母と子
皇都に戻って数日。善之助や指月からの仕事もなく、俺は数年ぶりとなる平穏な日常の中にいた。
……いや、あれから用もないのに涼香が顔を見せに来る様になった。家の周りを武人にうろつかれると迷惑だから来るなと言っているが、まるで聞いていない。
ある意味葉桐家の者らしい。あいつ自身、暇な身分でもないので連日来る事はないが。
あいつなりにあの時の言葉……俺の力に意味を与えるという課題に、真正面から向き合っているのだろう。
(かつて霊力に目覚めなかった事で、俺は武家の中で孤立した。そんな俺に葉桐の者が積極的に関わってくる。……なんだか妙な気持ちだな)
もちろん悪い意味ではないが、決して良い意味でもない。俺自身よく分からない気持ちだった。
俺にとって皇都は、あくまで帝国に行くまでの仮宿だ。目的はあくまで帝国のパスカエル、そして第二に皇国にいるであろう、過去俺に刺客を放った者。
それらの情報を皇族である指月が協力的に集めてくれている以上、今はここから離れる理由はない。
(要するに涼香の相手をし続けなくちゃならんという事だ。……まぁそれ自体はいい)
だが。あまりにも情報が入ってこない場合、期限を区切って帝国を目指す。こそこそ裏口から入国する事になるが、こればかりは致し方ない。
とはいえ、それは今じゃない。これから皇国は帝国貴族を招くんだ、もしかしたらパスカエル関連の情報を指月や万葉が入手するかもしれない。判断はそれからでも遅くはないだろう。
そこまで考えたところで、俺は今日の時間の使い方をどうしようかと思案し始めた。こんな風にどう過ごすか考えられるのも、恵まれた事なのだと今なら分かる。
「といっても選択肢は少ないんだけどな……。釣り行くか」
金はあるし、飯は適当に外で済ませばいいだろう。そう思い家の扉を開けたら、そこに一人の女性が立っていた。
涼香ではない。というか、一目見て誰かすぐ分かってしまった。生まれてこの方、父より顔を合わせた回数は少ないんだけどな……。
「おや……母上。……いや、今の俺は陸立の者ではなかったな。由梨さん、由梨ちゃん、ゆーりん、何と呼べば?」
「はぁ……。普通に母で構いません。昔のあなたはそんな砕けた性格ではなかったのに……」
「何年前の話だ、それは。そんな事より何故ここに? 母上は万葉の側仕えでしょう?」
俺の住んでいる場所自体はいろんな奴が知っているからな。場所が分かったのはまだ理解できるが、ここに来たという事は俺に用があるという事だ。そして俺には母が何故訪ねてきたのか、思い当たる節は無い。
「万葉様は今日も九曜家で術の修練に励んでいます。白璃宮にお戻りになられるまでは近衛も付いているので、たまにであればこうして時間も作れるのです」
「なるほど。で、その貴重な時間を作って俺に会いにきたと?」
「そうです。……中に入っても?」
確かにこのまま立ち話をするのは良くないな。こんな如何にも貴族ですという様な人がいつまでも玄関先に立っていたら、周辺住民から何と思われるか。……もう既に結構な数の武人が訪ねてきているが。
「……そう、だな。いっておくが茶くらいしか出せんぞ」
「ふふ。息子の淹れる茶なんて初めてです。どんな味がするのか楽しみ」
「間違いなく家で出てくる茶より安物だからな」
とりあえず釣りに行く予定は後日だな。
■
「まぁ……。美味しいお茶ね。どこの葉を使っているのかしら?」
「さぁ。何せ通りの店で適当に買ったものなんでね」
適当に良いやつを見繕ってくれ、と言って買ったやつだから、もしかすると本当に良い葉を使っている可能性もあるが。
「ふふ。武家に生まれた子がこうして親に茶を淹れるなんて。他家ではまずない事でしょうね」
「どうなんだろうな。ま、母上に喜んでいただいている様でなにより。……そういえば、親父殿の調子は?」
「動ける様にはなりましたが、まだ万全ではないようです。随分と痛めつけたようですね?」
「ははは。まだ体調が戻っていないとは、もう歳だな」
若干の気まずさから笑ってごまかす。そういや親父には、俺の力について口止めしていなかったな。霊力を持たない息子にどうやられたかなんて語りたくはないだろうし、吹聴される事もないかと思うが。
「錬陽は今でも葉桐一派で上位に位置付けされている武人。それをああも簡単に降すとは。万葉様をお救いした事といい、この数年で大きな力を身に付けたのですね」
「身に付けざるをえなかったんだよ。この辺りについてはあんまり語りたくないが。どうしても気になるなら雫に聞いてくれ」
あいつは俺の過去を覗いているからな。俺の言葉に母上は、無くなった左目を痛々し気に見つめていた。
家を出てからどういう経緯を歩んできたのか、何故左目を失ったのか、その辺りの事を聞きたいんだろう。少なくとも今も俺の事を息子だと思い、心配している様子だ。
(……意外だな。あまりこういう事には感心の無い人だと思っていたが)
そもそも母上とは家に居た頃からあまり顔を合わせた事がない。月の半分以上は白璃宮に務め、それ以外にも巫女として多くの神事に携わっているからだ。
だからといって子供を嫌っている様子はなく、稽古の出来事などを楽しそうに聞いてはよく褒めてくれていた。
だが言ってしまえばそれだけだ。俺も、おそらくは偕も。母上より親父の方が、顔を見た回数も言葉を交わした回数も多い。
(結局、よく分かっていないのは俺の方って事か)
勝手に母上に対する一方的な印象を持っていただけで、実のところよく分かっていなかったのだ。それは向こうも同じだろう。
「涼香さんからも聞きました。あなたの全身にはおびただしい傷痕が刻まれていたと。その左目も気になりますが、語りたくないのならあえては聞きません」
涼香め。余計な事を。別につらい経験を思いだすから語りたくないという訳ではない。ただ自分の苦労話自慢大会になりそうなのが嫌なのだ。
だが母上の様子を見るに、完全に前者だと思われているな。やっぱり左目も気になるみたいだし。
「……はぁ。じゃ左目だけ」
母上がハッと顔を上げる。身体に残る傷と左目は別だからな。今の俺を形作る原動力でもある。土産話にこれくらいはいいだろう。
「皇国から出た後、俺は群島地帯にいたんだ。あそこはいくつかの一家と呼ばれる、無頼漢たちが島を治めていてな。その中の一つ、シュド一家という家に拾われたんだ」
「シュド一家……。今、群島地帯を実質的に支配している王ですね」
「ふ……くく……。王、か。まぁそうだな」
シュドさんが王、か。改めて聞くと違和感しかない。しかし大陸ではないとはいえ、六王以降に現れた最初の王になるのか。そう思うとなんだかすごい人に思えてくる。
「シュド一家では良い待遇を与えられていてな。それなりに充実した日々を送っていたんだ。それこそ皇都に居た頃よりも。……ところで母上、万葉を襲った妖。あれが元は人間だという事は知っているよな?」
「ええ。かつて皇国を荒らした破術師の一人だと聞いております」
話しながら段々と左目に熱が籠ってくるのを感じる。ああ、そうだ。俺の復讐は終わっていない。今すぐにでも帝国に行ってあの野郎を切り刻みたい。
「シュドさんには俺と同じ年くらいの娘がいてな。直前まで話していたその娘が妖になったんだ」
「…………それは……」
「この左目はその時に失ったものだ。もちろん娘にそんな力なんてない。無理やり妖化させられたんだ。その場にいたのは帝国の魔術師、パスカエル。俺は奴に復讐を誓い、そこからまぁいろいろあって今に至るという訳さ」
なるべく感情は出さずに、淡々と語る。自分ではそのつもりであったが、やはりどこか表情に出ていたのだろう。母上が僅かに身じろぐ。
「今もこの目が俺に語り掛けてくるのさ。殺せ、奴を許すなってね。この熱が、疼きが、痛みがあったおかげで俺は俺のまま今日まで生きてこられた。あの時、左目を失った事。今では感謝すらしている」
「……その話。他の者には?」
「さぁ。少なくともここまで詳細には話した事はないが。雫辺りなら視たかもしれないけどな」
そう話すと、母上はその目に涙を浮かべていた。その目にどういう感情が宿っているのか、俺には理解できなかったが、きっと様々な感情が混ざりあっているのだろう。
母上の涙が頬を伝うのを見て、俺の感情も何かにかき乱される。
「な……なんだよ。何で母上が泣く?」
「……ごめんなさい。あなたがつらい時に母として何もしてやれなくて。あの時、私はあなたの気持ちを理解してあげられなかった……皇都を出るのを止められなかった……」
「それは誰でもそうだろう。それにさっきも言ったろ。出て行った先で俺はここに居た頃より恵まれた生活を得たんだ。母上が悲しむ事じゃない」
「その事も含めて。親として満足な生活を与えてやれなくて、ごめんなさい……」
「い、いや、いいって。頼むから泣くのはやめてくれ……」
ああ。きっとこの人は俺がいなくなってからいろいろ考えていたに違いない。あまり言葉は交わさなくても、親としての情が確かにあったのだ。
幼い頃の俺はそれに気付く事がなかった。ひょっとしたら親父もああ見えて、親としての情を持っていたのかもしれない。
だが俺にはそれに気づける余裕はなかったし、そうした親の想いを享受できる状況でもなかった。誰のせいでもない、あえて言うならば武家に生まれながら霊力が発現しなかった俺のせいか。
「結果として俺は力を得たし、母上の主である万葉を救えた。良いこと尽くめじゃないか、母上が泣く理由が俺には分からんね」
きっと母上は、俺が今日に至るまでの日々を思って。そして自分が何もできなかったと感じ、泣いているのだろう。だが当の本人が何ともないと言っているんだ、いい加減泣くのはやめてほしい。
「俺は自分のこれまでの生き方に何も後悔はしていないし、恨んでいるのはパスカエルだけだ。何も母上が気に病む事じゃあない。ほら、もう一杯、茶を淹れてやるから泣くのはここまでにしてくれ」
「……ふ、ふふ。無双の強者となった理玖も、母の涙には弱いようですね」
「それ、自分で言うのかよ……」
やっぱり母上の事はまだよく分からんな。それから母上は茶を飲むと落ち着いたのか、今度は偕の事を話してくれた。
あいつなりにどういった遍歴を歩んで、どういう活躍を得て近衛になったのか。聞いていて楽しい気分にはなったが、もはや羨ましいと感じる事はなかった。
「思ったより長居してしまいましたね……。そろそろ万葉様がお戻りになる頃。今日はここでお暇しましょう」
「今日はって……。また来るつもりかよ」
「あなたが陸立家に来ない以上、こちらから来るしかないでしょう?」
「来ても何もないぞ」
「ふふ。ええ、構いません。また元気な顔を見せてください」
生まれてこの方、ここまで母上としっかり話し込んだのは初めてだ。今日一日で母上に対する印象が随分変わったな。少なくとも悪い意味ではない。むしろまだほんの一面しか理解できていないのだろう。
結局この日は釣りには行かず、そのまま家で過ごした。
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