女房どのに葬儀に参列してもらおうと思う」

 台付きの鏡のような術具は、術者の力量次第ではあるが遠隔地にいる相手と会話ができる。それを机の上に置いて、その傍らで農民からの作付け報告の書類を事務補佐役のルコとまとめていたトウキは顔を(しか)めた。

「何でマイラが。……ルコどの、西区の芋の畑は」

「三軒のお宅でそれぞれ三面ずつ。例年通りです」

「そうか。去年は収穫量が多かったが」

「いつも同じ量が獲れるとは限りませんから。お芋は保存もききますし、いざというときのための食糧にもなります。油断は禁物です」

「そうだな。でも去年分の備蓄がかなり多いから貯蔵庫が」

「昨年分を少し分配してはどうでしょう」

「なるほど、分配」

「一世帯あたり……そうですね、大所帯のお宅もそれなりにありますから、二、三十個くらいが適量でしょうか」

「そうか、じゃあ来月の月祭りのときに配ろう」

「配布場所の設置と名簿が必要ですね。まぁ、そのくらいならすぐに準備はできますが」

 ウェイダ領主と事務補佐役の淡々とした会話に、皇帝は卓を叩いた。

「聞けよぉ! 俺陛下だぞ!」

「農業も国の大事な事業です陛下」

 乳兄弟で従弟にして実は親友の臣下に冷たくあしらわれ、リュセイは頬を(ふく)らませた。いい歳の男子のする顔ではない。

「トーウーキー! 聞ーいーてー!」

「だから、どうしてファンロンの本家筋でない姫でお前の妻でも臣下でも何でもないマイラがお前の代わりに弔問に行かなきゃ」

「ファンロンの姫だからさ」

 トウキは怪訝(けげん)な顔になった。リュセイは杯に入った酒を一口飲む。

「お前は今は『元』皇子、立場上はもう皇家の者じゃない。一方のマイラどのは父親が妾腹とはいっても『元』じゃないれっきとした王族、本来ならお前の嫁さんにするにはもったいなさすぎる姫君。だからファンロンに残ってたたった一人の貴重な手駒を嫁さんにもらったクォンシュ(うち)としてはできるだけ大事に扱う必要がある。親戚の結婚だの葬式だの戴冠だののときには帰してやらないと、こっちも国としての体面があるからな」

 言われて内心納得する。妻との身分の差があることは一応理解してはいたが、そこまでは気付いていなかった。

「……理屈としてはわかるが」

「シュイリ王もマイラどののことは可愛がってたようだし、最後に会わせてやりたいじゃないか。お前の嫁さんにくれって送った書簡の返事も嬉しそうだったんだぞ、自分じゃなくて弟の孫なのに。……ま、あっちはあっちで事情があったみたいだけど」

 国家のことなので一応ぼかしてはいるが、リュセイはマイラがデアーシュの王に正妃として求められていたことを知っているようだ。トウキも二月ほど前にあった来客の直後にマイラから聞いている。

 にや、とリュセイは笑った。

「何だ、心配してるのか?」

「べっつにっ、……そ、んな、ことは」

「恐れながら、陛下」

 ルコが一礼する。

「トウキ様は、マイラ様と離れがたいのではないかと」

「なっ、ルコどのっ」

 術具の向こうでリュセイは声を上げて笑った。

「ああ、そうか、そういうことか。……でもなぁトウキ、こればっかりはマイラどのに行ってもらわないと困る。理由はさっき言った通り。お悔やみの言葉を述べた書簡ももうそっちに送った、明日のうちには着くだろうから持っていってもらってくれ」

「……わかった」


 トウキは、漠然(ばくぜん)とした不安を抱いていた。


 ルコの言うとおり、妻と離れがたいのだろうか?


 否、そうではない。


 マイラにとっては慣れ親しんだ祖国に帰るだけなのだから、心配というわけでもない。


 それなのに、何故か、何かは全くわからないが、胸の奥にざわつくものを感じていた。



 そしてその予感は――当たってしまうことになる。



     ◎     ◎     ◎



 ファンロンの故シュイリ王の葬儀は盛大に執り行われた。在位の長さの割に可も不可もなかった凡夫ではあるが、最後の最後で傍流の姫君を嫁がせ隣の大帝国クォンシュとちゃんとした縁を結んだという功績を上げたのは大きい。実際に、後の世の歴史書では、彼についてはそれだけはきっちり書かれている。(が、逆にいえばその他の情報が書かれていることはほとんどない。本当にそれ以外の功績が特にないし、これといった悪評もなかったのである。)


 その、隣国に嫁いだ姫君マイラはというと、立派に隣国の国主の遣いとしての役目を果たし、葬儀が終わった後は祖父アレドの住む離宮で祖父や父とちょっぴりしんみりしつつ談笑していた。

「そうですか、皆さんに看取られて」

「穏やかなものだった、羨ましいくらいだ」

「私は……お爺様の死に目には、会えないのでしょうね」

 残念そうに俯く孫娘の頭を、老齢の王子の手が撫でる。

「なに、じじいを看取るなんてことより、いい場所(ところ)で楽しく生きててくれればいいさ。旦那とはどうだマイラ」

「とても、とても、よくしていただいています。旦那様だけじゃなくて、周囲(まわり)の皆さんにも」

 マイラは頭に添えられていた祖父の手を取ると、自分の頬に押し当てた。以前は毎年、約半年おきに触れていた大きな手は父のそれとよく似て、長年硬筆を取り続けた跡が硬くなって残っている。アレドもまた、若い頃は文官として兄を支えていたのだと聞いている。にこにこ笑う孫娘に、アレドも嬉しそうな顔になった。

「そうか、そうか。いいところに嫁げたのなら何よりだ。アデン、いい判断をしたなぁ」

 アデンは苦笑した。

「本当は気が気ではありませんでした。何しろ相手はあの雪獅子公。……ですが、本当に、人の噂などあてにならないものです」

「そんなに違ったか」

「ごく普通の、穏やかな青年ですよ」

「ほう?」

これ(・・)を手懐けているという点で考えれば、ただ者ではないとも言えますが」

「はっは、そうだな!」

 傍で立って聞いていたユーイとモユが笑うのを我慢して変な声で唸った。二人は侍女としてマイラに同行している。その様子を見たアレドは益々愉快そうに笑い、マイラの頬を優しくさすった。

「いい友人も持ったようだ」

「はい!」

「うん、うん。これで俺も思い残すことはない」

「何言ってるんですか、もっともっと生きてくれなきゃ困りますお爺様! 曾孫(ひまご)もお見せしたいのです!」

「うん、だからよ。やっとお前のことも片付いて、ゆっくりできるって話さ。まだまだ死ぬ気はねぇよぉ。……ところで、だ、マイラよ」

 ふかふかとした長椅子で横に座る孫の方を向いたまま、姿勢を正す。歳は七十近いが、日々悠々自適な生活を送っているせいか足腰もしっかりしているし、年齢より少しばかり若く見える。

「デアーシュの話は聞いたか」

「イノギア侵攻はしばらくなさそうだと」

「そうかな」

「何かお聞きになったのですか?」

 ちら、と美しい侍女姿のユーイを窺う。現地の様子を見てきた彼が言うには、デアーシュのイノギア侵攻派と穏健・保守派は真っ二つに分かれていて不安定だという話だったはずだ。

「シュイリが死んだからなぁ。今度はあの若造、ヒューエンに迫ってくるかもしれん」

 若造――デアーシュの若き王ヤハジャのことを指しているらしい。ヤハジャが弱体化しているイノギアを攻めたがっているというのはよく知られている。

「なかなか野心家で活発な王のようだ。よほどクォンシュの属国という立場から抜け出したいとみえる。……が、その分反発する勢力も出てきているらしい。先日も、軍の要人が一人亡命したとか」

「軍の、要人……」

 どのくらいの地位の者なのだろうか。要人というからには高官には違いないが。

「軍属すれば王のいる侵攻派に力を貸さなきゃならないが保守派にいびられる。保守派にいれば侵攻派に(いわ)れのないことをでっち上げられて潰される。どっちも嫌になって逃げたくもなるさな。……しかしこれで均衡が崩れるのは確かだ。乱れるぞ、デアーシュは。注意深く見ておかなければ巻き込まれる。マイラよ、クォンシュはデアーシュに縁ある国だ。しかも、」

「父上」

 アデンが慌てて老父の言葉を遮るが、マイラは笑う。

「存じております。ヤハジャ王は、私を妻にと求めていたのでしょう?」

「……聞いたのか、ウーリェスどのに」

「はい。全部お話して下さいました。……そうですね。ヤハジャ王にしてみれば、ファンロンとの繋ぎに欲しかった私をクォンシュの、しかも現在皇子ではない旦那様……トウキ様に奪われたという形になっているのですから、面白くはないでしょう」

 トウキとマイラの婚姻はヤハジャがマイラのことを諦めて西方の国から妻を娶った時期よりは後。それで難癖をつけてくる可能性はある。

「いろいろと、気を付けなければいけませんね」

「そうだなぁ」

 祖父と孫は同じように頷いた。



     ◎     ◎     ◎



 マイラに伴ってファンロンの都に行っていたはずのアヴィロ家女中モユ・エレイネがたった一人で馬に乗って屋敷に帰ってきたのを裏口から出てきたトウキが見つけたのは、ファンロンのシュイリ王の葬儀が終わった十一日後の早朝だった。ろくに休まずに全速力で走り抜けてきたのか、結っていたはずの髪もいつもより少し上等な布地の装いもぐちゃぐちゃに乱れ、息を切らしているその姿――何か尋常でないことが起こったのは明らかである。

「どうしたモユ!? 何で一人なんだ、マイラは、馬車は!?」

 馬から何とか下りたモユはぐったりしながらも、倒れないように踏ん張った。

「だんな、さまっ……おくさまからっ、……でんごんっ……」

「なに!?」

 乾いた喉を唾で湿らせ、声を絞り出す。


「『私は、無事です』……『予定より少し遅くなりますが、ちゃんと帰ります』っ……『心配なさらないで』っ……」


 マイラの身に何かあった――トウキの顔から血の気が引いた。


「モユ! マイラはっ、どこで何をっ」

「……わかり、ませんっ……なんかっ、異国のっ……賊、みたいなっ……ひとたちにっ、囲まれて……」

「どこでだ!?」

「ファンロン……都から、出てっ……ふつかめっ、のっ……まち、でてちょっとしたとこっ……」

「…………っ!!」

 (うまや)へ行こうとしたトウキの袖を、モユの手が掴んだ。

「まって、だんなさま!」

「何故止める!?」

「何とかする、大丈夫だからってっ、奥様言ってたの! ユーイくんもっ、一緒だからって! あたしはっ、…………旦那様に、大丈夫だって伝えに行けって! 奥様に何かあったってみんなに知られたら大変だからっ、だから旦那様はっ、ちゃんといつも通りにお務めを果たして下さいって!」


 『自分は無事である』

 『何事もなかったように自分の務めを果たせ』


 それは、ファンロンの姫たる妻の指示なのだ、とトウキは察した。


 マイラは苦況(くきょう)の中で、何かをしようとしている。


「…………わかった」

 理解はしたが、納得はしていない――苦々しい顔で小さく応えると、モユの手がトウキの袖から手にするりと落ち、両手で握る。

「旦那様、大丈夫だよ。だって、奥様にとって、勝手知ったるファンロンだもん。ユーイくんもいるしさ。大丈夫。大丈夫……」

 その言葉は、自分に言い聞かせているようであった。ただ一人だけ帰された罪悪感と不安からか、手と声が震えている。彼女も帰り着くまで怖くてたまらなかったに違いない。トウキはくたびれ果てたモユの体をぎゅうと抱き締め、頭を撫でた。


「怒鳴ってすまなかった。よく無事に帰ってきてくれた、先に言うべきだったな。妻の言葉を伝えてくれて感謝する」


 そうだ。まず「やるべきこと」をやってくれた彼女を労うべきだった。自分に仕えていなければこのウェイダ領で穏やかに暮らしていただろう彼女を、大変な目に遭わせてしまった。大事な領民から預かっている大事な娘が無事に戻ってきた。これは安堵し喜んでいいことだ。


 モユが泣きそうな声で笑った。

「やめてよ旦那様ぁ、こんなんされたらあたし泣いちゃうじゃん」

「泣いたっていい」

「まだ」

 体を押し戻される。主人に伝えるべきことを伝えられた、伝わったという安心を得たか、モユの表情は変わっていた。

「あたし、もう一仕事あるんだわ」

 目尻の雫を手の甲でぐっと拭うと、どこにまだそんな体力が残っているのか、モユは厩に向かって駆け出した。トウキもモユが乗ってきた馬の手綱を引いて追い掛ける。

「モユ、もう一仕事って何を」


 厩には、その名の通り馬と――トウキの子飼いの雪獅子(ルイツ)スニヤ、そして。


「レイシャ」


 モユは呼び掛けながら懐から細長い布を取り出し、差し出す。結った髪を飾る帯だ。

 明かりのない真っ暗な奥から伸びてきた闇の如き鼻先が、それの匂いを嗅ぐ。


「奥様が、貴女に来てほしいって。行ってくれる?」


 返事をする代わりのように静かに唸る、が、それは威嚇ではない。友愛の証として首に掛けられた大粒の氷晶石の付いた飾り紐に、モユは奥方様から預かってきた髪帯を結びつける。


「ありがとう。奥様を……あと、ついでにユーイくんのことも。お願いね」


 とん、と地を蹴り、軽々と柵を跳び越えた夜の乙女の名を持つ黒牙獣(ワラウス)は、そのまま暁暗(ぎょうあん)の中に融け込むように走り去った。





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