赤い杭 絶望のリング
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
レイハルトの反応はこれまでの妖とは違っていた。乳白色に輝く事はなく、赤黒く輝く禍々しい光に包まれている。全身の肉は奇妙に蠢き、盛り上がりながら時に破裂し、血をまき散らしながらも巨大化していく。
「これは……!」
「万葉様、ヴィオルガ様! お下がりを!」
「なんという……魔力……!?」
これまでの妖は最低限、頭と胴、それに手と足があった。だが今、偕達の前で肥大し続けるその肉には、すでにその様な人としての残滓は存在していなかった。
肉塊はレイハルトの使っていた聖剣も飲み込み、さらに巨大化を進めていく。やがて膨れ上がるばかりだった肉塊も、形を整え始めた。
巨大な胴体、鋭いかぎ爪、その巨躯に相応しい大きな尻尾。獣性を感じさせる牙に胴体の倍はあろうかという翼。
その姿は、帝国のおとぎ話に出てくる魔獣であり、実際に西大陸に存在する大型幻獣のものであった。過去にその大型幻獣と戦った事のあるヴィオルガは、感情の伴わない声でその名を呟く。
「ドラ、ゴン……」
ヴィオルガの呟きに偕は反応を示す。
「知っているのですか!?」
「え、ええ……。タイプ・ドラゴン。西大陸にいる幻獣よ。大小様々なものがいるけれど、大型のドラゴンの強さは幻獣の中でも最強クラス。まさか人間がドラゴンになるなんて……!」
そもそも人が幻獣になるなど聞いた事がない。混乱しているのはドラゴンの強さを知るヴィオルガだけではなく、偕達も同様であった。
(まずいわね……! 私もマヨも、もう魔力はほとんど残っていない! そもそも大型のドラゴンなんて軍隊でないと討伐も不可能! クガタチ一人では……!)
大型幻獣は、いかに強力な能力を持っていても個人が対応するには限界がある。そのため質と量でバランスをとった部隊を編制し、場所に合わせてしっかりとした戦術を組み立てた上で、計画に則って討伐する必要があった。
先人たちの犠牲の元に発展してきた戦術であり、これが最も犠牲が少ない方法でもある。
これは皇国も同様であり、過去には大型幻獣と丸三日以上戦い続けた記録もある。ヴィオルガは、その様な幻獣を前にしては流石の近衛といえど、個の力では限界があると判断する。
「一旦退くわよ! まとまった戦力がないと相手にできないわ!」
「はい!」
このままでは勝ち目はない。今は退却しなければ。そう考えての事であったが、なんとドラゴンとなったレイハルトは言葉を話した。
「どこへ行くというのだ……?」
「え……!?」
ドラゴンの口は動いておらず、どこから発声しているのか分からない。だがその声は確かにレイハルトのものであった。
「逃がさぬ……。ふんっ!」
ドラゴンは軽く跳躍すると、轟音を響かせながら着地する。するとドラゴンを中心に、ヴィオルガ達を閉じ込める様に大きな円を描いて地面が隆起した。
「そんな……!」
「うそ、魔術!? それもこんな規模のものを、呪文も無しで!?」
ヴィオルガ達は目の前に突如発生した大地の壁によって退路を防がれた。壁はドラゴンを中心に、全周囲に盛り上がっている。
新たに生まれた大地のリングの中には、一匹の幻獣に四人の人間。その姿はまるで、逃げ場のない闘技場に落とされた剣闘士の様であった。
「ふふ……! ふはははははは! いいぞ、なんだこの力は! 魔術というのはここまで自由に振るえるものなのか! はははは! これは魔術師どもが調子にのるのも頷けるというものだ!」
レイハルトは初めて振るう魔術の万能感に酔いしれていた。その様子を見てヴィオルガはレイハルトの評価を改める。
「魔術を使う幻獣は稀に存在するけれど……! 大型幻獣、それもタイプ・ドラゴンで魔術を使う幻獣はこれまで聞いた事がない……! ドラゴンになったレイハルトは人類全体の脅威よ……!」
その声には余裕がなかった。普段から自分への自信に満ち溢れているヴィオルガからは、想像ができない声色だった。
「はは、はははははは! これだけの力が振るえるのだ、人間を辞めてもお釣りがくるというもの! まずはヴィオルガ! 貴様だ! 四人もろとも潰れろ!」
レイハルトの叫びと共に周囲の岩石が浮かび、それぞれ槍の形を作っていく。その数は百を超えており、一つ一つが人一人分の大きさがあった。
岩槍はヴィオルガ達に狙いを定めると、回転し始める。障害物はなく、背後はレイハルトの作った壁。逃げ場はなかった。
「死ねぇ!」
「私が築くのは断絶の要害。不動城塞壁!」
次々と迫る大量の岩槍。だがこれを食い止めたのは万葉の結界だった。先ほどの結界とは違い、霊力が残り少ないため前方向のみの展開となる。
「マヨ!?」
「万葉様!?」
額に汗をかきながらも岩槍の侵入を食い止め続ける。だが無理をしているのは誰が見ても明白だった。
「マヨ、無理しないで! い、いったい、どうしたら……!」
「……ヴィオルガ姉様。助けを呼びます」
「え……?」
万葉はこれまで理玖を呼ぶつもりはなかった。理由はヴィオルガとマルクトアだ。
理玖は自分の力を表沙汰にするのを避けている。帝国人であるヴィオルガたちの前で、理玖に力を披露させるのは抵抗があった。
だがもはやそれも言っていられない。ここで呼ばなければ自分はおろか、他に三人の命が失われてしまう。さらに皇国全体に被害が拡大する可能性もある。
「た、助けって!? どうやって!? 第一、助けなんか来たところでどうしようもないわよ!?」
「……そうか、まだその手が残っていた!」
「え?」
偕は万葉が理玖を呼び出す事ができるのを知っている。万葉の言う助けが誰の事なのか、合点がいくまで早かった。同時にヴィオルガたちを見て、万葉が今まで理玖を呼ばなかった理由にも思い至る。
万葉は結界を維持しながら、自分の左腕に意識を集中させる。だがそんな万葉達に頭上から声をかける者がいた。
「もしかしてぇ。また変な事をしようとしてる? ん、なに? その左腕に何か切り札があるの?」
「!?」
偕が視線を上に向けると、高く隆起した土壁の上に少女が立っていた。先ほどまで対峙していた、風を操る少女だ。精製した岩槍を全て撃ち尽くしたレイハルトも、少女の存在に気付く。
「生きていたのか」
「なんとかね。でもちょっとイラッとしたかな。危ないところだったし」
実際、万葉の雷術から逃がれるのは苦労したのか、服は焦げておりあちこちに負傷の痕も見られた。
「姫様にまた妙な事をされても困るし。こういうのでどうかな?」
パチンッと指を鳴らす。頭上から降ってきた不可視の真空の刃は、万葉の細い左腕をいとも容易く切断した。
偕は宙に飛ぶ万葉の腕を見て、絶望に両目を見開く。そこには理玖を呼べなくなったこと、近衛として皇族を守れなかった後悔など、様々な感情が込められていた。
「ま……!」
「あっはははははは! あなたのその血肉も有効に使ってあげるから、感謝してねぇ!」
■
「うおおおおお!」
「はああああ!」
「ふん!」
清香、誠臣、そして妖の姿から人に戻った聖騎士。三人は激しい攻防戦を繰り広げていた。二人とも多数の傷を負っており、周囲にはいくつか血も飛んでいた。
他に残った聖騎士は戦いに巻き込まれ、既に骸となった者も多い。その骸の中にはフィオーナのものもあった。
「死ねえ!」
「極・強硬身! 鋼壁!」
極限まで防御力を高めた誠臣の腕が、聖騎士の一撃を食い止める。誠臣自身、極・強硬身はまだ身体の一部、それも一瞬しか発動できない。
だが相手の剣は早いだけで単純だと気づく。目で追えずとも斬撃のくる場所を予測し、相手の攻撃と折を合わせる事ができていた。
「なに!?」
「清香!」
「せいっ!」
神徹刀を抜いた清香の太刀が、聖騎士の胴体を捉える。よろけたところにすかさず誠臣は神徹刀の御力を開放させた。刀身に雷を纏った誠臣の太刀が聖騎士を切り裂いていく。
「がふっ……! ば、ばかな……! 何故、最速となった俺の剣が……」
「へっ。早いだけの相手に負けてちゃ近衛は務まんねぇよ」
「確かにあなたは私たちより速い。でもそれだけ。剣技に秀でている訳でもなく、その一撃は私たちでも十分に受け止め切れる威力。初めにあなたの太刀を受けた時に気付いたわ」
「そ、それで……! 勝てるというのか……!」
「こっちはもっとすげぇ奴を知っているんだ。そいつを超える強さを俺達に見せられなかった時点で、初めから脅威とも何とも思ってねぇよ」
「近、衛……! 恐るべし……!」
聖騎士はその場に崩れおちる。だが実際、この聖騎士はこれまで誠臣たちが万全の状態で挑んだ者達の中で、最も強い男であった。
「はぁ、はぁ……。くそ、絶影で移動できるだけの霊力が残ってねぇ……」
「私もよ……。二人掛かりでなければやられていたのはこっちだった……!」
周囲を警戒しつつ、二人は万葉達が飛ばされた方向に向けて歩みを進める。いくらか手傷を負い霊力も消耗しているものの、先ほどすさまじい轟雷の音が鳴り響いたため、何かあったのだと気になっていた。
「……フィアーナさんの事。ちゃんと伝えなきゃな」
「そうね。でもまずは私たちが万葉様たちのところへたどり着かないと……!」
「偕もいるしヴィオルガ様もいる。万葉様もあの霊力だ、大事無いと思いたいが……」
それにいざとなれば、万葉は理玖を呼び出すこともできる。だというのに、二人は胸中に嫌な予感を感じていた。
ご覧いただきまして誠にありがとうございます!
明日もお昼前くらいに投稿できると思います。
引き続き皇国の無能力者をよろしくお願いいたします!