皇国最南の地 三天武と寝坊助狼
「ここが毛呂山領の領都……」
「辺境の割に随分栄えてんじゃないの!」
毛呂山領に入って半日。偕達は毛呂山領の領都に到着していた。皇都から最も離れた都と聞き、どの様な場所かと思っていたが、実態はこれまで見てきた領都よりも人が多く、活気溢れる都であった。きょろきょろと周囲を見渡す偕達を横目に、嘉陽は口を開く。
「元々幻獣の領域と隣り合う最前線です。それなりに皇国兵は配備されています。それに近年、兵士の数は増やされ、新たな砦の建築に多くの大工もやって来たと聞きます。葉桐一派、九曜一派が管理する屋敷もありますし、そこには有事に備えて武人や術士も務めています。また知っての通り幻獣の爪や牙は呪具に使えますし、血は儀式にも使われます。ここは幻獣との戦いが盛んな地。それらを取り扱う商人の出入りも多いので、街にはこれだけの活気があるのでしょう」
「あー、確かに符に書き込む霊字って、幻獣の血もよく使ってるもんね! 霊具の作成にも幻獣の素材って欠かせないし。そっかー、ここから運ばれていたんだ!」
清香は街の人を観察する。通りすがる人は全体的に若い者が多い印象を受けた。
「若い人が多いのは、やっぱり肉体労働が多いからなのかしら?」
「幻獣討伐や砦の建築、そして補修。商人も長旅になりますし、確かにどれも体力が必要そうですよね」
そして若くて肉体労働が多いとなると、それだけ食料の消費も激しい。消費が激しいと需要が高まる。需要あるところには商人が集まる。商人が動くと皇国の経済は回る。
そうした事情もあり、最南に位置する辺境の都は、皇国内でも有数の都であった。最もそれだけ人が多く盛んな都という事は、面倒ごとも多い場所でもある。
「きゃーー!」
「喧嘩だ!」
通りの向こうから幾人かの叫びが響く。偕達は互いに頷き合った。
「行ってみよう!」
「あ、ちょっと!」
「馬を頼みます!」
「あ、私も!」
嘉陽は気づけば四人の馬を押し付けられ、一人通りに立っていた。
「もう……! 勝手に動いて……!」
■
偕達が騒ぎの元に辿り着くと、そこでは大柄な二人の男性が殴り合いの喧嘩をしていた。野次馬たちは距離を空け、当人たちを煽っている。
「いいぞ、やれやれ!」
「お、あいつは明之じゃねえか! この前も喧嘩してなかったか?」
二人の喧嘩は大衆の娯楽として扱われていた。これがこの街での普通なのかと偕は少し戸惑う。その隣で誠臣は、喧嘩に見入っていた。
「へぇ、どっちも強そうだなぁ!」
「そんなことより。ねぇお兄ちゃん。気づいた?」
「うん……」
喧嘩している当人たち。偕は彼らから霊力を感じ取っていた。
「……武人とは思えない。破術士……?」
「そのようね。このまま霊力が使われたら、街の人にも被害がでかねないわ。誠臣、雫。万が一に備えて街の人の守りをお願い! 偕、止めるわよ!」
「はい!」
「わかった!」
野次馬の波を越え、偕と清香は男達の前に躍り出る。
「そこまで! 双方喧嘩をやめなさい!」
「んだぁ!?」
「邪魔すんじゃねぇ!」
「やめないなら痛い目見るわよ!」
「……あぁ!?」
清香の警告に二人は喧嘩をやめる。が、次に絡まれたのは清香だった。
「女が随分舐めた口をきくじゃねぇか!?」
「誰が誰に痛い目見るってんだ、あぁん!?」
誰もが逃げたくなるような、二人の男による凄み。だが清香はどこ吹く風だった。
「あなた達二人が。私に痛めつけられるわよって言ったんだけど? 分からなかったのかしら? あなた達もこんなに人が多い場所で、女に痛めつけられたくないでしょ? 分かったらさっさと解散しなさい」
「……おい明之。てめぇとの決着は先延ばしだ。今は……」
「ああ……。女にここまで言われて引き下がる訳にゃいかねぇ。まずはこっちが先だ」
「今更許しを請うても無駄だぜ? 俺は女でも容赦しねぇ! おらぁ!」
先手必勝とばかりに、男は清香に殴りかかる。清香が刀を持っているのを見たため、刀を抜かれる前に距離をつめようという考えだ。だが男の拳は清香に当たることなく全て避けられる。
「はぁ。忠告はしたわ、よ!」
清香は男に足払いをかける。己の力を高める金剛力を伴っての足払いは、大の男の足を簡単に救い上げ、そのまま一回転させた。
「うおおおお!?」
頭から地に落ち大地に寝そべる男。清香はその丸見えの背に向けて、足を落とす。
「がはっ!?」
男は肺の中の空気を強制的に排出させられ、息ができなくなる。さらに背に乗せられた足はどれだけ身体を動かそうがビクともせず、まるで地に縫い付けられたかの様に、その場から動く事はできなかった。
「なんだと!?」
もう一人の男はようやく清香の実力に気付く。本気を出さなければ勝てない相手。そう判断し、右手に霊力を高めようとしたところで。
「そこまでです」
一体いつ移動したのか。先ほどまで清香の近くに控えていた偕は、動きを見せた男の真後ろに立ち、刀の柄を背に当てていた。
「少しでも怪しい素振りを見せたら斬ります。……いいですね?」
自分の力がばれている。そう悟った時、ようやく清香達の正体に男は気づいた。
「まさか……中央の武人か!?」
「中央……?」
皇都の事だろうか、と偕が考え始めたところで別の男の声がかかった。
「おいおい、真っ昼間から何してんだお前ら……」
「あ、狼さん!」
「寝坊助狼さんだ!」
その男はどこか気怠そうな足取りで、野次馬をかき分け近寄ってきた。周囲からは「狼さん」と呼ばれており、この辺りでは名が知られている人物である事が伺える。どうやら喧嘩をしていた男達も知っている人物のようだった。
「ろ、狼さん!」
「狼さん、この女なんとかしてくれ!」
「……はぁ。大方お前らが喧嘩したところを止めに入ったってとこか」
狼と呼ばれた男は、心の底から面倒くさそうな表情で頭をかく。今度はこの男が相手か、と清香はわずかに体を傾けた。
(……なに、この男。全然強そうに見えないのに……打ち込める気がしない!?)
「あー、悪いが嬢ちゃん。その足をどけてやってくれないか?」
「お仲間を助けにきたって訳? 残念だけど、霊力持ちの乱暴者をこのままにしてはおけないわ」
「ちょっと往来で喧嘩してただけだろ。それくらい大目に見てやれよ」
「碌な訓練も受けていない霊力持ちが暴れたら、ちょっとではすまないわ。どうしてもというのなら、無理やりどかしてみたらどうかしら?」
つかみどころのない男をあえて挑発する。清香は横目に誠臣に合図を送り、誠臣もそれに頷きで返す。誠臣は男が何か動きを見せたら清香を援護しようと、身体を一歩前へ進ませた。
「はぁ。お前らが面倒ごとを起こすから、俺まで巻き込まれたじゃないか」
男は再び頭を掻こうと右腕を上げる。上げたその裾から、小銭がいくらか零れ落ちた。
「あ」
清香の視線が一瞬、落ちる小銭を追いかける。男から目を離したのはほんの数瞬。瞬き一回にも満たない時間。視線は取られたが意識は男から離していない。にも関わらず。
「まだまだ若いなぁ」
「っ……!?」
真後ろには狼と呼ばれていた男が立っており、清香の肩をポンポンと叩いた。清香は何が起こったのか理解できなかったが、自分が……皇国の武の棟梁、葉桐宗家でずっと鍛えてきた自分が、男に遅れをとったという事は理解した。先ほどまで男が立っていた場所には、小銭が転がるのみである。
(何が起きたの!? この距離を音も無く移動!? それも私の後ろに!? 誠臣もこの男には注視していたはず! でも反応できなかった! これはまるで……)
自分を押さえる足から力が無くなった事を察知し、清香に踏まれていた男はその場を脱する。あ、と反応する前に、狼と呼ばれる男は先に声を出した。
「おら、さっさと行け。おい坊主、そいつも離してやりな。お前らは今日初めてここに来たから知らないだろうが、ここじゃこういう事は日常だ。例え霊力を持っていようがな。いちいち取り締まってたらキリがねぇぞ?」
狼のただならぬ気配に、偕は大人しく男を解放する。街の人の様子を見るに、喧嘩が日常茶飯事なのは嘘ではないのだろうと考えた。集まっていた野次馬たちも、なんだ喧嘩は終わりかと散らばっていく。
「清香!」
「お兄ちゃん!」
入れ替わりに誠臣と雫が前へ出てきた。二人も狼が只者ではない事を既に理解していた。そもそも偕達三人は、葉桐一派の若い世代の中では最強の実力を持つ。それほどの実力者であるにも関わらず、清香は容易に後ろを取られ、偕と誠臣はその動きを見切る事ができなかった。いや。
(間違いない! 今のは絶影だ!)
偕は初動を僅かではあるが掴めていた。だが見えたのは初動のみ。そこからの動きは一切捉える事ができなかった。改めて男を見る。服はよれよれ、髪はぼさぼさ。しまりのない顔に、今もあくびをしながら小銭を拾っている。
「あなたは……一体……」
「南方さん!?」
そこに現れたのは、五頭の馬を引いてやってきた嘉陽だった。嘉陽は地面から魚が飛び出してくる様を見たかの様な表情をしている。
「お……? お前、三月のとこの嘉陽か!? 久しぶりだな! 前に会った時はこんなに小さかったのに! 大きくなったなー!」
そう言って親指と人差し指の間をわずかに空けて輪っかを作る。
「そんなに小さい訳ないでしょ……」
「え!? 嘉陽さん、知り合いなんですか!?」
「ええ。以前皇都で何度か。というか、彼も葉桐一派の武人よ」
「ええぇ!?」
やはり、と偕は思う。さっき見せた動きは絶影だったのだ。だがあれほど洗練された絶影は、これまで見た事が無かった。注目された男は軽薄な笑みを浮かべて答える。
「おう。南方家の次男坊、南方狼十郎だ。皇王陛下より毛呂山領武叡頭のお役目を授かっている。お前らがこれから一年、うちで働く葉桐一派期待の三天武御一行様だろ? すぅぐ分かったぜ。ま、これから一年、よろしくな」
武叡頭。つまり毛呂山領に所属する皇国の戦力をまとめる立場になる。武人たる偕達にとって、ここ毛呂山領での上官にも当たる。
清香は狼十郎に叩かれた肩に手を添えた。狼十郎の正体にはもちろん驚いたが、これまでの自分の努力を鼻で笑われた気もしており、だらしのない恰好と相まって印象は最悪だった。
(こんな……男に……!)
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気づけば投稿を始めて10日以上経っていました…。明日も昼前くらいに投稿いたしますので、引き続きご覧いただけましたら幸いです!
よろしくお願い致します!




