亀泉領武叡頭との出会い
翌日。俺達は宿を後にし、領都を出ようと道を歩く。そこに不意に話しかける者がいた。
「おお、これは涼香様。今から村に行かれるのですかな?」
振り向くとそこには五人の武人がいた。涼香は少し驚きながらも応対する。
「これは武蔵殿。見回りですか?」
「ええ。ここには皇都ほど武人はおりませんからな。私もこうして狩り出されているのですよ」
涼香と話す男はそこそこ年配の武人だった。歳は親父や善之助と同じくらいだろうか。雫が俺にそっと耳打ちする。
「亀泉領の武叡頭、凪津根武蔵様です」
「ああ……。それでか」
この男が腰に挿しているのは神徹刀だ。武叡頭であれば神徹刀を持っているのも納得できる。武蔵は俺に気付くと涼香に訝しげに訪ねた。
「ところでそこの男は誰ですかな? 見たところ武人ではなさそうですが……」
「あ……」
打ち合わせしていた通りに名乗ろうとしたところ、涼香が目で制してきた。ま、相手は武叡頭だ。ここは葉桐家の者に任せるとしよう。
「その者は我が葉桐家において、特別父の信任厚い下男です。皇都も決して人員に余裕がある訳ではございませんので、父の指示に従い連れて来たのです」
「ほう……。善之助殿が下男にそれほど信頼を寄せるとは……」
俺が楓衆と名乗っても、見る者が見れば霊力を持っていない事は一目瞭然。同じ理由で武人を名乗る訳にもいかなかった。
結局長時間の言い合いの果てに落ち着いた仮の身分が葉桐家の下男。ただし、ただの下男ではなく、葉桐家当主が特別に信頼を寄せている下男だ。
涼香に直接仕えるという役どころでもないので、涼香の言いなりにもならない。かなり業腹ではあったが、この演技は止めると決めたら俺の都合でいつでも止めていいという落としどころを作って納得した。
「いやいや。葉桐家当主ともなると凡人では思いもよらない、自由な発想をお持ちだ。私なら下男と直接口を聞くのもおろか、間違っても娘の旅の世話をさせようとも思いませんが……。見てくれこそそれなりの実力は持っていそうに見えても、実際には全く霊力を持っておらず、破術士としての力もない。しかも片目は失っている。そのような者、連れ歩いては葉桐家の者としても恥でしょう。涼香様、今からでも我が配下を同行させましょう。そこの足手まといよりは役立ちますよ」
随分な言い様だな。武蔵の物言いに雫はどこかあわあわしている。……なんだ、もしかして俺がキレて暴れるとでも思っているのか?
俺を何だと思っているんだ。前に立つ涼香の表情は見えないが、あいつにも同じように思われているのだろうか。
「武蔵殿。昨日も言いましたが同行は結構です。それにそこの男は武蔵殿が思われている様な者とは違います。もし本当にその男の実力が見抜けないのであれば、そこが武蔵殿の武人としての限界でしょう」
「ほう……?」
武蔵とその配下の気配が剣呑なものに変わる。だいたいは俺に向けられているが、武蔵は涼香に向けている様にも見えた。というか今のはかなり攻めた挑発だ。涼香の奴、なかなかやるじゃねぇか。
「まぁいいでしょう。涼香様もそこまで言うのです、ただの下男ではない事はまぁ認めましょう。ですが人手が必要ならいつでも申し出てください」
「ええ。必要になれば相談させていただきます」
それっきり武蔵達は去って行く。俺達も領都を出て東へと足を向けた。
「もう! なんなの、あいつ! あんたも何で言い返さなかったのよ!?」
「私もてっきり理玖兄さんの事だから、街中で刃傷沙汰になるかと覚悟していたんだけど……」
「おいおい、まさか本気で言ってないよな?」
こいつらの中で俺はどんな凶悪な奴になっているんだ……。
「いきなり斬りかかるのは武人の嗜みだろ。俺をお前らみたいな野蛮な人種と一緒にするな」
「ぐっ……」
言い返したくても言い返した瞬間、何を言われるのか分かっているため、涼香は悔しそうに表情を歪める。おお、いいぞ。その表情、ちょっと左目の疼きが治まる。
「それにしても涼香、お前武叡頭相手に随分攻めたな。なんだ、そんなに俺が無下に扱われた事が悔しかったのか?」
「あたりまえでしょ! ……ちょ、そういう意味じゃないわよ!? あんたなんてどう思われようが、私はどうでもいいんだからね!?」
「一瞬で言ってる事が矛盾してんぞ……」
「だから違うって! ……あんたが強い事は確かよ。お姉様が敵わなかった妖に打ち勝ち、万葉様の窮地をお救いしたんだもの。事情を知らないからってあんたを無下にするって事は、お姉様も無下にするって事でしょ!? 例え武叡頭でもそんなの許せないわよ!」
「相変わらずのお姉様第一主義だな……」
その理論でいくと、お前の俺に対する態度もどうなんだと思わなくもないが。
「そういえば清香さんってご結婚されるんですよね?」
「え!? 雫、本当か!?」
初めて聞いたな、そんな話。東大陸に来て一番驚いたかもしれん。まぁ武家とはいえ年ごろだ、確かに結婚してもおかしくない年齢だが……と思っていると、涼香からこれまで感じた事のない邪悪な気配が漂う。
「いいえ……いいえいいえいいえいいえ。認めない認めない認めない認めない……。お姉様が辺境の武叡頭とだなんて……そんな事、あってはいけない事よ……」
「お、おい。涼香?」
「だいたい何よ、何で十も離れて未だに独身のうだつが上がらない奴とお姉様が結婚なんてしなきゃいけないの? これは悪夢よ、皇国の損失よ。絶対に許せない許せない許せない許せない……」
「……おい、雫。これどうなってんだ」
「う~ん……。やっぱり涼香ちゃん、お姉さんの結婚には反対なんだねぇ……」
「相手は誰だ? 俺も知っている奴か?」
「ううん、多分知らないと思う。毛呂山領で武叡頭のお役目を頂いている、南方狼十郎さんという方なんだけれど」
「毛呂山領……? 最南の領地じゃないか」
「うん。実は私たち、前にそこで一年以上過ごしていたの。その時にお世話になった人なんだけど、実際かなりの腕前なのよ。結局お兄ちゃんも誠臣さんも清香さんも、最後まで狼十郎さんとの稽古で勝ち星を上回る事ができなかったって話だし」
「へぇ! そりゃかなりの腕前じゃないか!」
さすがに幻獣の領域との最前線に配置される武叡頭なだけはあるな。亀泉領も最前線である事には違いないが、やはり南の領域とはその厚みが違う。
「うん。一度破術士が領都を襲撃してきた事もあったんだけど、指揮能力も高くてね。冷静な判断で的確な指示を出していたの」
剣の腕だけでなく将としての才もある、か。いるところにはいるもんなんだな、そんな武人も。少なくともそいつなら、罪人の俺を見かけてもいきなり斬りかかってくる事はなさそうだ。
「いいえ! 今のお姉様は近衛、神徹刀も持っているわ! 御力を開放したお姉様は絶対に負けない! お姉様は騙されているのよ! だって武人なのに、いつも昼まで寝て服もだらしない様な人なんでしょ!?」
「……そうなのか?」
「う、うん。確かに普段はおよそ武人らしくないかな……。話しやすい人ではあるんだけど……」
「そんなだらしのない適当な駄目男、お姉様が好きになるはずなんてないんだもん! 絶対に騙されているのよ!」
「……ああ、分かった。清香の事だ、できる能力はもっているのに私生活がだらしないから、正したくなったんだろ? もったいない、この男は私が導いてあげなきゃって」
「すごい! 理玖兄さん、よく分かったね!」
「あいつ確かにそういう奴見たら放っておけなさそうだもんな……」
葉桐家の武人としての責任感もあるんだろうけどな。にしてもそれで結婚とはさすがに行き過ぎだと思わなくもないが。
「お姉様が私の認めた男以外と番いになるなんて、絶対認めないわあぁぁぁ!」
……いや。こいつ見てると葉桐家の女は思い込みが激しく、決めた事には一直線。即断即決を旨にしているんだろうなぁ、という気がしてきた。
ご覧いただきまして誠にありがとうございます!
清香と涼香。2人合わせて清涼! という事に最近気づきました…。
明日ですが、また正午前に投稿できるかと思います!
引き続きよろしくお願いいたします!