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第十七話



 大きな龍は、ゆっくりと首をもたげた。その頭は、マイラとアルマトが先程まで乗っていた岩よりも少し高くなる。空の青色と体の深く鮮やかな(あか)の対比が美しい。

「あわ、ふぁあぁ……」

 呆然としながらマイラが見上げると、またアルマトが杖で小突いた。

「何を間の抜けた声を出している」

「はわ、あっ、おっ、おかあさまっ……あのっ、すみませんっ、ちょっとその、…………どきどきしちゃいますねっ」

 混乱しながらも、顔は笑っている。初めて見る立派な龍に好奇心がくすぐられているのだ。

 しかしすぐに、

「あっ…………そう、そうでしたっ」

 我に返り、龍の前に進み出て礼をしながら(ひざまず)く。

「お初にお目にかかります。トウキ様の妻、マイラと申します」

 ふぅん、と龍が鼻で息をした。

「そうか。あの子は妻を持つような歳になったか」

 龍が(しゃべ)るたびに、風に吹かれるように衣の袖や裾、髪が(なび)く。マイラに並ぶが立ったままのアルマトが、そうだぞ、と誇らしげな顔をした。

「そのような歳になったのだ、あの小さいのが」

「あの小さいのがなぁ」

 一匹と一人の父娘で感慨(かんがい)に浸る。その様子を見て、仲がいいのだなぁとマイラは微笑ましく思った。きっとここに夫が混じっても和やかになるのだろう。

 失礼します、と断り立ち上がってから、マイラはアルマトに問うた。

「そういえばお義母(かあ)様、私に頼み事とは何でしょうか?」

「うむ、そうだ、それだ」

 アルマトの杖を持たぬ方の手がマイラの肩を掴んだ。

「お前、あの舞姫カルネの孫だろう?」


 舞姫カルネ――大陸中を旅して回っていた高名な歌巫女がそう呼ばれていた。ずば抜けて美人だったというわけではないが、その歌と舞いは神を呼び寄せ歓喜に酔わせると言われており、知に長け話術も巧みであったという。マイラの祖父の愛妾であり、アデン・シェウの母である。


「祖母のことを、ご存じなのですか?」

「何度も会っている。あれは頭のよい女であった。我の数少ない友だ」

 にこにことご機嫌な笑顔。本当にお気に入りの存在だったのかもしれない。

 父方の祖母カルネはマイラが生まれる少し前に没してしまったが、祖父を訪ねるとよく思い出話を聞かせてくれて、そのたびに祖父は賢く元気でよく似ているとマイラを()めた。そんな彼女と友誼(ゆうぎ)があったと聞けば、マイラも嬉しくなる。

「ご友人、だったのですか」

「親父どののお気に入りでもあった。なぁ?」

 また、龍は、ふぅん、と息を漏らした。肯定らしい。

「そのほう、カルネの孫であったのだな。そうか、成程、よく似ている」

「そうだ、だからだ!」

 杖を放り投げ、アルマトがマイラの両手を取った。そのままくるくる回る。

「だから見せたかったのだ! 嫁どの、マイラよ、親父どのに是非、舞いを見せてやってくれ!」

 一体何をどうしたら、何故そう繋がるのか、わけのわからない義母の申し出に、

「えっ……えっ? はっ!?」

 マイラは手を繋がれたまま共にくるくる回転しながら、本日三度目の大困惑状態に陥った。



     ◎     ◎     ◎



 その場に立ったまま、トウキ・アヴィロは考え込んだ。


(爺さまの(そば)にいる……なら、母上も滅多なことはしないはず……)


 祖父たる赫き龍は、ヒトと共に()るのを好む。娘のアルマトがヒトであるマイラに手出しするようなことがあれば、怒りをあらわすだろう。


「祖龍の傍にいるなら、安心ではあるね」

 キクロも同じ考えに至ったようで頷くと、シウルが不安そうな顔をした。

「そう、なの?」

 都の郊外にあるマクト山は赫き龍が住まう場所で、クォンシュの皇帝や龍女やそれらの近親者など、ごく一部の者しか立ち入らない。特に禁じられてはいないし神聖な場所だというのでもないのだが、皆赫き龍という存在を尊び何となく近付かないのである。

「トウキ。どうする?」

 キクロの問いに、トウキは一度目を閉じ、思考を巡らせる。


 きっと、これは。


「……ありがとう、キクロ兄さん。後は自分で何とかする」

 目を開けて答えると、シウルが腕を掴む。

「何言ってるの、兄さんかゲンカ小父(おじ)様を」

「いや、逆なんだ、この場合は」

 心配ない、そう言うように、シウルの手に己の手を重ねる。

「多分、対抗手段を用意していくほど母上の神経を逆撫でしてしまう。だから俺一人でいい」

「でも」

「シウル、姉さん」


 正直なところ、剣を使えるといっても本当に「多少」であるし、術の腕の差など歴然としているのだから、母に何かされたら手も足も出ない。マイラを守れるか、自信はない。


 それでも。


「家族の問題なんだ。妻が、母に、連れていかれた。それを連れ戻す。ただ、それだけのこと。大丈夫、俺の妻、マイラ・シェウなら、あの龍女アルマト相手でも上手くやれる」

 自身に言い聞かせるようにも聞こえるその言葉に、シウルはやはり心配そうな顔をしていたが、キクロは妹の肩をぽん、と叩く。

「こう言っているんだ、僕たちの出る幕ではないよ。ゲンカ様がくれたお菓子でもつまんで待っていよう。……ごめんねリネア、せっかく用意してくれたのに冷めてしまったよね。悪いけど、もう一度お茶の準備をお願いできるかな」

「もう」

 ぷく、と(ふく)れる奥方に、トウキは頭を下げた。

「申し訳ないリネアどの……謁見の際に母の姿が見えないとわかっていながら、何の対策もできずにいた」

「謝らないで下さい、トウキ様は何も悪くないではないですか。都にはなかなかお越しになれないのですし、アルマト様の奇行は不可抗力ですもの」

 キクロの妻リネアとも、古くからの顔見知りだ。皇家付きの術医師の家の出で自身もまた医療系の術を得意とする術士であり、トウキよりも少し年下だが、幼い頃からキクロの許嫁(いいなずけ)として育ってきたためかとてもしっかりしている。

「このひとは休みの日でもこうだから困るんです。お仕事でもないのにいつも誰かの面倒事を」

「それだけ頼られることの多い方」

 トウキの言葉にリネアは微笑む。口では不満を漏らしていながら、本当はキクロのことが大好きで誇らしく思っているのだ。

「……リネアどの、その、本来の用事が終わっていないから、後程また……」

「ええ、お待ちしておりますとも、大事なお話があるのでしょう? いらっしゃると聞いて、ウティラと一緒に選んだとっておきのお茶をご用意していたんです。どうか無駄にさせないで下さいませ。……あ、時間的にお食事の方がよろしいかもしれませんね、宮廷の方へは(つか)いを出しておきましょう。アルマト様の名を聞けば文句を言う人もいないはずです」

 今からマイラを迎えに行き再度訪問するのでは迷惑かと思ったが、頼りになる兄貴分の奥方もまた頼もしい。

「ありがとう」

「さ、早く奥様のところへ行って差し上げて下さい」

「失礼する」

「行ってらっしゃいませ」

 駆け出していくトウキの後ろ姿を見ながら、まだ少しだけ心配そうに、それでいて()ねてもいるような顔をして、シウルが呟いた。

「何だろう、この、何か変な感じ」

「はは」

 抱っこしていた娘を下ろしながらキクロは笑った。

「僕らの可愛い弟も、いつまでも子どもなわけじゃない。ちょっと遅くなってしまったけれど、巣立ちのときということさ」



     ◎     ◎     ◎



「む、無理です!」

 マイラがきっぱりと断ると、回転が止まった。アルマトはきょとんとする。

「無理?」

「わ、私はっ……舞いなどやったことはありませんっ!」

 聞いた龍が、また伏せて、ふぅん、と息をつく。

「アルマト。あまり無茶を言うものではない」

 しかし父の言葉を娘は聞いていない。

「お前、剣が使えるのだろう? カルネは剣舞が見事であったぞ」

「それは、祖父から聞いたので、その、存じておりますが……私は最低限、己の身を守れるようにと、全くの我流で」

「それならば問題あるまい」

「えっ」

 マイラから離れ、放り投げてそのままにしてあった杖を拾い上げると、またあどけなさのある少女の姿になった。

「舞えるようにしてやろう」

「え、いや、その、お義母さま、ですから、」

 息子の妻の戸惑いなど完全に無視して、アルマトは杖を使い踊るように地面に何かを描きながら、古き言葉を口ずさむ。


 龍と同じ赫き髪、ひらひらと極光(きょくこう)のように波打つ衣の裾、動くたびに楽器のように鳴る腕輪、足輪。


 その姿こそが、神に捧げる歌舞に見える。


 思わず見とれていたマイラだったが、


「来い、ワラウス」


 立ち止まり杖を振り上げたアルマトの呼び掛けを聞いて、現実に引き戻された。


 ――今、何て言った?


 黒牙獣(ワラウス)

 馬よりは小さい体、黒色の被毛はつやつやと美しいが、大きな牙を持つ獰猛(どうもう)な獣。


 まさか。


 嫌な予感は残念ながら的中、アルマトが描いていた術陣の中に、夜の闇を一所(ひとところ)にまとめたような何かが現れ、徐々に形を成していく。それが発する雷鳴のような威嚇の声に、マイラの体が強張(こわば)った。


 危険――動いたら、いけない。

 声も出せない。

 あれは、自分を引き裂くものだ。


 そのまま固まっていると、足元に何かが投げ落とされたような音がした。目線だけで確認すると、父アデンから贈られ愛用している二振りのやや短い剣。いつの間に。

 アルマトは、にこりと笑った。

「整えてやったぞ。見せてみろ、お前の舞いを」


 目の前の獣と戦え、と。


 いくら得物があるのだとしても、一人で黒牙獣を相手にするのは初めてである。コソ泥を捕獲したり茶角鹿を狩るのとはわけが違う。何しろ術士でさえ手懐け使役するのは難しいとまで言われている獣だ。

 流石に何かおかしいと察したか、龍が頭を上げた。

「アルマト」

「口を出すな親父どの。これは避けては通れぬ道」

 すぅ、と上昇したアルマトは、父親の頭の上に移動し、座る。

「嫁と(しゅうとめ)とは、まず戦うものなのだ」

 この状況下にそぐわぬのんきな物言いに、マイラは(はら)の底がきん、と冷え切る思いがした。トウキとシウルが言っていたことの、本当の恐ろしさを知る――ヒトの在り方をそれなりに理解しているのだろうが、ヒトの思考、言動ではない。しかし「そういうことではない」、とヒトの世のことをちゃんと説明したくとも、目の前の獣から一瞬でも目を逸らせば確実に襲い掛かられる。


 自分がここにいることは、誰も知らない。助けなど来ない。

 相手は獣、身体的能力は自分より遙かに上。疲れさせて仕留めるなど到底不可能だろう。


 どうすればいい?


(旦那様……)


 つい先程まですぐ隣にいた。これが末期(まつご)に走馬灯のように浮かぶ「これまでの思い出」というやつか。


 否。

 もっと話したい。笑い合いたい。ずっとずっと先まで。



 あれが最後だなんて思いたくない。



 黒牙獣から視線を逸らさずに、じりじりと踏みしめた足を動かす。爪先が片方の剣の(つば)に触れた。

 いける。


 マイラは剣を蹴り上げると掴み、素早く(さや)から抜いた。同時に黒牙獣が飛び掛かってきたが左方へ転がって(かわ)し、体勢を立て直して構える。


「……絶、対、に、」


 生きて帰る。


 覚悟は決まった。



     ◎     ◎     ◎



 宮廷の(うまや)の近くに急遽(きゅうきょ)建てた簡素な小屋。その中で雪獅子(ルイツ)スニヤは腹を見せて寝ていたが、主人の足音が聞こえてきたとわかるとすぐさま起き上がった。しかしその顔には険しさが(にじ)み、いつも被毛を丁寧に(くしけず)ってくれる妻を連れていないのに気付くと、小さく鳴きながら主人の手に鼻先を擦りつける。

「スニヤ」

 名を呼ぶと、スニヤは頭を押し付けた。不安な気持ちを()んでくれるような素振りを見せるのは、拾った頃からずっとだ。神の愛する獣といわれるのもあながち間違いではないとトウキは思う。この子のこういうところに少しずつ(いや)されてきた。

「……うん、そうだな。ありがとう」

 返事をするように、ぐ、と伸びをしてから、伏せて装具の取り付けを待つ。特製の(くら)(あぶみ)手綱(たづな)を着けて頭を撫でると、立ち上がったスニヤはまたトウキの手に鼻先を当て、乗るのを(うなが)すように腰を下げた。(またが)ったトウキの手が、スニヤの(たてがみ)を撫でる。

「マイラを迎えに行くぞ、スニヤ。裏から出よう」

 とん、と首の後ろを軽く叩くと、雪獅子は駆け出した。





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