『理論的白昼夢の、事実カタストロフィ』・・・『詩の群れ』から
『理論的白昼夢の、事実カタストロフィ』・・・『詩の群れ』から
㈠
自己が自己足らんとする、自己の遊泳は、理論的であろうか、だろうだ。
だろうだ、言葉の変換ミスからなる、新語体にも、その理論は当てはまりそうだな。
だろう、しかし、それが白昼夢であれば、どうだろう、え?
そんなことは、考えもしなかったな、何れ、白昼夢も、しかし、小説化だろう。
㈡
だろ、その理論的白昼夢には、様々な諸因が現存していてだな、だろうだ。
かもな、当たり前を当たり前と思う程、簡単なことはあるまい、だろうだ。
そうなんだよ、言葉の爆発によって、事実、カタストロフィが、手の内に入るんだ。
そうか、まさに、それを、小説化する、ということなんだな、だろうだ。
㈢
つまり、理論的白昼夢の、事実カタストロフィってことで、意識改革なんだろうな。
だろうだろうだ、次元を超えて、超越世界へと、我々は滅裂させられるだろう、だろうだ。